デジタルカウンターが、6桁の数字を0にそろえた。
無人となったネルフの船から二発の艦対地ミサイルが、白い噴煙を引きながら発射される。
「ミサイル発射を確認」
少し離れたところで待機している移動指揮車の中で、伊吹マヤが報告した。
「そう。ECM開始」
赤木リツコが命じる。
マヤの指がコンソールを叩く。半径50キロの範囲に強力なジャミングがかかった。
「電話線切断」
「はい」
再びマヤの手がキーボードに触れる。
刑務所から伸びている一般用、直通、2本の電話線に仕掛けられていた爆薬が、起爆した。
刑務所から外界への連絡手段は、完全に断たれた。
「あとは、任せたわよ、ミサト」
リツコがつぶやいた。
反射防止ガラスの文字盤を覗きこんでミサトが、小さな声をあげる。
「発射時間よ。みんな、用意は良い? 」
ミサトの問いかけに、無言で日向たちがうなずく。
「抵抗は排除するけど、できるだけ殺さないようにして。シンジ君の負担をこれ以上増やしたくないから」
「はい」
「でも、わたしたちが死んだりしたら、もっと彼が悲しむわ。矛盾しているけど、命の天秤は、絶えず自分に傾けておいて」
ミサトが、哀願するように言った。
「来ました」
二発のミサイルが、噴射音を響かせて飛んでくる。
「状況開始」
ミサトの号令で作戦課員たちは、唯一残った三番目の監視所に攻撃を仕掛けた。
刑務所内の管制室に甲高い電子警告音が鳴った。
「なんだ、ミサイル接近警報? 馬鹿な」
管制官が、椅子を蹴って立ちあがる。
「識別圏内に、アンノウン、不明機や不明船などいなかったぞ」
管制室が慌ただしくなる。
「迎撃」
中央一段高い椅子に座っていた警備主任が、命じる。
「ウオームアップまにあいません。システム、稼働率5%。スタンダードミサイルのみ、発射します」
近接防衛の最終手段、バルカンファランクスは、一分間に数千発の弾丸をばらまく、ミサイル阻止の要だが、その複雑な機械構造のために、暖機運転が必要である。
バルカンファランクスをあきらめて、刑務所屋上に設置されたミサイル迎撃ミサイル、通称AMMを射ったのは、秀逸な判断だったが、発射圧からAMMが解放されて、自律運動に移る前に、ネルフのミサイルは刑務所に届いていた。
一発目は、刑務所東北の壁にぶち当たると盛大に破壊した。
二発目は、後を追うように刑務所本体の二階窓に突っこんだ。
大口径ライフルの弾丸を止められる特殊ガラスといえども、複合装甲の壁面と違ってミサイルの直撃には耐えられない。
ガラスを突き破って中で爆発したミサイルの圧力は、ホプキンス効果に従って、弱い部分へと集約した。天井と床と、そして壁面内部が、吹き飛んだ。
自家発電ライン、バックアップラインと合わせて三系統の全てが、一瞬で沈黙した。
内部を通っているすべてのケーブルが切断され、刑務所の一部が停電する。これは、監視カメラを無効にし、収監者個室の扉の電子ロックを外した。
「始まったな」
国連軍サードインパクト戦犯刑務所の軽犯罪者階に収容されていた、加持リョウジが、伝わってくる振動で攻撃の始まりを知った。
「うわっ。炸薬が多すぎないか」
二発目の爆発に加持が、首をすくめた途端、室内の明かりが消える。
監視カメラの映像を確保するために、収監者の個室は24時間点灯がされている。それが落ちた。
「さすがに艦対地ミサイル攻撃までは、考慮してないだろうからなあ」
歩兵携行型のミサイル程度なら耐えられる装甲やシステムも、本式に陸上攻撃を目的としたミサイルの敵ではない。
「お、重いな」
加持が、ロックの外れた扉を、押す。
自分が通り抜けられるだけの隙間を開けると、加持は真っ暗になった廊下に足を踏みだした。
刑務所内は、三つのブロックに仕分けされている。
加持を代表とする懲役10年以下の軽刑者ブロック、それ以上20年前後の中刑者ブロック、そして終身刑の重刑者ブロックである。
現在のネルフが出せるだけの戦力を使った作戦の目的は、軽刑者ブロックに収容されている、元国連安全保障会議事務局長シーベラス・ファウンテンである。
国連事務総長グローバル・ハインツマンの懐刀、シーベラス・ファウンテンは、ハインツマンの罪をかぶる形で、囚われている。うまく立ちまわったお陰で罪は軽く、二年の懲役だけで済んでいた。
加持は、漆黒の闇の中を、昼間と変わらない早さで歩いていく。
同じような扉が並んでいるのを適当に選び、加持は立ち止まった。
無言で扉を開ける。
「誰だ」
鋭い誰何の声が、中からした。
「国連軍の攻撃だ。重刑者から殺されている。逃げるなら今だ」
加持は、そう言うと、次の扉を開けに行く。
同じことを言って、また次の扉へと向かう。
六人を解放したところで、軽刑者フロアが、騒がしくなった。
加持に声をかけられた連中が、次々に逃げ始めたのだ。
「さて、主人公に登場してもらおうか」
加持は、目的の扉に手をかけた。
そして、無言で開け放つとなにも言わずに、加持は自分の部屋へと戻る。
「……おい」
シーベラス・ファウンテンは、開けられた扉に警戒しながら、声をかける。だが、返事も人の気配も感じない。
「誰だ、居るんだろ、出てこい」
シーベラス・ファウンテンが、強く言うが、反応はない。
「重刑者から殺されているらしい、ここはまだ時間がある。逃げだすチャンスだ」
「東北の壁が壊れているらしい」
廊下から声が聞こえてきた。
「重刑者からだと……」
シーベラス・ファウンテンが、扉からそっと顔を出す。
火災が発生したのか、廊下の一部が赤く照らされている。その中を受刑者が逃げていく。
「この音は……」
耳を澄ましたシーベラス・ファウンテンは、銃撃の音を確認すると、逃げていく囚人の後ろについて房をとびだした。
「やれやれ、やっと行ったか。臆病者は長生きすると言うが、この分だと、あいつは、うまくここをぬけだしてくれるだろうぜ」
