渋滞が始まっていた。
第三新東京市をつらぬく幹線道路は、夕方のラッシュ時をむかえて動きが悪くなっていた。
第三新東京市立北女子高校前のバス停からのった女子高生で満杯になった、新強羅駅行きのバスのなかで吊革につかまりながら、洞木ヒカリが親友に訊いた。
「ねえ、アスカは、どうするの? 」
「なにを? 」
声をかけられた少女、いや、すでに女といっていい女子高校生が、間の抜けた返事をした。
彼女こそ、北女子校が誇る天才美少女惣流・アスカ・ラングレーである。ドイツ人の血を四分の三、日本人の血を四分の一もつクオーターである。
日本人よりも白く、そして欧米人よりもきめの細かい肌、日本人ではあり得ない腰の高さと足の長さ、そして同年齢の女子を大きく上まわるふくよかな胸と対照的にぐっと引き締まったウエスト。
多くの男の目を引きつけてやまないが、いまだに誰にも応えようとはしない。ついたあだ名が、アイアンメイデン。
「進路よ、志望大学と学部を来週までに提出しなさいって、リツコ先生が言ってたじゃない」
ヒカリが、あきれた声を出す。
「ああ、あれ。アタシもう決めてるから気にしてなかったわ」
アスカは淡々と言った。
惣流・アスカ・ラングレーの名前は、けっしてその美貌だけで鳴り響いているわけではない。
常に全国レベルの模擬試験でトップを続けていること、そして新体操の国体選手としても有名であった。
神は二物を与えたと評判の美少女にも欠点はあるのだが、それは、今は関係ない。
「第三新東京大学法学部」
アスカは、名称だけを告げた。
「やっぱり医学部じゃないのね」
ヒカリが暗い顔を見せた。
バスは、バイパスに入った。流れが少しよくなり、バスのスピードが上がる。周囲の車も今までの鬱憤を晴らすようにエンジンの回転数を増やしていった。
「ふん、なんで医者なんかにならなきゃなんないのよ。自分の妻さえ助けられないような男が、救急医療部長でございって顔をできるのよ。程度が知れるわ。アタシの望みはもっと大きいの。法学部を出て、テレビ局に就職して、報道にたずさわるわ。ペンは剣よりも強し。アタシは報道で戦争やテロの悲惨さを訴え、世界から紛争を根絶するの。一人の人間を相手にする医者のような狭い世界じゃないわ。数万人を救う仕事よ」
アスカの声には黒い思いが詰まっていた。
「……アスカ……」
ヒカリが、親友の名前をつぶやいたそのとき、高架橋にかかっていたバスの前方で爆発音がひびいた。
「先輩、遅くなりましたね。この分じゃ、今日中に京都に帰れそうにないですよ」
ハンドルを握りながら碇シンジは、助手席で禁煙パイプをくわえている加持リョウジに話しかけた。
「伸びたからな、研究会が。どうするかねえ。浜松でウナギでも食おうかと思っていたけど、この分じゃ、第三新東京で食事をしておいた方が良さそうだな」
加持リョウジが、禁煙パイプをうごめかす。
「そうですね。どうせ、今夜は先輩は葛城先輩のマンションでしょ。まず、食事にはありつけませんものね」
碇シンジが笑った。
「ふん、笑っていられるのも今のうちだ。いずれ、シンジ君も女で苦労することになるさ」
加持リョウジが、ふてくされた顔をする。
「それよりも、なあ、シンジ君、たばこ吸って……」
「駄目です。この車は禁煙車です。なにより、健康をまもるべき医者が、身体に害があるとわかっているものを吸うこと自体、間違っているんですよ」
加持リョウジの要望を碇シンジが切って捨てた瞬間、爆発音が車両後方で聞こえた。
高架橋の降り口にかかっていたトラックが、吹き飛んだ。同時に高架橋の入り口にいた乗用車も爆散した。
前後がふさがれた形になった高架橋では、玉突き衝突が起こった。バスが二台、トラックが四台、乗用車が八台の大事故であった。
「きゃああああ」
「なんだ」
アスカののったバスは、トラックに突っこんだ。そして、別のバスに突っこまれた。座っていた立っていた関係なく、人々が投げ出された。
「間に合わない」
シンジは、急ブレーキを踏んだ。ぐっと車体が沈み込む。トラックのおしりに食いこむようにして車が止まった。
フロントがつぶれたが、幸運だったのは、シンジの車が最後列だったことだ。追突されていたら、シンジと加持リョウジは、無事ではすまなかった。
「先輩大丈夫ですか」
「ああ、シンジ君も大丈夫なようだな」
