様々な犠牲を払った使徒との戦いは人類…リリン側が勝つ事でその幕を閉じた。
使徒との戦いの後、一部の人々…ゼーレのみが知る人の神への道へ至る為の儀式…"サードインパクト"は、リリスとその魂たるレイ、そして、碇ユイの魂の宿ったエヴァ初号機と碇シンジを依り代とし、弐号機とそのパイロットだった惣流・アスカ・ラングレーを生け贄として差し出される事で行なわれた。
アスカはこのサードインパクトが行なわれる直前まで使徒との戦いでの精神汚染の影響で自己の殻に閉じこもっていたが、ゼーレからネルフに対する実質上の刺客である戦略自衛隊の侵攻の際、もはや乗る事が出来ないとすら思われていたエヴァ弐号機への再搭乗と、その後の生命の危機からによる母との対面、そしてその事で自己の殻より見事にエヴァとのシンクロを回復させ、エヴァのパイロットとして再び返り咲いた。
しかし、彼女にとってこれが仇となった。
ゼーレは再び動き出し、戦略自衛隊の各部隊の猛襲に応戦したエヴァ弐号機に対し、"毒は毒をもって制する"という言葉通りに九体のエヴァ量産機を投入した。
この量産機は既存のエヴァと違い、S2機関を完全搭載し、ダミープラグで動く"ヒトの意志の無い"もので、その為に量産機はエヴァシリーズの中ではもっとも凶悪な部類だった。
エヴァ弐号機に対して、エヴァ量産機は理性や感情の欠片も感じさせない野蛮で無分別な攻撃を繰り広げたが、アスカはこの量産機を限られた弐号機の内部電源で一掃した。
…しかし、殲滅したはずの量産機はS2機関搭載であった為に、停止してしばらくしてから再起動。既に内部電源が切れ、人が神になる為に複製されたロンギヌスの槍に貫かれ、動く事が出来なくなった弐号機を、まるで陵辱するかのようにその腑を引きずり出し、見る者が目を背けるような程、残酷な形でズタズタに引き裂いた。
それは再び初号機に搭乗したシンジが、弐号機の最後の姿を見た時にはシンジ自身、正気を保てなくなるほどの形になっていた程だ。
しかし、弐号機の中で彼女は、アスカはかろうじて生きていた。
量産機に打ち捨てられた弐号機の中で彼女は、エヴァからの激しい痛みのフィールドバックを受けながら、人類の終わりと始まりの時を見ていた。
自分以外の他の"誰か"に認めてもらう為に戦い続けた少女は、女神にも天使にもなれないまま、ただ生きていた。
「ほら、アスカ。食べてよ。」
昼時間、シンジが食事をスプーンですくってアスカの口に運ぶ。
しかし、アスカは差し出されたスプーンから顔を背ける。
「…いらない…。」
アスカのそんな様子にシンジの顔は落胆の色を表したが、あきらめずにスプーンをアスカの口に運ぶ。
「お願いだよ、食べて。元気にならないからさ。」
粘るシンジにアスカは表情を暗くした。
「…気持ち悪いの。だから、いらない…。」
シンジはアスカの頑な態度に再びその顔に落胆の色を表した。
彼女はここの所ずっとこんな調子で食事をろくに取ろうとしなかった。
サードインパクト後、リリスからの物理的衝撃波の直撃を受けた第3新東京市以外の地はそれほどの被害もなく、世界の裏から操っていたゼーレはその代表である主要メンバーのみがこの地上から消え、世界の裏の世界以外は特に混乱も見せずに終った。
アスカは使徒戦役での負傷という名目で公的支援の元、現在の病院に入院していた。
…本当は、エヴァ量産機との戦いでの負傷なのだが、その事実は然るべき機関…使徒戦役中は"ネルフ"と呼ばれていた国連直下の組織により隠ぺいされていた。
ネルフは使徒戦とサードインパクトの混乱の事後処理の為に一度出されていたA-801…『特務機関ネルフの特例による法的保護の破棄、及び死危険の日本国政府への委譲』は撤廃され、再び国連直下の組織として動いていた。
しかし、ネルフの復権はかつてほどの超法規的な保護や特例などはなく、サードインパクトや使徒戦役等の処理が国連の既存の機関や日本国政府などでは処理しきれない為に行なわれた日本国と諸外国による苦肉の策だった。
そのネルフや国連組織からの保護の下、戦いの中で犠牲になった者…"チルドレン"と呼ばれる実際にエヴァに乗って戦っていた子供達は暮らしていた。
戦いの中で"チルドレン"と呼ばれた者達の中で、死亡を除く、酷い負傷を受けた者、鈴原トウジ、及び、惣流・アスカ・ラングレーは現在の病院に入院という形で保護されていた。
