もしも…本当に神様がいるのなら…
神様が、人の幸せの配分を決めるのなら…
お願いがあるんです。
体が、勝手に動いてた…
飛び込んだ瞬間から、全身に奔る激痛がその無意識の行動を責める。
熱いのを通り越して、痛みだけしか感じられない。
だけど…
目の前で人がいなくなる所を…
死ぬところなんて見たくなかった。
だから、痛いのなんて…我慢する。
耐えてみせる。
そう言い聞かせて、挫けそうになる僕の弱い部分を片隅へと追いやる。
どうせ、ここでケーブルに掴まっても…数分は痛いのを我慢しないといけないんだから。
さらに、言い訳をつけて僕の無意識の行動を支持する。
「ここまで…か…」
ヒーローみたく、タイミングよくパイプが切れた瞬間に登場して。
だけど、冷却機能の限界か…少しずつ上昇していくLCLと痛みが、カッコいい台詞のひとつも言わせてくれない。
多分、今LCLを吐き出して、新しいLCLを取り入れたら…
僕の肺は焼け爛れてしまうから。
口を開いたら、痛みを耐え切れなくって、せっかく掴んだアスカの手を離してしまうかもしれないから。
目を開けても…きっと、僕の目は失明するくらい火傷しちゃうんだろうな。
だから僕は目を瞑って必死に耐える。
「無理しちゃって…」
うん、無理してる…
でも、それしかなできないから。
僕に与えられてる幸せを、ただ一人…彼女に捧げます。
もしかしたら、僕がここまで生きてこれたこと自体が幸運の塊だったのなら。
ここに辿り着くまでに…
彼女と出逢った事も…
それで、使い果たしてしまってるかもしれないけど…
「アンタって、ホントに馬鹿ね…」
アスカの言うとおりだと思う…
何で、命がけなのか自分でもわからないし。
誰かが死ぬのが嫌なのかな?
誰にも、死んでほしくないなんて言わないし、言えない。
だけど…目の前で誰かが死ぬのは、嫌かもしれない。
その為に自分の命がなくなっても?
多分、そうなんだと思う。
じゃなきゃ…僕は、僕の心に言い訳をできないから。
そして、これはミサトさんの代わり。
仇を討ちたくても討てないミサトさんの代わり。
その悔しさの1/10でも、1/100でも…晴らしてあげられれば。
逃げちゃだめだ…
きっと、僕がここで何もしないでも…
綾波とアスカが死んじゃうだけ。
逃げちゃだめだ…
そして、その時には生き延びれたとしても、
結局、最後にみんな死んでしまうだけ…
逃げちゃだめだっ…
僕も…なら、先に死んでても変わらない…
だから…
「そう…逃げちゃだめだ」
もし、ほんの少しでも残っているなら…
ささやかな…
ホントにささやかなものでも、
それで、一瞬でも彼女が笑顔になれるのなら、僕のすべての幸せを彼女に届けてください。
「…死んだほうがましだったわよ」
生きてさえいれれば…幸せになれるって…
いつか、幸せになれるって…
そう信じてる僕には、アスカの気持ちを理解することが出来なかった。
軽率な発言って、言われちゃうかもしれないけど…
僕にはあの時、あの言葉しか浮かばなかった。
だって、生きてさえいれれば…
嬉しいことだって、笑うことだって…
そういうことが起こるはずだから。
死んじゃったら、そんな機会まったく無い。
その先に、嬉しいことなんか…ある筈無いから。
だから、僕は言い返したかった。
だから、その言葉の意味を伝えたかった。
でも、アスカはそんな僕の言葉の上っ面だけで、その先なんか聞く気は無くって。
ただ沈みゆく弐号機をアスカの背中越しに見送るしか出来なかった。
薔薇みたいに、棘があって、触れるものすべてを傷つけようとするかもしれないけど。
彼女の笑顔は、その薔薇と同じ。
見るものを魅了する。
それだけで価値があるから。
見舞いに行くと、そこにいたのはアスカじゃなかった。
光の灯らない瞳をただ虚空に向けている。
僕が何を話しても…
その手に触れても…
その頬に触れても…
なにも言わないし、動かない。
リツコさんは、心を閉ざしてるって言ってた。
心を閉ざすって、どういうことなのか想像も出来なかった僕には…
この現実は辛すぎた。
アスカに触れるたびに…
一言なにかを伝えようとするたびに、胸が苦しくなって。
その手に触れるたびに、心が痛くなって。
その頬に触れたとき…その痛みは現実の痛みになって、僕の胸を襲った。
僕のしてきたことは間違いだった?