加持は、廊下の様子を窺うのを止めて、ベッドに転がった。
「一仕事の後は、たばこが、欲しいな」
加持は、じっと天井を見つめた。
国連刑務所の所長が軍人出身でない、官僚だったことが災いしていた。
「重刑者を逃がすな」
ミサイルまで使っての奪還作戦である。目的は重刑者の逃亡だと考えたのだ。
重刑者の中には、ゼーレの傀儡として国力を傾けてまで量産型エヴァを作成し、それを第三新東京に侵攻させた、アメリカ、ドイツ、イギリス、ロシア、フランス、中国の首脳が収監されている。
国家をあげての奪還作戦と勝手に決めつけてしまった。
命令された兵たちは、そのほとんどを重刑者のフロアに出向いた。
「儂の警固も忘れるな」
受刑者に憎まれていることを知っている刑務所長は、さらに馬鹿をやった。おのれのガードのために残り少ない兵を留め置いたのだ。
こうして、中刑者フロア、攻撃を受けた場所へ兵を割いたことで、軽刑者のフロアはほとんど放置されることになった。
ミサトたちは、数分で検問所を制圧した。プレハブに近い検問所は数発の携帯ミサイルで破壊され、中にいた兵士たちはミサイルの開けた穴から放りこまれるスタンガスで無力化された。
「これで30分は、完全に動けません」
日向が報告する。
「よし、じゃ、次の段階に行くわよ」
ミサト達は刑務所に向かって駆け出した。
数分で正門を視界に捉える。
「あの監視塔に重機があるわ」
ミサトが下見で見つけておいた陣地を指さす。
「了解」
日向が、携帯ミサイルを構える。
「撃て」
筒から小型のミサイルが、撃ち出され、数秒で監視塔を破壊した。
「さっ、パーティの始まりよ。景気よくやっちゃって。出し惜しみはなしよ」
ミサトの号令で残っていた携帯ミサイルが、正門に向かって発射された。
戦車の装甲にも使われる複合装甲の正門は、ひびったが、破壊されなかった。だが、爆音は、大きく轟く。
破壊されたブロックに急行した二個分隊の兵士たちは、あっけにとられた。壊れた塀から侵入してくるはずの敵の姿がない。そこへ、正門方向から衝撃と轟音がした。
「しまった、こっちは陽動か。数名監視に残れ、あとは、ついてこい」
実戦経験のない軍曹の命令で、さらに数少ない兵力が分散された。
「おい、大丈夫か」
「一個連隊が攻めてきたという話だぞ」
連隊は、この刑務所を警備している一個中隊の16倍からの兵力である。
「勝てるはずないじゃないか」
すでに、戦意を喪失している兵たちは、塀の壊れた隙間から、外に意識を向けていて、背後からせまってくる脱走囚人たちに気がつかない。
四人の国連軍兵士は、後から襲われて昏倒し、囚人たちは外へ逃げだした。
刑務所のある旧伊豆半島修善寺島と本州を結ぶ橋のたもとにアスカは居た。周囲には、アスカを護るように五名の作戦課員が控えている。
全員、黒ずくめの特殊部隊装備に目出し帽をかぶっていた。
「始まったようですよ」
青葉が、刑務所方面を見て言った。
爆発音が二発響いた後、微かに銃撃の音が聞こえている。
「そう」
アスカは、緊張していない。
ドイツでの訓練と、なによりもエヴァで実戦をした経験が、彼女を優秀な兵士にしていた。
「対人レーダーに反応、あと、5分で橋の向こう側に人が来ます」
作戦課員の一人が、パソコンのモニターを見て告げる。作戦開始前に小型の対人レーダーを橋の向こうに仕掛けてあった。
「よし、暗視装置装着」
青葉の命令で、全員が暗視装置をつける。
わずかな光を数万倍に増幅し、星明かりさえ有れば、ほとんど昼間と変わらない視界を確保できる。
「目標の顔を見落とすな。それ以外の囚人は、見逃して良い。感知された場合は、フリーハンドでの迎撃を認める」
青葉が、全員の顔を見る。
無言で課員たちがうなずく。
「来ました、暗視装置で視認。一人目は、ドイツラインハート工業の重役のようです」
エヴァ量産機の建造に深く関わった企業に、巣くっていたゼーレの配下である。
じっと息をひそめている課員たちのまえを、必死で走っていく。
しばらくして、脱走者の姿が途切れた。
「いなかったな? 」
青葉が確認する。
アスカをふくめた全員が首肯した。
「対人レーダーに反応、一人来ます」
課員が小声で言う。
「シーベラス・ファウンテンか」
青葉が、訊く。
アスカは、茂みから目だけを出して、橋を注視した。
「間違いないわ、アイツよ」
アスカが、淡々と言った。
「よし、二人残れ。これ以降に橋を通過する囚人たちを、無力化しろ」
「了解」
「残りは、あいつの後をつける。悟られるな」
「はい」
青葉の班は、アスカをふくめた四人になった。
リツコのかけているECMの影響を受けない周波数を使っていたミサトのインカムが、小さく三度音をたてた。
「青葉君から、連絡。目標を無事に確認したそうよ」
「了解です。では、撤収しましょう」
「ええ。後始末忘れないようにね」
ミサト率いる攻撃班が、退き始める。
橋のたもとまでさがって、ミサト達は、一旦停止した。
「終わった? 」
左右に散っていた作戦課員が、戻ってくる。
「はい。起爆スイッチを入れましたので、あと、5分で爆発します」
「そう、じゃ、急いで帰りましょ。本番にも参加しなければならないから」
ミサトの言葉に全員が首肯して、橋を駆けわたる。
その少し後、刑務所側が、ミサト達の撤収を知って、追撃のために出した装甲車の目の前で、轟音とともに橋が落ちた。
「これで、残りの囚人の脱走も防げるし、追撃も無理ね」
ミサト達は、波間に漂うボートに戻ると新熱海マリーナをめざした。
「先輩、目標の周囲に生命反応なし」
マヤが、移動指揮車の中で告げる。
「わかったわ。青葉君、今よ」
無線を送る。
「さて、お客歓迎準備にはいるわ。マヤ、何かあったら報せて」
「はい。先輩」