碇シンジも、破壊され尽くした第3新東京市からかつての伊豆半島…今はサードインパクトの影響で島と化した伊豆の先端辺りにある地域…事実上、ネルフ関連の人々を一括管理し、あのできごとの事後処理の為に造られたと行っても過言ではない町で、その関連の人々と共に暮らしていた。
そして、その町の南方の海辺に位置する病院…ほとんどが使徒戦役と戦略自衛隊侵攻時に負傷したネルフ関連の人々が入院しているそこに、トウジとアスカは入院していた。
あの、運命の日から一年以上の月日が流れた。
当初、伊豆の海辺の病院に収容されたトウジは人の手助け無しにはろくに移動することも叶わず、アスカは時折、腹部や顔の左半分、そして右腕に原因不明の激痛に見舞われ、両者とも目が離せない状態だった。
特にトウジのようにあからさまな外傷ではないのに、まるで鋭利な刃物で裂かれたような右腕の傷跡と、時折小さな子供のチックのように痙攣を起こす顔の左側や変色した左の目、そして腹部の無数に走る傷跡が、あの日の出来事の不可解さと人智を超えた兵器への畏怖の念を人々に抱かせた。
そんな彼らの元にシンジはことあるごとに見舞いに来ては、世話を焼いた。
シンジとってそれは、傷つけた親友と、見捨てた少女に対する贖罪だったのかもしれない。ただシンジは、彼らの世話を焼かねばいけないという半ば責任感のような、そんな感じで世話を焼き続けた。
しかし、親友であるトウジは、元からの性格なのか、何かに駆り立てられるように世話をし続けるシンジに対して、
「出来ん事は看護婦に言うわ。後は自分のコトは自分でするさかい、センセ、ごっつ疲れるやろ。もうええわ。」
と言い、自分の世話を焼く事を断った。
そして、シンジが世話を焼いていたもう一人の人物…アスカの方はシンジのされるがままになっていた。しかし、最近アスカはシンジに何かをされる毎に遠慮したり、何気なく拒絶したりするようになってきた。
そして、今日、アスカに何とか食事を食べさせようとするシンジに対して彼女は気分の悪さを理由に断った。
「ねぇ、あまり食べないでいると、体、弱っちゃうよ?」
あまり食べたがらないアスカに対し、心配気にシンジは言った。
「…何も食べたくないの。もういいから。」
そう言ってアスカはそのまま、起こしていた半身をベッドに横たえて、布団を被った。
そんなアスカの様子にシンジは深いため息をついて、食事のトレーにスプーンを戻した。
その夜、アスカは一人で夕食を食べていた。
味も素っ気も無い白い粥。
この、味気なさに今だにアスカは慣れない。病院の食事は全体的に薄味で、お世辞でも美味しいとは言い難かった。
ただでさえ食欲がないアスカにとって、これはかなり苦痛だった。
入院したばかりの頃のアスカは時折腹部に激痛が痛みが走り、物を食べると吐き戻していた為に、ほとんど点滴や流動食でなんとか過ごさるおえなかったが、何か月か経って、彼女が極端な痛みや苦痛を訴えなくなってきてからようやく普通食を出されるようになった。
しかし、やはり長い間、ロクに食べられず、そして食欲自体があまりないアスカは、食事に何が出されても、食べる気が起きずにいた。
しかし、アスカはそうして食べずにいた為に、見るからに体重が減ってゆき、見舞いに来るシンジがそんな彼女の様子に、あれこれと差し入れをしたり、食事を食べる手伝いをしようとしていたのを見て、アスカは戻しそうになるのを我慢して食べるようになった。
アスカは、動きづらい右手でスプーンを持って、食べようとした。
しかし、口に運ぼうとした瞬間、引きつった右腕に微妙な痛みが痛みが走ってスプーンを取り落とした。
スプーンは食器のトレイに当たって、そのまま弾みで床まで落ちた。
アスカは床に落ちたスプーンを、眼帯の付いていない右目で睨むように眺めながら顔をしかめた。
そして彼女は、自分の右腕の指の付け根から肩あたりまで一直線に走っているケロイドのような痕を見ながら眉をひそめた。
アスカは右手を閉じたり開いたり、かつての同居人がやっていたようにしてみた。
しかし、右手はつっぱってギクシャクとして、時折不快な痛みを感じた。
「…全然ダメだわ…。」
アスカは苦渋の表情を浮かべながら一人、呟いた。
あの日から一年と少し。アスカとトウジに退院の許可が下りた。
トウジはまだ完全で無かったが、通院でなんとか出来ると判断され、アスカも普通に生活しても、問題ないと医師が言ったのだ。
しかし、アスカの場合は、傷の無い傷…医師にとってはどうしようもない不可解な状態…で、このまま長く入院させてても、意味が無いというのが本当の所の理由だった。
