Triage 【トリアージ】2

一緒にさがそう

タヌキさん

 2018年4月、新京都大学医学部は、三つの収穫を得た。
 その二つは、同級生だった。
「今年の新入生を見たか? 」
「ああ。あれほどの美人は、祇園でもお目にかかれないぜ」
 学生や教職員が集まっては、ひそひそ話をするのは、二人の美女のことである。
 第三新東京市出身の日独米クオーター惣流・アスカ・ラングレーと第二新東京市出身の霧島マナだ。
 入学式で新入生総代を務めたアスカは、その日中に26名の新入生と18名の先輩と8名の教職員から声をかけられるという新記録を樹立し、霧島マナは、アスカにはおよばないが、10名を超える男から誘われた。
 だが、その対応は両極端であった。
「はん、アンタばかぁ? アタシに声をかけるなんて、一〇〇万年早い」
 アスカは、全員をこの一言で粉砕し、
「ううん、どっしよっかなあ。マナ、まだ新しい環境になれてないから、もうちょっと後にして欲しいなあ」
 マナは、諾否を棚に上げるふりで、結局全部断った。
 それでも、交際の申し込みが途切れることはない。
 彼女たち二人が、鑑賞専用だと彼らが気づくには、まだ時間が必要なようだった。

 残る収穫は、学生には縁のない付属病院に実った。
 第二北海道大学医学部を卒業して、新京都大学に研修医としてやってきた女医、綾波レイである。
 アルピノという体質は、彼女に蒼銀の髪と真紅の瞳を与えた。人ならぬ色を身にまとった彼女の美しさは、病院の話題を独占した。
 綾波レイのすごさは、美貌だけではなかった。彼女は碇シンジが保持していた、医師免許所得最年少記録をあっさりと塗り替えたのだ。
 独身の医者たちは、彼女の気を引こうと必死になったが、
「あなたには、なにもないもの」
 レイの一言に全滅させられた。

「彼女たちのハートを射止める幸運なやつは誰だ? 」
 キャンパス中が浮き足だった。
 新京都大学医学部波乱の幕開けであった。

 非番開けの休日をいつものように掃除洗濯で費やした、新京都大学医学部付属病院救急救命室所属の医師碇シンジは、三十時間ぶりに病院に出勤した。
 救急救命室は二つの班からなっている。一つの班は、三つのグループからなり、一つのグループは、医師三名、看護師四名で構成される。
 医師の内訳は、外科医二名、麻酔科医一名である。
 勤務のシフトは、朝八時から翌朝八時までの二十四時間勤務をこなし、宿直明けの朝は、担当している入院患者の処置をおこなう。それが終われば、翌々日の八時まで非番となる。
「おはようございます」
 シンジは、午前七時に医局に顔を出した。
「おはよう」
「ごくろうさん」
「ふぁあああ」
 宿直明けまで一時間の同僚が、それぞれの挨拶をくれる。
「どうでした? 昨夜は」
 シンジが問う。
「交通事故が二件、心筋梗塞が一件だ」
 グループ長の医師が、応える。
「ステッたのは、ないですか」
 シンジの背後から、声をだしたのは、同じグループの麻酔科医相田ケンスケである。ステるとは、医者の符丁で死亡患者のことをさす。
「ああ。交通事故は、ともに下半身の骨折だけだったし、心筋梗塞は、バルーンでなんとかなったからな。三人ともすでに外科と心臓内科に転科の書類をだしてある」
 グループ長が、申し送りを終えたところへ、騒がしい男が入ってきた。
「すんまへん、遅れました」
 シンジたちのグループの三人目、鈴原トウジである。
「またか、申し送りがあるから、最低三十分前には医局に出てこいとあれだけ言っているのに。鈴原、次遅刻したら、おまえ、地方病院へ飛ばしてやるからな」
 先輩にあたるグループ長が、難しい顔をした。
「それは、勘弁して下さい。地方病院勤務になったら、連れ戻されますよってに」
 鈴原が手を合わせる。
「良いじゃないか、トウジ。おまえには継ぐ家があるんだから。俺なんか、貧乏サラリーマンの息子だから、一生勤務医決定だぜ。先輩、どこか、給料がよくて美人の看護婦の多いところがあれば、紹介してくださいよ」
 どこまで本気なのか、ケンスケがグループ長を拝む。
「そんなところがあれば、俺がいくよ」
 グループ長が、時計を見た。八時まで十分もない。
「ここで救急車は勘弁してくれよ」
 八時までに到着した救急は、前日の当番が担当しなければならないのだ。

