「アタシを見るんじゃないわよ」
安閑とした中学校の昼休み、凄まじい怒声がひびく。
「気持ち悪い、目の前から消えろ」
続けさまに罵っているのは、元エヴァンゲリオン弐号機専属パイロット惣流アスカラングレーだ。
そしてその怒りの矛先を向けられているのは、やはり元エヴァンゲリオン初号機専属パイロットの碇シンジ。
誰もがその結末の真相を知っているようで、何も知らないサードインパクトが、終わって半年が経とうとしていた。
精神崩壊まで至ったアスカだったが、最後の戦いで自我を復活、紅い海を経て見事に回復した。
「その目つきは、なに? アタシの姿を目に焼き付けておいて帰ってからするつもり?
よくもまあ、首を絞めた相手をおかずに出来るわよね。この変態」
アスカの侮蔑は終わらない。
のろのろとシンジが机から立ちあがると教室を出て行った。誰も声をかけることもないし、後を追うこともない。
「大丈夫? アスカ」
真っ赤になって肩で息をするアスカを気づかったのは、委員長たる洞木ヒカリである。
「本当に気持ち悪いわねえ、碇のやつ」
アスカの廻りに集まっていた女生徒たちが口をそろえる。
「あんな人だとは思わなかったわ」
ヒカリも同意した。
シンジの悪口を言い合う周囲に、アスカはほんの少し眉をひそめる。
二人の間に有ったことを全く知らないくせに、味方ぶる彼女たちにアスカは不快感を覚えている。
そしてそんな自分にも嫌悪を感じていた。
全てが終わって第一中学校が再開されたのは、4月。
2-Aの生徒たちはそのまま3-Aに持ち上がった。
その始業式の日、遅刻ぎりぎりで現れたアスカが、シンジを見つけるなり喚き散らし、使徒戦役の終盤からサードインパクトでアスカとシンジだけが生き残っていたときまでの全てを暴露したのだ。
病室での行為、紅い海のほとりでのこと。
それを受けてシンジがクラスの中で孤立したのは当然。未だにネルフの管理下にあるチルドレンに、外傷を加えるようないじめは起こらなかったが、誰もがシンジを避け、アスカは言葉の暴力をやめようとはしなかった。
本来ならアスカを抑えるべきクラス委員長のヒカリも同調したのは、彼女の思い人を傷つけたシンジを許せなかったからだ。しかたないことと理性では理解していても感情が納得しない。そんな彼女の背中を押したのがアスカの言葉。意識のないアスカを性的処理の対象としたことは、思春期特有の潔癖さを持つ少女達に激しい不潔感を抱かせた。
シンジをかばうべき親友であった鈴原トウジは、やはりシンジによって殺されかけたことが尾を引き、関係は断絶。同じく親友であった相田ケンスケもクラスの雰囲気には逆らえず、シンジと口を利かなくなって久しい。
何一つ変わらなかったのは、使徒としての命を失い、人として生まれ変わった綾波レイだけ。
「大丈夫? 碇くん」
「うん」
「あの人にそこまでする価値があるの?」
レイの表情は厳しい。
「逃げて閉じこもっていた罰なんだよ。一歩踏みだせばアスカは壊れなかったし、サードインパクトは起こらなかった」
シンジが寂しそうに笑う。
「碇くん。私ではあの人の代わりにならないの?」
レイが、哀しそうな顔をした。
「ありがとう。綾波こそ、僕と喋っているとろくなことにならないから」
シンジが小さく首を振って、レイを遠ざける。
「誰でも良いのね、アンタは。ファースト、気をつけないとアンタが今夜のおかずよ」
アスカは二人の様子にむかつきを隠さない。無視すればいいのに出来ないのだ。
シンジとレイがくっつこうとも関係ないはずなのに。
「さっ、行きなよ」
シンジにうながされてレイも離れていく。
針の筵どころか荊の煉獄に等しい学校に、それでもシンジは欠かさず登校していた。
放課後、ヒカリと寄り道をしたアスカが帰ってきたのは、第三新東京市復興住宅として建築されたマンションの一室。
「ただいま」
アスカの小さな声に返ってくるものはない。
一人暮らしではないが、シンジとの同居は解消している。もう一人の同居人は、今夜も遅い。
着替えたアスカが冷蔵庫を開ける。そこには一週間に一度まとめて届けられるケータリングサービスの食事セットが入っている。メインディッシュにサブディッシュ、サラダにパンもしくはご飯がワンプレートにまとめられ、電子レンジで温めるだけでファミリーレストランクラスの味が楽しめる。
暖めたそれをテーブルの上に置き、水代わりにしている牛乳をパックごと飲みながら、食べ始めたアスカは、かつての日々を思い出していた。
「コップで飲んでよ」
そう言いながら牛乳を入れるコップを差しだすシンジ。
「アンタの洗い物を減らしてあげているんだから」
いつ死ぬかわからない恐怖の中での楽しかった日常。それはもう還らない。
不意にアスカの脳裏に今日のシンジの顔を浮かんだ。
