朝、目覚めると僕は一人、裸のままでベッドの上に横たわっていた。
手を胸に当ててみる。
…血が滲んで固まった爪痕が残っていた。
そのまま自分の唇に触れてみた。
唇の端で血が固まってる。
そのまま息をしようと口を開いたら唇の端で固まった血が裂けてまた血が出た。
…アスカに噛まれた唇…。
僕は…今、一人なの?
僕はゆっくりと上半身を起き上がらせた。
回りを見ると…絨毯の上にはアスカに夕べお風呂の後に着せた僕のカッターと昨日脱がされたはずの僕の衣服が畳んで置かれていた。
そして僕の部屋の小さなテーブルにはゆで卵とトーストと牛乳が置かれていた。
…アスカが作った?
僕はベッドの上から立ち上がった。
そしてベッドを改めて見てみた。
ベッドの上の方と中心辺りに錆色になった血がついていた。
上の方は僕の血、中心辺りは…多分、アスカの血だ。
僕は…多分、アスカが畳んだと思う服を身に着けて血のついたベッドのシーツを一気に剥がした。マットを見ると中心辺りに血が滲みていた。
…かなりの出血だったんだ。
僕はベッドのシーツを洗濯機に放り込んで回してベッドのマットのシミ抜きをし始めた。
…今日は雲が出ているけど晴天だ。
シミが抜けたら干しておけば2時間くらいで乾くかな…。
僕はそんな事を考えた。
ベッドのシーツを洗って干して、マットも干して、二つが乾く頃には昼も過ぎてしまっていた。
本当は今日は学校があったけど休んだ。
…日本政府からの援助で学校に行かせてもらってるならお金は公的な物だから真面目に通うべきだと思ったけど今日はそんな気分にならなかった。
…このまま部屋の中にいてもいいけどとりあえず外に出ようかな…。
僕はそう思って自分の部屋から外へ出た。
外に出てみるといつもの坂道…廃墟と補修された家と新築の家とが混在した坂道が見えた。
僕はこの坂道をゆっくりと下って行った。
坂道を下った先には曲り角、ここを左に曲がると学校の方へ、右に曲がると…
…あまりこの先って行った事ないな…。
そう思って僕はいつもの曲がり角を右に曲がった。
家が壊れて更地にされた場所…、全壊が酷くて"公園"にされてしまった場所…、倒壊したビルの取り壊し場所…、色々な場所があるのに気が付いた。
そして新たに作られた公園と思える場所にたどり着いた。
ちょうどそこは高台になっていて何時かアスカと一緒にコンビニで買ったジュースやサンドイッチを食べていた場所によく似ていた。
よく回りを見渡すとここからこの街が一望出来る。
すり鉢状にえぐられた街。
その回りに倒壊した建物と取り壊しにされて更地にされた場所などが一望できた。
その倒壊したり、更地にされた場所を取り囲むように街が出来てる。
多分、すり鉢状にされた部分はジオフロントのあった場所。そしてサードインパクトの起きた場所…。
僕はしばらくたたずんでいたけど、もうこれ以上見る必要ないな…帰ろう、と思って振り返った。
すると、この公園の…僕がいる場所からかなり遠くにあるベンチに俯くように座っている人影を見た。
…赤みがかった長い髪…。
…アスカ?
ここからは遠いけどたしかにあれはアスカだ。
脱色とかそんなのでなくてあんな髪をした子はあまり見当たらない。
…何よりもそのベンチに座っていた子は昨日のアスカと同じ姿をしていた。
僕はアスカの側に駆け寄った。
…夕べの事があったから?
