朝からやたらと元気な太陽が、張り切ってがんがん照りつけていた。
出かける前に、裏庭で頭から井戸水を被っていく。それでも学校に着くまでにはすっかり
乾いてしまうだろう。
その日もいつもと同じように少年はそうやって学校に出かけていった。
この海と島々に囲まれた田舎町にまで夏は間違いなく配達されて来る。高校2年の夏が。
平凡で、退屈で仕方がない奴もいっぱいいて、部活や勉強に専念してる連中もいる。
それが皆、色々な制服をきて幾つかの学校にありの巣をひっくり返したように溢れて、
時間までに学校に吸収されていく。
空から見ていたら見事なもんだろうな、などと想像を巡らした少年は、緊張した面持ちで
駅に向かい、山向こうの少し大きな街にある附属高校の校門をくぐった。

夏の日射し 1

こめどころ

 「今日のとこ、結構面白かったね。あたしペルシャの歴史って好きなのよ。オマルハイ ヤーム、ルバイアート。あの時代にあんな厭世的な詩を詠んでいた近代性が凄いわよね。 個々人の孤独を唱ったのが18C近代までは成立してなかって言う論に対しては、現代人の うぬぼれ過ぎだってあたし傲慢さを感じちゃうな。だってさ、大伴の家持の、例のひばり の和歌にしてもね、あの無為な・・・そもそも彼は、・・・没落していく伴家の・・・・ 藤原の・・・」

 シンジの頭の中で、次第にアスカの喋っている事柄が、遠くに感じられ始めた。
心臓が漠々揺れていて、そのたびに視野がぶれるなんてことがホントにある事を知った。
帽子を被る為に、少し低い位置で留めたポニーテールが左右に調子良く揺れている。

 夏休み前の短縮授業が1週間続いている。日射しは既に真夏と変わらず、なぜこの時期 も夏期休暇に当てないのかと言えば、この時期は前期行事の為に、常に授業が遅れがちに なっている為、生徒が聞いていようといまいと、一定の場所にまで、教科書を進行させて おく必要があったからだ。
まぁ、日本中の学校がそうであっても2人が通っているこれだけの進学校になると、元々 授業の進度など遥かに越えた場所を既に一ヶ月以上前に自習しているので、今さらさらう 必要すら殆どの子には必要ない。
だが、そこは選り抜きのよいこ達であるから、授業をやれば「適確な質問」を教師がにっ こりする程のタイミングで尋ねてくれるほどだ。学校がない方が受験には有利などと腹で は思っていても口に出す程幼い者もいない、そんな校風。

ふと、会話は途切れた。静かなまま2人はしばらく歩いた。

 逃げ水が前方の道に浮んでいる。誰かが道に水を撒いたように。だがそこまでいくと同 じように炎天下でからからに乾いた埃っぽい道があるだけなのだった。
そこだけに潤いが満たされている訳がないのに、進む先にはオアシスがあるような錯覚を 覚えさせる辺りが、小さくてもさすがに蜃気楼の子供だか孫だかだけのことはある。

「アスカ、あのさ。」

「うん?」

立ち止まった彼女の肩を掴んだ。きっと、とても華奢で小さいんだろうな、と思っていた その肩はシンジが予想していた程ではなく、意外としっかりとしており、水泳で鍛え上げ られた、しなやかな筋肉が弾むような反発を返してきた。2人は大きく成長していたのだ。
いつも一緒にいれば気づかないが、アスカの肩が思いの他大きかったように、成長途上の シンジの肩もその直後に自分で触っていたら、驚くほど大きくなっていたのに気づいたろ う。少女の身体が、白樺の若木のようにしなやかになったのと同じ様に、剣道で鍛えられた 少年の身体は腕も胸も太く厚く逞しくなっていた。
だが、少年には彼女の様子は、一つも変わらないままのように思えていた。なのに何故、 自分は大事な友達である少女に、こんな事をしようとしているのだろう。
少年が彼女の中で一番綺麗だと思っている澄んだ瞳とセットのややきつめの眉が、身体を こちらに向け直し、真直ぐに彼に視線を合わせて来た。これも彼女の癖だった。

「何か大事な話なの。そうなら何だってシンの相談に乗るわよ。」

「ん。大事な事だよ。その・・・僕に、僕らにとって。」

「じゃあ、真直ぐに私を見てよ。俯いてたら聞こえないじゃない。」

「こんな道のまん中で話すような事じゃないんだ。だから。」

「何処だって、いいじゃない。大切な事程さっさとやらないと手遅れになっちゃったら、  悔やんでも悔やみ切れないことになるのよ。」

「せめて木陰に入ろうよ。落ち着いたところで話したいんだ。」

シンジが人目のない静かな所に行きたがっている事。
アスカは何処かでそのことに気が付いていた。
それにもかかわらず、その言葉を言わせないようにしていたのは何故だったのだろう。
しばらく言い争った挙げ句、白いツバヒロの制帽は男の子の手を振り解くように離れ、 道を走っていってしまった。
残ったのは白い網のカバーをかぶせた学生帽とその主だった。