かつてのようにアスカの機嫌を窺うようなおどおどしたものではないじっと見つめるような視線。その中に男を感じてアスカは怖気たった。
「くっっ」
アスカは、プレートごと食事をゴミ箱に放りこんで自室でベッドに横たわった。
狂ってしまった母親を捨てて別の女と情をかわしていた父、父ではなく男を見せつけられたアスカは、それ以来、性を忌避して生きている。
「子供なんて絶対要らないのに」
かつて使徒と戦っている最中、生理になったアスカが呟いた言葉。これは、母に捨てられた、いや、母に殺されかかった子供であった自分が、同じことをしてしまうのではないかという怖れから出たものではない。男というものを受け入れる体制が整って、女という性を身にまとい始めた肉体への憎悪。父に抱かれて歓喜していた継母と同じものになることへの怖れから来ている。
そして、それを思い知らされた、病室でのシンジの行為。意識があるときならまだよかった。人としての心を無くしていた、人形になっていたアスカを性の対象としたことが許せなかった。アスカという人格ではなく、女という形だけを欲したことが、我慢できなかった。
「アスカちゃん、これを見せて良いのかどうか判らないけど、間違いが起こってからでは遅いから」
最後の戦いの後遺症で入院していたアスカに、あの映像を見せたのは伊吹マヤだった。
「シンジくん、毎日お見舞いに来ているんでしょ。でもね、シンジくんはこんなことをしていたのよ」
潔癖性のマヤらしく、震える声で告げるのを耳にしながらアスカは、モニターに映るシンジの姿に呆然とした。
マヤが去った後、いつものように見舞いに来たシンジにアスカは切れた。
「この変態、アタシをアンタの性欲の処理につかうなんて」
首を絞めたことも許せそうだった。あの極限の中では仕方ないと思えた。泣きながら首を絞めているシンジが哀れに思えて頬を撫でた。その全てが吹き飛んだ。
「キモチワルイ」
なぜあんなことを口にしたのか、その奥にあるものを追求することもやめた。
「二度とアタシの前に姿を現すな」
悲鳴のように怒鳴りつけたアスカを少し寂しそうに見たが、シンジは黙って去った。
その日から、アスカはシンジを捨てた。
「嫌なこと思い出しちゃったな」
ベッドでうつぶせになりながらアスカは独り言を口にした。
アスカは思い出すたびに喉に刺さった小骨のような違和感を覚えるのだが、嫌悪感がそれに勝さって、いつも考えるのをやめてしまう。
そうこうしている間にアスカは眠りに落ちた。
アスカがベッドでうつうつとし始めた頃、ジオフロントを放棄し、地上にその本部を移したネルフでは、作戦本部長葛城ミサト三佐と碇シンジが食事をともにしていた。
使徒戦役が終わって解体されるはずだったネルフは、そのあまりに進みすぎたテクノロジーの漏洩防止のため、国連管轄下の元にオーバーテクノロジー監視機構として存続することになった。その特殊性から関わったメンバーも全員退職が認められず、かつての肩書きのまま勤務している。居なくなったのは、たった一人。総司令碇ゲンドウだけ。彼はとうとうLCLの海から還ることを望まなかった。いや、許されなかったのかもしれない。
「シンジくん、随分やつれたわよ」
仕事場では一切のアルコールを摂取しなくなった、ミサトが定食をつつきながら声をかけた。
「そうですか。でも体調は良いですよ」
カレーライスにスプーンを突っこみながら、シンジが応える。
「ねえ、もう止めにしない? 見ていて辛すぎるわ」
「駄目ですよ、ミサトさん。折角ここまで来たんですから、もうちょっとでアスカのトラウマは消えるんです」
シンジが強い口調で言った。
「でも、シンジくんがあまりに可哀想じゃない。アスカに憎まれて、クラスメートに嫌われて……」
ミサトの声が湿る。
「それもあと1ヶ月ですから。アスカは4歳から心に傷を負っていたんですよ。僕の半年ぐらい、どうということはないです」
シンジが真顔になる。
「それにアスカのお母さんから頼まれたのは、僕ですからね」
「コメン、ゴメンね」
ミサトが泣き出した。
「決めたことじゃないですか。ミサトさんは、ドイツまで行ってくれたし、リツコさんは、ドイツのMAGIクローンをハッキングしてアスカのトラウマを見つけてくれた」
シンジが慰めるように言う。
紅い海からみんなが帰還したとき、またアスカは入院していた。LCLに溶けなかったことが逆に働き、使徒戦役最終時の肉体的な衰えが残っていたからだ。治療は順調だったが、精神的には再び破綻しかかっていた。
毎晩うなされるのだ。
「シンジくんには黙っていたけど、アスカ、4歳からずっと夜はうなされているのよ」
初めてアスカの悲鳴を聞いた夜、シンジはミサトから教えられた真実に頷いた。
「知ってました。いえ、教えられたんです。あの時、一瞬だけふれあったアスカのお母さん、キョウコさんから」