「そうだ、相田」
 白衣のボタンに手をかけながら、グループ長が言う。
「玉の輿を狙うなら、今年、あの霧島記念病院の一人娘が入学したそうだぞ」
「本当ですか? そりゃあ、凄い」
 ケンスケが、驚きの声をあげる。
 無理もない。霧島記念病院は、日本でも有数の私立病院であった。
 先祖は江戸時代の藩医にまでさかのぼる医者の名門である霧島家が、大きく飛躍したのは、セカンドインパクトと呼ばれた天変地異によって東京が壊滅し、首都が第二新東京、かつての松本市に移転したことによる。
 信州の一地方都市が一躍首都に格上げになったのだ。人口も増え、土地の代金はまさに天井知らずとなった。
 松本の駅前にあった小さな私立病院は、その土地を売り払い、郊外に広大な敷地と施設を誇る一大総合病院へと変貌を遂げた。
 その一人娘を手にすれば、玉の輿は決定したも同然である。
「なあ、シンジ。明日の宿直明けに拝みに行かないか」
 ケンスケが誘った。
「わいもいくで」
 トウジも話にのろうとするが、ケンスケによって拒絶される。
「継ぐ病院のあるやつは駄目だ」
「なんでやねん」
「おまえは、おとなしく親父の病院を継いで、府会議員の娘でも嫁に貰っておけ」
「そんなんいややがな。わいかて、燃えるような恋がしたい」
「恋という顔か」
 グループ長が笑った。
「よし、8時になった、引き継ぎを終了する」
「はい。ご苦労様でした」
 シンジが、くたびれ果てた三人の医師を見送った。

 急患が来ないあいだは暇そうに見える救急医にも仕事はある。
 ICUに入っている担当患者のカルテ記入、病状確認、投薬、注射等の指示などである。
「だあ、うっとうしいのう。なんで、わいが、こんなちまちましたものを書かなあかんねん」
 トウジが、一時間ほどで悲鳴をあげた。
「我慢しろよ。これも医者の仕事だぜ」
 ケンスケが、宥めたとき、医局の電話が鳴った。
 シンジが受ける。
「了解しました」
 電話を切ったシンジが、ケンスケとトウジを振り向いた。
「交通事故だ。頭部と胸部を打撲。目立った出血はないそうだが、意識レベルは300。呼吸停止には挿管を、心停止には電気パッドで対応している。3分で来るそうだ」
「やばいな」
 ケンスケが、椅子から勢いよく立ちあがった。
「シンジ、脳は任せたで」
 トウジが、医局を飛びだしていく。
「死なせてたまるか」
 シンジも後に続いた。

 脳外科、循環器外科の応援を受けた大手術は、実に六時間におよんだ。
「ああ、腹減った」
 手術を終えて、医局に帰ったトウジが、大声で叫んだ。
「疲れたぜ、さすがに」
 ケンスケもため息を吐いた。
「そうだね」
 シンジも椅子に身体を投げだすように座った。
「しかし、いつみてもおまえらのメスさばきは、見物だな」
 ケンスケが、朝飲み残した缶コーヒーに口をつける。
 シンジもトウジも、若手医師のなかでは、腕の立つ方だ。
 雑そうに見えるトウジも大胆な切開と慎重な縫合で困難といわれた手術をいくつも成功させている。
 また、シンジの腕は、脳外科、心臓外科を始め、外科系統の教室からなんども引き抜きがくるほどである。
「わいらのトリオにかかって、たすからん患者はない」
 トウジは、出前のメニューを見ながら豪語した。
「そうだな。今のところ、救命率100%だ」
 ケンスケもうなずいた。
 この三人は、昨年の10月からチームを組んでいる。いまのところ術後24時間以内の死亡経験はなかった。
 もっとも担当を各科にゆずってからの死亡例はあったが。
「それにしても、どうして今日は、病院長が見学に来ていたんだ? 」
 ケンスケが誰とも無しに訊いた。
「ほう、来てたんかいな、冬月のおっさん」
「そうなんだ」
 トウジもシンジも術野を見るのに必死で、病院長が手術室に入ってきたことに気づいていなかった。
「まあ、ええやんけ。飯や飯や」
 トウジの手が電話に伸びた。

