護られし者の決意

タヌキさん
前三作の続きでございます。そちらからお読みくださいますようお願いします。

 国連軍刑務所での加持リョウジとの面会を終えて帰ってきたネルフ作戦部長葛城ミサトの表情は厳しい。
 普段のおちゃらけた表情とは、まったくの別物である。
「どうだった? 」
 出むかえたネルフ技術部長赤木リツコが問う。
「いろいろしゃべってくれたけどね……」
 ミサトの返事は、はっきりしない。この考え事に夢中になっている状態のミサトこそが、もっとも能力を発揮しているときだと知っているリツコは、声を掛けるのを止めて自分の仕事に戻った。
 発令所のドアが開いて、アスカが顔を出す。
「ミサトが帰ってきたんだって」
 そのアスカもミサトの様子に気付いて口を閉じる。
 計ったように5分でミサトが復帰した。
「ああ、アスカ、来てたの」
 ミサトがにこやかに笑った。
「会えた? 」
 アスカは端的に問うた。
「ええ。10分だけだけどね」
 一瞬ミサトの頬が紅くなる。
「よかったじゃない」
 アスカが微笑んだ。
 かつてアスカは加持のことを好きだと公言していた。それは、責任有るエヴァンゲリオン弐号機専属パイロットとして、子供であることを許されなかった少女の精一杯の背伸びであったが、アスカはそれを恋だと思い、加持の想い人であるミサトに敵愾心をもやしていた。
 いわば恋敵であった女に心からの歓びの笑顔を向けられるようになったアスカは、確実に成長している。そのことにリツコもミサトもマヤも嬉しそうであった。
「へへえ。プロポーズされちゃった」
 ミサトが嬉しそうに告げる。
「ふうん」
「そう」
 アスカとリツコの返事は冷たい。
「喜んでくれないの? 」
 ミサトが、残念そうな顔をする。
「あったりまえじゃない。ミサトいくつになったと思ってるのよ。男にプロポーズされたぐらいで浮かれちゃって。19や20歳の小娘じゃないんだから」
 アスカは自分がまだ15歳になっていないことを棚に上げて怒る。
「ミサト。あなた加持君の留守番電話の内容をどう思っていたのかしら? あれがそうじゃなければ、世界中のプロポーズは、全部結婚しようだけに規制するべきね」
 リツコがあきれて言う。
「あははははは……」
 ミサトが笑ってごまかした。
「どうでもいいからさ、そんなことは。加持さんの脱獄用意はできたの? 」
 アスカはミサトに厳しい言葉をかける。
「どうでもいい……酷い。アスカ」
 ミサトがすねる。
「ああ、時間が惜しいの。シンジを助け出した後なら、ミサトののろけ一日でも聞いてあげるから」
 アスカがせかす。
「約束したわよ」
 ミサトは、アスカに念を押してから刑務所でのことを話した。
「なるほど、夕方の五時に刑務所の東北隅を破壊すれば、加持さんが脱獄してくるということね」
 アスカが首肯した。
「違うわ」
 リツコがアスカの言葉を否定する。
「えっ? だって今のミサトの話を他にどうとれっていうのよ? 」
 アスカが怪訝な顔をした。
「三重スパイの言葉を素直に取るようじゃ、話にならないわよ」
「じゃ、どういう意味なのよ」
 アスカの疑問に答えたのはミサトである。
「加持は脱獄しないわ」
「へっ? 」
 アスカが間抜けな声を発した。
「脱獄しないって……その相談にいったんでしょ? 」
「相談と言うより打ち合わせよ」
 ミサトが笑う。
「打ち合わせ? 」
「ええ。いつどこを破壊するかだけのね」
「前もって連絡したわけじゃないんでしょ?  なのにどうして短時間でそこまで具体的な話ができたのよ」
 アスカが驚く。
「あら、知らなかったの? 本当に心まで通じ合っている男女は、距離を超えて分かり合えるのよ」
 ミサトがやたら大きな胸を、大きく張って自慢する。
「そんなものなの? 」
 アスカはまだ納得していない。
「もうすぐわかるようになるわ。アスカもね。本当にすべてをかけて愛すれば、言葉は要らないの」
 ミサトが、優しく諭す。
「そうなれるかな? 」
 アスカが泣きそうに瞳を揺らせる。
「アタシ、シンジと通じ合えるのかな? ずっとシンジがアタシのことを想って、無理していてくれたのに、アタシはまったく気がつかなかった」
 アスカが俯く。
「それに、こんなにもアタシがシンジのことを好きだって、帰ってきて欲しいってずっと願っているのに、シンジには伝わってない……。アタシはシンジと繋がっていない」
 アスカの肩が震える。
 ミサトがそっとアスカの肩を抱いた。
「馬鹿ね。それで良いのよ。あなた達は、今は恋している時期なの。互いに相手のことが好きで好きで、どうしようもなく、どうやって相手を自分にふり向かそうか必死になっている状態。それは、同時に相手のことを考え切れていないことでもあるわ」
 ミサトが厳しいことを口にする。
「恋は悪いことなの? 」
 アスカが弱々しい声で訊く。
「悪いことではないわ」
 リツコがアスカに優しい声をかける。
「恋はすばらしいものよ」
 伊吹マヤがうっとりと言う。
「でもね。アスカ。恋は盲目という言葉の通りなのよ」
 2人の後をミサトがひきとった。
「…………」
 アスカは真剣な顔でミサトを見つめる。
「シンジ君のことを思いだして……」
 ミサトがアスカの為に一拍の時間をおく。
「シンジ君はあなたに恋をした。それがいつからなのかはわからない。全てが終わってからだったかも知れない。ひょっとしたら、初めて会ったときからかもしれない。とにかくシンジ君はアスカを好きになった」
 ミサトに言われて、アスカが真っ赤になる。
「好きになったら、その人のためになにかしたい、そう思うのが普通。アスカだって、シンジ君と再会できたら、ああしてあげよう、こうしてあげようと思っているでしょ」
「うん」
 アスカは小さくうなずく。
「シンジ君もそうしたかった。だから、わざと嫌われるようにして、アスカの心の傷を癒そうとした」
「そんなの勝手よ。アタシはシンジにそんなことをして欲しいなんて思ってない」
 アスカが、激する。
「そう。シンジ君はアスカの本当の気持ちを無視した。これが恋は盲目と言われる由縁なのよ。でも、それがもう一歩進んで愛になれば、相手のことを本当に考えるわ。そしたら気付くのよ。簡単なことに」
「なんなの? 」
 アスカはミサトに問いかけた。
「愛は一方通行じゃ駄目ってことにね。自分が相手を愛するように、相手からも愛して貰う。これが出来たとき、愛は完成される。一方的な想いだけでは愛は成りたたないの」
「だから、アタシとシンジは、まだ恋だというのね」
「そうよ。お互いに相手のことが好きでたまらなくて、それ以上のことを考える余裕がないから、自分を犠牲にしてでもなんて、悲劇の主人公になりたがる」
「わかった。アタシはバカシンジとは違う。シンジがアタシに恋しているなら、アタシはシンジを愛してあげるわ」
 アスカは、胸を張って宣した。
「ふふふ。アスカ、あなたはいい女になるわよ」
 リツコが笑う。
「さあ、あなたはもう部屋に戻りなさい。ここから先は大人の仕事。あなたはどうやってシンジ君に想いを伝えるかだけを考えておいて」
「うん」
 ミサトにうながされてアスカは素直に背を向けた。

