惣流・アスカ・ラングレーの意識が戻った。
「痛みは、続いているけど出血は、取り敢えず止まっているみたい」
アスカは冷静に自分の状況を確認した。といっても、洗面所で横になってあらわにしたままの股間に手を当てて出血の有無を調べただけだが。
「どう考えても生理じゃないわ。出血は思ったほど続かなかったみたいだけど、あの痛みは異常だった」
アスカは、下腹に意識を集中した。左の腰骨突起の斜め下5センチほどのところにズキズキする拍動痛があった。
「出血はまちがいなく、股間からね。となると、生殖器関連の病気。炎症か、破裂か。どっちにしろ、このままじゃまずいわ」
アスカは、立ちあがろうとしなかった。派手に動くことで再出血を起こすのを恐れたのだ。
「救急車……駄目よ。どこの病院の誰ともわからない医者に、アタシの大事なところを診せるなんてできないわ。見せる相手は決めているんだから……そうだ、携帯電話」
アスカは携帯を探した。携帯電話は、アスカの頭上30センチほどのところに有った。
シンジからの電話をいつでも受けられるように、トイレに入るときでもシャワーを浴びるときでもアスカは携帯電話を側から離さない。そのためにわざわざデザインがごつくなるのを我慢して、アスカは耐水仕様の携帯電話を買っていた。
「シンジ……でてよ」
アスカは、携帯のメモリー1を押した。
碇シンジの携帯電話が鳴ったのは、綾波レイと始めた症例検討が、4例目に入ったところだった。
「これは、駄目。トリアージブラックの症例」
レイが、あっさりと断定した。
「そうかな。確かに、大事故現場ならそう判断されるだろうけど」
シンジは、レイに反論した。
写真は、胸部に金属製のパイプが突きささっているものだった。見事にみぞおちの真上を貫いている金属パイプは、まちがいなく心臓を傷つけている。
「パイプを胸部ぎりぎりで切断して、緊急開胸、人工心肺で循環を確保して心臓からでている血管全部をクリップして、パイプを摘出、損傷部を縫合すれば、良いのじゃないかな」
シンジが手順を語った。
「それは、理想論。まず、この状態で病院まで生命があるとは思えない。たとえ、病院までもったとしても、冠状動脈の血液不足が、必ず心筋壊死を起こすわ」
レイが淡々と言った。
「でも、それじゃ、医者は無力すぎないかな。あくまでも1%の可能性を信じるのが医療だと思う」
「医療は、確実でなければならない。そこに情実が入れば判断を誤るわ。一人に手を取られたために数人を手遅れにしたのでは、意味がないわ」
いつものように姿勢の違う二人の議論が始まったとき、携帯電話が鳴った。
「綾波さん、ちょっとごめん」
シンジは、携帯の画面にアスカの文字が浮かぶのを確認して首をかしげた。つい2時間ほど前に機嫌良く帰ったばかりだったからだ。
「はい、シンジです。どうかしたの? 」
シンジは、電話を取った。
「ああ、シンジ。助けて……痛い。出血が……」
アスカの声は、シンジが聞いたことがないほどか細かった。
「なにがあったの、怪我したの? 」
シンジは、アスカの声が聞き取りにくいこともあって、大声をあげた。
「アスカ……」
レイが、見入っていた写真から顔をあげた。
「出血が酷くて、お腹が痛い」
「もっとくわしく」
「恥ずかしい……」
アスカの声は消え入りそうだった。
「そんなことを言っている場合じゃないだろ」
シンジは、アスカに強い口調で言う。
「最初は、生理だと思ったのよ。でも、出血が普段の数倍有って、左下腹部に激痛が走って。余りの痛さに、30分ほど気絶したと思う。今は出血は止まっているけど、痛みは、まだ続いているわ」
アスカがあきらめたように喋った。
「わかった。すぐに救急車を呼ぶから」
「駄目よ、シンジ」
アスカがとめた。
「シンジが来て」
「なにを言っているんだ。少しでも急がないと手遅れになるかもしれないんだよ」
