「三日月の次には半月になっていくし、その後は満月になっていくでしょ。
どうしていつも間違えないんだと思う?」
「前の子がいつも後ろの子を呼んであげるから。後の子が前の子に順番だよって
教えてあげるから。」
こめどころ
炎天下にもかかわらずアスカの頭は駅に近付くに連れて次第に冷めて来た。
冷静になってみると、自分がどうしてシンジと一緒に木陰でゆっくり話を聞いてやれなか
ったのだろうという、後悔にも似た気持ちが湧き起って来た。
「いつも世話になっている割には、あいつにちょっと冷たかったかな。」
自分の性格は結構我が侭で傲慢な所があると気がついている。級友たちの前では猫を被っ てる所があるし、教師のお気に入りと言う点では皆と同じように如才なく振る舞っている とおもう。両親とだってかなり良い子として振る舞っている部分があるのだ。その方が、 何かと角が立たないし、信用も高まるし、お小遣いだって。・・・なんて打算的な人生を 送ってるのかしらあたしって。自己嫌悪に溜息をつく。
暫く待っていたけれど、シンジはやって来なかった。あの辺であたしが戻ってくるのを待 っているのかな。いや、こういう時あたしが意地でも自分から戻ったりしないのをシンジ はよく知っているはずだ。待ってたりはしないだろう。ということは、あたしに見切りを つけて一人で相談事に対処しようとしているに違いない。
「・・・何よ。それってないんじゃない。いったん相談しかけたなら最後まで初志貫徹す べきじゃない!第一あたしは相談には乗るっていったはずだし。でも・・・」
言葉に出して呟いてみると、ふいにシンジの言った言葉を思い起こす。
『ん。大事な事だよ。その・・・僕に、僕らにとって。』
・・・なんのことなんだろ。もし・・・そういう事だったら嫌だな。いや、じゃないかも
しれないけど・・・困る、そんなの。
あたしとシンジは親友じゃない。親友同志でいいじゃない。何でも話せる、何でも相談で
きる、どんなことも分かちあえる親友。
そんな存在の方が何処にでも転がっていっるような男の子と女の子になるよりずっと貴重 だと思うんだけどな。ずっと得難い存在だと思うんだけどな。
「あたし・・・気づかずにシンジの気を引くような真似をしちゃったのかなぁ・・・」
そんな覚えはないけれど。一緒に2人でいる事自体がそこにいる事だけでシンジに自分が
絶大な影響を与えているなどという事を想像してもいないアスカだった。
あきらめて、駅裏の寂れた児童公園に行く。
そこはシンジとよく待ち合わせをした場所で、木立に囲まれて通りからの目が届かず暑い
日は日射しを遮り、寒い日は風を遮ってくれる、いい場所だった。
アスカはそこのベンチに腰を降ろすと、鞄につけたポーチから文庫本を取り出し、細い金
縁の眼鏡をかけた。そしてさらに煙草を取り出して火をつけた。
ふーーっ
白い煙が馬鹿みたいに晴れ渡った空にあっというまに拡散されていく。
街のジーンズショップで買い物をした時、おまけについて来た。捨てようともしたけれど
なんとなく興味半分で時々吸っていた。最初の2本で気持ち悪くなりベッドに寝転がった。
その後半分が終る頃には悠々吸えるようになった。新しいのを買いに行く勇気は無かった
ので大切に吸っていたけれどもう2日もすればなくなってしまうだろう。
ストレス発散と称して吸っている子は何人も知っていたが自分がはまるとは思わなかった。
ぼんやりした気分の時にこれを吸うと頭がスッキリしたような気がする。煙の舞いが心を
慰めてくれるような気がする。丁度今は、吸いたいと言う気分そのものだった。
アスカの親は放任主義と言うのか、夫がいないので働いている母は働きのいい商社の秘書
で遅くまで帰って来ない。小さい頃は仲が良かった両親。離婚した父はたまに会いに行く
と猫可愛がりしてくれるだけだから、何をやっても文句を言われる事はない。
見た目が賢そうで真面目そうだから得をしている事は自分が一番よく分かっていた。
「実際、皆が悩んでるような事って何もないんだよね。でも誰にも構ってもらえないのっ てけっこう辛いんだよ。」
そう口に出してみると、しんとした寂しさが胸に広がる。
成績表を貰ってシンジのを無理やり見て、勝っていると大喜びするのは、押し付けた自分
の成績をシンジに見て欲しいから。シンジに賞賛され、そして今回もシンジに勝てないか
も知れない日本史と古典で何とか勝てないかと頑張ってみたりしたいからかも。そして、
シンジのママにシンジのついでにでもテストを見てもらえるから。
「あら、アスカちゃん今回は数学手を抜いたわね。このテストのここは応用なのに間違え てるのは復習で手を抜いて、理解が浅かったせいよ。こっちの間違いは同じ間違いを繰り 返しているからしっかり暗記しなきゃ。」
そんな風に講評してもらえるのが震える程嬉しいからだ。シンジがその度アスカちゃんに 比べてあなたはなんです!なんて叱られるのを見てるのが嬉しいから。まるで、シンジと 本当の兄妹になったような気がするからなんだと思う。
「そうか・・だからあたしはシンジと兄妹でいたかったんだ。兄妹でいれば永遠にあそこ から離れないですむから。いつまでもシンジやシンジのママと一緒にいられるから。 ・・でも、そんなのって只の錯覚だよね。シンジガもし他の女の子を連れて来たら、どこ にあたしの居場所があるって言うの。馬鹿みたい。あたしは所詮他所の娘なのに。」