 アスカの姿が消えるのを待ってリツコがミサトに話しかける。
「巻きこまないで済んだようね」
「ええ。これ以上アスカに報せては、何かあったとき、アスカも無事では済まないから。場合によってはアスカを人質にシンジ君をコントロールしようとするかもしれない。国連事務総長、世界外交の貴族中の貴族たるその地位を護るためなら、あいつは子供の二人や三人殺すことに躊躇することはない」
 ミサトの瞳が光る。
「接点さえなければ、アスカに手を出すことは世論が許さない」
 リツコも厳しい目つきを見せる。
「これ以上、子供達を犠牲にしたら、あたしたちは、あまりに情けなさ過ぎます」
 マヤも加わる。
「さて、仕事を始めましょう。時間はないから」
 リツコのかけ声にミサトとマヤが首肯する。
「ねえ。シンジ君が避難したシェルターって、どこだっけ? 」
 ミサトがリツコに問う。
「ゼルエル戦のとき? なら028シェルターだったと思うけど」
 リツコが答える。
「マヤちゃん。MAGIで国連刑務所に入っている連中をリストアップしてくれる? 」「はい。ちょっと待ってください」
 ミサトの依頼にマヤが指を走らせる。
「でます」
 モニターに名前と経歴が表示されていく。
「うわあ、綺羅星ね。ちょっと前の紳士録を見ている気分」
 ミサトが、驚きの声をあげる。
「あら、アメリカ合衆国前大統領閣下もいるじゃない。こっちは、元フランス議会議長、前ドイツ連邦副首相。元BMモータース筆頭株主、前ペガサス石油CEO……」
 あきれながらミサトは名前を読み上げていく。
 刑務所にいる40名の囚人は、ほぼ全員政財界の大物である。
「加持がシェルターに託して伝えたかったのは、このリストのナンバーに違いない」
 見ていたミサトの息が止まった。
「受刑者番号028、国連安全保障会議事務局長シーベラス・ファウンテン」
 ミサトが呆然と文字を読む。
「元がつくけど。事務総長の懐刀と呼ばれた男よ」
 リツコが、答えるが驚きは隠せていない。
「大物中の大物じゃない」
 ミサトも衝撃を受けていた。
「ええ。実質国連軍を支配下に置いていた男よ」
「そんな大物が、逃げ切れなかったの? 」
 ミサトが訊く。
 国連事務総長グローバル・ハインツマンを例に挙げるまでもなく、ゼーレと関係の深かった政治家や財界人で真の大物が、何人か追求を逃れている。
「ネルフへの国連軍艦隊攻撃の責任を取って、懲役2年だそうです」
 マヤがすばやく罪状を確認する。
「たった2年。ジオフロントの天井を破壊して多くの犠牲を強いたあのミサイル攻撃が………」
 ミサトが絶句する。
「ゼーレの偽情報に踊らされていただけと認定されたからだって」
 リツコが、吐くように言った。
「それが通るの? 」
「仕方ないわ。世界はサードインパクトの衝撃に揺れている。そんなときに国をいくつも吹き飛ばすようなスキャンダルを暴きたてるわけにはいかない。今は、世界の安定を重視すべき。そう国際司法裁判所は判断したんでしょうねえ。裏で司法取引などが行われたのは確実だと思うわ」
 ミサトの文句にリツコが応じる。
「人はサードインパクトを越えても変わらないか」
 ミサトが、大きくため息をつく。
「正義よりも安定を望むものよ。人というものは」
 リツコが、モニターに映し出されたファウンテンの経歴に目を移した。
「ドイツ系アメリカ人。ハーバードの法学部を卒業後、アメリカ陸軍士官学校に入学。ペンタゴンの作戦室勤務、海外駐留アメリカ軍基地参謀を経て、国連軍ヨーロッパ方面作戦参謀。3年前に制服組から事務方へ異動。2年前に安全保障会議事務局長になったエリート中のエリート」
「それほどの人間が、黙って捕まるはずはない。なにかしらあると考えるべきね」
「ええ。マヤ、国連軍刑務所のデーターベースに侵入出来る? 」
 MAGIのリンクは制限を受け、直接繋がっているところは少ない。国連軍刑務所のコンピューターとは、コンタクトしていない。
「待ってください……新東京ドリンコのコンピュータを経由して、外務省、外務省から国連軍の東京司令部にアクセス、そこからハッキングします」
 新東京ドリンコは、ネルフにも商品を置いている自動販売機の会社である。東日本で一番大きく、官公庁にも食いこんでいた。その在庫管理と売り上げ管理のための回線をマヤは使おうというのだ。
「お願いね」
 リツコは、マヤの背中に軽く触れるとミサトに顔を向けた。
 天才と称されるリツコの陰に隠れて、目立たないがマヤも指折りの技術者である。リツコほどの発想力はないが、マシンを扱わせればほとんど遜色ない。
 マヤの指は、キーボードの上で飛びまわり、モニターの映像は、人間の目で追うことさえ難しいほど早く変わっていく。
「侵入しました」
 マヤの声が通る。
「ファウンテンの入所以来の記録を」
「了解」
 リツコの要望に、マヤがすばやく指を走らせる。
「読みとり完了」
「撤収して」
 すばやく接続を切る。
「ばれてない? 」
 ミサトがおそるおそる訊く。
「大丈夫です。新東京ドリンコに侵入するまでにもダミーをいくつか噛ましましたし、大元の発信記録をアメリカのペンタゴンに偽装しましたから」
 マヤが自信ありげに微笑む。
「見なさい、ミサト」
 リツコがミサトをうながした。
「一度も面会も連絡もないわね。でも、当然じゃない。人類の敵と認定されたんだから、家族だって友人だって、関わりたくないわ」