マヤがうなずいた。
リツコから連絡を受けた青葉たちは、二班に分かれた。青葉とアスカはあらかじめ調べていた脇道を通って、シーベラス・ファウンテンの先回りをする。
「行くよ、アスカちゃん」
青葉が声をかける。アスカは黙って走った。
たとえ幹線道路であっても、人家のないところに街灯をつけるだけの余力は今の日本にはない。
シーベラス・ファウンテンは、目の前に人が落ちてくるまで、まったく気がつかなかった。
「えっ」
黒々とした人の姿に、後ろに跳んだシーベラス・ファウンテンは、首筋にすさまじいショックを浴びて気を失った。
「大丈夫? 生きてる? 」
アスカが、倒れているシーベラス・ファウンテンを気づかうほど、青葉の持っているスタンガンの威力は大きい。
「赤木博士特製だから……」
青葉も驚いている。
二人が顔を見あわしているところに、移動指揮車が来た。
「なにしてるの? ミサト達はもう引きあげたわよ。急いで」
リツコにうながされて、アスカたちはシーベラス・ファウンテンを載せて、現場を去った。
「ジャミングは、あと数時間は持つわ。でも、それ以上はさすがもたない。自衛隊あたりが、本気を出せば、維持できるほど出力があるわけじゃないから」
リツコにそう言われては、急がないわけにはいかない。
椅子にくくりつけたシーベラス・ファウンテンを無理矢理覚醒させる。
「な、なんだ、おまえたちは? 」
目覚めたシーベラス・ファウンテンが、逃げだそうと身体をよじるが、しっかりと固定されていて動けない。
「私を誰だかわかってやっているのか? 」
「あら、わかってないほどの馬鹿に、つかまったのかしら? 」
リツコは、頭からまるまる猫の着ぐるみを着ている。その上から白衣を羽織っているのは、リツコなりのポリシーなのだろう。
「私に、いったい、なんのようだ? 」
シーベラス・ファウンテンが、震える声で訊く。目出し帽の黒ずくめ特殊部隊員と猫の着ぐるみ白衣女に囲まれては、どんな豪傑でも平静ではいられない。
「教えて欲しいことがあるの」
リツコが、言った。
「国連事務総長グローバル・ハインツマンの隠れ家はどこかしら? 」
「し、知らん」
シーベラス・ファウンテンが、横を向く。
「まあ、知らないの。じゃ、しょうがないわね。あなた、用済みになったわ。要らないものは、分別して捨てないとね。人間の死体って、やっぱり魚と同じで生ゴミよね」
「でも、市指定のゴミ袋に入りませんよ」
うさぎの着ぐるみに着替えたマヤが首をかしげる。
「なら入るようにすればいいの」
リツコが、右手を振る。着ぐるみの爪が、音をたてて伸びた。
「タングステンカーバイドのメスよ。よく切れるから、骨に当たったぐらいで折れることもないし。一瞬でバラバラにしてあげる」
リツコが、宣言している隣では、マヤがゴミ袋を用意している。
「おい、冗談だろ? 」
シーベラス・ファウンテンが、一歩でもさがろうと腰を動かす。
「あら、だって、あなたは、役立たずだもの」
リツコが感情を殺した声で言う。
「これだけの準備をさせて、空振りじゃ、黙って許してくれないから。私たちが殺されるわ。どこの国にでもあるでしょう? 神の怒りをおさめるには、生け贄が必要だという話」
「ふざけるな。神などいるわけ無いだろうが」
「そうかしら? 」
リツコが、シーベラス・ファウンテンの前から一歩横にずれた。
「な……ひっ」
リツコの居なくなった空間に目をやったシーベラス・ファウンテンが、悲鳴をあげる。
密林で十日ぐらい絶食した虎に出会ったら、人はこんな状態になるのかもしれない。硬直し、動かない身体から湧きでてくる汗が、止まらない。
シーベラス・ファウンテンの視線の先には、アスカが居る。目出し帽からでている碧眼から、位相空間のゆがみが見えるほどの殺気が放出されていた。
「女神の怒りを受けたご気分は? 」
リツコが、訊いた。
「う、うるさい。私はなにも知らない」
シーベラス・ファウンテンが、頑張る。
「忠義者ね。あなたが死んだことを知ったら、ハインツマンはどうするかしらね? 涙を流してお墓に花を供えてくれるかしら? それともとっておきのシャンパンで乾杯するのかしら? 」
リツコが、小さく笑う。
「あとは、女神におまかせしましょう」
リツコにうながされて、全員が仕切の外へ出ていく。
そして、シーベラス・ファウンテンとアスカを残して、扉が閉められた。
重い音がして、鍵がかけられた。
「おい、よせ。なにをする気だ」
アスカが近づいてくるのに、シーベラス・ファウンテンが、必死になる。
「なにもしないわ」
アスカが初めてシーベラス・ファウンテンに声を聞かせた。
「ひくっ」
氷を背筋にあてられたような声をシーベラス・ファウンテンが、出す。
「ここでじっと待つの。あなたが、喋りたくなるまで。何時間でも、何日でも。もちろん、食事も水もなし。トイレも行かないし、行かせない。どちらかが死ぬまで、私とあなたは、ここで過ごすことになるわ。いえ、あなたが死んだなら、私はここから出ていくけど、私が死んでも、あなたはそのまま。目の前で私が腐ってふくれあがって、そして溶けていく様子をじっと見ながら、あなたも死ぬの。その前に狂えたら幸せね」
アスカが感情の抜けおちた声で告げる。
「馬鹿か、できるわけない」
シーベラス・ファウンテンが、首を振る。
「命より大切なものを失ったことがないのね、あなたは」
アスカの眼が潤む。
「自分の命を無くした時よりも、母を亡くした時よりも、居場所を奪われたときよりも、私は今の方が辛い」
アスカはゆっくりとシーベラス・ファウンテンに語る。
「私は命を賭けているわ。だから、あなたにも賭けてもらう。楽には死なせない」
アスカが、シーベラス・ファウンテンを睨みつける。
「おまえは……」
シーベラス・ファウンテンが、大きく目を見開く。