わからない。
でも、何故だか俯くように座っているアスカが儚く、哀しそうに見えた。
僕はアスカのすぐ近くまで寄ると一声かけた。
「アスカ…?」
僕の声にアスカは顔を上げず、お腹を抱えるようにうずくまってベンチに座ったままでいた。
「アスカ?」
僕はもう一声かけた。
…反応なし。
アスカはお腹を抱えるように下を向いて座ったままだ。
僕はアスカの前に立ったままじっと様子を見てみた。
すると、アスカは小さな呻き声を上げているのに気が付いた。
「…アスカ??」
僕はアスカのすぐ隣に座って後ろからアスカの両肩をそっと掴んだ。
するとアスカはビクっとしてから唸り声をあげた。
「さ……な…で…」
「え?」
「さわ…ら…ない…で…」
そう言って、アスカは苦しげに前屈みになった。
…何がどうしたのかわからない。
ただ、アスカが苦しがっているのは分かる。
僕は苦しんでいるアスカから手を離すと背を後ろにアスカの前に跪いた。
「アスカ、おぶさって!」
「…い……や…。」
「だからおぶさって!!」
アスカはふらふら立ち上がると倒れ込むように僕の方へおぶさってきた。左腕で僕にきつくしがみつく。
ふと見ると…だらりと垂れ下がった右腕がヒクヒクと痙攣していた。
…その時、僕の中に一瞬何か鮮明な光景が浮かんだけど完全に自覚する前にアスカを病院か何処かに連れて行かなきゃいけないと思ったのですぐに僕の中から消えた。
「アスカ、少しの間我慢してて。
救急車か、タクシーか何か拾って病院に…」
「やめ…て…」
そう言ってアスカはしがみついていた左腕に力を入れた。
僕の首が少し絞められ、僕の首を回って掴まれている肩にアスカの左手の指が食い込んだ。
「何言ってんだよ? まともに返事も出来ないクセに。」
するとアスカは僕の肩に食い込ませていた指をさらに食い込ませて自分の頭を僕の肩に埋めて小さな声で呻くように言った。
「せ…精神的…な…発…作みたいな…モン…いつもの…」
そう言いかけてアスカは僕の肩…首筋に頭を強く押し付けてきた。
…痛みなのかどうか分からないけど苦しそうだ…
僕は仕方なしに自分の部屋に連れて行くしかないな…と思ってアスカをそのまま担いで歩き出した。
アスカを自分の部屋まで連れてくるのは骨が折れた。
まず自分の部屋までの道のりにいつもの、あの坂道があったからだ。
いつもはゆっくりと上っているけど今日はアスカを担ぎながら急いで昇ったのでかなりきつかった。
僕は自分の部屋までアスカを運ぶとそのままゆっくりとアスカをベッドに横たえさせた。
アスカはそのまま僕の向いている方とは逆の方へ横向きに寝返りを打って体を丸めてお腹の部分を抱え込んだ。
ベッドのマットとシーツ…洗ったり干したりして乾かしておいて良かったかな…。
僕はアスカの姿を見てそんな事をふと思ってしまった。
僕はベッドサイドに座ってアスカの髪に触れようとした。アスカは微かに震えていて…
僕はビクっとなって手を引いた。
アスカの肩あたりから…僕から見たらちょうど右腕だ、ミミズ腫れのように一本の線が手の辺りまでくっきりと浮かび上がっていた。
その一本の線の周りの皮膚は血管が少し浮いたような感じに引きつっている。
まるで…腕を縦に引き裂いたような傷の痕…
ここで僕の頭にさっき見たイメージが再びよぎった。
ズタズタにされた胴体…。
バラバラにちぎられた足や腕…
垂れ下がった腕は二つに裂かれて…
!!!
アスカ!?
僕はゾッとしてアスカの肩を掴んでアスカを仰向けにして見た。
アスカは呻いて抵抗したけどそのまま僕の力で簡単に仰向けにすることが出来た。
アスカの顔を見たら瞑った左目が痙攣して引きつっている。
僕は強引だとは思ったけどアスカのブラウスに手をかけた。
…もう、夕べ見るだけなら見たからもう構わないよね。
ただ、もしかして…。
「…うう…」
アスカはさっきよりはっきり聞こえる呻き声を上げて抵抗しようとした。
僕は左手でアスカの両腕を頭上に押さえつけてから膝で足を押さえつけた。
…まるで僕がアスカを襲ってるみたいだ。
とにかくアスカのブラウスを…片手じゃ上手くボタンが取れない…。
アスカに悪いけどブラウスのボタンがはじけるのを覚悟で強引に前を開いた。
…アスカの胸元や…いや、お腹の部分に無数の引きつったような傷跡のようなみみず腫れのようなものが走っていた。
昨日…昨日見たときはこんなものはなかった。
「み…見ない…でよ…」
アスカが喘ぐように言った。
「から…だに…きずなんか…残って…無い…のに!!
い…痛みが…ひ、ひき…さかれる…!!」
アスカはそう言うと震える"右腕"で僕の腕を掴んだ。
そして強く瞑っていた目を少しだけ開けて…苦しげに、でもはっきりと言った。
「抱き…しめ…てく、くれ…る…つもり…な、ない…なら、
み…見ないで…よぉっ!!!」
…僕はこの言葉で"あの時の事"をはっきりと思い出した。
ケージのアナウンスに響くアスカの絶叫とマヤさんの叫び。
バラバラに引き裂かれた弐号機。
そのまま弐号機は打ち捨てられて…
最後に会った時にアスカは右腕と左目に包帯を蒔いて…
…多分、体だって…
僕はアスカに覆い被さるように首の辺りに顔を埋めた。
アスカは小さく呻いたけどそのまま手を後ろに回して僕はアスカを抱きしめた。
アスカはしばらく小さく呻き続けたけど次第に静かになって、少し経つと規則正しい呼吸になっていった。
僕は上半身を起き上がらせてアスカの顔を見た。
…眠って…る?