 大きな手術があったあとの静けさを救急医は嫌がる。さらによくないことが起こるというジンクスのようなものがあるからだ。
「静かやな」
「ああ」
 トウジとケンスケが、顔を見あわしたのは、夕方の6時。病院は外来の患者の診察を終え、病棟は入院患者の夕食の配膳が済む。ひとつの医療機関にとってつかの間の休息が始まる時間である。
 医局の扉が開いた。
「邪魔をするよ」
 入ってきたのは、冬月コウゾウ病院長である。
 新京都大学の前身、京都大学の医学部を卒業後、アメリカ、ドイツに留学し、呼吸器内科の権威とまで言われた人物である。温厚な風貌に似合わない政治的手腕で、40代で教授、50歳で病院長の座を手にしたやり手でもあった。
「病院長」
 三人が驚いて立ちあがった。
「ああ、そう、畏まらなくていい」
 冬月は、片手で三人を制すると空いていた椅子に腰掛けた。
「なにか、御用でしょうか」
 ケンスケが訊いた。
「ああ。ちょっと君たちに頼みたいことがあってな。入ってきたまえ」
 冬月の声に医局の扉を開けて、小柄な女性が入ってきた。
「綾波レイ……」
 ケンスケが、小さく名前を呼んだ。
「第二北海道大学から研修生として、この病院にきた綾波レイ君だ」
「綾波レイ」
 レイが、名前だけを言った。
「ちょっと変わっているが、まあ気にしないでくれ。研修といっても、彼女は預かりものでな。第二北海道大学の学長と私は、アメリカのオハイオ大学で一緒に過ごした仲でな。あいつから、レイ君を一人前の救急医にしてやってくれないかと頼まれたのだ」
 冬月が説明する。
「そこで、どこのグループに彼女を入れようかと迷っていたのだが、今日の手術を見て、君たちに預けることにした」
「ということは、私たちのグループが4人になるということですか? 」
 ケンスケが尋ねる。
「そうだな。勤務シフトは、君たちとおなじ。彼女の専門は、マイクロサージェリーだそうだ」
 冬月がうなずいた。
 マイクロサージェリーは、顕微鏡下で微細な血管や神経の縫合などを行うことで、指先の器用さはもちろん、マニュピレーター越しの手術となるので、視野と道具の位置関係を脳内で三次元的に思い浮かべることが必要とされる。
「マイクロサージェリーなら、別班がありますが」
 シンジが、口を開いた。
 救急医療でもマイクロサージェリーは、器具の準備などが特殊であるため、通常のグループとは別に一つの班を形成していた。
「なに、彼女はマイクロサージェリーだけを学びに来たわけではないのだ。救急の現場の経験を積みにきたのでな。どうせなら、年齢の近いものとグループを組む方が良いだろうと思ったのだ。それに、君らなら、学ぶに十分な腕をしているからな。では、頼むぞ」
 冬月は、シンジ達の諾否を問うことなく、去っていった。

「…………」
 入り口を入ったところで立ちつくす綾波レイに三人はとまどった。
「僕は、麻酔の担当をする相田ケンスケ。新京都大学出身。今年で26歳だ。よろしく」「外科の鈴原トウジや。ここの出身やで。歳はケンスケとおなじ26歳」
「外科の碇シンジです。僕もこの大学の出身で、今年で23歳になるんだ。よろしく、綾波さん」
 三人は取り敢えず、自己紹介をした。
「第二北海道大学出身、外科、綾波レイ。21歳」
 レイが感情のこもっていない声でいう。
「21歳だって……」
 ケンスケとトウジが顔を見あわせた。
「シンジが医者になったのが22歳だよな。それを1歳も下まわった。天才じゃないか」
 ケンスケが、つぶやく。レイの顔が少しゆがんだ。だが、それは気づかれることなく、さざ波よりもあっさりと消えた。
「まあ、よろしゅうにな」
 トウジがそこまで言ったとき、また電話が鳴った。
「はい」
 ケンスケが電話をとる。
「自殺未遂だ」
「リストカットなら、普通の外科病院で対処できるやろ」
 トウジがいぶかしむ。
「喉を刃物で突いたらしい。突いたところで意識を失ったのか、刃物が刺さったままだそうだ」
 ケンスケが、電話で聞いた情報を口にする。
「抜いていないのが幸いしたか。よっしゃ、いくで」
 トウジが飛びだす。ケンスケも続いた。
「綾波さん、行くよ」
 シンジは、突っ立っているレイに声をかけると手術室へと走った。