「そうね。でも、なにか裏約束がある人間にとっては不安なものよ。たった2年とはいえ、世間と隔絶される。国連刑務所は普通の刑務所と違って、一切の情報が許されていない。テレビも新聞も見ることが出来ない。そんな中におかれたら不安にならない? 出所できるかどうか、ひょっとしたら情勢が変わって死刑と言われるかも知れない。出てからの約束は守られるのか? なにより、自分を支えてくれる約束の人物が無事かどうか。考え出したら無限地獄よ」
「確かにそうね」
 リツコの説明にミサトも同意する。
「人生の挫折も知らずに出世街道をひた走ってきた人間ほど、情報途絶に弱い。たぶん、2年間は連絡をとらないことにと取り決めていたでしょうけど、そんなもの、闇に囚われた人間には関係なくなる。一度くらい面会に来ても、いや、手紙だけでもくれればと思いだしたら最後、あとは、俺を生け贄の羊にして自分だけ助かるつもりだなと疑心暗鬼になるのはすぐ」
「それに、加持が煽っているでしょうしね」
 リツコの推論をミサトが後押しした。
「加持は、こいつを脱獄させて、その後をつければいいと言ったわけか」
 ミサトが結論を口にした。
「で、いつやるの? 」
 リツコが問う。
「余裕無いからねえ。明日は無理でも数日後には実行したいわ」
「必要なものはなにかしら? 」
「検問所三カ所を無力化する兵器と対地ミサイル。対人監視システムと無人ヘリ」
「無人ヘリとミサイルは、何とかなるけど。一個小隊規模の検問所を無力化するのは、ちょっと難しいわね。ガスか、電磁波か……」
「飲料水に薬を混ぜるのは、駄目ですか? 」
 マヤが口を出した。
「飲料水……」
 リツコが、MAGIのコントロールをマヤから奪うように取り返す。
「やはり」
「どうしたの? 」
 リツコの様子にミサトが反応する。
「国連軍刑務所は、セカンドインパクトで孤立した伊豆半島に設置されている。崩壊した海岸線のお陰で海からの接近は不可能。さらにヘリでさえ降りるのが困難なほど、斜面ばかりの陸地。連絡はたった一本の道路だけ。まさに難攻不落。でも逆に言えば、生活物資は、たった一本の道路に頼るしかない状況になってる。そして、水道管は、その道路の下に埋設されているわ」
「でも、そんなことぐらい、向こうも気づいているでしょ」
「ええ。調べてみたら、一緒に通信、電気のケーブルも埋設されている。自動警備システムが、設置されているわ」
「どんなの? 」
「自走式の小型ロボットよ。大きさは、50センチの胴体に足が4本はえた、蜘蛛というか蟹というか」
「マトリエルみたいなもの? 」
「そうね。ごく微少の振動にも反応して、無差別に攻撃をくわえる。敵味方の識別をしないから、ごまかしもきかない。武器は、高出力炭酸ガスレーザー。そう、医療用にも使っているものの焦点距離の深さを変えたもの。爆発や衝撃はないけど、切断力はボディアーマーなんて豆腐扱い」
 リツコが説明する。
「完璧という訳ね」
 ミサトが天井を仰ぐ。
「そうね。水道管はね」
「妙に余裕があるような気がするんだけど」
 ミサトがリツコを睨む。
「私が気付いてないとでも思っているの? 」
 リツコがミサトを睨み返す。
「えへへっっへ。やっぱりリツコにはばれていた? 」
 ミサトが笑ってごまかす。
「何年、あんたたちとつきあっていると思っているのかしら? 」
 リツコの声が冷たい。
「あのう、なんのお話なんでしょうか? 」
 マヤが戸惑いながら問う。
「ミサトと加持君の会話をそのままに受けとっちゃ駄目と言うことよ」
「リツコの話もね」
「はあ? 」
 マヤがまだわからない顔をする。
「水道管なんてどうでも良いんでしょ。リツコ」
「夕方の5時じゃないわよね、ミサト」
「えっと、5時じゃないんですか? 」
 マヤは最初にミサトの疑問から口にした。
「そうよ。そんな誰にでもばれるような数字をすんなり口にするはず無いわよ。このひねた二人が。シンジ君とアスカじゃあるまいし」
 リツコの目が厳しい。
「あははははあは」
 ミサトが力なく笑う。
「で、何時にどこなの? 」
 リツコが尋ねた。
「深夜1時に刑務所の東南角」
 ミサトが小さな声でつぶやく。
「時間の理由は勘弁してね。あたしと加持の秘密に関わるから。まあ、学生時代の思い出なんだけどね」
「なに今更恥ずかしがっているのかしら? ミサト。あなたから自慢げに聞かされた私が、どれだけあきれたと思っているの? マヤ、この時間はね、ミサトと加持君が一緒に繋がっていた最長記録のことなの」
 リツコがばらす。
「えっ、じゃ、8時間も……。ふ、不潔です。葛城1尉」
 マヤが顔を真っ赤にした。頭を振って妄想に入りこむ。
「リツコったら。ばらさないでも良いじゃない。もう。話を戻すわよ。あと方角は、あのときシンジ君が居たシェルターが、本部からどの方向だったかということ」
「シンジ君の居たシェルターの話の中に二つも情報が……」
 復帰したマヤが目を見張る。
「作戦開始は、深夜1時。なら、その6時間ほど前に水道管にちょっかいをかけてあげればいいわね。人間、そう長時間の緊張は保てない。夕食前の緊張は、夕食を取ることで緩和してしまう。その上で睡眠を必要とする夜半となれば、どうしても注意力と集中力に無理が来るわ」
「じゃ、水道管は陽動ですか」
 マヤが訊く。
「陽動だけじゃないわ。検問所の制圧も視野に入れている。もっとも、本体は、海からのミサイル。ねえ、ミサト」
「ええ。きついのを一発喰らわしてやるわ」
 リツコの言葉を受けて、ミサトが宣言した。