「セカンドチルドレンか」
さすがは、国連安全保障会議事務局長の席に有った男である。アスカの言葉から正体を見抜いた。
「そうか、おまえがセカンドチルドレンか。ドイツによって仕組まれた子供」
シーベラス・ファウンテンが、じっとアスカを見る。
「さすがと、褒めてあげるわ」
アスカは動じない。
「ということは、あいつらは、ネルフか」
シーベラス・ファウンテンが、仕切の向こうに目をやった。
「ネルフが、ハインツマン事務総長の居場所を訊きたがる……サードチルドレンのことだな」
シーベラス・ファウンテンが、落ちついていく。
「なるほど。今回の騒ぎもネルフか。そういえば、刑務所には加持リョウジがいたな。アイツが作戦か」
「お見事ね。でも背景がわかったところで、状況は変わらないわ」
アスカも落ちついて言う。
「正体がばれたなら、こんなうっとうしいものは、要らない」
アスカは目出し帽を脱いだ。
金色の髪が、舞う。
「子供じゃないか……」
シーベラス・ファウンテンが、アスカを見て唖然とする。
「当たり前でしょ。アタシはまだ14歳」
「…………」
シーベラス・ファウンテンが、絶句した。
「さて、無駄話はこれでおしまい。この世の名残に美少女を見れたんで満足でしょ」
アスカが、婉然と微笑んだ。
「本当に14歳か? 一人前の女じゃないか」
「愛を知った少女は、女になるのよ。命を、存在を賭けた愛を向けられてごらんなさい。それにひきあうのは、命がけの愛だけしかないわ」
アスカは、そこで口をつぐんだ。
仕切の向こうでは、部屋をモニターしているリツコが、唇を噛んでいた。
「時間がない」
ジャミングが切れれば、刑務所から連絡が直ぐに国連へ行く。となれば、ハインツマンに知られるのは、避けられない。
居場所がばれたとシンジを動かされてしまえば、この作戦は失敗に終わる。
貴重な時が費やされていく。
だが、アスカは揺るがない。表情一つ変えることなく、シーベラス・ファウンテンの前に立ち続けた。
「そんなに好きか? サードチルドレンのことが」
一時間ほど時間が過ぎたところで、シーベラス・ファウンテンが、問うた。
「無駄な確認をしないで」
アスカは、相手にしない。
「そうか」
さらに30分が経った。
「ネルフに目をつけられては、ハインツマンも終わりだな」
シーベラス・ファウンテンが、ため息をつく。
「初島だ」
シーベラス・ファウンテンが、告げる。
「ハインツマンの隠れ家は、初島にある廃業したリゾートホテルだよ」
初島なら、ここから船で直ぐのところである。
「ありがとう」
アスカは素直に頭をさげる。
「疑わないのか? 」
シーベラス・ファウンテンが、問う。
「疑っている暇はないの、アタシには。無駄でもいい。初島を除外できるだけでも、意味はある」
アスカが、再び目出し帽をかぶる。
「サードチルドレンも大変だ」
シーベラス・ファウンテンが苦笑する。
「とんでもない女に目をつけられたな」
「あら、目をつけたのは、シンジからよ」
アスカは、目出し帽から見える碧眼をウインクさせた。
「あと一時間しかないわ」
アスカが出てくるのを待っていたリツコが、時計を見る。
「ミサトには連絡したから、船は、新熱海アリーナに10分で来る。初島までは、30分ほどでいけるから、なんとか奇襲できるわ」
ミサトの班とアスカの班を合わせても十四名しかいない。
向こうの警備状況がわからない現状では、正面突破は避けるべきであった。
「急いで」
車は、5分でアリーナに着いた。
「聞いたわよ」
ミサトが、船で待っていた。
「アスカ、間違いなく、これがラストチャンスよ。いい? 口ごもることさえ許されないわ。シンジ君がアスカを見て逃げだしたら、なにもかもご破算よ」
「わかっているわ」
アスカは強く首肯した。
クルーザーは、最高速で初島に向かう。
「まずいですね。こんなことならミサイルを少し残しておくんでした」
日向が、ミサトに言う。
「違うわよ。日向君。あのとき、ミサイルを全部使ったから、みんなここに居られるのよ。けちっていたら、作戦自体が失敗していたかも知れない」
ミサトが諭す。
「そうですね」
日向は、きらめく目でミサトを見る。
「因果だね」
それを見た青葉が、笑った。
「見えてきたわ。各員、装備点検」
ミサトが命じる。
「作戦は、ないわ。強襲するだけ。小細工する間がないからね」
ミサトの言葉に全員がうなずく。
「みんなには悪いけど、アスカの進む道を開けて欲しいの」
ミサトが、全員の顔を見る。
「アスカ」
ミサトがアスカに顔を向ける。
アスカが、目出し帽をもう一度脱いだ。
「アタシとシンジの結婚式に全員招待するから。欠席したら許さない」
アスカが、一人一人に目をやる。
クルーザーの中が寂とした。
「じゃ、俺はその場で一曲披露するよ」
青葉が、そう言って沈黙を破る。
「おまえのギター……ミサトさんのカレーより、ましか」
日向が、笑う。
皆の雰囲気が一瞬和らいだ。
「じゃ、行くわよ」
船着き場にクルーザーを強引に止めると、ミサトは、戦闘服を脱ぐ。中から、落ちついたブルーのビキニを纏った、30を超えたと思えない肢体が現れる。
「日向君、頼むわね」
ミサトに言われた日向が、置かれていた狙撃銃を手にする。
「アスカ、見てなさい。こうやって男は落とすのよ」
ミサトは、ウインクすると船縁から、桟橋へと上陸した。
船着き場にも当然監視所はある。
そこに二名が詰めていた。
「おい。あの船、こっちに向かってきてないか? 」
一人が、アスカたちの乗ったクルーザーに気づいた。
「あれか。どうせまた、新熱海アリーナを出た金持ちが、ここをリゾートホテルだと思ってやってきたんだろ」
もう一人が、あくびをする。
すでに時間は午前3時半を回っている。
「それにしては、おかしな時間だろう」