「奇跡ちゅうのは、こういうことをいうんやろな」
 患者のレントゲンを手にしてトウジが、感嘆の声を漏らした。
 刺身包丁が、レントゲンの中央で真っ白な存在を見せつけていた。
「突き刺すときにちょっと目測がくるったんだろうなあ。気管の半分は、裂かれたけど頸動脈は峰に滑って無事だったようだ。ショック状態で血圧が下がったのも幸いしたな」
 ケンスケが、後を引き継ぐ。
 それでも被害は大きい。頸動脈は無事でもほかの血管や神経、筋肉は大きな傷を負っている。
「こりゃあ、わいの出番はないな。シンジ、おまえに任すで」
 トウジが、助手に成ると言った。
「そうだな。患者は若い女性だからな。傷口が目立たない術式をとらなきゃ、可哀想だ。トウジに任せたら、一生タートルネックのセーターしか着れなくなるからな」
 ケンスケが同意する。
 シンジは、うなずくとレイに顔を向けた。
「早速で悪いけど、切断された神経の縫合を頼めるかな」
 レイは黙って首肯した。

 結局手術は、翌朝の交代時間を超えた。
「お疲れ……」
 トウジはぐたぐたに成りながら、帰っていった。
「僕も帰るよ」
 主執刀医となったシンジは、カルテを書き終えると背伸びをした。
「おいおい、忘れたんじゃないだろうな。今日は、霧島マナを見に行くって約束だろ」
 ケンスケが、シンジに詰め寄る。
「えええ。疲れたから、明日にしようよ」
 シンジは、嫌がる。
「先輩の言うことが聞けないと言うのか」
 ケンスケが言った。
「入学は後輩だけど、卒業は同期じゃないかあ」
「だめだ。行くぞ、碇二等兵。霧島陣地の偵察行動に入る」
 ケンスケに手を引っ張られたシンジは、医局でぼう然としているレイに声をかける。
「綾波さん、お疲れさま。今度は、明後日の朝7時頃にここに来て」
 ずるずると、シンジは引きずられていった。

 付属病院と大学は、歩いて15分ほど離れている。
 シンジは抵抗をあきらめてケンスケのあとを歩いていた。
「ちょうど昼時だな。どうだ、シンジ。久しぶりに学生食堂で飯を食わないか」
 ケンスケが誘う。
「いいね。まだあるかなあ、鯖のみそ煮定食」
 シンジは、好物を思い浮かべる。
「相変わらずじじくさいな。美人の新入生と会えるかもしれないんだぞ。せめてパスタにしろよ」
「関係ないだろ。僕は、新入生に興味なんてないんだから」
 シンジが、疲れた顔をした。
「それより、ケンスケ。見た? 綾波さん」
 シンジが、話を変えた。
「ああ。凄いな。モニターで彼女の腕を見たけど、1ミリほどの血管をちゃんと二層で縫合していたぜ。血管内壁に糸を出さないのは、できることじゃない」
 ケンスケが感心する。
「あのスピードも目を見張ったよ」
「人間業じゃないぜ。ロボットみたいだった。あの感情のない振りといい、本当に人間かね、彼女」
 ケンスケが、言った。
「そんなことを言っちゃ失礼だよ。綾波さんは、ちょっと表現が苦手なだけなんじゃないかな」
 シンジがかばう。
「おおっ、シンジ、あんなのに興味があるのか。確かに絶世の美女には違いない」
 ケンスケが、からかう。
「違うって」
 シンジは、必死に否定した。

