「あ、シンジ」
書店の店頭で、ケンスケが視線をふと上げると、向こうにシンジが歩いていくのが見えた。
手にしていた雑誌を、棚に戻すと、呼びかけようとしたが、シンジが小走りについていく先を見て、上げかけた手を止めた。
アスカだ。アスカが、なにやら怒った様子でずんずん大股で歩き去っていく。
「何だ、デートか」
何も知らない人間から見れば、それはデートと言うよりは、高飛車な女の子のご機嫌を取ろうとする情けない男の子にしか見えないはずなのだが・・・実際、それで間違いではないのだが・・・彼らと日常の一部分を共にしているケンスケからすると、これはもう、「いつもの」デートにしか見えないのだった。
ケンスケは、今日、勇をふるって、きわめて怪しい雑誌を買いに来ていたのだった。
だが、いざ、その場になってみると、どうしてもそれをレジの前に持っていくことが出来なかった。そのために変装までして来ていたのに。
そうだ、丁度良かった。ちょっと、あいつらの後をつけてみよう。
ケンスケは、その本を買わない理由付けができたことで、ちょっとほっとした自分に気付いていない。
シンジとアスカは、デパートで買い物を始める。ケンスケにすれば、間の悪いことこの上ない。なにしろ、婦人服の売り場で、男が一人、きょろきょろしている図なんてのは、はたからみれば胡散臭いことこの上ない。
アスカが振り返る。ケンスケは、じっと、目の前の商品を見詰めるふりをして、顔を上げない。
大丈夫だ。変装だって、ばっちりだし。
「どうしたの、アスカ?」
「ちょっと、そっち、見るんじゃないわよ」
「え?」
「何か、変なごっつい男がね、女性下着をじっと見詰めてるの。それも、クイーンサイズの奴。嫌ねえ、もう。病んじゃってて」
二人は、それから、最近出来た大きなショッピングセンターに向かい、雑貨やら、アクセサリーやらを冷やかして回っている。小さい構えのお店が多いので、尾行するのも一苦労だが、別にケンスケに気付いている素振りはない。
ケンスケは、それらの店の出入り口が見渡せるテラスで、コーラを飲みながら、二人を監視している。ちょっとしたスパイの心境だ。
二人はまた、アンティークの雑貨屋で、なにやら喧嘩を始めたようだ。
こういうときこそ、こいつの出番だ。ケンスケは鞄の中から、この間、通信販売で買った、超指向性マイクを取り出す。それをもう一度鞄に収めなおして、さりげなくマイクをその方向に向ける。もちろん、音楽を聴いている素振りで、ヘッドフォンで音声を拾っている。
「・・・こんな大きなもの、持って帰れないって」
「いいじゃない、可愛いでしょ、これ」
「荷物持つのは、どうせ僕なんだろ、これ、どう見たって10キロはあるよ」
「当たり前でしょ、それくらい」
・・・シンジも大変だなあ。
ケンスケはやれやれと言いたげにヘッドフォンを置いた。
「そろそろ、お昼にしようよ、おなかも減ったし」
「そうね、何食べる?」
「アスカは何が食べたいのさ」
「そんなの、アンタが決めなさいよ、もう、頼りないわね!」
何でこんなことで怒られなきゃいけないんだろう。全く、わがままなんだから。
シンジの頭の中には、既にこのショッピングセンターのレストランの評判は、一応一通り頭に入っているのではあったが、素知らぬ振りで、あえて柱の案内図を指して言った。
「あそこにガイドマップがあるよ、あそこで決めよう」
「事前にリサーチくらいしときないさいよ!」
・・・折角のデートなんだから、と口にしかけて、アスカは口をつぐんだ。何でこいつは、こんなに気が利かないんだろう。
アタシだって、一度くらい、ちゃんとエスコートしてもらいたいのに。
結局二人は無難に、イタリア料理のお店に入った。あんまり高い店に入られると困ったと思っていたけれど、それほどでもなさそうなので、ケンスケも少し間を置いてから店内に入った。
お昼の時間なので、そこそこ混んでいたけれど、丁度二人の座った席が見えるカウンター席に案内された。
そこはネクタイを緩めた、くたびれた感じのスーツの人や、武道でもやっていそうなごついおっさんなど、地中海風を思わせる明るい店内の雰囲気にそぐわない人ばかりが集まっていて、家族連れやカップルの作る華やかで騒々しい世界から隔絶された、やけに硬派な世界を形作っていた。
男一人だと、どうしてもこうなっちゃうんだろうなあ。ケンスケは、自分の立場を再認識させられる。どうせ、俺も、寂しい奴だと思われているんだろうな。
「どうもありがとう」
ケンスケは案内してくれたお姉さんに、気取って言ってみたけれど、反応はなかった。何か、空しい。
