20XX年、6月6日。
碇シンジは2○才の誕生日、碇・アスカ・ラングレー(旧姓惣流・アスカ・ラングレー)と結婚をした。
六月の花嫁。ジューンブライドである。
六月の花嫁は幸せになるとの古来からの言い伝えがある。
言い伝え通り、結婚したその日は花嫁であるアスカは花婿であるシンジと共に幸せと希望に輝いていた。
しかし、二人が疲労と気遣いの疲れから出た脂汗に輝いていたのもまた事実である。
結婚式場には二人の大学での恩師(アスカが学生時代に実習で卑猥な言葉を言った講師は教授になっていた。この人物は披露宴会場で酔った勢いでまたもその言葉をその日の主役である花嫁に言い、周りのひんしゅくとシンジの静かなる怒りを買ったのは言うまでも無い。)や大学時代の同級生、勤務先の同僚、医師会の関係者等々、様々な人々がやってきていた。
当初二人は身内だけのつつましやかな結婚式を挙げる予定だった。
しかし、麻酔の専門医の資格を取るために大学病院に籍を置いているアスカにはしがらみがまとわりついていた。
指導医である麻酔科の教授を呼ばないわけにはいかなかった。いや、呼んでくれるのだろと言われたら拒めない。専門医の資格を取るには指導医の元で手術を何例か経験し、その許可を得て単独での麻酔を何例かこなし、症例報告書を出して審査を受け、それに通らなければならないのだ。嫌われるわけにはいかなかった。
結局は、体裁体裁体裁付き合い付き合い付き合い。医師会やら恩師やらがとにかくうるさいのだ。しきたりの厳しい世界である。人によっては呼ばずに無視すると後々やっかいな事になる。
そして何よりも麻酔の教授を呼んだのに手術の場を提供する外科や内科の教授は招待しませんでは、世の中うまくいかない。教授を招けば、学部長、病院長を無視するわけにもいかず、ネズミ算的にあっというまにアスカ側の来賓は、大学教授その他付属物諸々の大博覧会になった。
一方、大学病院のシステムから切り離されたシンジの招待客は、病院関係者と友人や大学時代の同級生だけ。世間で言う格での両家の釣り合いはまったくとれていなかったが、シンジは気にしていない。
一生に一度の晴れ舞台に、むさ苦しくて下品な大学教授や、中年高年オヤジや、むやみやたらに偉そうにしている諸先輩など、呼びたくもなかった人種が来て、難色(というよりも嫌悪すら)を示していたアスカだが、この辺りの付き合いをしておかなければいけないとシンジに論され、結局仕方なしに我慢した。
披露宴もアスカの思惑とはちがってしまった。教授たちがそろって挨拶をしようとしたのだ。その場で彼らはいかにアスカが才媛たるかを蕩々と説いたのだが、必ずそのあとにその才能を見いだしたのは自分だと付け加えるのだ。祝福よりも自分の功績を披露したくて仕方が無いと言わんばかりの教授たちの挨拶に、新婦の席でにこやかに笑いながらも見えないテーブルの下でアスカが両手を握りしめていたのはすぐ側に居るシンジだけしか知らない。しかしその怒りにシンジは汗を垂らすこととになった。
シンジ側の挨拶は、先輩である加持リョウジは浮気のやり方と妻と愛人に対する傾向と対策、友人である鈴原トウジの男は初日にちゃぶ台をひっくり返して女房の頭を押さえておけ式アンチフェミニズムな男尊女卑論、同じく友人である相田ケンスケは入学以来の本人無許可撮影のアスカ写真集上映と続いた。アスカがどの話しでもテーブルの下でフォークやスプーンを曲げて怒りを抑えていたことは、やはりシンジだけの秘密である。
ようやく披露宴が終わり、名高き恩師や諸先輩方へのしたくもないような挨拶をし終わった後、控え室でシンジに寄りかかりながらアスカが延々愚痴をこぼしたのはいうまでも無い。シンジはアスカの愚痴に苦笑いをしながらも応えていた。
「せっかくしっとりしたいい雰囲気で式を挙げたかったのに。もう何なのよ、アイツは~?!下品で悪趣味なオヤジギャグ以下な事をよりによってこの日に言うなんて!! 」
「仕方ないよ。ああいう付き合いは大切にしないとね。患者さんの為にも。」