 アスカは、機嫌が悪かった。
「惣流さん、初めまして。3年生の……」
「うっさい。声かけるんじゃない」
 昼食を取ろうと講義室からでたアスカを待ちかまえていた男が話し終わる前に、アスカが撃墜した。
「アスカ、ご機嫌斜めだからね。ごめんね。また来てね」
 隣にいたマナが、白く燃え尽きている男に手を振った。
「二度と来るな」
 アスカがとどめを刺す。
「もう、アスカったら。男は貴重なんだから、もうちょっと大切に扱おうよ」
 マナが忠告する。
「ふん、あんな十把一絡げに用はないわ」
 アスカの機嫌は、更に悪くなった。
「自分が生理だからってさあ、当たり散らすのは、レディとしてどうかと思うんだけど」
「アタシはデリケートなのよ」
「バリケードの間違いじゃないの」
 ぼそっとささやいたマナだったが、アスカの耳はそれを逃さない。
「一回、死んでみる? 」
 美人が怒ると本当に怖いのだ。
「えへへへへ、聞こえた? ごめん」
 マナが頭をさげた。
 新京都大学医学部二大美女は、入学して以来親友の仲となっている。なんでもはっきりというタイプのアスカと、明るくて分け隔てのないマナは、気があったのか、入学式以来、ずっと一緒にいた。
「今日も学食かあ。いい加減飽きた。マナちゃんは」
「外に食べに行くだけのお金、アタシ持ってないわよ」
 アスカの父は、第三新東京大学医学部の教授であるが、公務員には違いない。アスカは、贅沢できるほどの仕送りをしてもらっていない。
「ちょっと、その辺の男の子にウインクしてあげれば、ロイヤルホテルのディナーだっておごってもらえるのに」
「で、そのあと、アタシがそいつにおいしくいただかれるってわけ? 冗談。アタシはそんなに安い女じゃないわ」
 アスカが鼻先で笑った。

 学食の前でアスカとシンジは鉢合わせした。
「あああああ。こんなところに居たぁ」
 アスカが大声で叫んで、シンジを指さす。
「えっ……っと。どこかでお会いしましたっけ? 」
 シンジは、アスカの顔を覚えていなかった。
「アンタねえ。アタシの顔を忘れたって言うの? この絶世の天才美女惣流・アスカ・ラングレーさまを」
 アスカの額に筋が浮き出る。
「あははははは、ゴメン」
 シンジは謝るしかなかった。
「返せ、アタシの青春を。アタシの純情を」
 アスカがシンジの襟をつかんで揺さぶった。
「返して、アタシのお気に入りのボールペン」
 そう口にしたとき、シンジが思いだした。
「ああ、あの事故の時に手伝ってくれたお嬢さん」
「ソウリュウ・アスカ・ラングレー。お嬢さんじゃないの。覚えておきなさい」
 アスカが、一文字ずつ区切っていった。
「碇シンジです。よろしく」
 シンジが頭をさげる。
「知っているわよ。面倒だからシンジでいいわね」
 アスカが、決めた。。
「ねえねえ。アスカ。この人たち誰? おしりあい? 紹介してくれない? 」
 巻き込まれないようにちょっと離れて見ていたマナが、落ち着いたと見て声をかける。
「こいつが、ここの病院の救急担当医、碇シンジ。この軽いのは、アタシの友達の霧島マナ」
「ええええ。この若さでお医者さん、偉いんだねえ」
 霧島マナが、シンジを驚きの目で見る。
「き、君が、あの霧島記念病院の一人娘、霧島マナさん? それと、こちらがあの惣流教授のお嬢さん」
 ケンスケが、緊張した声を出した。
 アスカとマナが、ちらと嫌な顔をしたが、興奮しているケンスケは気がつかない。
「シンジの同僚、麻酔科の相田ケンスケであります。ご、ご一緒にお食事しませんか。もちろん、おごらせていただきます」
 ケンスケが、誘う。
「アタシの分は、アンタが払うのよ」
 アスカがシンジを指さした。
「うん。わかったよ」
「じゃ、マナさんの分は、僕が……」
 ケンスケがマナに言った。

