私は真っ暗な部屋の中に居た。
狭く、外部から一筋の光すら漏れてこない。
ここが何処だか判っている。
ネルフの中の独房。
その中で私は硬い簡易ベッドの上に座り、ただひたすら待ち続けていた。
暗い場所に居るのも慣れていたし、一人で居る事にも慣れていた。
でも、今はとても寂しい。
何故、こんなに寂しいの?
柔らかな色、明るい光、活気に溢れた人の声。
少し前なら気にもしなかったのに、今はそれらを求めている。
寂しい。
今まで感じる事も無かったのに。
今は、とても寂しい…。
私はセカンドを救う為に、碇司令の命令に背いて、零号機でマグマの中に飛び込んだ。
結果、私は保安諜報部の人達にこの場所に連れてこられた。ここは、ネルフ本部内の一室。多分、命令を反した者の入る独房。
外部との繋がりが一切閉ざされている為か、外から光が一筋たりとも差し込んでこない。
司令の私に対する命令は、浅間山の使徒捕獲に失敗した場合の初号機の回収。その中に、弐号機の回収や援護などは含まれて居ない。司令にとって、弐号機は捨て駒でしかない。司令の中の計画は、私と初号機さえあれば、後は何も残らなくてもかまわないのは知っていた。司令の息子であるはずの碇君でさえ、彼にとっては計画遂行の為の道具の一つにしか過ぎない。当然、セカンドなど眼中にある筈が無い。そんな事は、ずっと前から判っていた事だけど、目の当たりにすると、とても心が痛んだ。こんな気持ちになるなんて以前の私ならありえないはずなのに、どうしたのだろう?
浅間山でセカンドが溶岩の中に没していこうとしていたのを、なんとか救いたくて私は躊躇する事無く煮えたぎるマグマの中に飛び込んだ。でも、私が決して作戦には参加しないという命令が下されていた事には違い無い。司令は、私が死んでも構わないかもしれないけど、私のこの身が手に届かない場所に行く事を恐れているようだった。
そう、私のこの身体がたとえボロボロになっても、この中にある私自身の元となっているものを、彼は取り戻したいのだろう。それは、多分、人で言うところの心であったり、魂であったり。だけど、彼にとってそれは道具でしかない。それにこの心は、もしかしたら作り物かもしれない。そんな思いが私の中にあった。
この身が彼の手によって作られた偽りのものでしかないのは知っている。このネルフの地下深くに居る私と同じ形をしたものを見ると、私が思い、感じ、考えるもの、"心"だと思っているものすら、造られた偽りのものだと思える。けれど、私の中にこの心は決して偽りなどではないと思う気持ちはある。
司令が何を望んでいるのか、完全には知らないけれど、私の心は前のように彼の言葉の全てを受け入れる事が出来ない。以前、私は彼の言葉なら全てを信じ、言われた事は全てしなくてはいけない事、するべき事だと思い、実行してきた。私の世界はとても狭く、彼以外は居なかった。私にとって彼と彼の見せる世界が全てだった。狭い世界で、何も知らない私は彼を盲信し続けた。
けれど、今は何故か彼の言葉が以前のように私の中へ浸透していかない。
彼や、その周りの人達が造ったものなのかもしれないこの心は、彼らを受け入れられなくなっている。
代わりに、セカンドのとても些細な言葉が私の心に浸透していく。
とても日常的で些細な事ばかりなのに、それは私の中にじんわりと染み込んでいく。
…何故だろう?
戦いの後に行った先の宿泊所。そこからセカンドと二人で外を散策しに行った。
その時、私は夕日に映える川面を見て、流れる血と散っていく赤い花弁に見えた。血の事は言わなかったけれど、花弁の事を私が口にした時、セカンドは赤いバラをプレゼントされたいと言った。赤い花は"情熱"と"熱愛"を意味しているらしい。彼女はそれが欲しいと言った。セカンドの口調はいつもの少し誇張したような大げさなものだったけれど、彼女は、本当はそれを望んでいるような気がした。何故なら、胸を張ってそう言い切っていたセカンドの顔は、ほんの少し寂しそうに見えたから。まるで、何かを得たいのに何も得られずに諦めてしまったような表情。それが私の心に引っかかったまま、気になって仕方が無かった。
だから、私はセカンドに"赤いバラの花束を欲しいのか?"と、尋ねた。セカンドは困った顔をしていたけど、仕方が無いというような風に、「そのくらい真剣な人が居れば欲しい」と言っていた。
そんなセカンドの様子は、バラの花束を貰える事はあまり期待してないように見えた。いつも何かを得ようと突き進んでいるように見える彼女だけど、本当は何も期待していないのかもしれない。セカンドは何処かで諦めているように感じる。そういうあたりで何か、私とよく似ているように感じた。私とセカンドは正反対だと言われるけれど、何処か似ている部分があるように感じる。最初から自分には何も無く、空虚なのが私なら、自分には無い何かを得ようとしてあがいているのがセカンドのように思う。そして、私達は何を得られたのだろう?