全ての生物がLCLに還ったとき、シンジは唯一肉体と自我を持った存在として全ての意思とふれあった。
その中にエヴァという括りを無くし、魂だけの存在となっていたキョウコのものがあったのだ。
「ママ、ママ、アタシのママをやめないで。ママ、アタシを殺さないで、お願い」
毎晩アスカが涙を流していたことをミサトは仕事で知り、シンジはアスカの母から聞かされた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、アスカ。そう、号泣しながら謝り続けるキョウコさんを見たら黙ってられませんよ」
シンジが優しい顔をした。
「でも、あなたが引き受ける理由はないのに」
「好きな女の子のためになにかしたいと思うのは普通じゃないですか」
シンジがあっさりと応じる。
「言うようになったわねえ。お姉さん楽しみが無くなったわ」
ミサトがおどける。そうでもしないと潰されそうなのだ。
「あっ、もうこんな時間ですね。明日も学校なのでもう帰ります。ご馳走さまでした」
結局三分の一も食べていないカレーライスを持ってシンジが去っていった。
「強くなったわね、シンジくん」
ミサトが背後に近づいてきた親友の気配に、声をかけた。
「いえ、強くなったんじゃないわ。彼はもともと強かったのよ」
赤木リツコがシンジの座っていた席に腰を下ろし、たばこに火をつける。
「強かった? まさか」
「あなたは何処を見ていたのかしら? シンジ君、使徒戦の最中なんども逃げだしたけど、必ず自分から帰ってきたわ。普通、あんな訳のわからないものに載せられて、死にそうな思いを何度もさせられたら、おかしくなるか本当に逃げてしまうかするものよ」
「そうねえ」
「でも彼は戦った。戦う義務も名分も無かったし、戦果を上げて帰ってきても褒めてもらえることさえなかったのに。
彼には、最初、護りたい人さえいなかったのよ」
リツコがゆっくりと、たばこの煙を吐いた。
「そんな彼を私たちは、無理矢理戦いの場に押しこんだのね」
「ええ」
「最低ね、私たち」
ミサトが吐くように言った。
「そうね。私たちは最低でも彼は違ったわ。小さな頃から親の愛を与えないようにして育てられたからこそ、彼は人の愛を求めた。その大切さを知っていた。彼をサードインパクトのよりしろにした段階で人類補完計画は破綻することが決まったのよ。息子とふれあおうとしなかったから、彼の心の強さを見抜けなかった。碇司令のミス」
リツコがたばこを灰皿に押しつける。
「そのシンジくんの手から愛がこぼれていくのを、私たちは見ているだけしかできない」
ミサトが重い吐息をついた。
学生にとって変化のない毎日にアクセントが付く。夏休みの始まりである。
「いいか、おまえたちは三年生だ。夏休みだからと遊べると思うんじゃないぞ。夏休みを制するものが受験を制すだ」
担任の訓令など聞いては居ない。そのまま夏休みの計画を話し合う生徒たちは、終業式を終えてもすぐには帰らない。
「ねえねえ、アスカ。夏休みどうするの? 」
人気のあるアスカの周りには、絶えず人の姿がある。
「そうねえ。ネルフがあるから第三新東京からでれないのよね。だからせいぜいプールか、ショッピングくらいかなあ」
「アスカは良いわよねえ。頭良いから夏期講習とか行かないんでしょう? 」
「高校だって行かなくて良いんだけどね。かといってまだネルフで働く気にはならないから、取り敢えず受験はするわ」
そこまで言ったアスカはふと視線を感じて振り返る。そこにはアスカをじっと見つめるシンジが居た。
「何度言ったらわかるの。アタシを見るな、その穢れた目で」
アスカは大声で喚く。
「いい。アンタはアタシと同じ高校に来るんじゃない。まあ、アンタのその情けないおつむじゃ、第一高校は通らないだろうけどね。さっさと帰って勉強しないと行く高校もなくなるわよ、馬鹿」
クラスの中心となったアスカと、その取り巻きに笑われながらシンジは教室をでる。
「さようなら、惣流さん」
姿が見えなくなる寸前、小さな声でシンジが囁いたのをアスカは聞いた。あの病室以来はじめて、シンジが口を開いて言った別れの言葉。
惣流と呼ばれて、アスカの胸に痛みが残った。
夏休みが始まって三週間が経った。アスカは毎日ヒカリたちと図書館で待ち合わせ、午前中は勉学にいそしみ、昼からはプールやショッピングにと学生らしい生活を満喫していた。
「ただいま。あれっ、ミサト帰っているの? 」
マンションの扉を開けたアスカは、中に見慣れたミサトの制靴が脱いであるのを見つけた。
「うん、ちょっと早くに仕事が片づいたからね。たまにはアスカと食事をしようかと」
「そう。じゃ、用意するね」
アスカは着替えに部屋へと入る。
「いただきます」
いつものケータリングとは言え、二人で食べれば味も変わる。
「最近楽しそうね」
「うん。アタシこんな普通の生活したこと無かったからね」