あの時、彼女を助けなければ良かった?
僕は、仇を代わりに討とうなんて考えなければ良かった?
あの時…意地なんか張らず、しなければ良かった?
僕がEVAの操縦を上手くなろうなんて思わずに、下手糞のままならよかった?
人は、やらない後悔より、やって後悔しろっていうけど…
こんなことなら…
何もしないほうが良かった…
大輪の花のような笑顔を彼女に届けてください。
彼女に触れようと、手を出し続けた愚かな僕の罪を罰して下さい。
こんな時に出来た新しい友達は…
僕を見てくれて、僕と話してくれて…
そして、僕を慰めてくれた。
人として、僕なんかよりずっと出来てる。
本当の意味で誰からも必要とされない僕とは、まるっきり違う。
だから彼が使徒だと知ったとき…神の使いっていうのが良くわかった。
きっと、神様っているんだなって。
神の使いと、僕の命。
そんなものを比べられるわけが無くって、僕の心の天秤はあっさりと傾いて、結論を出してくれた。
もう、迷うことも無い。
「人は死ぬべき定めではない…僕を殺してくれないかい?」
「人は死ぬべきじゃないかもしれないけど…カヲル君も死ぬべきじゃないよ?」
「それはどういう意味だい?」
「死ぬべき定めは、僕だから…」
貴方の使いを滅ぼし続けた罪は…すべて僕に…
書イタ人:しふぉん
静かに腰掛ける銀髪の少年と、それに抱きかかえられた少年。
「僕は滅びるために生まれてきたのだけどね…、シンジ君と約束があるからね。滅びることは、今はできないね」
こう語りながら第壱拾七使徒にして、Fifth Children『渚カヲル』という少年は笑顔と共に発令所に現れ、それと同時に圧倒的な力をもって占拠した。
MAGIの端末の上に腰掛け、傍らに少年を横たえる。
彼は一枚のディスクを取り出し、それを再生させながら自らの知る全てを語った。
それは、片手間に操作されたMAGIを通し世界へと配信されてしまう。
「僕が死ぬか…それともここにある筈のアダムの卵を取り返すことが、計画の最終段階ということなのさ」
言いながら、意味深な視線を一段上から見下ろす男に投げかける。
「僕の魂は間違いなく使徒だけど、体は人と変わらない。 滅ぼすというのなら簡単さ…
だけど、シンジ君の最後のお願いなんでね…全ての人に必要とされる人になって欲しいってね」
彼がそう言葉を締めくくると、即座に二人の男は拘束され、その自由を奪われた。
一時の狂気がその男達の命を奪うかと思われたが、一部の理性ある者達によって、それには至ってない。
ただその場に拘束され、床へと投げ出されただけ。
しばらく後になると、幾人かの老人が通信と共にその姿を現しては、少年と対話した。
罵詈雑言を並べ立て、呪いの言葉を吐く者。
達観と共に、敗北を宣言し…残されるものへの言葉を残す者。
そして誰もが最後の言葉と共に、その場で命を絶っていく。
「そうか…それが貴様の新たな使命か… そう信ずるのなら、止むを得まい…」
最後の一人と思しきバイザー姿の老人がカヲルとの対話を終えると、他の者たちと同様に銃を取り出し、自らのこめかみにその筒先をあてがう。
「ダブリスたる、彼の望みが人の世なら…我らにそれを止める術はない。」
終始カヲルにだけ注がれていた視線が初めて彼から外れ、発令所に集う者達に向けられる。
そこには、強権を行使し続け、敵を作り、更にその敵を打ち滅ぼしてきた、恐怖の代名詞たる秘密結社の長たる人物ではなかった。
ただ一人のか弱き老人の寂しげな笑み。
「最早、碇もその姿では何も出来まい…我らの敗北だ。
後の世は、君らに任せるとしよう。
さらばだ…」
最後の一礼と共に、その画面は赤く染まり、そのまま暗転する。