「自分の範疇に無い症例の患者さんとかを紹介したりするんでしょ?分かってるわよ。でもあんなオヤジに紹介するのってかえって患者さんが気の毒だわ。」
「いや…まぁ、腕は確かだから…。患者さんの為にはなると思うよ。それにああいうこと言うのは同業者と自分が教えた子だけだから…」
とりあえず庇うシンジに、一瞬冷たい視線を送りつつもアスカは愚痴を続ける。
「それになによ、シンジの側の挨拶は」
アスカの顔に怒りがよみがえる。
「いやあ、あの人たちは、場を和まそうとして……」
一応、フォローをするシンジにアスカはこれでもかというほど冷たい顔をして言った。
「女性に嫌われるタイプね……」
シンジはこの言葉に何も答えられなかった。
挙式、披露宴、二次会と結婚式に付き物の様々な儀式を終え、ようやく二人が新居に新婚夫婦水入らずになったのは夜の11時を過ぎた頃である。
オヤジどもの講演会…もとい、披露宴にすっかり疲れ果てたアスカは二次会には付き合わず、披露宴が終った時点で直ぐに自宅に帰ってしまった。シンジの方も疲れと、医師として緊急時の事を考え、アルコールはなるべく控えるようにしていたのとで二次会への参加を拒否したかったところだったが、仲間内でモグリと名高い先輩の加持(医師免許はちゃんと持っているのだが、『らしく見えない』らしい)以下、久々に会った大学時代の同級生一同に無理やり引きずられてシンジは結局二次会に出る羽目になった。
二次会はほとんど冷やかしとどんちゃん騒ぎでシンジにはついていけないノリだった。
しかし、途中でアスカからの携帯メールの着信音"バッハ PARTITA No.3FOR VIOLIN SOLO"が流れ、慌てて内容を確認してみれば、
“初夜を棒に振ったら殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる‥‥‥‥”
と、ひたすら書かれていたので青い顔をして二次会に参加していた一同に慌てて謝辞し、周りからさらに冷やかされながらもなんとか自宅に帰っていった。
「た…ただいま…。って…あああああっ?!?!?!」
「お帰りなさいませ。ア・ナ・タ」
新居の玄関を恐る恐る帰りの挨拶をしながら入っていったシンジは、玄関の床に愛らしい笑顔を振りまきながらエプロンをつけて正座して待っているアスカを見て仰天した。
「な、何やってるの?」
「旦那様をお待ちしてたのよ~」
どもりながら言うシンジに怨念の込められたメールを送ったとは思えない甘ったるい声を出しながらアスカが言った。
「さ、お風呂にする?ご飯にする?」
「え、えっと…二次会でそれなりに食べてきたから…その、お風呂に…」
ひたすら甘い声を出して言うアスカにシンジは戸惑いながらもなんとか答えた。
「じゃあ一緒に入らなきゃダメよね~」
「ってええええええええっ?!?!?!」
「何よ。見るもん見ておいて更に結婚までしたっていうのに、ナニ今更動揺してんのよ?」
正確には"診た"のだがあまりに素っ頓狂な動揺した声を上げるシンジに、アスカ
がこれでもかというほど冷たい視線を浴びせながら言った。
「じゃ、一緒に入りましょうか~」
冷たい視線を一遍させて再び甘い声を出すアスカに、ほとんど強制連行されるように風呂場に引きずられていくシンジだった。
いくら見慣れたものとはいえ、アスカが裸体を曝すのはシンジにはあまりに刺激が強過ぎた。
学生時代に卵管血腫の破裂の際にシンジが手術したその跡を触らせようとしたり、彼女の裸の体を背中に押し付けられながら背中やその他の部分を洗われたりと、その手の経験のないシンジにとっては刺激的過ぎるバスタイムを散々味合わされた。シンジは半ば天国、半ば憔悴、というような感じでアスカと二人して風呂場を後にした。
バスローブを身に纏った二人は寝室まで赴いた。
ベッドに二人して腰掛けながら会話もなく、シンジはソワソワキョロキョロして、アスカに至ってはシンジの腕を掴んだままソッポを向いている。この二人、先ほどまで一緒に風呂に入っていたとはいえ、これだけは経験が無いので緊張しているのだ。
「あ…あの、アスカ?」