後ろを振り向いた加持リョウジが、苦い顔をした。
「地雷か」
「テロですか」
「そうだろうなあ。人の業は深いな」
加持リョウジが、ため息をついた。
南極を直撃した隕石によって引き起こされたセカンドインパクトは、世界の地図を大きく塗り替えることになった。津波で沿岸をやられた大国が零落し、被害の軽かった日本がリーダーシップをとるようになっていた。
日本は、20世紀に続いて世界最大の援助国であり続け、国連本部を第三新東京市に強引に移した。国連は、日本の傀儡になりつつあった。
日本の恣意で国連の援助が変わるという図式は、不均等な経済状態をつくりあげ、不満を持った国によるテロが、近年、懸念されていた。
車をでたシンジと加持リョウジは、背後の車を見て、顔を見あわせた。
「医者の出番はないな」
加持リョウジが、苦い声をだした。
「道具を確認します」
シンジがトランクを開けた。
「どうだ? 」
「プロパーからもらった使い捨てメスが、6本、縫合針が8セット、滅菌ガーゼパックが、12枚、500CCの補液セットが2つ、点滴回路が2つ。グローブが3セット。あと、イルガサンDP300スプレーの試供品が、20ml」
「キシロカインが無いのがつらいな」
加持リョウジが、呟いた。
「局所麻酔は、アナフィラキシーチェックできない状態ですから、どっちにしろ使えませんよ」
シンジは、取り出した道具をジャケットのポケットにつっこんだ。
「トリアージは、お願いします」
「ああ」
加持リョウジがうなずいた。
「なんなのよ、なんなのよ、なんなのよ」
アスカは阿鼻叫喚の中にいた。
「痛いよ」
「おかあさん、たすけて」
「ううう、うう」
あちこちで同級生や後輩たちが血を流してうめいている。
急ブレーキと衝突のショックで投げ出されたのだ。アスカは、新体操で鍛えた握力でつり革を握りしめてなんとか転倒を免れていた。
「ヒカリ」
アスカの足下で親友が意識を失っていた。倒れるときに座席の角で頭を打ったのだろう、後頭部から出血していた。
「ヒカリ、ヒカリ、しっかりしてよ」
アスカは床に座りこんで、ヒカリを抱き起こして揺すった。アスカの揺するのにあわせてヒカリが動くが、それは意識のない人形のようであった。
「ねえ、目を開けてよ、ヒカリ」
アスカの手にヒカリの血が付く。
「いやあああああ」
アスカはパニックになった。
「揺らしては駄目だ」
アスカの背中から声がかかる。声をかけたのは、シンジであった。
それでもアスカはヒカリを起こそうとし続けた。
小気味いい音がして、アスカの頬がなった。
「脳に衝撃を受けた可能性がある。揺すれば、被害を大きくするから」
シンジがアスカの叩いた。
「ごめんね。叩いたりして。でも、君の大切な友達を助けなきゃいけないから」
「…………」
うつろな目でヒカリを見ているアスカから、そっとヒカリを受け取るとそのままバスを出て行く。その後をアスカが意志のないもののような表情でついて行く。
バスからでたシンジを加持リョウジが出迎えた。
「どうだ? シンジ君」
手に4色のテープを持ちながら、加持リョウジがシンジに訊いた。
「この子が一番の重傷でしょう。あとは、せいぜい骨折か打ち身だと思います」
「そうか、でも骨折は気をつけないとな。骨からでたカリウムが、心臓を痛めつける可能性がある」
「そうですね。でも、そこまで手が回りません」
シンジはジャケットを脱いで道路に広げるとそこにヒカリを横たえる。
「携帯で消防に連絡はしたが、救急車はこれそうにないな」
「まずいですね」
「ああ、高架橋への出入り口はどちらも爆破された車両でふさがっているし、まだ地雷が埋まっている可能性があるからか、撤去作業も始められていない」
「ヘリは、来るんですか? 」
「来ることは来るようだが、どうやらあちこちで爆発があったようでな、ここに回せるのは一機だけらしい」
話をしながらもシンジは、てきぱきと手を動かしていく。ヒカリのブラウスをメスで切り、下着も切り離す。胸郭を締め付けているものを取り除き、呼吸を少しでも楽にするためだ。わかわかしい乳房がさらされるが、シンジは、目をとめることすらしない。
加持リョウジの目が一瞬光ったのは、まあ、男のさがということで。
「どうだ。手伝おうか」
加持リョウジが近づいた。