シンジが、あきれた。
「いや。アンタ以外の男にアタシの身体は触らせないの」
「わけのわからないことを言わないでよ」
シンジは、アスカの真意にまだ気づいていない。
「いい? 救急車を呼ぶから、一度電話を切るよ」
「死んでやる」
電話の向こうで、アスカがぼそっと言った。
「へっ」
シンジは、まの抜けた声をだした。
「死んでやるって言ったのよ。いいこと、アタシのここは、生涯、たった一人にしか見せないの。アタシの許した唯一の男にしか。だから、救急隊員や、初めての医者に見られるぐらいなら、舌を噛んで死ぬ」
アスカが宣言する。
「だから、シンジが来るの。でないとアタシは死ぬわ。言っておくけど、アタシはやるといったらやるわよ」
「なんなんだよ。それ。馬鹿なことを言わないでよ」
シンジが、電話に泣きついたとき、レイが口をだした。
「電話で言い合っている暇があったら、行った方が早いわ。応急セットぐらい持っている」
「そんな、綾波さん、ここからなら15分はかかるよ。救急車なら5分でつく」
「救急隊員を部屋に入れないわ、惣流さんなら。もっと時間がかかるわ」
「くっ。仕方ない。でも、輸血の用意がないよ」
「生理食塩水ならあるでしょう」
「あるけど。血液を薄くするだけだよ」
「あの娘は、少し血の気を薄くした方がいいわ」
「なんなんだよ、それ」
シンジは、ぼやきながらも準備を進め、アパートの駐車場に止めてある車に乗りこんだ。
「綾波さん、会話を続けて」
シンジはエンジンをかけると携帯電話をレイにわたした。
「アスカの意識を保って。意識を失うと危ない」
「わかったわ。惣流さん、聞こえる」
レイが携帯電話に話しかけた。
「げっ、なんでアンタがでるのよ」
アスカが、嫌そうな声をだす。
「碇くんは、車の運転。携帯をしながらの運転は、違法行為」
レイは、事実だけを告げる。
「仕方ないか。で、シンジの様子はどう? 」
アスカが苦しい息の下から訊く。
「様子? 普通よ。いえ、ちょっと焦っているかしら。シートベルトを首にまわしたわ、今」
「そう」
アスカの声が少し、柔らかくなった。
「それより、惣流さん。周囲に羽織るものはない? 出血がある程度あったなら、循環障害を発症している可能性が高いわ。毛細血管が収縮するから、体温低下を招く。なんでも良いから体を覆って」
レイが指示した。
「わかったわ」
アスカは、あたりを見回した。右手の届く先に週末にまとめて洗濯する予定だった衣服が積んである。
アスカはそれを身体のうえにかけた。
「できた? そうしたら、なんでも良いから適当にしゃべっていなさい」
「なにそれ? どういう意味? 」
レイの言い方にアスカが噛みついた。
「普段の通りにしていればいいの。あなたはいつも無駄に騒がしい」
レイが断じる。
「アンタねえ。一度アンタとは決着つけなければいけないと思っていたけど。そう言えば、こんな時間まで、シンジの部屋にいたのね」
アスカは、携帯電話の画面に目をやった。すでに、時間は、公共交通機関の営業時間をこえていた。
「もう、電車もバスもないわよ」
「大丈夫。翌朝、一緒に病院に出勤するから」
レイが、地雷に火をつけた。
「まさかと思うけど……綾波さん、シンジの部屋に泊まっているのかしら? 」
「ええ。三度目」
レイが正直に答える。
「アンタねええぇ、アタシのシンジになんてことするのよ。そこにいなさいよ、今、とっちめにいくから」
アスカが叫んだ。
レイが携帯電話を耳から離してぼそっと言った。
「やっぱり、無駄にさわがしいわ」
アスカが動きだす前にシンジの車が、アスカのマンションの前に着いた。
「電話返して」
車のエンジンを切るなり、シンジは、レイの手から携帯電話を受けとった。
シンジは、電話を耳に当てた途端、顔をゆがめた。アスカがまだ怒鳴り続けていたからだ。