私は最初から何も望まないから何も得られない。
セカンドは自分の満足出来うる"何か"を得たようには見えない。
その後にセカンドから私もバラの花を欲しいのかと尋ねてきたけど、私自身の事は何も判らなかった。
何かが欲しいと思ったが無かった私は、答えようが無かった。
機械仕掛けのドアからエアーの抜ける音と共に、暗闇に包まれていたこの部屋に人工の光が差し込んできた。一瞬だけその光に目がくらんだけど、すぐに慣れた。外の光を背に受けた人が、ゆっくりとした足取りで私の側に近づいてくる。そして、聞きなれたいつもの声色で、その人は私の名を呼んだ。
「レイ」
低く、くぐもった碇司令の声。いつもの、命令する時の声。
聞きなれているけど、いつもどおりに感情の欠片は感じられない。
「…はい」
「何故、命令に背いた?」
…どう答えていいか判らないけど、答えなければいけない。私はそういう場所に居る。ただ、下手な事は言えない。何か、理由を無理やり付けることも出来るかもしれないけど、全て後付けになってしまう。この人は言い訳の通じるような人では無い。
私は思っていた通りに答えた。
「…わかりません」
「弐号機の援護は命令には無いはずだ。もう一度聞く。何故背いた?」
「わかりません」
「何故だ?」
「わかりません…」
「…そうか」
そう言ったっきり、司令は黙り込んだ。この人には、これ以上の質問なんて無いのだろう。そして、私もこれ以上の返答は思いつかない。暫く沈黙が続いたけれど、この人は、黙ってこの部屋を出て行った。
再び訪れる沈黙と暗闇。
まだ寂しいけれど、先ほどよりは落ち着いている。
ほんのつかの間の安らぎ。私は硬いベッドの上に自分の身を横たえ、そっと目を閉じた。
私はそれから数日その部屋に閉じ込められた。
多分、これが罰なのだろう。特に具体的にそう言われたわけではないけど、そう思った。
隙間も無い部屋の中で非常灯だけが付けられた。食事はトレーに入れられたものが運ばれてきた。ここに居ればこういった食事なのはいつもの事なのに、何故だかとても味気なく感じた。
この前、セカンドが私の部屋を改装した時に、お皿とかも一緒に買って、以来それらを使っていたけど、プラスチックのトレーはとても冷たく感じた。買ったお皿には色々な色彩や模様だとか、色々な物の形を感じるのに、それには何も感じなかった。
独房から出された時、外の景色がとても色づいて見えた。
狭い部屋の中にずっといたせいで身体が少ししびれるような感覚を覚えたけど、それでも外に出られるのはなんとなく開放感があった。以前、暗い世界から初めて外に出してもらった時は、ただめまぐるしく変わる風景に私は流されるばかりでどうしようもなくなっていた気がしたけど、今はまるで狭い世界の中より外の広い世界に飛び出したがっているように感じた。
それは、外の物の形や色、そして変わっていく世界がどんなものなのか、知ったせいだろうか?