最初の一人が、注意を促す。
「そうかあ。夜釣りの帰りならおかしくないぜ」
二人目は、やる気があまりない。
ここの配属されて数ヶ月、たった一度も襲撃らしいことがなかったことが、緊張感を削いでいる。
それに内部でVIPの警固にあたっている連中と違い、監視所へ配属されるのは、一段下に見られる。当然報酬も低い。モチベーションが保てないのである。
「いや、警戒するのが仕事だ」
最初の一人が、サブマシンガンを手に、停泊したクルーザーにスポットライトをあてる。
そのまま監視所を出て、慎重に近づいていく。
「くそまじめな奴だ」
残された二人目が、あきれた。
「止まれ」
一人目が、クルーザーから降りたったミサトを制止した。
「はあああい」
ミサトが軽く手を振って微笑む。
「おおっ」
気怠そうに椅子に背をもたれさせていた二人目が、ぐっと身を乗り出す。
サーチライトに照らされて、顔など細かいところまでは視認できないが、浮かびあがった影は、男なら垂涎ものだった。
「プレイメイトの慰問なんて聞いて無かったぞ」
二人目の男の最後の言葉だった。
監視所から顔を出した二人目の男の額に、穴が開き、後頭部から盛大に脳漿が飛び散った。
「えっ」
同僚の倒れる音に、一瞬振り返った一人目目掛けて、ミサトが走る。
「悪く、お・も・わ・な・い・で・ね」
ミサトが男の頭を両手で押さえると、勢いを載せた膝蹴りを顎に撃ちこんだ。
顎の骨を折るのが目的ではないミサトの一撃は、のど仏と舌骨を砕いて、男の意識を刈り取った。
ミサトは男からサブマシンガンを奪うと、すばやく辺りを警戒する。
そこへミサトの戦闘服を持って日向たちが駆けてきた。
「聞かれましたね」
日向の手は手にしていた狙撃銃を軽く持ちあげてみる。
「夜だからね。甲高いライフルの音は、響いたはずよ」
ミサトは衣服を身につけていく。
「じゃ、行くわよ」
十四人は一斉に銃器の安全装置を外した。
浅い眠りに落ちていた島津カスミが、かっと目を見開く。
「ライフル? 狙撃銃の音。一発だけ」
カスミはベッドから飛び起きる。
暗殺者の常として、いつでも動ける格好をしている。
「ちょっと露出が過ぎるか。無茶は、できないな」
カスミが苦笑した。
碇シンジの籠絡が目的の一つである。カスミは、その魅力的な身体のラインを十分に見せつける衣服を選んで身につけている。
胸ぐり開いたタンクトップに、尻の見えそうなショートカットのジーンズパンツは、ミサトと遜色ないラインを余すことなく、強調している。
「さて、依頼変更か。これもシンジ君が悪いのよ。君がさっさとあたしを抱いていれば、殺さなくて済んだのに」
枕元に置かれていた小さな薄刃の刃物を、左手の中に握りこむ。背中から心臓に、右から肝臓に、そのどちらでも致命傷を与えられる、隠し武器である。
カスミは、ベッド脇の椅子にかけてあった上着を羽織ると、与えられている部屋を出て、二階上のシンジの居室へと向かった。
狙撃の音に気づいたのは、カスミだけではなかった。建物一階で宿直していたガードもすぐに反応した。
「桟橋監視所、どうした? 」
連絡には、何一つ返ってこない。
「ちっ。非常警報」
ガードは、目の前の黄色のボタンを押す。全館にアラートが鳴り、エレベータが停止する。
「おい、行くぞ」
一階で宿直勤務に就いていた三名が、急いで海からのルートである地階プール出入り口を抑えにかかった。
「やっちゃって」
ミサトの言葉に青葉がうなずいて、手持ちのサブマシンガンを乱射する。プールサイドのガラス窓が一瞬で破壊された。
日向が狙撃銃を撃った。
プールサイドの出入り口で様子を窺うために首を出したガードが、後ろから引き倒されたように消える。
そこから銃口だけが出て、乱射を返してきた。
「見もしないで当たるわけないでしょうに」
ミサトが、胸につけていた手榴弾を取り、安全装置を外して3数えたあと、投げた。
「うわっ」
男の悲鳴を追うように、爆発が起こった。
「さっ、次」
壁や床に咲いた赤い染みを踏みつぶして、ミサト達は上層階へあがっていく。
「手榴弾か? 」
警備総本部でガードのチーフが、舌打ちをする。
「一階エレベーターホールの監視カメラに敵が映りました」
部下がモニターを指さす。
「十四人か。多いな。武器は……携帯ミサイルもバズーカも無い。なんとかなるか」
チーフが、画面を覗きこんだとき、画面が砂嵐になる。
ミサトがカメラを撃ったのだ。
「やつらの目的は、サードチルドレンの奪還だ。幸いにも今夜は事務総長閣下はお見えではない。我々の警備対象をひとつに絞れる。全員を5階に集めろ」
「了解ですが、ヘリポート警備班の三名は、どうします。合流させるとなると、敵と遭遇する可能性が高いですが」
部下が問う。
「来させろ。うまくいけば挟み撃ちにできる。悪くしても敵の二人や三人減らしてくれるだろう。それぐらいは、ギャラのうちだ」
チーフが淡々と言う。
部下が通信機に喋る。
「この部屋も放棄する。トラップを忘れるな」
チーフが、命じる。
シンジも目を覚ましていた。
「この音は……」
思いだしたくない記憶が蘇ってくる。
第17使徒ダブリスこと渚カヲルを倒し、アスカを汚した後、戦自がネルフ本部に侵攻してきたときに耳にした音である。
「僕が目的? 」
シンジは、すでに弱い14歳の少年ではなくなっている。護るべき女を見つけた少年は男になる。
シンジは、すばやく身を起こすと寝間着代わりのジャージを脱いで、普段着に着替えた。しっかり靴も履く。
スニーカーの紐を締め終わったところに、島津カスミがやってきた。
「あら、用意が良いのね。まだ寝ていると思ったのに」
カスミがちょっと驚く。
「音がしたものですから」
シンジは、立ちあがった。
「どうやら、世界の救世主サードチルドレン碇シンジを殺しに来たようよ」