 そのころアスカは、ネルフ本部の地下に設けられている射撃場に来ていた。大人しくしているつもりなどアスカにあるはずもない。発令所で押し問答する時間が惜しかったから、素直に引いたように見せかけただけ。
 甲高い音が続けさまに鳴り、マンターゲットの心臓に穴を穿つ。
「さすがだね、アスカちゃん」
 日向マコトが、撃ち終えたアスカに寄ってきた。
「珍しいね。ここ最近アスカちゃん、射撃訓練をしてなかったと思ったけど? 」
 日向が言う。
 アスカはサードインパクト以後、ネルフを忌避していた。母という幻影を乗り越えたアスカにエヴァは必要なく、ネルフは悪夢でしかなかったからだ。
「うん。必要なかったからね」
 アスカは、空になった弾倉に弾を込めていく。
「必要になったのかい? 」
 日向の問いに答えず、アスカは引き金を絞る。
「シンジ君救出作戦だね」
 日向の言葉に、マガジンセーフティを解除しながら、アスカが肯定した。
「そうよ。アタシがシンジを助け出すの」
 アスカは、三度、フルになった弾倉を装填する。
「現場に出る必要はないよ。危ないからね。アスカちゃんは、本部で待っていれば、シンジ君を連れてきてあげるから」
 日向がアスカに告げる。
 エヴァを使えるのは、チルドレンだけ。それを錦の御旗に、子供達を犠牲にして使徒にあててきた大人達は、敵が人間になった今、アスカやレイを表にたてるような恥さらしは出来ないと、一丸となっている。
「そうはいかないの。シンジは、命を、人生をかけてアタシを救ってくれた。今度はアタシの番。シンジを神様なんかにさせるわけにはいかない。神様じゃ、人の幸せを味わえないもの。アタシには、シンジをこれ以上ないと言うほどに幸せにする義務があるの」
 アスカが、ターゲットを睨みつける。
「それは、違うな」
 静かな声で日向が、口にした。
 アスカが、銃を降ろして振り向く。眼が怒っている。
「幸せは、義務で与える物じゃない。二人で築いて行くものだろ。どっちか一方だけじゃ、幸せはつかめない。幸せは、支合わせなんだ。お互いに支え合う。シンジ君を幸せにするには、アスカちゃんも幸せでなければ」
 日向がアスカを諭す。
 アスカの瞳が和らいだ。
「アリガト。そうよね。でも、心配しないで。アタシは今最高に幸せ。シンジの気持ちを知ることができたから。だから、今度はアタシの気持ちを伝えるの。そのためには、真っ先にシンジに会わなきゃいけない。誰よりも先にシンジに会って、その場で告白するの。シンジに言わせてなんてやらない。生涯、アタシがシンジに先手を打つの。それが罰。アタシを護られているだけの弱い者と勘違いしたアイツへのね」
 アスカが銃を撃つ。ターゲットが揺れた。
「だから、シンジとアタシの間に立ちふさがるやつは、許さない。それが、ミサトでもリツコでもね」
 アスカの声には決意が乗せられている。アスカは、間違いなく実行する。引き金を引くことをためらわない。
「……わかったよ」
 日向は、アスカの断固たる意志にうなずいた。発令所で、アスカ抜きに事を運ぶと決められていたが、日向はそれが無理だと悟った。
「じゃ、僕も頑張らないとな」
 日向も引き金を引く。音は一つに繋がっている。
「凄いわね」
 アスカが感心した。
 日向の売った弾は、見事にターゲットの一点に集中していた。
「これでも現場志望だったんだよ」
 日向が笑った。