「そう。良かったわね」
「なにより、アイツの顔を見なくて済むのが最高よ」
アスカの顔に憎しみが浮かぶ。
「…………」
ミサトの表情が一瞬苦いものになる。アスカはそれに気づかず、おかずにフォークを突き刺すようにたてた。
会話が途切れ、静かに食事は終わった。
「ふう、ごちそうさま。アスカ、先にお風呂はいっちゃいなさい。アタシはもうちょっと飲んでからにするから」
ミサトがビールの缶を振ってみせる。
「いい加減にしないと、30越えたんでしょ。体型、崩れ始めたら元に戻らないわよ」
「うっさい」
他愛のない会話も尽きて、マンションは寝静まった。
「どうやら、今晩も大丈夫のようね」
ミサトは自室でコーヒーを飲みながら受信機に耳を澄ませる。
「アスカの想いって、あの程度で壊れるものだったのかしら? 」
ミサトが厳しい口調で独りごちた。
「もう、3ヶ月以上、アスカはうなされていないわ」
翌日、ネルフでミサトはリツコと会話している。
「どうやら、トラウマは消えたようね」
「どうかしら? 治まったように見えているだけかもよ。いつフラッシュバックが始まるかは、誰にもわからないわ」
楽観的なミサトに、現実的なリツコが注意を喚起する。
「でも、これ以上はシンジ君が持たないわ。計画はこのまま進めましょう」
リツコが決断する。
「ええ。でもこれで良かったのかしら? シンジくんは大切なものを永遠に失って生きていかなければならないのよ」
「時が癒してくれるのを待つしかないわ。いつか彼の心を満たしてくれる女性が現れることを期待するだけよ、私たちは」
ミサトの自虐をリツコがたしなめる。
「シンジくんが望んだのは、アスカなのに……」
ミサトもリツコもシンジが、アスカ以外の女を受け入れないとわかっている。サードインパクトで神に等しい力を与えられた少年が、望んだのは、世界でも永遠の命でもない。たった一人の少女との生活。
「彼が決めたことよ。シンジ君への憎しみと嫌悪だけが、アスカの精神を正常に留めている。いつか、アスカも自分が護られていたことに気づくわ。あの子は賢いから。その時、アスカがまだ独りで居ることを願うしかないわね」
「それまでにアスカが他の男を選ぶというの? それを黙って見ていろと? 」
ミサトが机を叩く。
「人の心の移りかわりは、止めることが出来ないのよ」
リツコがミサトの背中をそっと抱いた。
「じゃ、転居と転校の手続きは私がやっておくから。ミサトはシンジ君を駅まで送ってあげて」
「わかったわ」
二人の才媛は、それぞれの義務を果たしに立った。
九月一日、始業式。いつものようにぎりぎりに教室に入ってきたアスカは、なにか足りないものを感じた。
「さっさと座れ、ホームルームを始めるぞ」
担任が入ってきた。アスカは仕方なく座った。
炎天下での校長の長話が生徒の健康を害すると、セカンドインパクトから訓話は無くなった。始業式とはいえ、なにも変わることのない日常でしかない。
「まず最初に、宿題は各教科担任へ提出すること。俺の分の数学は、洞木、後で集めて持ってきてくれ」
首肯したヒカリに担任は満足そうに頷くと、すぐに顔を引き締めた。
その後もいろいろな事柄が告げられていく。三者面談の日時、志望校調査票の提出。推薦受験まで三ヶ月もない。
「さて、連絡事項の最後になったが……」
言葉を切った担任が、生徒一人一人の顔を見る。
「碇シンジが転校した」
一瞬教室がざわめく。
アスカは驚きのあまり立ちあがった。
教室に入ったときに感じた違和感にやっと気づいた。
「惣流、座れ」
担任に厳しい目で睨まれてアスカは腰を落とす。
「碇がなにも言わないでくれと頼むから一学期の間は我慢してきたが、おまえたちの態度は何だ? 碇と惣流の間に何があったかは俺も知らない。だが、それは二人の間で解決することで、おまえたちが関わる問題ではない。第三にいるおまえたちだから、碇や惣流がどれだけ頑張ったかぐらいはわかっているはずだ。命を賭けた戦いというのを経験したこともないおまえたちが、碇をどうして糾弾できる? 碇がどんな思いで一学期の間休むことなく通ってきたか、その気持ちを察してみろ」
担任はそう言うと背中を向けた。
「おまえたちは今まで持ったどんな奴よりも最低だ」
静まりかえった教室に担任が残した一言は、小声ながら十二分に響いた。
「アスカ」
ヒカリが呆然としているアスカの元に走り寄ってくる。
「惣流」
トウジとケンスケも集まった。
他の生徒たちはアスカを遠巻きにして見ている。
「知らなかったの? 」
ヒカリの問いにアスカは無言で頷くしかない。
「ミサトもなにも言わなかった」
アスカは終業式の日、別れを告げたシンジを思い出した。
「どうしたらいいんだ、俺は。友達だったのに」
ケンスケが頭を抱える。
