5 与える存在は滅びず芽吹く

 雪が消え始めると、山肌にはフキノトウが一斉に頭を出す。天ぷらにするのが大好きだ。
梅が咲くと一斉に水仙や他の花々が芽吹く。残っている空き地にはびっしりと土筆が生える。
それはまるで、鉛筆の畑のようだ。指先が胞子で緑に染まる。
袴を取ったあと湯がき、出汁と醤油とみりん、ごま油で甘辛く仕立てる。これらは皆良いつまみになる。
これらはシンジに食べ方をおそわったのだ。
実際にネルフ時代の皆で春を迎えたことはなかったけれど、何度か挑戦してまずまずの物ができた。
街の小母ちゃんたちも、2ndインパクト以降の世界の人だから意外と作り方を知らない。
ただ味は知っている人も多いので、懐かしいとほめられた。
レイはこういう仕事が大好きで、毎朝早く自転車で、山や野原に野摘みに出かけていく。
あたしも(起きられた朝は)一緒に出かける。
いつの間に自転車に乗れるようになったの、と横を走りながら、だめだ、あたしも運動しなきゃと思った。
これは結構評判になった。駅前の惣菜屋が幾らでも買ってくれて、いい稼ぎになった。

そのあとすぐに、桜の季節がやってくる。

日本の兵舎は桜が植えられているところが多いそうだ。ここにも空き地を囲むように30本からの
桜の大木が毎年咲き乱れた。初めて見た桜は、怖ろしいほどの花の量で、まるで雲のように見えた。
夜の空にも、街の光を受け、存在を主張していた。これほどの見事な花は見た事がなかった。

レイは、初めて見る景色を呆然と見上げるだけだった。
風が吹いて花の雲が蠢くと、見上げるレイの身体も同じように揺れた。
初めて桜を見たとき、あたしも口を開けたままで暫く時間の感覚を失ったものだ。
日本人は、その下で花見と称して酒を飲み、ご馳走を食べて宴会をする。
あんな怖ろしい場所で、何故宴会などする気になるのか、理解できないと思った。
もちろん今ではすっかり馴染んで、レイもあたしも一緒に花見に出かけるのだが。
若草が燃え上がり、日差しがゆっくりと長くなって風がぬるくなってくると、本格的な春となる。
公園にも、街路の脇の住宅にも、見慣れたバラやフリージア、タイサンボクやハナミズキが咲き誇る。

「散歩してて見慣れた花があるとほっとするわ。」

「アスカも花の名前なんか覚えるのね。」

「樹木と好きな花だけだけどね。バラの花や野草は幾つか知ってるわ。レイは?」

ちょっと困った表情になって、レイはわたし知らない、と呟く。

「これはアセビ、これはレンゲツツジ、これはアマチャ。山アジサイに似てるけど、葉から甘茶が取れるのよ。
これはナンジャモンジャ、白くて綺麗でしょ。」

「食べれる草なら少し知ってる。このカラスノエンドウとか、ハハコグサ、ヨモギ、イタドリ・・・」

「もしかして、うちの食卓に出たことある?」

「ええ、あなたおいしいおいしいっていつも食べてるわ。」

「毒なんかないでしょうね。」

「木の実は気を付けなきゃいけないものもあるけど。葉っぱは安全。」

どこで一体そんなこと教えてもらってくるのよ。

「うちに裏の空き地、フェンスになってるから採らしてくれって言う人がいるの。その人に許可出して、代わりに。」

「ははーん、やるじゃないファースト。」

「セカンドを見習っただけ。ギブアンドテイクってよく言うでしょ。」

蓚酸を抜けばたいていの葉は食べられるとは聞いてるけど。野の草を実際に食べるなんて思いもよらなかった。
話に聞くと、バッタや蜂まで食べるらしいから、日本人て結構ゲテモノ好きだ。
そんな卑しい物を食べなくたっていいのに。
だけど、どうなんだろう。野の草のようなものでも、自らを与える事を知っている。
我が身を犠牲にして誰かに与える事を知っている。

ドイツでは秋になった頃、兵舎総出で森にキノコ狩りに行く習慣があった。採っていいキノコが決まっているのは、
毒キノコが混じって、大量に欠員が出ると困るからという事だったな。中隊単位で採集にいって、採ったきのこは
その隊が食べる決まりになっていたっけ。分散した方が安心だから。
何故そんな危険を冒してまで採りに行くかというと、キノコ狩りの後の宴会が楽しみだったからだって。
大人ってどうかしてると思ったもんだったわ。

ああ、どうしていつもこんなに昔の記憶があたしを苦しめるんだろう。
あたしは自ら望んで周囲を拒否した。周囲があたしに与える物を拒否した。
だから、周囲があたしに求める物を拒絶してもいいはず。そうよ、もっとあたしを認めなさいよ。
高貴な姫君のように接しなさいよ。あたしはそれだけのものをあんた達に与えてやる存在なのよ。
善意を振り払い、自分から孤立していじけて僻んでいた。
回り中があたしを嫌うまで試しつづけた。与える事を拒み続けた。