カスミが、シンジの顔色をうかがう。
「そうですか」
シンジは、ちらと嫌そうな表情を浮かべる。世界の救世主の呼称が嫌いなのだ。
「随分、落ちついているわね」
カスミの声が少し低くなる。
「二度目ですからね」
シンジは、窓際から離れた壁面に背中を預ける。
「カスミ先生こそ、はやく避難してください。危ないですよ」
「あら、ここ以上に安全なところはないはずよ」
カスミが笑う。
シンジの居室となっているここは、大口径ライフルの直撃に耐えられるように補強されている。さすがに窓ガラスは防弾でしかないが、それでもマシンガン程度なら防げる。
「そうですね。もうすぐ、警固の方たちも来てくれるでしょうし」
シンジもうなずく。
「あたしたちは安心していればいいの。ねえ、シンジ君。騒動がおさまるまで、お話をしない? 」
カスミが、シンジの右隣にもたれる。
「いいですよ」
「じゃ、あたしから質問。シンジ君、本当は好きな女の子がいるんでしょ? 」
カスミが、さりげなく右手と左手を身体の前で握り合う。刃物が右手に移動する。
「……います」
少しの間をおいて、シンジが応える。
「やっぱり。でも、いままでそんなこと言わなかったじゃない」
カスミが、不満そうに口を尖らせる。
そうすると歳よりも若く見えるカスミにシンジは苦笑した。
「言えなかったんですよ。いや、口にする勇気がなかったんです」
「じゃ、どうして言えるようになったの? 」
カスミが訊く。
「あの音でしょうねえ。死を連れてくる音……僕にとっては後悔の響きなんです」
シンジが、灯りの消された天井を見あげる。
「僕の罪の音なんです」
シンジが耳を澄ませる。銃撃戦の音は確実に近づいていた。
「後川が、足をやられました」
日向が、叫ぶ。背後から回ってきた敵に、撃たれて最後尾にいた作戦課員が、傷を負った。
「そう」
ミサトが前線からさがる。
「悪いけど、人手を割いてあげることはできないの。ここで待っててくれる? 帰りに拾っていってあげるわ」
ミサトが、倒れている後川に言う。
「お願いしますよ。僕、シンジ君とアスカちゃんの披露宴楽しみにしているんですから」
後川が、自分で撃たれたところに血止めをしている。右足は太股のあたりを酷くやられている。治っても歩くことはできないだろう。
「忘れないわよ」
ミサトは約束すると、前に戻っていく。
背後から来た敵は、こっちの反撃で沈黙させていた。
「2階には誰もいません」
前からの抵抗はない。
「どうやら、本命のところに兵力を集中しているようね」
ミサトが、言う。
「だと思います」
日向が首肯する。
「だけど、途中を見すごすことはできないわね。時間がかかるけど、虱潰しで行くしかないわ」
ミサトは3階への階段を指さす。
すでに三名を反対側にある非常階段にまわしている。本隊は十名に減っていた。
「不意打ちに注意して」
先頭を目の良い青葉が進み、それをフォローするように二名が銃を構えて続く。
「大丈夫です」
3階の階段口まで確認した青葉が、声をかける。
アスカたちは、その声を聞いてから階段を上がった。
一つ一つの部屋を開けて確認していく。
5つ目の部屋の扉を引いた途端、爆発が起こった。
「うわああ」
青葉ともう一人の作戦課員が吹き飛ばされる。
「しまった。トラップ」
ミサトが唇の端を噛んだ。
その怖れは、十分に考えていたが、いちいちそれに対応していては、シンジを探すのに時間がかかりすぎる。増援ののぞめないネルフと違い、あちらは国連軍を動かせる。一分が致命傷になりかねない。
「大丈夫か? 」
日向が、青葉たちに近寄る。爆発は対人地雷であった。扉と対人地雷のセーフティを細い糸で繋ぐ。扉が引っ張られるとセーフティが外れる単純な仕掛けであった。
殺すよりも敵兵を傷つけることを目的とした対人地雷は、小さな鉄球をまき散らす。そのほとんどをアーマーと特殊ヘルメットが止めたが、アーマーの無いところは、被害をまともに受けた。
青葉の左手は、肘からだらりとさがり、もう一人の作戦課員は、左膝から下が穴だらけであった。
「悪いわね。あなたたちもここで待っていてくれる」
ミサトは、冷たく告げる。
「了解です。後から追ってくる奴は、ここで止めて見せますよ」
青葉が、右手でサブマシンガンを構えた。
「頼んだわ」
ミサトの号令で再び、進軍を開始する。
アスカは、建物に入ってから一言も口をきいていなかった。
「僕の好きな子は、元気で、可愛くて、綺麗で、やさしくて、そしてすごく弱い娘なんですよ」
シンジの顔に微笑みが自然と浮かぶ。
「元気で……弱い? 」
カスミが、くり返す。
与えられた情報の中で、それに対応する少女のデーターを探すが、合致する者はない。
「ええ。上辺は強く、何者にも負けない輝きを放っているんですが、その実は、誰かに縋りたいとずっと思っている脆い女の子」
「そうなの。で、シンジ君はその子のどこが好きなの? 見た目、それとも性格? 」
カスミがやゆする。
「さあ? 」
シンジが首をかしげる。
「さあって……好きなんでしょう? 」
「最初は嫌いでした。今よりも僕はずっと子供でしたから。彼女が一番上に纏っている鎧だけしか見えてなかったですから。傲岸だと思ってました。言葉で馬鹿にされ、酷いときは殴られたり、蹴られたりしました」
「あらまあ。それは酷いわね。女の子のすることじゃないわ」
カスミが、あきれた声をあげる。
「でも、その娘と作戦の都合で同居することになったんですよ。そこで、僕は、彼女の鎧の下が、柔らかい傷つきやすい心だって気づいたんです。その時からでしょうね。たぶん、彼女のことが好きになったのは」
シンジが、思いだすように目を閉じる。
「それって、セカンドチルドレン? 」
カスミが気づいた。
「はい」
シンジが認めた。