シンジは沈黙の最中、なんとか声を絞り出して言った。
「な…何よ…?」
「その…」
「あの…」
「えっと…」
何か言いたげなのは分かるのだが、あまりに煮え切らないシンジにアスカが突然立ち上がった。
「だぁぁぁぁぁもう!!あんた見てるとイライラするっ!!」
アスカはシンジの方に向き直り、片手を腰に当てて人差し指を突き出した。
「アンタは外科医でしょうがっ!!患部は遠慮なく切るのが仕事っ!!ヤルときゃとっととヤリなさいよっっ!!」
初々しいはずの新妻とも思えない発言だ。しかしアスカは突然立ち上がったのと同じように、いきなりシンジの懐に飛び込んだ。そしてシンジの胸元に顔を埋めながら消え入りそうな声を出して言った。
「…あたしだって怖いし緊張してんのよ。お願いだからしっかりしてよ…」
強気な事を言いつつも小さくなったアスカに、シンジは急に胸を締め付けられるような気持ちになった。
「ごめん…アスカ、ごめん。そうだよね、アスカだって怖いよね…」
シンジは自分の胸元に顔を埋めているアスカを強く抱きしめてからそう呟いた。
「アスカ…」
瞼を閉じてじっとしている彼女をシンジが優しく抱き寄せ、彼女の体をゆっくりと横たわらせながらキスをする。いつかアスカが医師になる自信を失って、そんな彼女にシンジが始めて告白した時と同じような、触れ合うだけのキス。
シンジの手がアスカのバスローブの紐を解く。
そして…。
プロロロロロ。
突然、寝室のベッドサイドに備え付けていた電話が鳴った。
これから、という時なのに突然掛かってきた電話に、二人の目が真ん丸く見開かれる。シンジが嫌々ながらアスカの上から手を伸ばして受話器を取る。
「は、はい。碇です。」
勤めて冷静な声を出そうとしながらシンジが電話に出る。そんなシンジの様子をアスカが不安げ…というよりも不満げに見守る。
「はい。はい。えっと…あ、いや、そんなお気遣いは…。」
シンジの様子を見ていたアスカが眉を顰める。どうやら病院からの電話、しかも緊急らしい。しかし、電話のやり取りを見ていると少しこちら側に気を使っているようだ。
「ちょっと!受話器よこしなさいよっ!!」
シンジの下で成行きを見守っていたアスカが突然受話器を奪い取る。その様子にシンジの目が丸くなる。
「もしもし!?碇ですけど?!」
電話の相手は、シンジの病院の医局長からであった。
「奥さんか、結婚おめでとう。宿直だったから出席できなかったけど」
「そんなことはいいですけど、なにがあったんですか?」
医局長の挨拶をアスカは切って捨てた。
「深夜操業の工場で爆発事故なんだ。火災も発生して火傷と創傷の患者が三桁を超える数で発生した。市内の病院は満杯状態の上に、君たちの結婚式に出た連中が、馬鹿飲みしたらしくて、アルコールが抜けきれず使い物にならないんだよ。加持から碇は飲んでなかったと教えられてな。新婚初夜に無粋は承知の上で電話したんだ」
医局長と加持は大学の同級生である。
「そうですか、加持先生が……」
アスカの脳裏にもう一度浮気のススメ挨拶がよぎる。
「悪いと思うが、頼む。この電話さえ時間との戦いの中で架けているんだ」
医局長の真剣な声が受話器を通してアスカの耳に届いた。
「はい、はい。いーえ、お気遣いは無用、まったく問題無いです。至急、そちらに向かわせますので。ええ、はい。では。」
ガチャン。
アスカは受話器を置いた。そして先ほどの甘く切ない表情とは打って変わった真剣な面持ちをシンジに向けて言う。
「シンジ、初夜は中止!!準備して!!」
そう宣言してベッドから飛び降りる。紐を失ったバズローブの前がはだけて、アスカの肢体が露わになる。
「え、アスカ…?!」
シンジは、呆然とアスカを見あげた。
「もう!!何モタモタしてんのよっ!?初夜なんてトリアージブラック以下でしょうがっ!!あっちはレッドタグいっぱいの人手不足よっ!!さあ、準備してっ!!」
そういうアスカにシンジの表情も変る。
「そうだね。急がなくちゃ。」
こうして"二人の日常"が始まる。
二人は急いで服を着替え、今救いを求めているであろう、人々の元へと向かった。
おわりっ