 日課としている午前中の課業をこなしているシンジの元へ、背の高い美人がやってきた。
「あなたは? 」
 人の気配を感じてノートパソコンから、顔を上げたシンジは、初めて見る顔に怪訝そうな表情を浮かべる。
「碇シンジ君ね。私は今日からあなたの教育係となった島津カスミよ」
 女性は自己紹介をする。
「ああ、あなたが。グローバル・ハインツマンさんが、おっしゃっていた人ですか。碇シンジです。よろしくお願いします。
 シンジは、ていねいに頭をさげた。
 島津カスミは、葛城ミサトと遜色ない美人である。年齢は20歳を越えたところだろうか。身長は、ミサトよりも少し高く、体重はほとんど変わらない。ミサトより小振りながら、十分以上に女を見せつけるバスト、細いウエスト、垂れてないヒップ。
 顔立ちには好みがあるので一概には言えないが、100人に訊けば90人は綺麗だと言うだろう。
「よろしくね」
 島津カスミが、優しそうに微笑んだ。
「じゃ、さっそく始めましょうか。最初は英語から行きましょう」
 親しい口調で語りかけながらもカスミの目は笑っていない。

 午前中の授業が終わった。
「できるじゃない、シンジ君。先生、驚いた。十分中学校卒業程度の学力はあるわ」
 カスミが、シンジの肩を叩いて褒める。
「ここ最近、勉強するしかなかったので」
 シンジが照れくさそうに頭を掻く。
「そうなの? 彼女と話すとか、デートとか……」
「相手が居ません」
 シンジが寂しそうに俯く。
「あら、世間の中学生は見る眼がないのね。 私ならほっておかないのに」
 カスミが、シンジの背後から頭を抱きかかえる。
「あっ」
 頭を弾力のある膨らみに押しつけられてシンジは驚きの声をあげる。
 だが、すぐに落ち着いた表情になる。シンジは、目を閉じてゆったりと頭を預けた。
「あら、お姉さんショック。シンジ君は女の人の胸に慣れているのね」
 カスミが笑う。
「えっ、いえ、ごめんなさい」
 シンジが跳ね起きるように頭を離す。
「いいのよ。さて、初日はこの程度にしましょうね。ここから先は、ちょっとずつかな。それもシンジ君次第だけど」
 カスミは、ウインクを一つ残してシンジの部屋を出ていった。
 それを見送ったシンジが、つぶやく。
「ミサトさんみたいな女性だったな。そういえば、ミサトさん、元気なのかなあ? 」
 シンジはカスミにミサトを重ねていた。
 ほんの少したばこの香りがするミサトの匂いをシンジは思いだしている。
 ミサトは、なにかあるとシンジをその巨大な膨らみに押さえつけていた。女性経験どころか、女の子と親しく話したことさえないシンジを真っ赤にして楽しむことが多かったが、その実、家族に、触れあいに恵まれなかったシンジに暖かさを教えるためであった。
「飲み過ぎてなければいいけど」
 サードインパクトを越えたミサトは、ずっと微笑んでいた。だけど、シンジには、いつも泣いているように見えていた。加持がゼーレのスパイとして捕まったことを知った日、シンジの前でミサトは号泣した。まだアスカが入院していた頃だ。
 それから一度もミサトは涙を見せなかった。そんなミサトだからこそ、シンジはアスカをトラウマから救い出すための行動に協力を求めた。
 あのときもミサトはシンジを抱きしめてくれた。
 シンジが第三新東京市を去るために立ったホームでも、その胸でシンジを包んでくれた。
 母の温もりをほとんど覚えていないシンジにとって、ミサトはまさに家族だった。
 道具としてシンジとアスカを扱い、二人が壊れかけても手を伸ばしてくれなかったと恨んだこともあった。でも、それをシンジは許せた。
 最終決戦の日、かばって撃たれながらも、ミサトはシンジを男として送りだしてくれた。
「帰ってきたら続きをしましょ」
 ミサトが教えてくれたのは大人のキスではない。生きて帰ってきてとの想いと贖罪。
 一人で投げだされたエレベーターの中でシンジは、ミサトの死を予感して泣いた。
 そして、サードインパクトが起こり、赤い砂浜に取り残されたシンジとアスカを迎えにミサトが来たとき、その瞳に浮かぶ涙に気づいたとき、シンジはミサトを許し、そして決意した。ミサトがしてくれたように、アスカを支えたいと。
「……どうしているんだろう? アスカ……」
 シンジはアスカに思いをはせる。
 母に殺されかかったというトラウマを持つ少女。容姿能力共に群を抜いていた少女は、さらに努力を重ね、13歳という年齢の限界を越えた高見に達していた。
 肉体的にも精神的にも完成されていない子供の容量をはるかに超えた能力は、アスカという名の容器に絶えず圧力を掛け続けた。
 平時なら保てたかもしれない。だが、人類という種の存続を賭けた戦いのプレッシャーによって、容器はひびてしまった。
 その容器をシンジが割ってしまった。
 全てに置いて勝っていなければならない。母親に殺されかけた娘、親に要らないと言われたに等しい子供の唯一の拠り所であった、トップであることで他人に認められ、生きていても良いんだという存在意義。それをシンジはなんの努力もなく奪った。
 アスカは壊れ、シンジはサードインパクトの依り代にされた。
 全てが終わり、全てが始まったあの日。シンジはアスカの首を絞めた。アスカの母、惣流・キョウコと同じことをした。
 シンジは、地獄の枷を自らはめ、茨の道を歩くことを決意した。
「笑っているかな、アスカ」
 シンジを卑下し、罵る。ストレスのはけ口を得ることで精神の安定を取りもどしたアスカは、シンジ以外の人間によく笑いかけるようになった。
 だが、それはシンジとの決別に繋がっていた。アスカの元を離れたシンジは、もうあの笑顔を見ることは出来ない。
「間違っていない」
 シンジは、強い言葉を発する。
 サードインパクト後、シンジに依存しかけていたアスカと恋人同士になり、そして結婚して生涯を共に過ごすという甘美な選択肢を捨てたことを後悔はしていない。
 楽な道は、破滅に続いている。消せなかったトラウマは、どこかでアスカを壊す。二度目の破綻からアスカは立ち直ることは出来ないだろう。
 誰よりも、神の座よりも、アスカを望んだシンジにそれは耐え難いこと。
 シンジは、アスカを失うことを承知の上で、彼女の未来を願った。
「情けないよ。覚悟したはずなのに……アスカ、会いたい」
 シンジは、ノートパソコンの蓋を閉めるとその上に顔を伏せた。

 シンジの部屋から出てきたカスミは、エレベーターで地下にあるグローバル・ハインツマンの執務室に入った。
「お電話ですか……」
 国連軍司令部との連絡を取り合っているハインツマンは、、カスミに少し待つようにと手で合図した。
「そうだ。刑務所の警戒を厳重にしろ。警備兵を増やす必要はない。そんなことをすれば、妙な勘ぐりを入れる奴らが出てくる可能性がある。そうだ、兵士たちの志気をゆるめないようにな」
 直通電話を切ったハインツマンがカスミに向き直った。
「どうだったかね、少年は」
 ハインツマンが、訊いた。
「可愛いわ。あれなら、私も構わないわよ」
 カスミが答える。
「君に少年好きの性癖があったとは知らなかった」
「可愛いものは、可愛い。それだけ。まあ、私だって仕事とはいえ、気に入らない男に抱かれるのは願い下げだしね」
 カスミが、自慢のボディをくねらせる。
「わかっているとは思うが、君の仕事は、碇シンジの不満を抑えることだ。彼にネルフのことを思い出させないようにしてくれればいい」
「任してくれて良いわ。それこそ、24時間私のことしか考えられないようにしてみせるから」
 カスミが笑う。
「情を移さないでくれたまえよ」
 ハインツマンが念を押す。
「誰に向かって言っているのかわかっている? 」
 途端にカスミのまとっていた雰囲気が冷たく変わる。
「うっ。甘き死の天使……」
 ハインツマンが、たじろぐ。
 カスミは、その筋では名前の通ったエージェントである。主な仕事は、男をたぶらかして企業や国家の情報を手に入れることだが、報酬次第では暗殺も請け負う。ターゲットと身体を重ねながら殺すことから、甘き死の天使と異名を取る。
「私の仕事は、碇シンジを籠絡すること。しかし、碇シンジがあなたの敵にまわるようなら、テロリストの仕業に見せかけて殺すこと」
 カスミが感情のない声で告げる。
「わ、わかっていればいい。頼むぞ。ネルフが妙な動きを見せている。葛城ミサトが加持リョウジに面会したらしい」
 ハインツマンが汗を拭く。
「そう」
 カスミの目が細められる。
「ネルフ作戦部長と諜報部のエース……敵として不満はないわ」
「碇シンジを奪われたら、私は終わりだ。となれば、後金を払うことはできなくなる」
 ハインツマンが念を押す。
「わかっているわ。じゃ、私は部屋に下がらせて貰う。そうそう。夜、来たければ来てくれて良いわよ。一晩ぐらいなら、相手してあげる。料金は、サービスでいいわ」
 カスミが色っぽい眼で、ハインツマンにウインクした。
「君とは、ビジネスだけのつきあいにしたい。私も命は惜しいのでね」
 ハインツマンが、首を振る。
「残念だわ。国連貴族さまのテクニックを試したかったのに」
 微笑みながらカスミが出ていった。
「魔女め」
 扉を見つめながら、ハインツマンが一人ごちた。