「いけるでしょう。ここでは、出血を止めるぐらいしかできませんから。それよりも加持先輩は選定を続けてください」
シンジが手助けを断る。
「わかった」
加持リョウジが去っていった。
「アンタ、ヒカリになにをする気? 」
目のまで友人が裸に向かれたことで意識を取り戻したアスカが、大声で怒鳴る。
ちょうど、シンジは、ヒカリの左胸に耳を当てて心音を確認していた。
アスカの位置からは、裸の少女の胸にシンジが、吸い付こうとしているように見えたのだ。
「黙って」
シンジが、アスカを制した。
「よし、心音はしっかりしているし、リズムもいい。出血を止めれば、何とかなるな」
シンジは、アスカを無視してヒカリの頭を調べ始めた。
「なにをしているって訊いているのよ」
アスカがさらに大声を出した。いつも人の中心にいたアスカは、無視されることになれていない。
「この子の友達? 」
シンジは、縫合糸と縫合針が一つになったセットを取り出し、両手に使い捨てのプラスチックグローブをはめながら言った。
「そうよ」
「じゃ、悪いけど、君の上着を貸してやってくれないかな。胸を隠してあげて」
シンジはそういいながら、ヒカリの頭を探り続ける。
「アンタが、そうしたんでしょうが、この変態」
アスカの激昂はおさまっていない。
「わめくだけなら、よそへいってくれない。集中しにくいから」
シンジが冷たく言い放った。
「こ、この……」
殴ろうと迫りかけたアスカは、シンジの顔が急に引き締まったのを見て動けなくなった。その顔は、神々しいまでに厳しく、アスカの心にくさびを打ち込んだ。アスカに声をかけてくる異性にはない、真摯さがそこにあった。
アスカはシンジに見とれた。
「浅側頭動脈の破断だけか。頭蓋内はわからないが、とりあえずは、結紮するしかないな」
シンジはヒカリの髪の毛の中を人差し指で探る。
「ここでいいか」
縫合針を頭皮に突き刺す。縫合針は三日月のように曲がっている。これは突き刺すことが目的ではなく糸をもう一度表に出すことを主眼としているからだ。
縫い物の針が、表からでて裏へ通すのであれば、外科用の縫合針は、表から入れて表に出る。
シンジは出てきた針先をつまんでそのまま回転させるようにもう一度突き刺す。ちょうど血管の周囲を糸が二重に巻いたような形である。浅側頭動脈が、頭皮の直下にあるとはいえ、それを触診で探り出し、その血管に沿わせるように糸をかけるなど、設備の整った病院でも難しい。それをシンジはあっさりとやってのけた。
「これで結紮すればいい」
シンジはヒカリの頭皮からでている縫合糸を、くくった。糸に巻き付かれている血管は、その糸の輪が縮むことで細くしめられた。
点滴回路を左手の静脈に留置し、補液を開始する。
「これで大丈夫だ」
シンジは、自分のきているカッターシャツを脱ぐとヒカリにかけて、次の患者へと向かった。アスカには一瞥もくれない。
アスカは、ふらふらとその後をついていった。
「痛い、なんとかしてください」
手袋をしているシンジを医者と見たのか、路上に腰を落としていた男が声をかけた。
「緑ですか」
シンジは男の肩に緑のテープが貼られているのを確認した。
「もうすぐ、救助がきます。待ってください」
「でも痛いんですよ」
男の声を無視してシンジは、歩き始めた。
「なんで、診てあげないのよ」
アスカが、問うた。
「緑だったからね。っと、ついてきたんだ。友人はいいのかい? 」
「大丈夫なんでしょ、そう言ったわよね、アンタ」
「たしかにね」
しゃべりながらもシンジの目は路上でうめいている人々を見ている。
「赤か」
声も上げずに横たわっている初老の男性のところでシンジは足を止めた。
「赤とか緑ってなによ? 」
アスカの質問にもシンジは応えないで、処置に没頭している。
ヒカリと同じように衣服を裂き、心音を確認していた。
「トリアージだよ」
アスカの隣に三十がらみで無精ひげの男が立った。
「アンタ誰? 」
「京都大学医学部付属病院救急医療室選定班長、加持リョウジ。よろしく、お嬢さん」
加持リョウジが、自己紹介をする。
「お嬢さんというのはやめてくれる。アタシには、惣流・アスカ・ラングレーっていう、名前があるんだから」
「惣流……そうか、君が。惣流博士自慢の娘さんか」
「父とは関係ないわ」