アスカはメニューを端から端まで読んでいる。何でそんなに悩む必要があるのか、シンジにはさっぱりわからない。いつだってそうだ。こんなもの、さっさと決めればいいのに。
「まだ決まらないの?」
「アンタは何にするのよ」
「これ。若鶏の香草焼きのセット」
「じゃ、アタシもそれにする」
「駄目だよ、じゃ、アスカはそれにしなよ。同じメニューじゃ面白くないだろ」
シンジはなぜか慌てて、メニューを取り上げて、違う料理を考える。
「何よ、何で駄目なのよ!」
また、アスカがむくれた。
ケンスケがこっそり見守る中、料理が二人のテーブルに運ばれた。お姉さんが、レシートをテーブルに伏せてから去っていき、二人はなぜか律儀に手を合わせてから、それぞれの料理を食べ始めた。
「あ、これ、美味しいよ。アスカもちょっと食べてみなよ」
シンジが皿をアスカに差し出した。
アスカは、遠慮なく、その皿の料理を切り取って、口に放り込む。
一口食べてみて、気に入ったのか、今度はシンジの方を上目遣い気味に見ながら、もう一口。
「いいでしょ、もう一口くらい」
「あ、そんなに食べちゃって、僕の分は?」
「細かいこと言わないの!これ、結構、いけるじゃないのよ。やっぱりこっちにすれば良かった」
全く・・・アスカには判らないんだろうな。シンジは独白する。
アスカには、多分、何ってこと、ないんだろうけど、僕が差し出したお皿を、何の疑いもなく、嬉々として君が食べてくれることに、僕自身がどれだけ幸せを感じているか、なんて。
それも寂しいけど・・・でも、まあ、いいか。
それをアスカが知ったとしたら、いつまでもこのままじゃ居られなくなるかも知れないから。
だから僕は、君に微笑んでしまいそうになるのをこらえて、あえて、ちょっと渋面をつくる。
・・・「あ、そんなに食べちゃって、僕の分は?」
全く・・・シンジには判らないんでしょうね。アスカは独白する。
シンジはどうせ、同居人としての、いつものことなんでしょうけど、女の子にとって、こんなところで、あんたのお皿の料理を取って食べるなんて、どれだけ勇気が居ることなのか。
そして、アタシが今、どれほど幸せを感じているかなんて。
どうせ、おいしいものが食べられりゃ、それでアタシが満足してるとか、そんなことしか考えてないんでしょうけどね。
それも癪だけど・・・でも、まあ、いいか。
それに気付いたら、シンジはまた、意識しちゃって、絶対、こんなこと、しなくなっちゃうだろうから。
そうしたら、アタシが一番幸せな、この時間が、二度と味わえなくなっちゃうかも知れないから。
だからアタシは貴方に、いつものように、憎まれ口を叩いて見せる。
・・・「細かいこと言わないの!これ、結構、いけるじゃないのよ。やっぱりこっちにすれば良かった」
全く・・・あいつらにゃ、判らないんだろうな。ケンスケもまた独白する。
お前らが何気なくやってることって、・・・本当に、何気なくやってるんだろうけど、だからこそ、傍から見てると、まるで長年連れ添った夫婦みたいなんだよ。違和感なく、そんなことしてくれるなよ、俺たちはまだ中学生なのに。
もちろん、ケンスケには、彼らの間の微妙に揺れる心の内側なんぞ、判ってはいないのだが、結果から言って、彼の理解は概ね正しい。
「全く、嫌になっちゃうよ・・・」
彼らのやり取りを視界の隅に捕らえつづけながらも、ケンスケは、ひどく孤独感を感じて、目の前の皿を、ひたすら睨みつけていた。
・・・二人のチルドレンをガードする「黒服」の一人は、似合わない私服で、ケンスケの隣にいた。彼はケンスケを知っていた。ガードすべき人物の友人として、だけでなく、彼がサードチルドレンを河原で匿っていたときには、直接相対したこともある。
彼はチルドレンのガードの任務に付随して、今日の、下手な変装をしたケンスケの行動の一部始終についても監視する羽目になっていたが、彼は、ケンスケの行動の一つ一つに、柔道一直線でモテなかった自分自身の青春時代を重ね合わせて、むず痒いような、居たたまれないような、懐かしいような、そんな心持を久しぶりに味わっていた。
ケンスケの呟きが、彼の耳に、ノイズに埋もれることなく、明瞭に聞き分けられたのはそんな理由による。
判る、判るぞ、ケンスケ君!
「頑張れ、ケンスケ君、君にもいつか、きっと、その日は来るさ」
ケンスケに、つい、そう言ってしまいたくなる自分を抑制するために、彼もまた、目の前のコーヒーカップをじっと睨みつけていたのであった。
おしまい