 国連刑務所は、その設立の趣旨と服役者の問題から、全員独房に隔離している。服役者が顔を顔を合わせるのは、食事と体操、そして入浴の時だけ。それも特定の受刑者同士の連携を防ぐために10名ほどの少人数に小分けしたうえに、顔ぶれを毎回変える念の入れようであった。
「国連は、ゼーレの生き残りを抹殺したいらしい」
「口封じしなければ、都合の悪い連中が動き出した」
「この刑務所が襲われた形をとり、脱走を図ったとの理由で全員を射殺する」
「その証拠に、ここ最近看守兵たちの目つきが殺気を帯びている」
 今、受刑者の間に噂が静かに広まっていた。
 噂の元は加持である。かつて三つの組織を手玉に取った男である。最後は、人の想いを信じて冬月を助け、正体をばらし、殺されかかったが、ゼーレの刺客を騙しおおせ、サードインパクトを生きのびた辣腕にとって、噂を撒くことなど朝飯前である。
 ミサトの面会後、急に厳しくなった監視も、諜報経験のない兵士では、加持にとって蚊ほどの面倒でもない。
「裏切り者は、ハインツマンらしい」
 最後の噂を、加持は昨夜流した。
 加持を除いた収監者のほとんどが、財界政界の人間で情報戦に素人だったことも幸いした。
 シーベラス・ファウンテンもそうだ。エリート軍人として机上での情報戦は慣れていても、仕えてくれる人間が周囲で支えていた頃とはまったく違う環境下では、明晰な頭脳もかげる。
 なにより一度心の中に住み着いた疑心暗鬼は、大きくなることはあってもおさまることはない。
「くそっ」
 ワンデッシュにまとめられた食事のおかずをテーブルに零して、ファウンテンが罵りの声を漏らす。
「動揺してるようだな」
 翌日、偶然食事が一緒になったファウンテンの様子をうかがいながら、加持は満足そうにまずい食事を楽しんだ。

 加持とミサトが面会してから三日が過ぎた。

 カスミは、日ごとに露出の多い服装になり、シンジとの距離をゼロに近づけていたが、すでに一人の女性に想いの全てを捧げたシンジには効果がない。
 露出の多さならアスカのバスタオルが、胸の大きさならミサトが勝っている。直接の感触は、シンジに異性を感じさせたが、それでもアスカへの想いの前にはそよ風程度。

「あの歳で不能? それとも異常性癖? 」
 午後の家庭教師を終えたカスミは、教科書をソファにたたきつけた。
 今日はいつにもまして暑いわねを理由に、襟ぐりの開いたタンクトップに尻の膨らみがはみ出したホットパンツで接したカスミを、シンジは目のやり場に困る風もなく、いつものように応対したのだ。
 単にミサトとアスカで見慣れていただけなのだが、容姿と性格の酷薄さで世の中を渡ってきた島津カスミには、我慢の出来ないことであった。
「過去の女を引きずっているとは思えないわ」
 カスミの手元にはシンジの詳細な資料が届けられている。その中には、初めての接触相手であるレイ、ファーストキス相手のアスカ、大人のキス相手ミサトのことも書かれている。
「綾波レイは親戚筋。惣流という外人娘は、確かに美少女だけど、まだまだ子供。なにより、碇シンジと最後の数ヶ月は仇敵のようだったらしいし。葛城ミサトは、いっても30歳を超えているからねえ。美人だし、私より良い体をしていそうだけど、少年のあこがれの対象にはなっても、恋愛の相手としては、辛い」
 カスミが、コーヒーを口に含む。
 一からシンジのことを洗いなおしているうちに時刻は、過ぎていく。
「強引に行くしかないか。そろそろ手に入れておかないと、クライアントの手前、問題があるわ」
 カスミが衣服を変えた。逆に素肌を隠した白のブラウスに膝下まである紺のスカートを身につけた。
 ギャップを見せつけることでシンジの興味を惹こうとしたのだ。さらに、足を見せつけるホットパンツよりもスカートの方が、経験の少ない男の子でも手が入れやすいと言う利点も考えてある。
 最後に髪の毛をアップにして、髪留めに偽装した長い針で留める。
「寝入りばなの判断力低下時を狙えば、一撃よ」
 姿見で格好を確認したカスミが、赤めのルージュをひいて、笑った。
「見せてあげるわ。大人の女の蹂躙戦を」

「オペーレーション、スタート」
 新熱海に進出した地上指揮車の中でリツコが発した。
 時刻は午後4時30分である。
「無人ヘリ、1号機から3号機まで発進」
 マヤがコンソールにコマンドを撃ちこんでいく。1メートル四方ほどの大きさの無人ヘリが消音ローターのかすかな音をたてて飛びあがった。
 ネルフが保持している無人ヘリの全てである。
 ステルス塗装を施した小型無人ヘリは、レーダーにほとんど反応しない。探知波の角度によってかすかなゴーストが、モニターに映ることはあるが、まず見つかることはない。
 だが、国連事務総長の命令を受けた国連軍司令に発破をかけられていた国連軍刑務所警備隊の兵士たちは違った。士気旺盛で集中していた。
 とくに夕方の5時頃を警戒しろと言われていたレーダー担当は、ゴーストを見のがさなかった。
「不審な機影あり」
 検問所に警報が鳴り響き、ただちに警戒態勢が取られる。
「レーダー車両を出せ」
 移動式レーダーは、探索範囲こそ狭いが、機動性に優れる。
 急発進したレーダー車は、架橋の上で無人ヘリを発見した。
「不審機影発見。無人ヘリ、三機と思われます。架橋下へと侵入」
 その報告を受けた警備隊隊長が叫ぶ。
「水道管だ。直ちに飲水を中止。通路の閉鎖。対戦車、地対空ミサイル準備」
「了解」
 兵士たちが走りだした。