 炎天下の歩道をとぼとぼと並木の木陰に救われながら歩く。
下校の道をあの子と何百回一緒に行き来したことだろう。毎朝必ず、下校も大抵一緒。
文化祭の準備などで男子は女子を家まで送れなどと言う時は必ずセットにされ、それが 当たり前の事のように思っていた。

今日は、昨日のうちからわざわざ少女に朝ちょっと用事があるから一緒にいけないと電話 までして一人で登校した。彼女と一緒に行けばまた気が挫けてしまうかも知れないと思っ たからだった。少年は、どうしても彼女に伝えたいと思いつめた事があったからだ。

そう。少年は今さらのように思った。何度も自問したこと。

いつも一緒にいる友達。当たり前の事だ。それだけでよかったはずなんだ。
何を無理に不自然な事をしようとしているんだろう。
第一、まあ仮に告白なんてものをしたとして、一体何がどう変わると言うんだろう?

『何を望んで、告白をするんだ僕は。』

 一緒に登下校して、休みの日には映画に行ったり遊びに出かけたりする事もある。宿題 が分からなければ教えあった。互いの家の親も仲良しで、昔小さかった頃、共稼ぎだった 両親は、保育園が休みの日は僕をを彼女の家に預けていたし、逆にアスカの両親が娘を置 いて出かけなければならない時は、土日であれば碇家で彼女を預かったりしたものだ。
別に幼馴染みなんて言うもんじゃなく、つまり近所にいつもいた友達がアスカだけだった のだ。
幼稚園から国立大の附属小学校に行ったのも、彼等だけだったから。

そのまま中学に進んでも学年の2割程だけが進む附属高校に進んだ時も、それは変わら
なくて一緒だったんだ。
家から学校が遠くなるにつれ彼女のお母さんは「シンジ君、アスカを宜しくお願いね。」
といつも顔をあわせれば首を傾けてにっこりと笑いながら頼んで来たっけ。
それは、アスカのお父さんが何時の間にかいなくなってからも変わらない事だった。
ただ単に挨拶として口にしているだけなのか、細かく面倒を見てやってねという事なのか、
ボディーガードを頼まれているのかよくは分からないけれど、あいつの方では僕に一定の
我が儘や無理を言う権利を持っていると思っている様だった。
部長会議で遅くなるから待っているようにとか、買い物に行くから夕方付き合うように、
だとか、たびたび言ってくる。
余りに傍若無人な状態が続くと、僕らは別に特別な仲でなくて、単なるお隣さんに近い
存在なんだぞ、と改めて思う。そう思って、少し嫌な顔をしたりすると、あんた、うち
のお母さんに頼まれてるんでしょ!と来る。
・・・こっちは何も同意なんかしてないやい!
小学校の時、鞄を電車に置き忘れたアスカが駅前でわあわあ泣いて、恥ずかしくて逃げ
たいのを我慢しながらお母さんが来るのを一緒に待っていた事だってあったんだ。
塾だって彼女が選んだ僕らの駅の2つ前の駅にある塾にわざわざ一緒に通っているんだ。
これだって、最初僕にとっては、通って『やっている』以外の何者でもなかった。学校
の駅や自分らの街の駅なら知ってる奴も多いのに何故わざわざこの駅なんだと尋ねた。

『此所はタクシーが多いから、シンちゃんと一緒に帰れない日でも安心だから。』

・・なんだだそうだ。確かに10時を過ぎると、女の子が一人歩いて帰るには問題のある
郊外の住宅団地だ。痴漢がでた事もある。
しょうがない・・・一緒の塾に通わないと、アスカにもしもの事があったら・・・
そう考えてしまった僕はやはり大馬鹿者だと自分でもつくづく思う。
結局、自分の取ったコマよりアーちゃん・・・アスカの授業が遅い時は自習室で待って
いたりする・・・甘いな。

告白したら・・・こういう日々がどう変わる?何も変わりはしない。
・・・ただ、少しばかり気まずくなるかも知れないな。

ここ数年の変化といえばシンちゃん、アーちゃんと呼び交していた名前を、入学直後の頃 他所から入学して来た新しい仲間達に、訝し気な視線を浴びてから、『シン』『アスカ』 と、少し大人っぽい雰囲気の呼称に変えたくらいだろうか。

・・・それだって最初は学校でだけでの約束だった、今は・・・すっかりアスカという
呼び方が定着し、シンジやシンという呼ばれ方にも慣れてしまった。そう、何だって慣
れてしまうんだ。

だが、その事にしても用心深く、2人の関係を崩さないように、互いにそっと触れていく ような気の使い方をしていた事を2人は分かっていた筈だった。
大人っぽい呼称はもう2人が子供ではない事を、目の前に突き付けており、小学校以来の 友人達も『シンちゃんとアーちゃんセット』が新しい局面を迎えている事を我が身に引き 比べて理解してくれていた。他校から来た生徒たちには、最初から2人は公認の恋人同士 としか思われていなかった。