 四人はそれぞれの食べ物を持ってテーブルに着いた。
 難攻不落とされていた二人の美女が、男と食事をしているのを、うらやましそうに多くの人間が見ている。あきらかな憎悪の炎を宿した視線もある。
 ケンスケは、それに気づいたのか、居心地悪るそうにしているが、シンジはまったく気にしていない。
 うれしそうに鯖のみそ煮をついばんでいる。
「食べないの? 」
 シンジはおなじメニューを目の前において、恨みがましい目をおくってくるアスカに訊いた。
 アンタとおなじものでいいわと言ったのは、アスカだったのだが不満なようだ。
「あのね、アタシは魚が嫌いなの」
 アスカが、怒っていた。聞き耳を立てていた何人かの男が、すばやくメモを取っている。
「そうだったの、知らなかった。ごめんね。でも、好き嫌いはよくないよ」
 シンジは、口を動かしながら謝った。
「魚は骨があるでしょ。食べにくいのよ」
 アスカが、嫌いな理由を説明する。
「なんだ。ちょっと貸してね」
 シンジは、アスカの鯖のみそ煮を取ると、ささっと骨を取り除いた。
「はい、もう大丈夫だから」
 シンジが差しだした皿を見つめて、アスカとマナが真っ赤になり、ケンスケが唖然とした。
 シンジは自分の箸を使ってアスカの鯖の骨をとったのだ。
「どうしたの? 」
 固まった三人を見ながらシンジが訊いた。
「はあ。ここまで鈍感とはね……」
 盛大なため息をついたアスカは、鯖のみそ煮を食べ始める。
「ア、アスカ。そ、それ……」
 マナが、間接キス状態であることを指摘する。
「知っているわよ、それぐらい。気にしちゃ、こいつの知り合いはやってられそうに無いからね」
 アスカは、おいしそうに鯖をぱくつき始める。
「意外とおいしいわね。このマグロ」
 シンジの動きが止まる。マナが持っていたフォークを落とし、ケンスケが口に入れたパスタをだらしなく垂らした。
「な、なによ」
 アスカが、三人を見る。
「あのね、アスカ」
 マナが、ぽんとアスカの肩を叩いた。
「いくら見た目が外人だからって、魚のことを知らな過ぎるわよ」
「だって、家じゃ、誰も魚なんて食べないんだもの」
 アスカが子供のように箸をくわえてすねる。
「か、かわいい……」
 ケンスケが撃沈された。

「惣流さん。これは鯖っていうんだ」
 シンジが、教える。
「そうなの。わかったわ。アタシ、魚を全部制覇する」
 アスカが箸を天井に突きあげて宣言した。
「はあ、なんでも徹底的にやらなきゃ気に入らないんだから」
 マナがあきれる。
「ということで、シンジ、アンタ手伝いなさい」
 アスカに箸で指されて、シンジはきょとんとした。
「なんで? 」
 シンジでなくても抱く疑問である。
「アンタが、最初にアタシに味をおぼえさせたからよ。責任とって貰うわ」
「アスカ、それ、ちょっと問題発言」
 マナがこめかみに手をやった。
 ケンスケに至っては、睡眠不足の影響もあってか、痙攣している。
「どうすればいいの? 」
 気づいていないシンジがアスカに問うた。
「アンタ、毎日アタシにここで良いから、魚の食べ方を教えなさい」
 アスカが、命じる。
「それは無理だよ。宿直だと病院から出られないし、休みの日まで出てくるのはつらいよ」
 シンジが、困った顔をする。
「仕事の日は許すとしても、休みの日に出てくるのが面倒? はん、この惣流・アスカ・ラングレーさまに会うのが辛いって? 」
 アスカの顔が、ゆがむ。
「一人暮らしなんだよ。掃除とか洗濯と自炊とかしないと」
 シンジが、アスカの怒気に恐れをなしたのか、情けない声をあげる。
「自炊……」
「ごはん……」
 アスカとマナが顔を見あわせている。

「シンジ。アンタの携帯端末、ちょっと貸しなさい」
 アスカがシンジの胸ポケットから携帯電話を取りあげた。
「スケジュールは、入れているわね? 」
「うん。この7月までのシフトと休みは……」
 アスカの問いにシンジが応える。
 持っていたバッグからアスカが自分の携帯をだす。あわせるようにマナが、ケーブルを取りだした。
「な、なにを……」
 シンジが唖然としている間に、携帯同士がつながれ、データーの移送が行われた。
「これでよしと。今日が宿直明けで、明日は一日休みね」
 アスカが自分の携帯画面を見て言う。
「電話帳には……誰よ、この葛城ミサトって」
 アスカの柳眉が逆立つ。シンジの携帯のすべてのデーターを吸い上げたようだ。
「酷いよ、勝手に他人のプライバシー……ひいっ」
 文句を言いかけたシンジだったが、アスカの顔見て小さく悲鳴をあげた。
「誰なのよ」
 アスカの声が低くなる。
「か、加持先輩の恋人です」
「ああ、あの禁煙パイプをくわえていたおじさんか」
 アスカが思いだした。
「ごほっ、ごほっ」
 不意にマナが咳きこみだした。
「どうしたの? 」
 シンジが椅子を蹴るようにしてマナに近づき、背中をさする。
「ご、ごめんなさい。あたし感作性の喘息なんです」
 マナが、鞄から薬を取りだして、吸飲し始める。すぐに発作は落ち着く。
「感作性ということは、アレルゲンがあるんだ。で、原因物質はわかっているの? 」
 シンジが訊いた。
「うん。でも、たくさんありすぎて。たぶん、今はそば粉じゃないかな。その代わりいつもこの程度の発作で済んでいるから。あんまり気にしてないんだ」
 マナの呼吸が元に戻った。
「ならいいけど。一度、うちの病院で見て貰った方が良いよ。病院長が呼吸器専門だから」
「うん、ありがと。やさしんだね、碇さんて」
 ずっと背中をさすっていたシンジの手を、マナが両手で握る。
「そんなことはないよ」
 二人がじっと見つめ合う。
「いつまでやってんのよ。このスケベ」
 アスカがシンジの背中を思い切り叩いた。
「痛い……なにするんだよ」
 さすがのシンジも怒った。
「こんな大勢の前で女の子の手を握るからでしょ」
 周囲から殺意の籠もったまなざしがシンジを襲っている。
「あっ」
 あわててシンジが手を離した。
「うん、もう」
 マナが寂しそうにシンジの手を目で追った。
「じゃ、あとでメールするから。いくわよ、マナ。昼からの講義の時間よ」
 アスカに引きずられるようにしてマナが連れていかれた。
「なんなんだろうなあ」
 シンジは、騒々しい二人を見送りながらつぶやき、
「はあ、なんでおまえだけ……」
 ケンスケが、大きなため息をついた。