「そうや。わいらは、シンジの戦いを知っていたのに。どうしようもないことやとわかっていた。生きていただけでも奇跡やったんや。心が壊れても当然な思いをシンジは耐えていたんや」
トウジが左足を叩く。LCLの海から還ったときに復活していたそれを。
「アタシ帰る」
アスカは立ちあがった。
「いいの? 」
「なにが? アタシはシンジが居なくなってせいせいしているわ。これでアタシの貞操と命は安全になったんだから」
アスカは大声を出す。クラスに残っていた連中がびくっと身体を震わせる。
「じゃね」
アスカは一人で教室を出た。
見送ったヒカリが呟く。
「アスカ……」
「イインチョ。わしらには、なにも言えん。わしらには惣流を咎めることも、シンジに許しを請うことももうでけへんのや」
トウジががっくりと肩を落とした。
皆と別れたアスカは、職員室に担任を訪ねた。
「先生、シンジの転校先を教えて下さい」
アスカの頼みに、担任は首を振った。
「ネルフの秘密事項にあたるということで、俺も教えて貰っていない」
担任の声は、冷たくアスカを打った。
「なあ、惣流。漏れ聞こえてきた話で、だいたいのことは、わかっているつもりだが。惣流と碇は、二年の夏ごろから同居していたんだろ」
担任の問いに、アスカは頷いた。
「男の14・5歳といえば、思春期真っ盛りだ。それこそ、女性の側にいるだけでも我慢できないほど性欲が昂進する。
だが、同居している間は、碇はなにもしなかった。そうだな。惣流の着替えや風呂を覗いたり、下着を取ったりも」
「…………」
アスカは無言で首肯した。
「それだけ克己心のある碇が、病院で寝ている惣流を性欲のはけ口に使ったというのが、本当なら、よほどのストレスが有ったんじゃないか。だから、許せとは言わない。女として、性欲処理の道具とされるのは我慢ならないだろうからな。でもな、戦友として一緒に戦い、同居人として共に生活し、同級生として机を並べた碇が、どうしてそんなことをしたか、考えてやってくれ。これは、担任としてではなく、碇と同じ男として頼む」
担任が、アスカに頭をさげた。その声は、暖かみにあふれている。
アスカは、返事もせずに職員室を去った。
部屋に帰ったアスカは昼食も取らずに自室に籠もった。
「やっぱり逃げだしたわね。最後まで情けないやつ」
アスカの口から、強気な声が出る。
「みんなに糾弾される。アタシにあんなことしたのだから、当然の報いじゃない。それに耐えきれなかった。根性無しが」
制服のままベッドにうつぶせになる。
(さよなら、惣流さん)
一学期の終業式にシンジが告げた別れ。アスカは今更ながらシンジがファーストネームではなく、ファミリーネームで呼んだことに気づく。それが二人の絆を断ち切るシンジの意思表示とアスカは理解した。
「…………」
アスカはシンジがディラックの海に消えて以来、久しぶりに寂寥感に包まれた。
辛かったが、シンジを戦友として見ていれたころが、思い出された。
ダブルエントリー、ユニゾン、マグマダイバー、使徒キャッチ。そして停電。成功した作戦はいつもシンジと一緒だった。
二人の間がおかしくなったのは、その後あたりだ。加持とミサトがよりを戻したことをおぼろげに感じた日のキス。アスカから仕掛けて無理矢理にしたキスは、恋でも愛情でもなく代償に過ぎなかった。それはあまりに気持ち悪く、二人を傷つけただけでおわった。
そしてシンジにシンクロ率で抜かれた。
10年の辛苦、母に殺されかけた要らない子供だった自分が、皆から必要とされるために失っては行けない座。
「アタシの居場所を奪われたと思ったのよね」
今なら自分がエヴァに依存していたことがわかる。精神崩壊から量産機との戦い、サードインパクト、紅い海。アスカは他人に心を開かないまま過ごした。
気づいたときはシンジに首を絞められていた。
訪れる人類再生、病院に入院したアスカを支えるシンジ。依存すべきエヴァを失ったアスカの頼りとなったシンジ。アスカの新しい居場所になりかけていたシンジ。
その闇とも言うべき、かつての病室での行為を報せるマヤ。
「おかしいわね」
明晰な頭脳がなにか引っかかるものを見つけた。
「シンジの転校先、ネルフの部外秘だって言ったわねえ」
同居を解消してからシンジが住居していたのは、ネルフ本部内の独身寮だ。エヴァ弐号機を失って、ネルフと関わることがめっきり少なくなったアスカと違い、シンジはべったりネルフに居た。シンジの転校をミサトが知らないはずはない。
「ネルフ全体で、なにか隠しているわね」
アスカの瞳が光った。
「ただいま」
九時頃、帰宅したミサトを迎えたのは、アスカの機嫌の良い声だった。
「おかえり」
「お腹空いた」
「そう。じゃ、ご飯にする。アタシは先に食べたけど」
「悪いわね。着替えてくるからお願い」
この日、ミサトの口からシンジの名前は出なかった。
それは、アスカにより深い疑惑を与えた。