「で、シンジ君は彼女に気持ちを伝えたの? 」
「いいえ。僕は、彼女を支えることはできませんでした。使徒との戦いで僕も彼女も他人を気づかうだけの余裕を無くしましたから。そして、僕は逃げだした」
シンジが、力なく肩を落とす。
「親友を僕は殺すところでした。そうしむけられたんです。僕は、戦うだけの気力を失って、彼女もなにもかも捨てて逃げだしました」
「そう……」
「それも彼女を追いつめる原因になったんです。エヴァのパイロットは、三人しかいません。そのうちの一人が居なくなれば、残る二人にかかる負担がどれだけ増えるか。その時の僕にはわからなかった。いや、わかっていたけど、どうでもよかった。僕はあの時、彼女が伸ばしている手に気づいていながら、振り払ってしまった。どうして僕だけが、こんな辛い思いをしなければならないんだろうって、自分だけが可哀想だったんです」
シンジが、吐きだすように言う。
「使徒に敗れた彼女は、ついに自分の居場所を無くして、壊れてしまいました。僕は、その時もなにもしなかった。彼女がどこにいるか、どうなっているかも気にしませんでした。彼女の刺すような目つきを思いだすと、怖くて。なんで僕は一方的に彼女に責められなきゃいけないんだ。僕がなにをしたっていうんだ。僕は、そうやって彼女と向かいあうことから逃げてました。そして、サードインパクトが起こったんですよ」
シンジが、唇を噛む。赤い血が流れた。
「終わってみたら、彼女も僕も生きてました。無傷だった僕と違い、彼女は大怪我をしていました。その傷は僕のせいなんですよ。もう少し僕が立ちあがるのが早ければ、もう少し僕が彼女のことを大切に思っていれば、こんなことにはならなかった。だから、僕には彼女のことを好きだとは言えません。本当に好きなら、助けに行けたはずなんです。僕にはそれだけの力があった。エヴァンゲリオン初号機という力が……」
「シンジ君……」
カスミが、そっとシンジの頭を胸に抱えこむ。シンジの鼻に女が匂う。
「お姉さん、ちょっと妬いちゃうわ。あたしもそんなに想ってもらいたかったなあ」
うらやましそうに、カスミが言う。
「カスミさんなら、すぐにいい人が見つかりますよ。こんなに綺麗で可愛いんですから」 シンジが、二つの膨らみの隙間から声を出す。
「ありがとう。やさしいのね、シンジ君は」
カスミの声が柔らかくなる。
そこへ、扉を開けてガードのチーフが入ってきた。ちらとシンジとカスミに目をやるが、言葉もかけずに扉の影に立つ。
開けられた扉から、一層大きくなった銃撃戦の音が聞こえたが、すぐに閉じられた。
ミサトが階段室の踊り場で、皆の顔を見る。
「いよいよ、最上階の5階よ。シンジ君は間違いなくここにいる。みんな、頼むわね」
アスカを除く全員が力強くうなずく。
ミサトが、そっと手鏡を出して廊下の様子を窺った。
「オスカー発表のスターになった気分よ。廊下の両側にずらりとお出迎え。空いているのは中央の赤絨毯だけね」
ミサトが、笑う。
「どうやら、シンジ君は突き当たりの部屋のようね」
シンジの名前にアスカの雰囲気が変わる。
「じゃ、戦闘……開始」
ミサトが、真っ先に身体を投げだして転がりながらサブマシンガンを乱射する。
5階の廊下で銃撃戦が開始された。
「手榴弾」
日向が部下から手榴弾を受けとると、ピンを抜いて転がした。
「葛城さん」
ミサトが頭を伏せる。閃光がして、敵の銃撃が一瞬止まる。
アスカが飛びだした。
「だめ、アスカ。まだ」
ミサトが慌てて後を追う。
「二人をやらせるな」
残った八名が、廊下に並んで弾幕を張る。
敵が首をすくめている間をアスカとミサトは駆けぬけた。
一番奥の部屋にたどり着いたアスカを、ミサトが強引にひきとめた。
「…………」
無言でアスカを後に突きとばすと、ミサトがドアを開けた。
飛びこんだミサトを、待っていたガードのチーフが手にしていたナイフで襲う。ミサトはそれを肘のプロテクターで受けた。
チーフの動きは流れるようである。ミサトは肩にかけたサブマシンガンを撃つこともできない。二人は、格闘戦に入った。
アスカは、一度よろめいたが、そのまま起きあがって、ミサトの後を追うように部屋の中に足を踏みいれた。流れ弾がアスカのアーマーに当たるが、ショックだけで弾は通らなかった。
がたんと扉が開いた。
チーフと侵入者が、戦いを始める。
シンジはカスミの胸から顔を起こして、背中をむける。
「……シンジ君」
かばわれたカスミが、驚く。
そこへ、二人目の侵入者が飛びこんできた。
カスミが、右手の中の刃物を指で押し出す。そっと右手をシンジの肝臓近くにあてる。
カスミの目が冷たく光った。
踏みこんだアスカは、入り口付近で戦うミサトとチーフ、そして壁際に立っているシンジと見たこともない女に気づいた。
シンジが必死に女を護ろうとしていることに、アスカの中で嫉妬心がふくれあがる。女を凝視したアスカは、女の右手の先が小さな光を反射し、そして妙な動きでシンジの右脇腹へと動いていくことに気づいた。
声をかける間はなかった。
アスカは手にしていた拳銃を女に向けて、引き金を引いた。
二人目の侵入者が、銃を構えた。
シンジは、ぐっと侵入者を睨みつける。目出し帽から見える双眸に、対抗心をこめて視線を送った。そして、呆然とした。
「ア、アスカ……」
シンジは、瞳だけでわかった。
アスカの拳銃が、カスミに向けられる。
シンジは、カスミの上に重なるように動いた。
甲高い音がして、シンジの右胸に赤い穴が開く。
「なにを……」
アスカは倒れていくシンジに呆然とする。
「えっ……」
カスミは、シンジの行動に驚きの声をあげた。
一瞬遅れて、つきだされた刃物は、カスミの動揺を表すように、肝臓でなく肉を裂いただけで滑った。
「くっ」
カスミは、動けなくなっているアスカの隣をすり抜けて、逃げだした。