その最後に、その場に居る者たち全てが、ただ呆然とするしか出来なかった。
そして、幾ばくかの後に一人、また一人と、その場を去っていく。
自らの行いを正義として信じてきた者達には、大きすぎた衝撃に…
そして、若い命にその責を負わせ続けたことに後悔する者は、その安らかに眠りのために…
「これで、君の望んだ人の世は続くことになったよ、シンジ君」
ミサトが悲愴な面持ちを隠しもせず、アスカの隣に立ちすくむ。
電子音だけが支配する空間に、二つの小さな息の音。
ただそのままに、時間だけが過ぎていた。
やがて、小さな声が滲み出す。
感情の篭らぬ…ただ、シンジの死を伝える声が。
事細かに…事実だけを伝える。
その言葉が、アスカに届いているかはミサトには関係が無い。
聞かれていようと、聞かれていまいと…どちらでも良いのだ。
それは、ただ誰にでも良いから聞いてほしかったからなのか…
またその行為が、どういう結末を呼ぶかということも想像の出来ぬまま。
やがて、その声の中に、悲しみが上乗せされる。
次に、怒りが…その言葉は乱雑なものになり、泣き言に変化し、最後には言葉が繋がらない。
ただ、叫ぶように言葉をアスカにぶつけているだけ。
「起きなさいっ! アスカがそうやってる間に、こんなことになっちゃったんだからっ!」
自分の心のままに…
叫びが止むと、その足元に無数の雫が弾けた跡が残された。
そして、俯いたままのミサトは、懐に手をしのばせる。
「ここに、初号機の通信レコーダーに入ってた、シンジ君の最後のメッセージが入ってるわ… アスカへよ…きっとね」
端末をそっと枕元に置き、そしてアスカに一瞥もくれず、逃げ出すように走り去る。
もしそこで、アスカを見ることができたなら…
いや、見たとしても、見えなかったであろう。
ミサトの歪んだ視界では、その僅かな動きを捉えることなど。
最初は偶然だった。
寝返りを打った手が、それに触れただけ。
その機械が放つ光と声に、何かを感じたのかもしれない。
再び静寂がその場を支配してしばらく…ゆっくりと動かぬ筈のその少女の右手が動き、傍らに置かれている小さな機械に触れる。
再びオレンジ色の光と共にノイズ交じりの声が小さく滲み出す。
昨日も、一昨日もその前もずっと…その声は、間違いなく語りかけてきた。
虚ろな意識の中でも、それはしっかりと覚えている。
だが、今日に限ってそれはなく。
ただ、泣き喚く女が一人きただけ。
その女が語った言葉が、何か大事なことだと分かった。
だから、その残していった物に興味を抱いただけ。
そして、今聞こえるのは、あの自分に語りかけてきた声。
『だから、さよなら…』
その音と共に、カチリと音を立て部屋に静寂と暗闇が戻る。
だが、その静寂もつかの間のものであった。
三度その機械に明かりが点る。
今度は、彼女の意思そのものによって。
『僕はね…親にさえ、必要とされていないんだ…
多分、道具でしかなかったんじゃないかな?
僕に構ってくれる人って、初号機パイロットとしての僕だけだったんだ。
だから、褒めてもらいたくて、上手く操縦できるように頑張ったんだけどね。
けどね…、人を傷つけてまで…欲しいものじゃなかったんだ。』
ゆっくりと首が傾き、そのオレンジ色の明かりの照らされる方に視線が向くが、焦点は遥か彼方。
口調が違う、悲しい色を含んだその声にただ反応しただけの様にも見える。
自分に向けて語りかけてくる筈のその声は、自分以外の誰かに向けられていた。
それは眠り続けたいた少女にとって、酷く不快感を感じさせる。
その画面に映る、横顔が誰であるか…
僅かに、心の奥が何かを訴える。
『なんていうのかな?