一ヶ月が過ぎた。いろいろと探りを入れてみたが、シンジのことは箝口令が敷かれているのか、まったくアスカの耳に入ってこない。
去る者は日々に疎しと、クラスの人間がシンジのことを口に出すことは無くなり、アスカを取り巻いて居た人間も減った。
アスカはぽつんと空いた机に時々目をやる。周り気づかれないようにしているが、その頻度は日毎に増えていく。
「いなくなって良かったのよ」
アスカはそう言いながらも、なにか大きなものを無くした気がして仕方がない。
「心のかけらを探しているの? 」
レイがアスカの背中に声をかける。
「なによ。黙って寄ってくるんじゃないわよ」
アスカはレイの登場に驚く。レイとはずっと断絶状態が続いている。レイの紅い瞳が、シンジを遠くへやったことを責めているようで怖いのだ。
「あなたは、護られていた。そのことを忘れないで」
そう言い残してレイは去っていった。
ヒカリともしっくりいかなくなったアスカは、一人で登下校することが多くなっている。
いつものようにマンションに帰り、部屋に入ったアスカは、制服を脱ごうとして、ブラウスのボタンを引っかけてしまった。
「いけない。ボタンが取れちゃった」
ベッドの下へと転がったボタンを取ろうとして手を突っこんだアスカは、ふとベッドの裏に異物を見つけた。
「これって……盗聴器」
アスカにはすぐにわかった。かつては風呂やトイレにまで盗聴器が、仕掛けられていた。
さすがにここに移ってからは無くなったと思っていたのだが、現物を目にしてアスカはショックを受けていた。
「電池交換型か。ということはミサトね」
アスカはミサトの部屋に入り、机の引き出しを開ける。
「やっぱり」
そこには、小型のレシーバーが置かれていた。
「今頃なんで? アタシが男でも連れこむとおもったのかしら? 」
アスカは、盗聴される理由がわからない。
「最近は夜中にうなされることもないし」
口にしたアスカは、驚愕した。
かつては毎晩のように、母に首を絞められる夢を見てうなされていたことを思い出したのだ。
「いつからあの夢を見なくなったんだろ? 」
アスカの脳が回転を始める。
「あ、あの時だ、シンジに首を絞められたときから」
その後、シンジに首を絞められる夢を何度か見た。だが、それもここ数ヶ月無くなっている。
母に殺されかかった娘、要らない子供。それを忘れられたわけではないが、前のように思い出すことが無くなっている。
「どういうこと? これとシンジに何か関わりがある? 」
アスカは、目をつぶって考えた。
「ミサトやリツコに訊いても無駄ね。口を割るようなタマじゃない。実力行使するなら、
マヤが良さそうね」
アスカは、シンジの行為を教えに来たマヤの声が震えていたことを思い出す。
「アタシを騙そうなんて100年早い」
アスカは、その足でネルフへと向かった。
「あら、アスカちゃん、珍しいわね。葛城さんのお迎え? 」
書類を胸に抱きながらマヤが歩いてくる。偶然であったのではない。この時間ならマヤは、一人でここを通るとわかっているから待ち伏せたのだ。
「うん。たまにはミサトに夕ご飯を奢らせないとね」
アスカは屈託のない笑顔で応える。
「部屋で待ってたら、もうちょっとで終わるわよ」
「そう。でも良いの。ちょっと話をしない? 」
アスカは、ぐっとマヤに詰め寄った。
「な、なんなの? 」
マヤが、半歩下がった。
「白状しなさい」
「な、なんのこと」
アスカの迫力にマヤがたじろぐ。
「とぼけるんじゃない。シンジのことよ」
「シンジくんのこと。ああ、転校した先? アタシも聞いてないのよ」
マヤが必死で言い逃れようとするが、アスカは許さない。
「アタシの部屋で盗聴器を見つけたのよ。もう、ばれているの。この期に及んで隠せると思っているの? 」
「えっ」
マヤが大きく動揺する。
「たくらんだのは、だれ? ミサト、それともリツコ? 」
アスカは、マヤの手をぐっと掴んで力を入れた。
「い、痛いわ」
「シンジ君よ」
背中から答えが返ってきた。
振り返ったアスカの眼に、近づいてくるリツコが映る。
「シンジが? 」
「マヤを離しなさい。知られたのなら仕方ないわ。私が全てを話すから」
アスカがマヤを離すのを待って、リツコが話し始めた。
「一番最初は、サードインパクト直後だったわ。あなた、シンジくんを受け入れていたわよね」
「ええ」
女として、いや、人として、世の全てと引き替えに望まれたのだ。その価値は人から望まれたいと願う、アスカの心を満たすに十分であった。
「あなたは、シンジくんに首を絞められたことさえも許した。でも、それでは駄目だったのよ。あなたは覚えていないでしょうけど、あのままでは、遠くない時期に、もう一度あなたは壊れるところだった。失ったエヴァと母の代わりにシンジくんに依存しすぎていたから」