でも、そうじゃない。
・・・それでも、2人は、僕らは、違うんだ。

そう考えると、少年は今日の少女の態度を思い出して、ひどく憂鬱な気分になった。

「もうすぐ、夏休みが始るって言うのに。馬鹿だな・・・俺。」

プラタナスの並木を駅に向かって元気なく歩き出した少年に声をかけた人物がいる。

「どうしたんだい、碇シンジ。」

シンジより少し背の高い少女。その細身のシルエットは、いかにも都会的で、洗練された 知性を感じさせ、その長い髪に隠れた容貌とアルトの声は神秘的なものさえ感じさせる。
3年生は夏場私服登校可の慣習で、涼しそうな肩のでたワンピースを着ている。その上に サマーカーディガンを羽織っており、それが彼女を余計大人びてみせていた。
竹刀袋をかけて、手には無造作にバックルで縛ったテキスト。
竹刀袋から覗く木刀の柄が全体の調和を程よく壊して、それが少女の中性的な物言いと、 上手く融け合っていた。

「あ、カオルさん。」

「後輩が今にも倒れそうにして、何か寄り掛かるものを探しながら歩いてるような顔して いたら、声を書けざるを得ないと思わないか?」

 3年2組の渚カオル。シンジ達が入学した頃に、東京?からか転入して来た女生徒だ。
なぜか同じ名前の弟のカヲルさんがやはり3年の2組にいるが、シンジはこのカオルさん の方と親しくしくしてた。同じ剣道部の部員だったせいもあるし、カオルの方がシンジを 気に入ってやたらとちょっかいを出してくるせいもあった。

「後輩って、僕はもう17になったしカオルさんは10月生まれだからまだ17才じゃない。」

「それでも1学年違えばゴミも同然の下級生に声をかけてやってるんだから。がははっ!」

 これだけの美人なのになあ・・・

そんなシンジの感慨に関わらず、カオルは今日も豪快に元気だった。

「ふーん、アスカちゃんとねえ。」

 途中の店で買ったソーダアイスバーを舐めながらカオルは言った。ちなみに字で見れば、 このカオルは薫。弟のカヲルは馨であり、字面からは区別がつく。周囲の人間は『お』 と『を』を強調する事で区別していた。

「カオルさん、これって、僕の我が侭なのかな。」

「そんな事はないと思うよ。少女っていうのはそういうものなんだよ。アスカが君の事を どう思っているのか知らないけど、嫌いって訳では思うからね。むしろずっと仲良しだっ たわけでしょう? そういう友達が自分を好きだ。好きって事はどう言う事かっていった らさ、少なからず、女として意識してしまったと言う事じゃないか。とどのつまり君は、 もうアスカちゃんを普通の目では見れない、そうでしょう?」

「うん・・・普通の目では見てないよ。見れなくなっちゃったみたいなんだ。」

「好きだって君が告白して、それを受けるって事は何を意味するか分かってるのかな?」

「ただ、聞いてくれればいいだけなんだ。日常に変化があるわけじゃないもの。」

「差し当たりはそういう考えなんだよ、男の子は。でも本当なのかな?」

ぽてぽてとゆっくり歩きながら、僕らは話していた。いつのまにか昔の遺跡がある城山と 呼ばれている石垣の脇を通り抜けていた。この時間にこんな所に来る物好きはいない。
城山の展望台への石段はセミの声だけで。大きな松の木の影が重なって日射しが遮られた ので、急に涼しくなったように思える。こめかみに流れる汗を拭った。

「ぼくは・・・アスカを守りたいだけなんです。」

「自分の他の男からってことでしょ。よく漫画とか歌なんかで貴方を守りたいなんて言う 台詞が出て来るけどさ。あれって私には『そのかわり分かってるだろうな』って、続けて 聞こえちゃう。独占させろって事でしょ。自分のものになれって。」

「そんな事思ってはいなかったけど・・・好きだって事を受け入れるって事は・・・ そういうことなのかも知れない。アスカを、僕だけのアスカに、したいもの。」

「少女はさ。そういう事には敏感なのだよ。だけど碇が悪い訳でもないよな。」

舐め終ったアイスバーの棒を持ったまま周囲を見回すカオル。ゴミ箱はない。しかたなく、 口にくわえたまま、ピコピコと動かしている。

「それ、あぶないですよ。」

シンジはカオルの口から棒をさっと抜き取ると、自分の棒と一緒にハンカチにくるんだ。
それをそのまま胸ポケットに入れた。カオルは呆れたようにそれを眺めた後、笑った。

「あはは。シンジ君はいつもこうやってるわけだ、アスカちゃんに。」

「え?何がですか。」

「アスカの事を知らない娘にやったら、罪だぜ。物凄いアプローチだから。
アスカもなあ、こういう事までしてもらってるんだってことに気がついているのかなあ。」

「あの・・・、何の事なんです?」

「わからなきゃそれはそれでいいのよ。でもちょっとうらやましいかな。」

・・・ま、シンジ君は十分今までお姫様を御守りして来た訳だね。
当たり前の事になり過ぎてて、意識もしてないってことか。

夏の日射し(1)2002 summer/ komedokoro

Author: こめどころさん
初出: 2002/08/15
再掲載: 2005/10/31