 移動していないネルフ移動指揮車は完全なステルス状態になる。かつてネルフが世界中の経済を自由にしていたときに作り出した一台100億円というとてつもない費用をかけた車両は、あらゆる情報戦に置いて無敵を誇る。
「国連軍の移動レーダーが橋の上に来てますよ」
 マヤが無人ヘリを操りながら告げる。
「あの壊れたスピーカーみたいに電波をまき散らすだけのやつ? 邪魔にはならないけど、作戦実行前は都合悪いから、今潰しましょ。もう、向こうに無人ヘリのことは知られているわね。なら、用済み。受信部にカウンターメジャーを発射。レーダーを使用不能にしてあげなさい」
「はい」
 喜々としてマヤがコンソールをいじる。
 たちまち移動車両のモニターが全部白濁した。
「えっ」
 担当者があわててコンピューターを触るがまったく変わらない。
 国連軍の目の一つが潰された。
「次の手を打つわよ。マヤ、電話」
「はい。先輩」
 三度マヤの指が踊り、MAGIの移動端末を操る。
「どうぞ」
 マヤが行ったのは、電話を戦略自衛隊の本部からのものに偽装する操作である。
 受話器を受けとったリツコが、しゃべる。
「こちら戦略自衛隊電子戦担当官であります。ただいま、そちらで異常な出力のレーダー波を探知しました。なにか異常でも? 」
「いや、なんでもない。ぬきうちの訓練である。事前通告がなかったのは、臨時演習であったためである。ご懸念なく願いたい」
 電話を受けたのは、刑務所所長であった。
 もとは国際司法裁判所の検事であったが、話題にのぼることの多い国連刑務所の所長を出世の足がかりにしようとして、わざわざ軍籍に移動してきた階級だけの男である。
 当然リツコは刑務所長の経歴も調査済みであった。
「了解しました。念のために演習想定時間をお教え願えますか? 今夜半海上戦略自衛隊の艦艇が、伊豆諸島沖を新横須賀に向かって帰投しますので、通達しておきます」
 リツコが、都合の良い情報をさりげなく紛れ込ませる。
「抜き打ちに付き、満足な結果が得られるまで終了しない。予定時間は無い。しかし、貴軍の艦艇のことは、こちらで周知しておく」
「わかりました。では、よろしくお願いします」
 リツコが電話を切った。
「これでミサトの方は、OKね。さて、そろそろ無人ヘリを突っこませるわよ。水道管は陽動でしかないことを教えてあげて」
「はい」
 マヤが、首肯した。
 無人ヘリが水道管から急上昇するが、レーダー車両は無力化されていて、ヘリの姿を捉えられない。
「先輩、一機反応がありません」
 マヤが報告する。
「蜘蛛型ロボットにやられたわね。まあ、想定内よ」
 リツコは動じない。

「レーダー車両との連絡が途絶えました」
 国連軍の無線手が恐慌した。
「慌てるな。見張りを出せ」
 警備主任の命で兵士が外へと走りだすが、西日が正面から視界を遮り、小さなヘリを見つけられない。
「一番機、第一検問所に到達しました」
 マヤがモニターから目を離さずに言う。
「風向きは確認しているわね」
 リツコが、問う。
「大丈夫です。先輩」
「ガス放出」
「はい」
 ヘリの底面に取り付けてあった圧搾ボンベから白いガスが噴き出す。
「うぎゃっ」
 ガスをまともに浴びた兵士が目を押さえて倒れる。
 たちまち外に出ていたすべての兵士が無力化された。
「凄いですね」
 マヤが感心する。
「一度戦自に侵略されたことがあったでしょ。あの経験から強力な刺激ガスの開発を進めさせていたのよ。命に別状はないけど、8時間は目を洗おうが、中和剤を使おうが、視力は回復しない。こんなときのためにという訳じゃないけど、まあ、用意しておいて正解だったわね」
 リツコが、うまくいったとばかりに自慢する。
「三号機、第二検問所上空です」
 マヤの手は休んでいない。
「音響弾投下」
「任せてください。音声切ります」
 ヘリの底面から小型のロケットが発射された。ブースターに点火したロケットは、警備詰め所の壁を突き破ると中で破裂、大音響を発した。
「こっちは耳。鼓膜が破れるほどの音は、一日聴力を奪い、幻聴を起こす」
「さすがです、先輩」
 マヤの目が潤んでいる。
「目標を探す目、命令を聞く耳を失った兵は、戦力でないわ。残念ながらもう一つの警備詰め所はつぶせなかったけど、ここから先は、ミサトの仕事。さあ、撤収するわよ」
「了解です」
 ネルフの誇る移動指揮車は、誰にも邪魔されることなく逃げだした。

「なに、第一詰め所と第二詰め所が……」
 刑務所長は絶句した。
「一人の死人も無しに無力化されただと。馬鹿な……」
「幸い、水道管は無事です」
「そう言うレベルではないわ」
 刑務所長が吐き捨てる。
「残った兵力は、第三詰め所の一個小隊と、ここに残っている二個小隊だけか」
 所長が頭を抱える。
「負傷兵たちを刑務所内に収容したいと思うのですが」
 部下が命令を乞う。
「馬鹿が。その混乱につけ込まれたらどうする? 命に別状無いなら今は無視しろ」
 刑務所長が怒鳴った。
「はあ……」
 部下は不満そうな顔を隠そうともしない。
 戦争で部下が上司の命令に絶対服従するのは、命がある限り助けに来てくれるという信頼と、無駄死にさせないという信用があるからだ。刑務所長はその根底を崩してしまった。
「貴様もさっさと警備に戻れ。そうだ。今夜半、戦自海上自衛隊の船が沖合を通過するそうだ。緊張時に誤報などで混乱を招かないようにレーダー手に伝えておけ」
「失礼します」
 部下はおざなりな敬礼を残して所長室を出た。
 こういう話は、あっという間に拡がる。
 兵士たちは、露骨な批判を口にはしないが、行動から機敏さが消えた。