アスカはさっきよりずっと穏やかな顔つきになって眠っていた。
僕はアスカの右腕やお腹のあたりを見た。
…さっきの引きつったような傷跡のようなみみず腫れは引いていた。
僕は改めてアスカを見た。
はだけた胸元と穏やかな寝顔…。
…いつか病室で見た時のアスカよりずっと奇麗で…。
僕は思わず頬をそっと撫でてみた。
…いつかのアスカみたいに。
どのくらい時間が経っただろう?
僕はベッドの横に座ったままうつぶせになって寝てしまっていた。
ふと目が覚めて回りを見た。
暗くなってる…。
そして僕はベッドの方を見上げた。
…アスカが上半身だけ起き上がらせて窓の方をじっと眺めていた。
「…アスカ…。」
僕はゆっくり立ち上がってベッドにそっと腰掛けた。
アスカは僕の方にゆっくり顔を向けて…そしてまた窓の方を向き直って俯いて一言言った。
「…面倒かけて悪かったわね…」
僕はアスカの様子を見てそれまで少し疑問に思っていた事を尋ねた。
いや、再会した時にも尋ねたけどあれが答えだとは思わなかったから。
「ねぇ、アスカ。
本当は…どうして僕に会いに来たりしたの?
…君を見殺しにしたようなものなのに…」
アスカは少しの間黙っていたけど唐突にぽつり、ぽつり、と話しはじめた。
「…拘留を解かれて…他に行く場所なかったのよ…。
引き出せる情報なんて私じゃたかが知れてたし、時々昼みたいな発作を起こしてた。
戦犯扱い寸前だったけど未成年で若年って理由で放免。
…国籍は…アメリカの方は事実上、国籍剥奪。
日本での居住だけは認められたけど日本国籍取得は保留のまま…」
そこでアスカは言葉を切って、そして言った。
「…帰る場所…無いんだ…」
「…エヴァに乗っても…」
「…ヒトを殺しても…」
「誰も…もう…」
アスカは言葉が途切れがちに…いや、まるで泣くのを耐えながら話してるみたいに言った。
「…アンタ…なんかに…
…すがるつもりなんか…なかった…のに!!」
そう言うとアスカは僕の背中に顔を埋めてきた。
そして嗚咽しながら僕にしがみついて僕の服を掴みながら言った。
「…もう…一人は…イヤ…」
そう言ってアスカは泣き続けた…。
…僕らは数日間、この部屋で過ごした。
学校に行かないのは悪いと少し思いつつ、アスカを一人にさせておく気になれなかった。
アスカに今何処に住んでいるのかって尋ねたら「何処かに住む」と、答えただけ。
…つまり、まだ住む所を決めてないって事なのかな?
結局アスカはそのまま僕の部屋にずっと居て、一ヶ月が過ぎて、三ヶ月が過ぎて、半年、一年…
僕が学校を卒業する頃もやっぱり居た。
…こういうのって"同棲"っていうんじゃないのかな…?
僕はある日そう思ったけど、アスカが僕の横で穏やかに眠っているのを見て、もうどうでもいいやって思ってしまった。
そして大学入試を終らせる頃にアスカが急に僕に引っ越すと言い出した。
「…なんで?」
「だってこの部屋ってワンルームじゃない? 二人じゃ狭いのよ!」
…まだ一緒に暮らす気…?
「…ね、いいトコロ探してきたのよ?」
僕はため息をついてアスカに言った。
「…僕が大学行って、節約してやっとなんとか二人で生活するお金はあるけど、
ここより広い場所に住むお金ないよ…」
するとアスカはいつかみたいなずる賢そうな顔つきで言った。
「バカね!!
私が働くから借りれるわよ!!
さ、引越しの算段しましょ!!」
…僕はこれを聞いてため息をついた。
めんどくさいな…
でも…アスカが殊の外明るく話しているのを見て僕は結局アスカに振り回されるままにされるんだろうな…まぁそれでもいいか…。
と、投げやりなのか、どうでもいいのか、それともアスカに尻に敷かれているのかわからないけど思った。
END