良かれと思ってやることが、全部裏目に出て。
いっぱい人を傷つけて。
しない後悔より、した後悔なんて…人は言うけど…
僕がしたせいで…
僕の親友は、僕の手で握り潰されて…片足がないんだ。
その親友の妹も…僕のせいで、大怪我してるんだ。
綾波は…そんな僕のために…死んじゃったんだ。』
画面の中の少年は、涙を流すことなく泣いていた。
それが、さらに少女の心を揺さぶる。
『そして… 彼女はもう…何も言わなくなっちゃったんだ。』
ゆっくりとその瞳の焦点が合わさると共に、少年の横顔が瞳の中に現れる。
『元気な頃なら、触れただけで僕の頬を平手打ちしたのに…』
これ…シンジよね…
なんで、シンジの映像が?
だが、目覚めたばかりのアスカには、それを理解することはできない。
『幾ら触れても…なにもしてくれないんだ。』
これって? アタシのこと?
そういえば…シンジが何度もきてた気がする…
『こんな風になるなら…しなかったのに。
こんなことなら、しない後悔の方がよっぽどマシだよッ!!!』
アタシ…どれくらい寝てたのかな?
でも、なんで?
戸惑いながらも、そのシンジの横顔から目を話すことができない。
なにかが、それを見ろと…
『さっき言ってたよね? 『そういうことかい…リリン』って…
カヲル君は、知ってるんでしょ?
そこに居る使徒みたいなのが、何なのか?
教えてなんていわないから…
僕よりも役に立つ人が死ぬ必要性なんかないよ…
きっと…カヲル君なら、僕なんかよりもっと人の役に立てる筈だよ?
だから、殺してなんて言われても…出来ないよ。
僕みたいに、一つしか人の役に立てない…それも失敗しかしない僕よりも…
僕みたいに…必要とされない人じゃないから…』
既に画面のシンジの目は滲みだし、その瞳を歪ませている。
泣いてる?シンジ?
男の癖に…情けないわね…
『死ぬなら…僕だから…
僕の代わりに…みんなに必要とされる人になって欲しいから。
だから…』
なによ?死ぬって?
急にアスカの意識に、ミサトの姿が浮かぶ。
俯きながら、泣き叫ぶ姿が…
〜シンジ君…死んじゃった。 ねぇ、アスカ? シンちゃん、死んじゃったのよ?〜
シンジが? 死んだ?
だって、無敵のシンジ様よ?
シンクロ率No.1で、使徒撃退数TOPのシンジが?
アタシより上の成績を誇るのよ?
そんな筈ないわよ…
『心残りといえば…もう一度、見たかったな…
アスカの笑ってる顔を…
それだけだと思う』
違う…
そうアスカが気づいた時には、画面の中のシンジはいつもの様に俯く様子さえ見せてはいなかった。
代わりに牢獄から解き放たれた罪人の如く、晴れやかな笑顔を浮かべて…
アイツは…殺されたんじゃないんだ…
自分から…
『きっと、僕にとっても生と死は等価値なのかもしれない』
画面の中のシンジは、その相手との会話を楽しむかのように、晴れやかなまま静かに佇んでる。
なんでよ…
その問いに答えるかのように、再びシンジの口が開く。
『もう…見てるのが辛いんだ、アスカを… 僕のせいで…
アスカをあんな風にしちゃった責任は、きっと僕だから。
だから、死んで償うんだよ。
それにね…』
シンジのせい?
確かに、そうかもしれない…
でも、違う…きっと、シンジのせいだけじゃない…
横たえていた体がゆっくりと起き上がり、再生用端末を自らの正面に持ってくる。
そして、その画面に映る横顔に手が伸びる。
『使徒が…神様の使いがいるんだから、神様もいる筈でしょ?