アスカは、ふんと横を向いた。
「で、アイツは? 」
アスカがシンジを指さした。
「碇シンジ、京都大学医学部付属病院高度救急室所属の医者だよ」
加持リョウジが答えた。
「で、トリアージってなによ」
アスカが再び問うた。
「患者の緊急度判定のことさ。赤は今すぐに処置が必要、黄色は数時間余裕があるもの、緑は、自分で病院まで行けるもの」
「そういうことか」
アスカが納得する。
「頸部圧迫による気管損壊と頸動脈反射による心停止ですね」
シンジはすでに心臓マッサージを始めていた。
「自律拍動を感知」
シンジが、淡々と告げる。
「気管切開します」
シンジが使い捨てのメスを取り出した。
使い捨ての医療器具は、すぐに使用できるように、あらかじめ滅菌処理されてパッキングしてある。
シンジはためらわずに、のど元にV字切開を入れた。血があふれてくる。
「お嬢さん、胸のボールペンをくれないか」
シンジが振り向きもせずにアスカに手を出した。
「えっ? 」
アスカは、なにを言われたわからず、きょとんとしてしまった。
「…………」
シンジが無言で近づくと、アスカの胸ポケットから女の子らしいピンクの柄のボールペンをとった。
「きゃっ」
アスカは、あわてて後ろに下がり胸を守る。
シンジは、そんなアスカを気にもせず、ボールペンを分解し、柄だけにした。
柄と手袋に、取り出してあった香水瓶ほどの大きさのポンプから液体を出してかける。それを使い捨てガーゼで拭き取って、気管切開したところにつっこんだ。
ボールペンの柄を伝わって一回血液が噴き出したが、あとは、ひゅーひゅーと笛のような音を鳴らしながらも呼吸が復活した。
もう一度脈を測ったシンジが立ち上がって次の患者へ向かう。
「黒……」
小さく呟いて、シンジが屈み込む。
「シンジ君」
加持リョウジが厳しい声を出した。
「1分を無駄にするつもりかい」
加持リョウジが追いうちをかけた。
「すいませんでした」
シンジが、その患者から離れた。
「どうしたのよ、それに黒ってなによ」
アスカが、加持リョウジに尋ねる。
「黒って言うのは、トリアージでいうところに、死亡あるいは、処置をしても助かる望みのない患者のことさ」
「助かる望みがないって、それを人が決めるって言うの。何様のつもり? 」
アスカが、憤慨した。
「ただの人さ。大きな事故などで一気に大量の救急患者が出たとき、治療の優先度と必要度を見極めないと、一人にかかずったがために、二人三人の助かる命を失うことになりかねない。それを防ぐために、トリアージは作られた。起源はナポレオン戦争にまでさかのぼれるそうだ」
加持リョウジが、淡々と言った。
「間違えている可能性を考えないの? 医者の傲慢よ」
アスカの糾弾は続く。
「神様じゃないからな。完璧じゃないことぐらいわかっているさ。だから、俺は、臨床を捨てた。人を救う医者という姿をな。今の俺は死刑宣告人さ」
加持リョウジが、禁煙パイプを音をたてて噛んだ。
「恨まれるのは、一人でいい」
一瞬、加持リョウジの表情が苦渋にゆがんだ。
「アイツ、黒とわかっていて治療しようとしてたわよ」
次の患者に、処置を施しているシンジにアスカは視線を向けた。
「シンジ君には、いやな思い出があるのさ。5年前、京都で地震があったのを覚えているかい? 」
加持リョウジが、訊いた。
「ええ。たしか、ビルがいくつかつぶれて、数十人が亡くなったって」
「その中にシンジ君のおかあさんもいたのさ」
「えっ」
アスカが、驚いた顔をした。
「そして、トリアージで黒をつけられた」
「…………」
「その黒の札をつけたのは、シンジ君の父親だ」
「なんで……」
アスカが呆然とした。
「医者として、私情を挟むわけにはいかなかったのさ。それは正しかった。死後解剖されたシンジ君のお母さんは、内臓に重篤な被害を受けていて、たとえ治療を施しても助からなかったことは証明された。代わりに五名の救急患者が助かった。もし、シンジ君の父親が妻を助けようとしていたら、手遅れになったと考えられた患者がな」
加持リョウジが、禁煙パイプを噛み割った。
「そのとき高校生だったシンジ君は、父親のやったことを責めなかった。父親のやったことが世間の称賛を浴びたからかもしれない。あるいは、父親がなにも言わなかったからかもしれない。その代わり、シンジ君は猛勉強して高校を一年でスキップ、京都大学医学部に入った。そのあとも教養課程を一年、専門課程を三年で終わらせ、医師国家試験に合格して、救急医療室にきた」