 訓練された人間とは言え、緊張はそう続けることはできない。だからこそ、軍隊でも夜警は交替制にするのだが、刑務所長は休憩を認めなかった。理由は簡単である。援軍を求めることができなかったからだ。援軍を求めることは、本部に失態を知られることでもあり、責任は、我が身にかかる。
 こうして深夜を過ぎた頃から、兵士の志気は目に見えて下がりはじめた。

 動揺は兵士だけではなく、受刑者にも伝わっていた。加持の流した噂が、大きく効果を上げ始めている。
「国連軍がテロの襲撃を装って、面倒な受刑者たちを殺そうとしている」
 これが、現実味を帯びたのだ。
「いやだ、死にたくない」
 服役している人間の罪はそう重くはない。主犯者たちはサードインパクトで還ってこなかった者たちと逃げおおせたわずかを除いて、すべて死刑になり、ここに収監されている人間は、もっとも重くて懲役15年どまり。
 大人しく過ごしていれば、恩赦もある。釈放されれば隠し財産などを使って、優雅な老後を送ることもできる。母国に影響力を残しているものもいる。

「ハインツマンめ、誰のおかげで無事におれると思っているのだ」
 ファウンテンもその一人だった。
「ハインツマンの警護をしている連中は、俺の部下たちばかり。一声かければ、俺に付くことは間違いない。ふふふ、あの隠れ家なら見つかることもない。ハインツマンを締め上げ、新しい戸籍でも用意させて、生涯あいつに面倒見させてやる。それぐらいのことをしてもらって当然だ。あいつの身代わりになってやったんだからな」
 ファウンテンは、独房の扉に耳をつけて、外の様子を伺った。

 ミサトが新熱海港のマリーナでアスカに確認した。
「本当にいいの? 捕まれば、セカンドチルドレンとはいえ、無事では済まないわよ。間違いなくシンジ君と会うことは二度とできなくなる」
「わかってるわよ。でも、このまま会えなくなるよりは、まし。蚊帳の外に置かれて後悔するのは、もう嫌なの」
 戦闘服に身を包んだアスカが、目出し帽の中に髪の毛を押しこむ。夜目にも鮮やかな金色が消えて、碧眼だけが、浮かび上がる。
「わかったわ。なら、あてにして良いわね」
「当然」
 アスカが、装備を点検しながら応える。
「じゃ、配置を決めるわ」
 ミサトが、てきぱきと配置を決めていく。
「アタシは? 」
 名前を呼ばれなかったアスカが、ミサトに訊く。
「アスカには、シンジ君奪還を任せるわ」
「それって、刑務所襲撃には参加するなっていうこと? 」
 アスカの顔つきが変わる。
「ええ。直接シンジ君と関係ないからね」
 ミサトがあっさりという。
「アタシも行く」
 アスカが反抗する。
「なら、この作戦全部から外れて貰うわ」
 ミサトの声は冷たい。
「嫌よ。勝手について行ってやる」
「させないわ。みんな」
 ミサトの号令に日向以下隊員全部がアスカに銃口を向ける。
「四肢を撃ち抜いてでも置いていく。いいこと。アスカの仕事はなに? シンジ君をその手に取り戻すことでしょう。それなら余計なところで命を賭けなくていいはずよ。それともシンジ君奪還は理由で、実際はゼーレの連中に復讐したいだけなの? 」
 ミサトの目が厳しく尖る。
「馬鹿言わないで。そりゃあ、恨んでないとは言わないけど、シンジに比べれば、どうでもいいことよ」
「なら、アスカの出番がどこかわかるでしょう」
 ミサトがそこで一拍言葉を切った。
「もう、あなた達が手を汚すことはないの。できることは大人に任せて。お願いだから」
 ミサトが真剣な瞳でアスカを見つめる。
「……わかったわ。でも、シンジとの邪魔をするやつは容赦しないから」
 アスカが折れた。
「わかっているわ。後始末の心配はしなくて良いから。思いきりやって良いわよ」
 ミサトがどんと胸を叩く。
「じゃ、アスカは、あの橋を越えたところで待機していて。あそこしか、この刑務所から本土へ繋がるところはないから。で、ちゃんとファウンテンの顔は覚えた?」
「昨晩も夢に出てくるほどね」
 ミサトの問いかけにアスカが応える。
「結構よ。じゃ、始めるわよ。日向くん、艦対地ミサイルの発射シーケンスを開始して」
 ミサトが日向に振りかえる。
「了解です。ミサイル発射準備に入ります。衛星情報とリンク開始。GPS作動確認。目標地点入力。準備完了。葛城さん、タイマー設定を」
 日向が待つ。
「加持との約束まで、あと30分か。いつもデートの時間通りに来たこと無いやつだけど、今回は、相手が違うからね。オンタイムで行きましょ」
 ミサトが命じる。
「了解」
 日向がミサイル発射の時間を撃ちこむ。
「ここで、二班に分かれるわ。青葉くん、アスカのこと頼んだわよ」
「任してください。必ずジュリエットをロミオの元へ届けて見せますよ」
 青葉が力強く頷く。
「あら、あの物語は悲恋じゃない。こっちは、絶対にハッピーエンドにしなきゃ」
「そうでしたね」
 ミサトに言われて青葉が頭をさげる。
「じゃ、行きましょう」
 ミサトの号令で船から全員が上陸する。
 ボートには、静かに数字を減らしていくミサイルだけが残された。

続く

後書き
次で最終回になると思います。今回で終われるはずだったんですが……
初出: 2005.10.18
Author: タヌキさん
タヌキさんより"護られし者の~"の四作目を頂きました。
…というか…コレ、連載になってしまってたんですね…今、気が付きました(爆)
いや、いつも「次に終わる?終る???」と思って見ていたので。
でも気がつくと、かなり大事になってきてますね…。
というか、タヌキさん、"次で最終回になると思います。"のお言葉信じてます。
このままシンジ君とアスカが会えない状態続きは辛いですもの~(読者願望)

そんなわけで続きを読みたい!という方は是非タヌキさんにご感想を。
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WebMaster: AzusaYumi