 シンジは、付属病院から徒歩15分ほどのアパートに住んでいる。6畳の和室と6畳ほどのLDK、それにバスとトイレだけの小さな部屋だ。
 その部屋にシンジの非番ごと、アスカとマナが食事に訪れるようになった。
 二人とも料理ができないのだ。
「り、料理、べ、勉強中なのよ」
 アスカが、口籠もり、
「いつも、メイドさんがやってくれていたから」
 マナが、平然と言った。

 アスカは、大学からバスで15分ほど離れた市内の1LDKのマンションに、マナは、大学からバスで30分ほどのところにある鴨川にそった高級マンションに一人暮らしをしている。
 アスカは、料理以外は人並みにできるのだが、マナは家事全般全滅だった。
「どうして、自宅から通える大学にしなかったの? 」
 シンジの問いに、
「バカシンジ」
 アスカは怒り、
「うううん、人に頼らずに生きてみたいなって思ったんだけど、駄目だったみたい。でも今更帰れないしねえ」
 マナが、笑った。

 そこにレイが加わるのにそれほどの日にちはかからなかった。
 レイは、まったくの家事不能者だった。
「やったことないもの」
 下着までクリーニングにだしているのを知ったシンジが問うたとき、レイが応えたのがこのセリフである。
「食事はどうしているの? 」
「病院では出前、自宅ではカロリーブロックとサプリメント」
 訊いたシンジが後悔しそうな答えだった。
「食べに来る? 三日に一回だけど、三人分つくるのも四人分つくるのも一緒だからね」
 こうして、碇シンジの休日から平穏という言葉が消えた。

 当初、アスカがレイを異常に嫌ったり、マナが帰ったと見せかけてシンジの部屋に泊まろうとしてアスカに殲滅されたり、レイが食事のあと五〇〇円玉を机の上に置いて帰ろうとしたり、波乱が続いたが、それも三ヶ月たてば落ち着いてきた。

 そして、そろそろ大学が夏休みに入ろうかという七月の半ば、シンジのつくった夕食を平らげたアスカとマナが帰宅し、レイとシンジは症例検討を続けていた。
「こういうときは、思い切って破壊された神経の両端を切り取って、繋ぎなおせばいいと思うの」
 レイが、労災事故でぐしゃぐしゃになった腕のカラー写真を見ながら言った。
「いや、それでは、神経が短くなるだろ」
「神経は、引っ張ればある程度のびるわ」
 シンジの反対をレイが一蹴した。
「でも、そうするとつないだ神経には絶えず、テンションがかかるじゃない。テンションは刺激として脳に送られるから、患者さんは、不快な思いをしなければならなくなるよ」 シンジが、言う。
「でも、神経が切れたままよりはいいと思うの」
「確かにね。でも、できるだけもとの状態にしてあげるべきだと思うんだ」
 シンジとレイは、こうやって時を忘れて議論をすることが多い。そのまま交通機関が無くなるまで話し込み、やむを得ずレイが泊まっていくことも、再々であった。
 さすがに一回目は、シンジも焦った。年頃の男女なのだ。だが、帰る手段の無くなった女性を追いだすことはできない。シンジは、自分がリビングの床で寝て、レイをベッドでやすませることで事態を収拾した。
 それが、レイにとっては癖になってしまった。
 シンジもレイとの症例検討が楽しく、つい時間を忘れてしまうのだった。