唇にくわえた煙草をもう一度吸って、吐く。
鼻孔に滲みた煙が痛い。
馬鹿だな・・・あたしって。夢みたいな事ばかり考えて。
「おや、こんなところで煙が上がってると思ったら、アスカちゃんじゃないか。」
慌てて煙草を投げ捨てて振り返ると、目の前に背の高いやや色素の薄い髪の少年が立って
いた。何処かで見た顔。そうだ水泳部の。自分の名前を知っている事についてはいつもの
事なので別段不思議にも思わなかった。
少年はにやりと笑って、自分のポケットからも煙草を出してくわえると、
「火、貸してくれる?」
と尋ねた。アスカが文庫本に挟んだままにしていた小さなライターを渡す。
「火、つけて。」
「調子に乗らないで下さい!」
「おやおや、やはりだめか。」
目の前にいたのは水泳部の先輩で渚カヲルといった。頭の中でデータをたどる。
たしかシンジが最近懐いている3年の女子の弟だったな、もっとも兄妹と言っても同学
年という事は2卵性の双児なんだろう。
男子水泳部の事はよく知らないけれど、県予選でいきなり凄いタイムを出したらしくて
結構校内では有名人だった。
カヲルは渡されたライターで煙草に火をつけると、ふーっと息を吐いた。
アスカの吐いた煙よりもずっと長く濃い。
それを見ながらぼんやりと肺活量が大きいんだなぁなどと、埓もない事を考えていた。
「美少女校内No.1のアスカちゃんが、喫煙習慣のある不良娘とは知らなかったね。」
相変わらずにやにやしながらカヲルはアスカに話し掛けた。
「な・・・なによ。そんなの自分だって同罪じゃない。」
「ハハハ、違いないな。今日は珍しく王子様とは一緒じゃないんだね、待ち合わせかい?」
「誰が王子様よ! 一緒にいない時だってあるわよ。」
「彼なら城山に行ったみたいだったよ。うちの姉さんと一緒にね。」
「・・・え? ・・・どうして。」
ついさっきまで、シンジはあたしに相談があるって言ってたのに。
そんなにすぐ切り替えのつく、どうでもいいことだったの?
それとも、あの3年生のカオルさんとは、あたしと取り替えが利く程仲良しだったの?
自分でも意外な程腹が立って心が平静を失っているのが分かる。拳を握りしめていた。
シンジの馬鹿!馬鹿馬鹿!
「そんなに顔色を変えなくても。ちょっとショックが大きすぎたかな。」
「誰の顔色が変わってるって言うのよ。」
叫んだはずなのに、喉が詰まってかすれたような情けない声しか出なかった。
「シンジが誰と帰ったって、あたしと関係無いんだから!」
続けて叫んだ声は、既に半泣きの声だった。
「おおっと。ねえアスカちゃん、僕が悪かったよ。2人は絶対にそんな感じじゃなかった。 弟の僕が保証するって。姉さんはちょっとシンジ君と話がしたくて無理に引っ張っていった だけさ。ねえ、涙拭いておくれよ。」
いつものクールな様子が崩れて年相応の男の子の顔が覗いた。必死でハンカチをアスカの顔 に押し付けてくる。そのおろおろ顔がおかしくて、今度は噴き出してしまった。
「ぷっ!ふふふっ、あはははは。」
「何だよ、極端な人だなあ。今度は笑い出した。」
「いえっ、す、すみません。先輩の顔がおかしくって。」
「顔がおかしいって言われたのは初めてだよ。」
その憮然とした様子がおかしくて、アスカは悪いと思いながらもますます笑いが止まらな
くなってしまって、暫く笑い続けたのだった。
クールな仮面が剥がれ落ちるとカヲルはごく当たり前の少年だった。昔から姉さんに頭が
あがらなくてやっつけられていたので、こんなポーズをとって女の子達と距離を置くよう
になったらしいやと自分で言い、自分と姉の事を話し始めた・・・
「それで、シナチクを全部とられた挙げ句、チャーシューまで巻き上げられてね。」
「ホントですか。あははははっ!」
「最後に僕の分として残ったのは伸び切ったラーメンがうつわの1/4くらいでさあ。」
「あっはははは、ははははは! いやっ、もうおかしぃ。お腹痛い〜。」
アスカはその時初めて、シンジ以外の男の前で腹の底から大笑いしている自分に気づいた。
「さて、もうそろそろ電車が来る。シンジ君とじゃなくて悪いけど、今日だけ僕と一緒に 帰らないかい?」
さっきまでの皮相な笑顔と違う優しく温かい笑みを浮かべてカヲルは言った。
アスカは頷くと本と煙草を片づけて立ち上がった。シンジと父以外の男と一緒に歩くのも
初めてだった。何か、背徳的な喜びと、震えを感じた。
その時になって、ふと脳裏にシンジの哀しそうな顔と、カオルさんと楽し気に話している
時の笑顔と、両方のシンジの表情が浮んだ。
そうか・・あの時からだったんだ。水着にタオルを羽織ったまま体育館の出入り口から
いつものように剣道部の練習を覗き込んだ時。シンジは嬉しそうな顔をしカオルさんと
話をしていて、まるであの人の弟みたいな様子で額にこつんと指ぬきを貰っていたんだ。
あたしは見ていられなくて飛んでプールに戻った。見ちゃいけないものを見た気がした。
・・・そうだ、あの時からだったんだ。・・・カオルさん、・・・大嫌い。
「いいですね!」
いつの間にか、明るい声で嬉しそうに答えていた。
・・・シンジの馬鹿。
夏の日射し(2)2002 summer/ komedokoro