加持リョウジが、アスカの顔を見た。
「一度だけ、シンジ君が言ったことがある」
加持リョウジが大きく息を吸う。
「医療って平等なんですね。目の前で死んでいく妻を見捨ててでも、他人の命を救わなければならない。医者の妻だとか、大金持ちだとか、コネなんて通用しない。こんなに人間にとって平等で、こんなに惨い仕事はないです。父さんが、一言も謝ろうとしなかったんですよ。母さんを救えなくて悪かったって。医者として正しいことをしたからってね。医者じゃない僕はなにも言えませんでした。その翌日、父は僕を捨ててどこかへ行ってしまったんです。父さんはなにも教えてくれなかった。だから、僕は医者になるしかなかったんです。そう酒に酔ったときに言って、シンジ君は泣いたよ」
聞いたアスカの顔も真剣に締まっている。
「シンジ君の父親は、あのあと医師免許を返上して、行方不明になったんだ」
「どうして? ほめられたんだしょ」
「たぶん、誰も責めなかったことがつらかったんだろう。妻を見殺しではないが、助けることができなかったことを許せなかったのに、誰も非難してくれない。ののしられたり糾弾されたりすれば、感情の行き場所ができるが、自分で自分を責めるしかないというのは、きついぜ」
加持リョウジは、アスカに言う。
「お父さんのこと、いまでも許せないのか」
「知っているの、父を」
「ああ。日本の救急医療の支柱だよ。立派な先生だ」
「そうね。医者としてはね。でも、夫としては最低よ。心臓病で死にかかった母を他人任せにして、自分は、別の患者の手術に行ったのよ。麻酔をかけられる前に一目会いたいって言った母の望みさえ、かなわなかった」
アスカの声が震えている。
「さっき、俺が、シンジ君に1分を無駄にするのかって言ったのを聞いていたかい? 」
「聞いていたわ」
加持リョウジの問いにアスカが頷いた。
「救急医療は、1分で生死が決まるのがほとんどなんだよ。1分遅れれば、患者の生還率は、桁一つ下がる」
「…………」
アスカは黙った。
「シンジ君は、父親を責めず、君は父を責めた。どっちが正しいのかなんて、俺にはわからない。それを決めるのは、シンジ君であり、アスカ君なんだ」
加持リョウジは、アスカの頭をなぜた。
アスカは、なにか暖かいものを感じて、させるままにしていた。
「シンジ君は、その答えを求めるために、父親と同じ救急医療の世界に来た。でもな、彼は間違っている。救急医療は、人生の答えを探すところじゃない。命を救う場なんだ。答えを教えてくれる学校ではないことに、彼は気づいていない。いつまでも答えが見つからないから、より一層自分を追い込んだ無茶をする。あのままじゃ、近いうちにシンジ君はつぶれるだろう」
「わかっていて助けてあげないの? 」
「俺は、シンジ君と求めるものが違うからな。それにな、男の人生を救うのは、女と相場が決まっているのさ」
加持リョウジが、アスカの背中を押した。
「君の答えも見つかるかもしれないぜ」
「そうかな? 」
「一人では無理でも二人なら、案外簡単かもしれない」
「やってみる」
アスカは、シンジの元へ駆けていった。
「手伝えることある? 」
「ありがとう。じゃ、この手袋をはめて、出血しているところの五センチほど上を包帯で縛ってくれる? 」
「りょうかい」
シンジの指示に従ってアスカも動きだした。
「次は、あの人の……」
シンジの声をかき消すように、ヘリの爆音が聞こえてきた。
「やれやれ、ようやく騎兵隊のおでましか」
加持リョウジは、二本目の禁煙パイプを口にした。
数ヶ月後……
「本当にアスカ、行っちゃうのね」
第三新東京駅にヒカリが、アスカの見送りに来ていた。
ヒカリは事故の後遺症もなく、また、傷口も髪の毛で隠せる場所であったので、事故前と全く変わらない様子でアスカと並んでいた。
「ええ。見送りありがとうね」
アスカが、礼を言う。
「でも、アスカがまさか、京都大学医学部に行くなんて、思いもよらなかったわ」
ヒカリが、驚きを口にした。
「答えを見つけにいくの。違うわ。一緒に探すのよ」
アスカは、にこやかに笑うとリニアの中へと消えていった。
了