リツコが、たばこを取り出す。
「それに気づいたのは、シンジ君だったわ」
たばこに火をつけて、一服吸う。
「アスカ、あなたなぜ、あの時シンジ君があなたの首を絞めたのかわかる? 」
「わかるわけ無いじゃない」
「泣いていたでしょ、シンジ君」
「…………」
アスカは黙って頷く。
「あれはね、あなたのお母さん、キョウコさんに頼まれたのよ」
「ママに? いい加減なことを言うと許さないわよ。ママは弐号機のコアの中にいたのよ。
シンジが出会えるはず無い」
「本当かどうかは私も知らないわ。シンジ君から聞いただけだから。サードインパクトで全ての人が溶け合ったとき、シンジ君の心にキョウコさんが触れてきたらしいの。娘をアスカを救って欲しいと」
「どういう意味? 」
「アスカ、思い出させて悪いけど、キョウコさんがあなたの首を絞めた時、キョウコさんは、アスカちゃん、一緒に死んで頂戴って言っていた? 」
「ええ」
アスカはその場面を思い出して顔をゆがめた。
「ねえ、おかしいと思わない? すでに壊れて人形を実の娘と思い、あなたをアスカと認めていなかったキョウコさんが、どうしてあの時だけあなたのことをアスカと認識できたのかしら? 」
「えっ……」
アスカは絶句した。今までそんなことに思いをはせたことはない。
「それとあなたの父親というより、キョウコさんの夫ね。あの人が、アスカが見ているとわかっていながら、愛人と性行為を続けたのはなぜだと思う? 」
「我慢できなかったんじゃないの。男って、けだものだから」
アスカの答えを無視して、リツコが続ける。
「もう一つ、どうしてあなたが、キョウコさんの自殺の第一発見者になったのかしら?
キョウコさんはドイツネルフの医療施設に入院していたのよ。あなたの時でもそうだけど、ネルフは病室を24時間監視しているわ」
「まさか、それって」
アスカの声がうわずっていく。
「ドイツのMAGIクローンをハッキングしてわかったの。これら全部は全てゼーレの命令を受けたネルフドイツの仕組んだこと。あなたにトラウマを植え付け、必要なときに壊すことが出来るようにとね」
リツコが、数歩歩いて灰皿にたばこを捨てる。
「壊れていたキョウコさんを操るのは簡単。催眠術とまで行かなくても暗示だけで済むわ。
父親のこともそう。あの男はゼーレの工作員だった。あなたに性への嫌悪を植え付けるのが任務だったわけ。そして、キョウコさんの死、いえ、あれは他殺だった。あなたに見せつけるため、タイミングを計ってキョウコさんを殺した。チルドレンに選ばれたあなたの歓びを潰し、それに縋らせるためにね」
「リツコ、嘘を付いていたら殺すわよ」
アスカは、殺気をこめた声をだした。
「殺されても良いわよ。私たちの罪は消えないのだから。これが真実なのは、保証するわ。
私もレイに同じようなことをしたから」
リツコが辛そうな顔をする。
「リツコ、ありがとう。ここからは私の仕事」
ミサトが姿を現した。
「アスカ、あなたに黙っていたのは謝るわ。シンジくんに強く言われていたから。で、リツコの話の続きだけど。ドイツネルフであなたのカウンセリングをしていた男を覚えている? 」
ミサトに言われて、アスカは頭のはげた大柄な男を思い出した。
「アイツがすべてをたくらんだの。ゼーレに命じられてね。ちゃんと本人の自白もあるわ。
ちょっとだけ痛い思いをして貰ったけどね」
ミサトが苦い笑いを浮かべる。
「私たちが全部を知るまえにシンジくんは、キョウコさんからそれを教えられた」
「それがどうしてアタシの首を絞めたことにつながるの? 」
「アスカ、最近キョウコさんに首を絞められる夢を見ないでしょう」
「…………」
アスカは無言で返答に変えた。
「あのトラウマを、シンジくんが上書きしたのよ」
「上書き? 」
「そう、より強い刺激を与えることで、前のものを忘れさせる」
リツコが言う。
「でもね、あの時のあなたはそれを受け入れてしまった。まあ、それだけシンジ君のことが好きだったのでしょうけど」
「ど、どうして、そうなるのよ」
アスカは、うろたえた。
「でも、それでは、トラウマからあなたは脱せられない。子供が、もっとも心のよりどころとする母親から殺されかけた恐怖。それを抑えられない限り、あなたはかならず壊れる。
少なくとも普通に恋をして結婚し、子供を産むことはできない」
リツコの後をマヤが受けた。
「シンジくんは、だから自分でも隠しておきたかった映像をあなたに見せたの」
あのときマヤが震えていたのは、不潔感からではない。嘘を付かなければならない、シンジを貶めなければならないという辛さからだったと今のアスカにはわかる。
「好意を持っていた男の子にあんなことをされては、性に許し難い憎悪を抱くアスカがきれるのは当然。
あなたはシンジくんの思ったとおりに、許していたはずの首を絞めたことを罪として再認識した」