だから、神様に…
残り少ないかもしれないけど…僕に分け与えられる幸運を、全部アスカにって、
お願いしたいんだ。』
シンジの…せいなんかじゃない…
アタシが勝手に、なのに、なによ…それ、
アンタはアタシにそんな大きな借りがあるっていうの?
それも違う…違うわよっ!
端末の液晶画面に指先が触れると、それを中心に色が滲む。
あたかも、涙で滲む視界のように。
『ありがとう…カヲル君』
なによ、そんな晴れ々々とした顔しちゃってっ!
そんなにアタシから離れられるのが嬉しいっての!?
誰も死んでいいなんて許可してないじゃないっ!
何より、アタシが許可してないわよっ!
なによ…ズルイわよ、
画面の中のシンジは相手との会話を終えると、何かを堪える様に大きく息を吸い。
カメラに向かい、生まれてから最高の笑顔を向ける。
最後に、こんなに綺麗に笑うなんて…
『だから、さよなら…』
その呟きと共に三度砂嵐が画面を支配し、数瞬後には再びその電源が落とされる。
「馬鹿…シンジ…」
そこには、電子音以外の音が新たに加わっていた。
赤い瞳を更に赤く光らせながら、レイはただカヲルを睨み付ける。
一段高く、それまでならば、長たるもの達が居る場所から見下ろし、ひたすら続ける。
「待ってても、来ないみたいだね」
「…そうね」
憎悪に溢れるその視線を受け入れながらも、カヲルは微動だにしない。
そしてレイもまた、殺意を隠しもしないのに、その行動は起こさない。
「事が終えたなら、君に滅ぼしてもらうしかないんだから、そんなに睨み付けないで欲しいね」
「…貴方が、碇君の望みを叶えるまでは逃がさない」
溜息混じりに話しかけるカヲルに、レイはあっさりと切り捨てさらにその視線を険しくさせる。
お互いが、見つめ合う形になりながらも、その空気には人を近づかせぬモノがあり、下階層から遠巻きに眺める者も僅かには居るが…次第に耐えられず、その場を後にする。
「全ての人に必要とされる人になればいいだけだからね」
簡単に言い放つ彼の表情には、気負いは全くない…
それどころか、僅かに笑みを浮かべてさえいる。
ただ漠然と、それを受け入れてるだけ。
それを知ることは、今の彼には理解できるはずもなかった。
「待っていても、目当ての人物は来ないようだね。
しょうがないね、行こうか? シンジ君」
レイの厳しい視線から目を逸らし、手元のシンジに語りかける。
無論、応えるはずもない。
「シンジ君の心残りの為に…」
言いながら、シンジの髪に触れようと手を伸ばすが…
赤い光に包まれると同時に、火薬の弾ける音と金属音が響き渡る。
「アンタみたいな奴に…使徒なんかには…シンジに触れることは許さない」
酷く小さな声でありながら、それに含まれる重さに霞ませることなく、響き渡る。
「お待ちかねの姫君の登場だよ、シンジ君」
狙撃されたにも拘らず、カヲルはそちらを振り向きもしないままシンジに向かい話しかける。
レイもその視線を動かすことなく、ただカヲルを見つめ続ける。
「なんで使徒が生きてて、シンジが死ななきゃならないのよ」
「それがシンジ君の望みだったからね」
寝くずれた髪を梳かしもせずに寝巻き姿のまま現れたアスカは、銃口をカヲルに向けたままのゆっくりと歩み寄る。
その視線は、レイと同じく殺意に満ちている。
「シンジから…離れろ…」
その声に乗せられる感情は、アスカに似合わぬ様な冷たい声。
激情に流されることなく、冷静さを感じさせるのだが…
冷静であるはずがない。
「退くよ、言われなくてもね。
その前に、それを下ろしてくれないかい?」
僅かに溜息を含ませるように話す声は、見るものにとっては呆れているようにも取れる。
そのまま笑みを絶やすことなく、アスカを中心に大きく円を描くようにゆっくりと離れていく。
合わせるように、アスカもまたシンジに向かいゆっくりと近づいていく。