「アスカ、聞こえる? 」
シンジは、負けじと電話に向かって叫んだ。
「はあ、はあ、はあ。シンジ、アンタにちょっと訊きたいことがあるわ、返答によっては、アンタを殺してアタシも死ぬ」
アスカが、息も荒く凄んだ。
「そんなことどうでもいい。マンションの下についたから」
「どうでもよくないわよ」
「今行くから。部屋は、どこ? 」
「303号室よ。その前に、綾波さんとナニがあったのよ」
「なんのことだよ」
シンジは、トランクから道具を取りだすと、レイをうながしてマンションに駆けこんだ。
エレベーターで三階に上がる。
「部屋の前についたけど、戸は開けられる? 」
シンジが訊いた。
「アンタに鍵渡したわよ」
「はあ? 」
シンジは、驚いた。アスカのマンションに来た経験はない。ましてや、アスカの部屋の鍵を貰った記憶などない。
「アンタの携帯を取っ手の上にあるセンサーに近づければ開くわ。登録してあるから」
「なんでそんなこと、って、言っている場合じゃない」
シンジは、言われたとおりに携帯をセンサーにあてた。小さな音がしてマンションの扉が開いた。
「入るよ。アスカ、どこ? 」
「ここ」
アスカの声が、聞こえる。
シンジとレイは、洗面所に入った。
「うわった」
シンジは、アスカの上に散らばっている色とりどりの下着に慌てた。
「驚いている暇はないわ。顔色がよくない」
レイが、アスカの左側に膝をついて、載っている衣服をはね除けた。アスカの下半身があらわになった。
「うっ……」
シンジは、咄嗟に目をそらした。
「そんなに、見たくないんだ、アタシの身体」
アスカが、落ち込む。
「碇くん、こんなものなら実習で何度も見たはず」
「こんなものって、知っている人のを見るのは、初めてだからさ。なんか、気恥ずかしいよ」
シンジは、照れていた。
「あなたの照れとアスカの命、どっちが大事なの? 」
レイが厳しい声をだした。
「そうだった」
シンジは急いでアスカの股間を覗きこんだ。
アスカが、真っ赤になった。
「どう? 」
「わからないけど、外傷は無さそうだ」
シンジは、アスカの下腹の辺りを軽く押した。
「ここは、痛い? 」
「うううん」
「ここは? 」
「くっ」
アスカの顔がゆがむ。
「卵巣のようね」
レイが告げた。
「出血量が結構あったようだ」
シンジは、洗面所からトイレへと続いている血の痕を見た。
「ここでやる気? 」
レイが問う。
「病院に連れて行ったら……」
アスカの目が剣呑になる。舌を思いきり突きだし、歯ではさんで見せる。
そのとき、シンジの携帯が鳴った。
「霧島さんからだ」
全身麻酔薬を吸入したことで感作性喘息の発作を起こしたマナは、吸入薬の入った携帯型ポンプに手を伸ばした。
「く、薬……」
口にあてて吸入しようとするが、ポンプを押しても手応えがない。
「でない、こ、壊れている」
突き飛ばされて鞄を投げだしたショックでポンプが壊れてしまっていた。
「ポンプの予備はないわ……」
薬は大量にストックしてあるが、携帯型ポンプは一つしか持っていない。
「こほっ、こほっ、こほっ」
救急車を呼ぼうとして、携帯電話を拾い上げたところで、厳しい発作を起こしたマナが、無意識にリダイアルボタンを押した。
マナが最後に電話したのは、今晩の食事会のメニューにグラタンを追加してくれるようにと頼むためにシンジにしたものだった。
咳き込むマナの手から携帯電話が落ちて、転がった。
「霧島さん……霧島さん」
電話の液晶には、電話が霧島マナからのものだと表示されているにもかかわらず、反応がないことにシンジはとまどった。
「霧島さんから、電話? 」
レイがシンジに声をかけた。
「でも、なにも言わないんだ」
シンジが、電話をレイに渡す。
「霧島さん、返事をして」
レイも首をかしげる。
「ねえ、マナ、応えないの? ひょっとして発作じゃないの? 」