見慣れた本部の中でも人達が息づいてる。とても当たり前の光景なのに、私にはとても活気付いて見えた。
ふと、時間が気になって、施設のあちらこちらに設置されているデジタル時計を見たら正午からだいぶ時間が過ぎていた。今から学校に行っても、放課後になってしまう。私の居ない間にセカンドや碇君がどんな様子なのか気になったけれど、この時間からでは行っても無意味だ。
仕方が無いので、私は自分の部屋に戻ろうと、外へ向かって歩き出した。
「ちょっと、レイ」
通路を歩く途中で聞き覚えのある声で名を呼ばれた。
誰なのかと思い、振り向くと、伊吹二尉が心配そうな様子で立っていた。
「…何でしょうか?」
「葛城三佐があなたの事を心配していたの。その、使徒捕獲作戦の後の熱中症のままで本部まで強制帰還されてから、あなたが一週間近く、姿を見せなかったから」
そう。私は五日間あの部屋の中に居たのね。
独房は完全密閉で、外部の光も漏れ出て来なかったためか、時間の経過が良くわからなかった。睡魔と食欲で大体四日かそのくらい過ぎたのかと思っていた。でも、実際はもっと長い時間が経っていたようだ。
伊吹二尉は私の側まで寄ってくると、少し屈むような姿勢をして心配そうに顔を覗き込んできた。
「体調の方はどう? 何処か、具合の悪い所は無い? 」
「…特に、問題ありません」
「本当に大丈夫? やせ我慢はしなくていいのよ? 」
「いえ、大丈夫です」
暗い部屋に閉じ込められはしたけれど、あれはあれで私にとって休息になっていた。特にやせ我慢というほどの事でもなかったので、正直にそう答えた。
そんな私の様子に、伊吹二尉は辛そうな顔をした。
「本当なら、あそこにずっと閉じ込めておくべきではなかったのだけど、私の意見なんて通らなくて…」
多分、私の拘禁は碇司令の直接命令。誰の意見も通る筈が無い。
私はなるべく気にかけていないように言った。
「多分、碇司令の命令だと思うので、伊吹二尉は気になさらないで下さい」
伊吹二尉は私の言葉に、一瞬痛ましい顔つきをした。何故、彼女がそんな顔をするのか私には判らなかった。
二尉はしばらく考え込むような様子で顔を俯かせていたけれど、とても言い辛い様子で言った。
「…あなたは体調が悪くても通常の医療機関にかかるわけには行かないから、何かあったらやせ我慢しないですぐに本部に連絡してね? 」
伊吹二尉は、私の事をある程度知っているのね…。
自分がまともな人では無いということを自覚させられるようだった。
造られた人間。人に似ていて異なるもの。それが私。
私は外へ出られた開放感から、現実に引き戻されるような感覚を覚えた。
伊吹二尉とのやり取りでほんの少しだけ、心に重石を付けられたような感覚を引きずったまま私はいつもの自分の部屋までの道程を黙々とたどっていた。
外では、人々が行き交い、町の喧騒を作り出していた。いつもの道なのに、それらは以前よりも新鮮味を帯びて私の中に飛び込んできた。前なら何の感慨もなく見つめていた光景なのに、とても自然に私の中に入り込み、そのまま溶け込んでいく。この感覚、悪い気分ではない。目に見える事象が自分の中に溶け込み、自分を形造っていくのは自分が自分で居られるようで、何かに引きずられた気持ちが気持ちが軽くなったような気がした。
自分の部屋まで戻った時、少しほっとした。
白地に小さな青いバラをあしらった壁紙。色々な小物を置くための戸棚。その横に置いてある私の背丈の三分の二ほどの姿見。淡いブルーのシーツ。これらを見ていると、何故か気持ちが優しくなれる。この部屋はこの間までただの休息の場であり、私に安息は与えなかった。今ではここに戻ると、少し暖かな気持ちになって、気持ちが休まる。そのせいか、私は少し眠くなってきた。
私は横になろうと、ベッドに腰掛けた。ふと、この間買ったばかりの戸棚の上を見た。そこに、見慣れないものが置いてあったのに気が付いた。私は立ち上がり、側まで近寄り、それをじっと見た。
戸棚の上に置いてあったのは、白い鉢植えの中に植わった一輪咲きの白いバラ。
何故こんなものがここに置いてあるのだろう?
私はその花に触れようとした時、鉢の受け皿の下に挟まっている三つ折に畳まれた便箋のようなものがあるのに気が付いた。私はそれを手に取り、広げて見てみた。
Dear 1st.
諜報部に連れて行かれてから学校や本部で暫く会えなかったけど、司令にこの前の事で何か言われた?
とりあえず、助けに来てくれた礼を言いそびれたから、代わりにこの花をあげとく。
暫く帰ってくる様子がなかったから、悪いと思ったけど、アンタから貰ったスペアキーで部屋に入ってこいつをここに置いて、ちょくちょく水をあげといてた。
後はあんたが世話しなさいよね。
2nd. Children Asuka Langley Soryu
セカンドから私に…。
私はもう一度白いバラを見た。それは棘の無いバラだった。
棘の無いバラと、いつもと変わらない様子でのセカンドからの手紙。
それらを見ていたら、急に私の中に暖かいものが込み上げてきた。
それは、前にも感じた気持ち。そう、私が人の輪に入れず、一人で自販機の前に立ってコーヒーを買った時に、セカンドが私にくれた缶の紅茶。どうというものでも無いような事だったのだけど、その時はそれまで感じたことも無いほどの暖かさと嬉しさを感じた。
私はその白いバラの花弁にそっと触れながら思わず呟いた。
「…ありがとう」
感謝の言葉。今まで儀礼的にしか言わなかった言葉。それが、私の口から自然とこぼれた。
白いバラの花弁を撫でながら、戸棚の横に置いてある姿見に自分の姿が映っているのに気が付いた。
そこに映っていた私の顔。その顔はただ穏やかに微笑んでいた。