剣豪が、無頓着に歩くかの如く進行方向を見つめ進むカヲルと、
その一挙手一動足を注視し、警戒の色を激しく撒き散らすアスカ。
アスカが、シンジの元にたどり着くときには、逆にカヲルは扉の前に立っていた。
「待ち望んだ笑顔が見れるよ…シンジ君」
その呟きは背を向けたアスカには届くはずもなく、またレイからもその唇の動きさえも捉えられることはなかった。
「これで、アンタを殺すのに…ためらいは無いわ」
「どうしてだい?」
再び劇鉄が起こされる金属音が静寂の中に染み渡る。
「アンタなんかの血で、シンジを汚したくなかったからよ」
アスカの目と銃身、カヲルの後頭部が一本の線となってつながる。
だが、カヲルは背を向けたまま、振り返ることもない。
気づいてないわけではない。
アスカの放つ殺気は、既に目に見えるほどまでに膨れ上がり。
発令所にいる者であれば、目に見えずともそれに触れることとなる。
「だけど、殺されるわけにはいかないんだけどね」
「そんなの知らないわよっ!」
心残りがあるならと…語らせるかのように筒先を向けながらも引き金を絞ることなくいたアスカには、その言葉は不快を感じさせるには十分すぎた。
それが仮初めとはいえ、冷静さを装っていたアスカの仮面を奪い取る。
激情が乗せられた声は、周りにで様子を伺っていた者達に、その殺意が偽りでないことを再認識させる。
「…駄目、弐号機パイロット、…まだ彼は碇君との約束を果たしてない」
それまで、二人に対して沈黙を守っていたレイがそのアスカが放つ空気の違いに、本気であることを悟り制止を促すが…
それが逆効果になるのを知るのに時間はかからなかった。
「うるさいっ!」
叫びと同時に絞られた引き金は、狙いを外すことなくカヲルの後頭部へと凶弾を弾き出す。
だが、それは同時に絶望をアスカに与え…そして、赤い光が凶弾を弾くだけ。
「そっか…アタシじゃ、アンタを殺せないのね」
「そうだね、今の君では僕を滅ぼすことはできないね。 それにまだ…」
それまでの、アスカの声とは異なる、普通の声。
落胆の色もなく、簡単な数式を理解したときのように、その事実を受け入れる。
張り詰めた緊張感も消え失せ、安堵の吐息が伺っていた者達の口から吹き出してくる。
ざわめきが再び起こる。
「シンジ…アンタ一人じゃ寂しいわよね。」
その音に紛れるように、数人の保安部員がアスカの保護に現れる。
「…でも、安心していいわよ?」
その動きは、最後まで…行われることはなかった。
「すぐに…馬鹿なことをしたアンタを叱ってあげるから…」
ざわめき故に、アスカのシンジへの呟きはは誰にも気づかれぬことなく。
「神様なんか、いるわけないじゃない…」
ゆっくりとこめかみに宛がわれると、その熱ゆえに髪が焦げ、僅かな音と匂いが沸き立つ。
「いたらアタシは…」
そして、三度目の炸裂音と共に…ゆっくりとシンジの胸へと吸い込まれていく。
ざわめきが絶叫へと変化し、再び人が溢れだすのに…時間はかからなかった。
暗闇と静寂しかない空間で、急激にシーツを弾き上げる様に起き上がる影。
その影は、辺りに視線を動かし…
自分の居る場所を確認すると、安堵の溜息と共に体を弛緩させ蹲る。
「…また、あの夢?」
影の手元から不安に彩られた声が掛けられるが、その声に影の男が声で応えることは出来ない。
小さく頷いて、その問いに答えるだけ。
その体は小さく震えてさえいる。
「…あの頃の私達には碇君の願いの難しさを理解できなかった」
慰めるように掛けられる言葉にさえも、届くことはない。
ただ、繰り返される夢に怯えるだけ。
ゆっくりと隣で寝ていた女が起き上がり、影の男の頭を胸に抱き寄せる。
だが、その震えは止まることもなく続くだけ。
「僕には…叶えることは無理だよ。シンジ君… 例え、無限の命を以ってしても…」
震える声は…涙を流していることを伝えるには十分であった。