アスカが、股間を手で隠しながら言った。
「のようよ。電話の向こうでかすかに咳き込む声がするわ」
レイがシンジの耳に携帯電話をあてた。
「薬がなんらかの事情で使えなくなったとしたら、まずいな」
シンジが、つぶやく。
「ここからなら、救急車を呼ぶより、車で直接行った方が早いわよ」
アスカがシンジに言った。
「薬の予備なら、マナのマンションのリビングにあるし。そうそう、マナのマンションのセキュリティ解除コードは、00487だから。これで全部の扉を開けることができるわ。ルームナンバーは907号室」
「いいの、アスカ? 」
シンジが訊いた。
「ええ。その代わり、マナの処置が終わったら、アンタが、アタシの手術をするのよ。病院に行って待っているから。他の男には指一本触らせない」
アスカが、シンジを指さした。
「う、うん」
言われて立ちあがったシンジだが、なかなか動けない。アスカのことが気になるのだ。
「心配しないで。救急車で大学病院まで運んでもらうから。それより、さっさと行きなさい。マナの方が命に関わるのよ。シンジ、アンタは、救急救命医なんでしょうが」
最後はアスカに怒鳴られた。
「ごめん」
シンジが、走っていった。
「綾波先輩、そこの電話で救急車呼んでください」
アスカが、レイに頼む。
「わかったわ」
レイが119に電話して救急車の手配をした。
電話を切ったレイが、アスカに真剣な顔を見せる。
「気に入ったわ。惣流さん。この状態で、緊急度の判断が的確にできる。なかなか居ないわ。わたしのライバルと認めるわ」
レイが、無表情なままで告げた。
「はあ? ライバルって、どういうことですか? 」
アスカが、わからないといった表情を見せる。
「言い換えるわ。恋敵さん」
レイが、ずばっと言う。
「恋敵って……げっ、やっぱりアンタも……」
アスカが、レイを睨みつける。
「先輩にむかってアンタは、よくないわ。せめて名前で呼びなさい」
「そんなことはどうでもいいわよ。シンジは、アタシが最初に目をつけたんだからね」
「恋に早いも遅いも無いわ。最終的に彼と結婚したもの勝ち」
レイが、しゃあしゃあと口にした。
「最初も最後もシンジは、アタシのものよ」
アスカが必死で言い張った。
「わたしは碇くんと一緒に仕事も研究もしている。病院にいる時間のすべてを共有しているわ。たった一度だけの衝撃的な出会いなど、無いに等しい」
レイが、アスカの想い出を切って捨てる。
「卑怯よ」
「だったら、さっさとわたしたちと同じ所までのぼってきなさい、待っていてあげるほどわたしは、親切じゃないけど」
レイがにやりと唇をゆがめた。
「あなたが衝撃的な出会いをしたのなら、わたしも同じ。わたしを普通の人、普通の女の子として扱ってくれたのは、彼が初めて。誰もが、この髪の色、目の色に逃げ腰になったというのに、彼は正面から受け止めてくれた。今は、仲間だけど」
「アタシは大きなものをなくした。そして、シンジもアタシは同じものを失っているの。シンジなら、それが見つかるまできっとアタシを見ていてくれる。一人のこころの欠けた女の子としてね。だから、一緒に探すの」
アスカもレイに負けじとシンジを好きになった理由を語る。
「では、宣戦布告」
「負けないわ」
二人が顔を見あわせてうなずいた。
救急車のサイレンが止まった。
「来たわね」
「ええ。一時休戦よ」
アスカが提案した。
「わかったわ。でもね、惣流さん。パンツぐらいは履いた方が良いと思うの」
レイが指さす先には、髪の毛と同じ色の冠が、顔をだしていた。
シンジは、マナのマンションの玄関に車を止めると、走って中へ入った。
907号室の扉解除コードを押したシンジは、玄関を入ったところに倒れているマナを見つけた。シンジは、すぐに携帯電話で救急車を要請した。
「霧島さん、霧島さん」
マナがゆっくりと目を開けた。