退院前日、ベッドから外の海辺の風景を眺めていたアスカの元に、シンジはヒカリを伴ってやって来た。
ヒカリはずっと第2東京の方に住んでいたが、ネルフ関係の人事移動でヒカリの家族がこの町に越して来た為にヒカリもやってくる事になった。
ヒカリはこの地域の学校に通うことになったのだが、そこでシンジと再会して、アスカの元に見舞いに来る事となったのだ。
アスカは最初、ヒカリを見た時に誰なのかわからなかった。
彼女はアスカと別れてからこの一年と少しの間にすっかり変わっていた。
全体的に丸みを帯びて膨よかになった胸や足、そして体の線は曲線を描き、滑らかな感じになって"女性"であることを主張していた。
そして、この一年間、通っていた第2東京の学校の影響か、服装がより女性らしくなり、前に感じていた潔癖さや堅物のような雰囲気は無くなり、あか抜けた感じがした。
「アスカ、委員長だよ? わかんない? 」
怪訝そうな顔をしてヒカリを見ていたアスカにシンジは気遣わし気に言った。
「…ヒカリ?」
「久しぶりね!アスカ!!」
「第3新東京市じゃ色々あったけど、アスカ、元気にしてた?」
ヒカリは朗らかな様子で型どおりに言った。
アスカはこの言葉に眉をひそめたが、ただ、「うん…」とだけ、答えた。
この後、ヒカリは、シンジと時々話をしながらアスカに第2東京での話や、近況報告などをしていたが、アスカの方は上の空という様子で、ひたすら生返事をするだけだった。
そうして、しばらく経ってから、ヒカリがシンジと学校の事で話を湧かせていると、アスカが囁くような声で言った。
「…隣…」
楽しげに話していたヒカリと、それに受け答えていたシンジが一瞬きょとんとした顔をした。
「…何?アスカ?」
ヒカリがそう聞き直すと、アスカは一度ヒカリの顔を見て、そして位置を指し示すように壁側に視線を向けて言った。
「…隣、鈴原がいるわよ。逢いに行ってあげれば?」
「え?あ、鈴原ね!うん、分かってるわ。
とりあえずアスカの方を先にお見舞いしたくて来たんだけど…
そろそろ行くね。」
そう言ってヒカリは病室の出口に向かっていった。
そして部屋を出る前にアスカに向かって手を振ってみせた。
アスカはそれに答えるように左手で軽く手を振って、ヒカリを見送った。
「アスカ…余計な事したかな?」
ヒカリが出て行った後にシンジが心配気にアスカに向かって言った。
「…何で?」
「いや…、あまり楽しそうじゃなかったから…。」
気を使うシンジにアスカは穏やかな調子で言った。
「…ううん、そんな事ないよ?わざわざありがとう。」
シンジはそう言うアスカを見ながら複雑そうな顔をしたが、何かを思い出したのか、急に手にもっていた紙袋を差し出した。
「…?何?」
「…明日、退院する時に着る服だよ。新しく買って来たんだ。」
シンジははにかみながらそう言った。
アスカはシンジに差し出された紙袋をじっと見ていたが、それをそっと受け取るとシンジに向かって言った。
「…ねぇ?喉、渇いたんだけど、自販機からお茶、買って来てくれない?」
「…え? あ、いいけど…?」
「悪いわね。」
シンジは座っていたパイプ椅子から立ち上がり、病室の出入り口に向かって歩き出した。
出入り口まで差し掛かった時にシンジは一度立ち止まり、後ろを振り返ってアスカを見た。
アスカはいつもと同じような調子で窓の外の海辺の風景を眺めていた。
「じゃあ、行ってくるね。」
シンジはそう言うと、病室から出て行った。
シンジが出て行ってからアスカは視線を窓辺から手もとにある紙袋に移した。
そして、左手で紙袋の中を開けて覗き込んだ。
中には、わりと大人し目のカーディガンとカットソー、そして膝丈のチェックのアコーディオンスカートが入っていた。
アスカは先程のヒカリと第壱中学の頃のヒカリを思い起こした。
面影は多少あるものの、ほとんどあの頃と違うヒカリ。服装があか抜けてはいたが、昔の彼女からはおおよそ似つかわしくない服。
「…シンジが選んで買って来たのね…。」
そしてアスカは寂しそうな、哀しそうな表情をして言った。
「…バカね…。」
「アスカ、買って来たよ。」
病院内の自販機コーナーから缶のお茶を買って、病室に戻って来たシンジはベッドに誰も居なくなっているのに気が付いた。
「…アスカ?」
シンジはこの瞬間、手にもっていた缶をその場に落として病室の外に飛び出して行った。
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