ミサトが続ける。
「でも、アタシはシンジのことで、毎晩うなされなかったわよ」
「簡単なことよ。あなたは母親を罵れなかった。死んでしまったし、壊れていたとはいえ、親だから。でもシンジ君は違った。身近にいるし、あなたにとってシンジ君は格下。容姿でも勉学でもあなたに及ばないシンジ君は、見下すのにちょうど良かった。あなたは、毎日シンジ君の心を傷つけることでストレスを解放していたの。だから、夢に見ることはなかった」
リツコが冷静に語る。
「問題は、シンジ君が居なくなったらどうなるかだったのよ。夏休みはそれを確認するに良い機会だったわ」
「顔を合わせなくても、アタシがうなされなったから、シンジは居なくなったのね」
「そう。わかるでしょ。幾ら好きな女の子のためとわかっていても、その子から嫌われ憎まれるのは辛すぎるわ。シンジくんの心も限界だったの」
「シンジがアタシのことを好き? ふん、冗談にもならないわ。あんなことをしたのよ。
嫌われていて当然。アイツはアタシと居るのが嫌になって逃げただけ」
アスカの最後の強がりは、ミサトによる頬への一撃で崩れた。
「ごめん、アタシにアスカを叩く権利はないわね。アタシもシンジくんに救われたけど、シンジくんを支えられなかった」
ミサトが小さく詫びる。
「でもね、アスカ。これだけは信じて。シンジくんははっきり言ったのよ。アスカのことを好きだって」
ミサトに言われるまでもなくアスカは気づいていた。でなければ、人に嫌われることを何よりも怖がっていたシンジが、クラス中から疎外されることに耐えれるはずもない。
アスカは理解した。シンジが居なくなった時にレイが言った「護られている」の意味を。
これは、神となるよりもアスカと生きていきたい。そうシンジが望んだと聞かされたときよりも衝撃であった。
リツコが、呆然としているアスカに告げる。
「最後にもう一つ、シンジ君が病室でやったことだけど。あれって、命がつきる前に自分の遺伝子を残しておきたいという、どの動物にもある死を目前にした種の保存本能なの。あのときのシンジ君は、あなたのように心を閉じるのではなく、心が死にかかっていた」
「なぜ、シンジの心が死にかかったの? 」
「あなたが心を閉ざしてから、やってきた第十七使徒ダブリスのせい。ダブリスは、人と同じ姿をしていた。そして、アスカを失ったシンジ君の心の隙に入りこんで、シンジ君の親友になった。だが、それは、ゼーレに命じられた作為でしかなかった。ダブリスは、エヴァ弐号機を操って、ジオフロントに攻め込んだ。シンジ君は、サードインパクトを防ぐため、いえ、アスカ、あなたを生かすためにエヴァ初号機を駆って、親友を殺した。鈴原君の載ったエヴァ参号機に襲われたとき、友達が死ぬより自分が死んだ方が良いと言ったシンジ君がよ」
リツコが泣いていた。ミサトもマヤも頬をぬらしている。
アスカは、シンジがどれだけ、自分を護っていてくれたか、護ろうとしていてくれたか理解した。シンジへの嫌悪感は、どうしようもない渇望に変わっていた。
病室での出来事も、シンジがアスカをつがいの片割れとして、本能で欲した行為なら、許せる気がした。
「シンジはどこ? 」
「言えないわ。アスカにだけは教えないと約束したのもの」
ミサトが首を振る。
「そう。じゃいいわ」
アスカはきびすを返した。
「何処へ行くの? 」
あっさりとしすぎたアスカの態度に、ミサトが怪訝な顔をする。
「屋上よ。飛び降りて死んでやるの。あいつの努力を無にしてやる」
アスカが、醜く顔をゆがめる。
「なんてことを」
「馬鹿なこと言わないで」
「アスカちゃん、駄目」
ミサトもリツコもマヤもアスカを怒鳴った。
「止めても無駄よ。今邪魔できても、いつだって出来るわ。24時間365日アタシを監視続けられるわけないもの。監禁しても無駄よ。トイレで舌を噛むぐらいできる」
アスカは、冷たい笑いを見せる。
「そんなことをしたら、シンジくんがどうなるかわかっているの? 」
マヤが頭を振りながら詰問する。
「わかっているわ。アイツのことだもの。後追い自殺するでしょうね」
これはアスカの女としての自信。一人の男に命を捨てさせるほど必要とされている。
アスカはようやく、女という性を自分のプライドの一つとして受け入れた。
「どうしろというの? 」
ミサトが問う。アスカは言ったことをやる人間だとみんな知っている。
「あいつを呼び返して。そして命令するの。アタシが自殺しないようにずっと見張れって。
昼も夜もすぐ傍でね」
アスカが、婉然とほほえんだ。
「それって、プロポーズ……」
ミサトが、あきれる。
「借りは10倍にして返す。アタシのルールを忘れたとは言わせない。覚悟しなさい、馬鹿シンジ。逃がすものか」
驕慢に胸を反らしたアスカは、使徒を前にしたときよりも闘気にあふれていた。
了