「し、シンジ……く、薬」
マナが、壊れた携帯ポンプを指さした。
「ちょっとだけ待ってね」
シンジは携帯ポンプが壊れていることを確認すると、リビングのテーブルの上に置かれていた新しい薬を手にした。
包装を開けると液体が小さな滅菌パッキングに入っている。これを携帯ポンプで霧状にして吸引させるのだ。
「ポンプが使えないとなると……」
シンジは周囲を見わたしたが、家事のできないマナの部屋に霧吹きなどあろうはずもない。
「仕方ないか」
シンジは、台所で数回うがいをするとマナの枕元に座った。
「霧島さん、ポンプがないから、悪いけど僕が口で吹き出すから、大きく口を開けてくれる? 」
シンジの言葉にマナが、目を見張ったが、すぐにうなずいた。
「じゃ、いくよ」
シンジが、薬のパッキングを三つほど破って口に含んだ。口をすぼめて勢いよくマナの口めがけて吹いた。
「げほっ、げほっ」
吸いこみすぎたマナが咳き込んだが、しばらくすると呼吸が落ち着き始めた。
救急車のサイレンが聞こえてきた。
「シンジくん、ありがとう」
マナが、シンジに手を伸ばした。シンジはその手を握った。
「ねえ、救急車の中でも隣にいてくれる? 」
「ごめん、すぐに行かなければいけないんだ」
シンジは、謝る。
「どうして? 」
マナが、哀しそうな瞳をする。
「アスカが、緊急なんだ」
シンジは、アスカのことを話した。
「そう。アスカを置いてあたしのところに来てくれたの。ありがとう、シンジ。わかったわ、アスカの所へ行ってあげて」
マナが、柔らかく微笑む。
「ごめんね」
シンジは、救急隊員に後事を託して、車を大学病院目指して走らせた。
病院では、当直班の連中が待っていた。
「よう、色男。ご指名だぞ」
5年先輩の外科医がシンジの背中を叩く。
「すいません。勝手なことをしまして」
縄張りを荒らしたようなものだ。シンジがわびる。
「いいさ。患者の希望が最優先だからな。頑張れよ。ここで見送ってやる。アシスタントにも入れてくれないからな、あのお姫様は。ちゃんと責任取ってやれよ」
「あはははは」
シンジは、苦笑しながら、手洗い消毒にかかる。
すでに、手術室では、準備が整っていた。
「遅かったわね、シンジ」
アスカが、柳眉を逆立てた。生殖器関係の手術である。全身麻酔の必要はない。腰椎麻酔だけで十分である。アスカの意識ははっきりしている。
「キシロカインによる腰椎麻酔は終了しているわ。術野の消毒も終わっている」
レイが、状況を説明する。
「ありがとう」
シンジは、礼を述べた。
「CTも撮ったけど、病巣は、はっきりしていない」
シャーカステンに附けられたフィルムにシンジが目を走らせる。
「そうだね。開けてみよう」
シンジは、メスに手を伸ばした。
「そこは駄目」
レイが止めた。
「もう少し下で切ってあげて。ビキニ着れなくなるから」
「ありがとう、綾波さん」
アスカが礼を言う。
「わかった」
シンジは、アスカがビキニの水着をつけた状態を想像して、頬をあかくしながら、メスを筋肉の筋にそって入れた。
「これのようだね」
シンジが、アスカの中を指さす。レイが覗きこむ。
「卵管に発生した血腫が、なにかのはずみに破裂したんだ」
「そうね。周囲の臓器に被害はないわ」
「卵管が、3センチほど損傷を受けている。卵巣ごと切除するしかないか」
シンジが、淡々と告げた。
「そのようね」
レイも首肯する。
「いやよ。卵巣をとるのは嫌。あかちゃんができなくなるじゃない」
アスカがわめいた。
「大丈夫。卵巣は一個あったら子供は産めるわ。とくにあなたなら、20人ぐらい簡単」
レイがなだめるが、アスカはきかない。
「絶対いや。それだけは絶対嫌。丈夫で賢い子を産むの。だから、卵巣は二ついるの」
アスカの精神が、かみずっている。
「碇くん、全身麻酔かける? 」