 自宅に戻ったアスカは、膨れていた。
 シンジとレイの症例検討に参加できないからだ。いかに努力型天才美女とはいえ、大学に入ったばかりで現役の医者とおなじレベルの会話ができるものではない。
 アスカのプライドはとてつもなく高いのだ。ついていけないのに無理矢理入りこんで、シンジやレイにそこの浅い女と思われたくない。ために、二人きりにする危惧を押し殺して、自宅へ帰るのだ。
 もし、レイがシンジの部屋に泊まっていることを、アスカが知ったなら、対応は変わったであろう。さすがのアスカも、そこまでレイが世間知らずだとは思っていない。油断であった。
「つっ、下腹が痛い。そういえば、今月まだ来てないわね。遅れているわ。おかしい。生理が始まって六年。一日たりとてもずれたことがない、さすがはアタシの卵巣と褒めたくなるほど几帳面なメンストラチオンが……」
 アスカが下腹を押さえた。
「遅れるようなまねはしてない。っていうか、してくれないじゃなくて……い、痛い」
 アスカは、慌ててトイレにかけこんだ。下着をおろすと、そこは真っ赤に染まっていた。
「一日目にしては、多いわね。遅れたせいかしら」
 トイレットペーパーで拭うが、なかなかおさまらない。
「埒があかないわね、シャワーであらってナプキンつけるか。あああ、もう、どうして女だけこういう目に遭わないといけないのよ」
 アスカは文句を言いながら、トイレを出て、洗面所で洋服を脱ぎかけたところで、激痛に襲われた。
「あああああ」
 アスカは、そのまま崩れるようにして気を失った。

 シンジの料理がおいしかったので、マナはご機嫌で帰宅した。
 高級マンションのセキュリティを解除して、部屋に入ったところでマナは、後ろから突きとばされた。手にしていたバッグが跳んで、中身が散乱した。
「ぎゃっ、なに」
 マナが、倒れながら背後に目をやると覆面をした男が、手にスプレーを持って立っていた。
「誰、あなた。泥棒? 」
 マナが後ずさった。
「おまえが悪いんだ。いくら誘っても僕とつきあわないおまえが悪いんだ」
 男が叫びながらスプレーを噴射した。
「えっ、げほっ、な、なに、げほっ、げほっ……」
 マナに発作が起こった。
「ひゅーひゅー」
 気管が収縮し、呼吸ができなくなる。
「おかしい。全身麻酔薬だから、眠るだけのはずなのに……」
 男が、一人ごちた。
「く、薬、とって、いき、息ができない」
 マナの顔が苦悶にゆがむ。
「わあああ、僕は、知らない、なにも知らない」
 男は、マナの顔色が一気に蒼くなるのをみると叫びながら逃げていった。
「く、薬」
 マナは、息ができない苦しさをこらえながら、薬をさがした。
「あ、あんなところ……」
 薬は、数メートル向こうに転がっている。
 マナは、必死で薬にむかって這った。

続く

初出: 2005.07.06
Author: タヌキさん
はい、タヌキさんから80000hit記念のご投稿です。
リクエストはありますか~などとおっしゃっておられたものなので、調子に乗った私は、

トリアージ("捜しものは、どこにありますか"のコト。)の続きで、
大学に通い始めたアスカと、同時に入学してきた、シンジを見て惚れたシンジ追っかけな霧島マナとの争奪戦。
シンジの助手的立場の綾波レイに嫉妬して自分の力の無さを思い知るアスカ。
ところが、(ずいぶん前から)お腹が痛くて、お腹を壊したと思ったら実は…
そんなときにマナがアレルギー症状で呼吸困難に…
緊急です。アスカとマナを天秤にかけたヤツ。

などという、具体的、かつシビアで、しかもかなり無理なリクエストを…。
しかも、いつのまにかシリーズものになってます。
(私がかなり無理を言ってそうしていただきました(爆))
いやあ、続きが気になりますね。
ええ、楽しみにしております。ハイ。
そんなわけで、 タヌキさんにこの続きを!!という方、感想をお願いいたします!!
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