「シンジ君……」
チーフの腹に一撃を喰らわせて、昏倒させたミサトが、状況を把握して叫ぶ。
ゆっくりとシンジが倒れる。床に赤い絨毯が拡がっていく。
重い音に、アスカが我に返った。
「シンジ、シンジ、シンジィ」
アスカは、拳銃を投げすてて、シンジに駆けよる。
「しっかりして、シンジ」
アスカはシンジの頭を抱きかかえた。
「ア、アスカ……」
シンジが、荒い息の中からアスカを呼んだ。
「来てくれたんだね。会いたかった。アスカに。ずっと後悔していた。格好つけて、アスカを救った気になったことを。ご、ごめん……」
シンジの意識が落ちた。
「なに格好つけているのよ。起きなさいよ。アタシにシンジが好きだって言わせなさいよ。ねえ、シンジ目を開けてよ。アタシを護りっぱなしにしないでよ」
アスカが、シンジの頭を揺する。
「揺らしては駄目よ。アスカ、落ちついて、血止めをしなさい」
ミサトが、アスカに静かに命じる。
「リツコ、シンジ君が撃たれたの。ヘリを急いで寄越して」
ミサトがインカムにわめく。すでにジャミングの時間は終わっていた。
六時間におよんだシンジの手術は無事に成功した。
「また知らない天井だ」
丸二日たって、意識を取りもどしたシンジが、つぶやいた。
「気がついたようね」
シンジは、声のした方を見る。
腕組みをして、目をつり上げたアスカが、立っていた。
「アスカ……うっ」
シンジは、身体をアスカに向けようとして、痛みにうめいた。
「馬鹿、動くんじゃないわよ。死にかけたのよ、アンタは」
シンジの肩を、アスカがベッドに押さえつける。
「アスカに殺されかけたの間違いじゃないかなあ」
シンジが、苦笑した。
「ほう、しばらく会わないうちにおっしゃるようになられたわね。無敵のシンジさま」
アスカの声は尖っている。
「怒っている? アスカ」
シンジが訊いた。
「ええ。これ以上ないって言うほどね。今なら素手で量産機ぐらいなら引き裂けそうよ」
アスカが、すさまじい笑顔を浮かべる。
「いくつか問いただしたいことがあるけど……まずは、これから訊かせてもらうわ」
「な、なにかな? 」
アスカの迫力に、シンジが脂汗を流す。
「シンジは、すぐに入ってきたのがアタシだって気づいたわよね」
「うん。アスカの瞳の色を忘れるはずない」
シンジがうなずく。
「なら、アタシが銃を向けたとき、シンジはどうしてあの女をかばったの? 」
「ええと、カスミ先生のこと? そう言えば、カスミ先生は無事? 」
シンジが、思いだしたように問うた。
「なんで、なんでなのよ。あの女がそんなに大切なの。アンタの命よりも? 」
アスカは、悲鳴のように喚く。
「どうしたのさ? 当たり前じゃないか、カスミ先生は僕の家庭教師をしてくれていたんだよ。僕のことで事件に巻きこんだ。気にするのが当然じゃないか」
シンジはまだわかっていない。
「アタシが撃ったってわかっていながら、命を賭けてかばうほどあの女が好きなのね」
激昂していたアスカの気が、急激にしぼんでいく。
その様子を見て、ようやくシンジは理解した。
「違うよ。僕が好きなのは、カスミ先生じゃない」
シンジが、静かに否定した。
「じゃ、なぜかばったのよ。あいつは、シンジの肝臓に刃物を突きたてようとしていたのよ。アタシは、それを見たから撃ったのに」
アスカの気が再び憤慨へと向かっていく。
「そうだったんだ。カスミ先生も……」
シンジが、暗い表情をする。
「ねえ、答えてよ」
アスカが、シンジにせまる。アスカとしてみれば、会っていない間に籠絡されたんじゃないかと気が気でないのだ。
「……アスカを人殺しにしたくなかったんだ」
シンジが、間をおいて、小さな声で語った。
「馬鹿じゃないの。アタシはもう戦略自衛隊の連中を千人近く殺したのよ。今更一人ぐらい増えても変わらないわ」
シンジの応えにアスカが、驚く。
「兵器ごと破壊するのと、目の前で殺すのは違うよ。アスカ。人をその手で殺すのは、辛い。目の前で命の火が消えていくのを見るのはたまらないよ……」
シンジが、せつなそうな顔をする。
「その映像と衝撃は生涯忘れることができない。未だに僕の手の中には、カヲル君を潰したときの感触が残っているんだ。好きだって微笑んでくれたのに。生き残るのは君だって言ってくれたのに。僕は、カヲル君を殺した」
シンジが、ベッドから右手を挙げるとそっと握りしめた。
「自分の手で、他人の命を奪う。アスカにその思いはさせたくなかった。夜中にうなされて飛び起きるのは、僕だけで十分だよ」
シンジが、涙をこぼした。
アスカが、そっとシンジの涙を人差し指で拭う。
「アンタは相変わらずね。ちょっとは成長したかと期待したけど、馬鹿シンジのままじゃない」
そう言いながらも、アスカの眼には涙が浮かんでいた。
「ずっと人のことばっかり考えて……自分が傷つくことを選ぶなんて……こんな馬鹿、世の中に二人と居ないわよ」
アスカが、泣き声を出した。
「アタシが側にいないと、やっぱり駄目ね」
「……アスカは、僕のこと嫌いなんじ……」
気になっていたことを口にしたシンジの頭を、アスカはげんこつで殴った。
「それ以上言うと、殺すわよ」
アスカの眼は、真剣である。
シンジは、黙って首を振った。
無言の時が流れた。
シンジが、沈黙に耐えられなくなる。
「ねえ、アスカ。僕にはなにがどうなったのか、全然わからないんだけど。説明してくれる? 」
ずっと閉じこめられていたシンジは、状況が飲み込めていない。
「説明? そんなもん、要らないわよ」
アスカが、じっとシンジを見つめる。
シンジもアスカから目を離さない。
「アンタはこれだけ知っていればいいの。アタシ、惣流・アスカ・ラングレーが、アンタ、碇シンジを、大好きだってことだけをね」
アスカは、晴れ晴れとした顔で告げた。
了