レイが耳元でささやいた。
「後が怖いよ。やってみよう。綾波さん、手伝って」
シンジは、メスを握りなおすとコッフェルで術野周囲を固定した。触れるか触れないかのタッチで卵管の損傷部を剥離するようにそぎ取っていく。
「ここが問題だな」
血腫の根本には、太い血管が形成されている。これを結紮し、二度と血腫ができないようにしなければならない。
「卵管内部にまで血管が入りこんでいるわ」
マイクロサージェリー用のスコープを頭につけたレイが、告げる。
「括れそう? 」
「できないと言えないわけがあるの。今は塩を贈ってあげるの」
レイは、ちらりとアスカに目をやる。
手術は3時間半におよんだ。
「ありがとう、シンジ」
アスカが、目の下に隈をつくりながら微笑む。
「気にしないで。それよりもよく頑張ったね」
シンジは、アスカの気丈さに感心していた。
「当然よ。アタシは、惣流・アスカ・ラングレーなんですからね」
アスカが、誇らしげにベッドの上で胸を張った。
「あはははははは」
シンジは、ようやく笑えた。
「それにしても、シンジには、命を助けて貰ったわね」
アスカがしみじみと言う。
「そんな大げさな」
シンジが、手を振った。
「恩は、恩。一生かけて返すことにするわ」
アスカが、にやりと笑う。
「医者が患者を治すのは当たり前」
レイが、二人の間に割りこんできた。
「さあ、惣流さんは、術後なんだから、安静にしなさい。碇くん、術後検討をしましょう」
レイがシンジを医局に誘う。
「うん、行こうか」
レイの後に続こうとするシンジの手をアスカがつかんだ。
「ねえ、シンジ」
アスカが甘い声を出す。
「綺麗だった? 」
「どこが? 」
シンジが首をかしげる。
「親にも見せたことないところ」
アスカは真っ赤になった。
「綺麗だったよ」
シンジが、うなずく。
「うれしい……」
アスカが、シーツを目の下までたくし上げて顔を隠す。
「本当に綺麗な、子宮と卵巣だったよ。あんなに美しい内臓を見たのは初めて」
シンジがうっとりとした声で言う。
「こぉおんのぉ、バカシンジ」
小気味好い音がして、シンジの頬に紅葉が咲いた。
翌朝、一度マンションに帰ってシャワーと着替えを済ませて、病院へとんぼ返りしたシンジを加持リョウジが待っていた。
「よっ、聞いたぜ。大活躍だったそうじゃないか」
「勘弁して下さい。もう、あんなのは二度としたくありません」
シンジは疲れ切った顔で応えた。
「良い経験だと思うんだな。だがな、シンジ君。医者が情実に流されてはいけないな」
加持の表情が締まった。
「アスカのことですね」
「ああ。惣流博士のお嬢さんが、どのように脅しをかけようとも、あのときの君の最善の選択は、救急車を呼ぶことだ。それで本当に惣流博士のお嬢さんが、自殺することになっても、それは君の責任ではない。彼女が負うべきことだ。だが、君がしたことは、惣流博士のお嬢さんが、助からなかった場合は、医療過誤になるぞ。せっかく手にした医師免許を失いかねない行為だ。若さゆえの暴走と笑って済ますわけにはいかない」
「そうでしょうか。医師は、身体の治療だけをするのが仕事なんでしょうか? もし、あのときアスカの言うとおりにせず救急車を呼んでいたら、アスカは人を信用しなくなったでしょう。一人の人間のこころを殺したかもしれないのです」
シンジは反発した。
「ヒロイズムに浸っては困るな、シンジ君。医者は全能じゃないんだ。やるべきことを完璧にするのが優れた医師なんだ。シンジ君、君の仕事は、救急患者の命を救うことであって、一人の女の子のプライドをまもることではない。しなければならない判断をできなかった。君は、まだ、碇ゲンドウ博士に、お父さんに遠くおよばない」
加持が、冷たく言った。
「あんな男と比べられたいとは思いません。では、引き継ぎがありますので」
シンジは、加持に背を向けた。
了