 そうして、あの日、今思い出しても信じられないようなあの夜。
現実に起こったことなのか。それとも夢なのか。あまりにも見極めのつかないあの晩の出来事。

布団を並べて眠った夜、蚊帳越しの月が綺麗な夜だった。
物騒だとか何とか言いながら、あたしとレイはガラス戸を開けたまま横たわっていた。
枕元に月明かりが差し込んでいて、庭の立ち葵がその光を反射して青く輝いているように見える。
ふとまどろみ、気がつくとレイが顔の両側に手を突いて、あたしをじっと見下ろしていた。

「なに?」

レイは何も応えず、さらに屈みこんだ、あたしの顔の上に。
レイの息遣いがあたしに直接触れるほど近い。横の髪がかすかな音を立て、額の前にすべり落ちた。
冷やりとした何時ものレイと違う気配。

「アスカ。」

ぴちゃん――と、水滴の垂れる音が周囲に響き渡ったようにその声が響いた。
周囲は暗い洞窟。
レイの周囲に、暗青色の水が満たされている。はるか地下深くで純粋な青が輝いている。
ここはもはや何時もの部屋の中ではない。
目が慣れるにしたがって、その青が濡れた壁を染め上げているのに気づいた。

「あなた、孤独なの?そんなに寂しいの?」

「何おたんこなこと言ってんのよっ!離しなさいよっ!」

だけど、ほんの軽く肘関節に触れているだけのレイの腕が振り払えない。
レイなんかに、力で負けるわけ無い。なのに力が、出たそばから泡だって消えていく。

「碇くんが恋しい?」

「誰が何時そんなこと言った!何であんな奴をっ。」

腹を蹴り上げたはずの足が妙な感触に飲み込まれた。

「碇くんは、もういない。少なくともこの世界には。」

「わかってるわよ。でもあんただって戻ってきたじゃないっ。」

いつも考えていた事は、何故皆は、シンジまでもが、あたしを置いていったのかという事。

――そうなのアスカ。そこには嘘があるって自分でおもわない?

誰よ。あんた誰よ。
そこにいる半分影のようなレイはあたしが一番言われたくない事を良く知っていた。
何時ものレイじゃない。

――本当のことを教えてあげる。わたしと、一つになれば全てがわかる。あなたのことも。

嫌!いやよ。全てを知りたいけれど、全てを知られるなんて嫌!

――全てのヒトは皆一つになった。あなたはそこに加わりたいと願っていたんじゃないの?

確かにそうだったかもしれない。でも自分を全てさらけ出すなんて出来ない。
そんなの全てのヒトとすることなんかじゃない。あたしが、あたしが求めてたのは、

――求めていたのは?

シンジなんかじゃないっ!大声であたしは叫ぼうとした。あんな奴に、あんな奴なんかに!

ぶつっと、何かが千切れるような音が部屋に満ちた瞬間、あたしを覆う全てが全宇宙に解放された。
あたしを構成していた何もかもが、音も立てずに崩壊する。
皮膜が裂けて、その中身全てがぶちまけられたよう。意地も我慢も耐えてきた全てが放たれた。
拡散する粒子となって、放射線状に放散した。
それが砂のように積み重なり、再び裏の宇宙のどこかで再構成されている。
そこにあたしの中身も堕ちて行く。
あれがあたし?あんな僅かな量にしかならないならないの?
針の先にもならないほどのあたしの存在。それを観ているあたしは一体何?

唇が、触れあった。レイの唇があたしの唇と重なった。
今まで見ていた宇宙が、そこを基点として裂けていく。あたしは天空から地表に叩き落された。
長い長い距離を落ちて行くあたしと言う存在。
はっとしたとたんに現実があった。
仰天して、あたしはバタバタと身体を起こそうと暴れまわった。
レイの唇から逃れようとブリッジをして足をばたつかせ、身体を捻った。
けれどあたしは圧し掛かるレイをぴくりとも動かせなかった。
腕を頭の上にねじり上げられ、シャツと短パンを身体から引き剥がされた。
屈辱感に顔から血が噴き出しそうだ。

「むーっ!むーっ!」

必死で抗ったが、もう顔を振ることも唇を外す事すらできなかった。
散々暴れた挙句、程なく体力をすっかり使い果たして動けなくなって、身体の感覚がなくなっていた。
レイの薄茶色の髪、淡い赤茶色の瞳。その輝きが、自我を貫き、抵抗する気持ちを打ち砕く。
あたしはレイを見上げ恐怖を感じていた。レイの唇は離れたけど、声を出す事ができなかった。
レイの身体は半透明になり、その中に銀河が逆巻いているように細かな雲母のような輝きが煌いている。
そしてあたしの身体もまたゼリーのようにとろけ、レイの身体と混じり合い二人の重なった形のまま
流動している。
レイの声。そして、あの頃のような深紅の瞳があたしの中に入ってくる。
確かにレイの声が聞こえているのに、それはまるであたしの、自分自身の声帯が震えているよう。

「碇くんから預かったものがある。あなたたちは求め合いながら背中を向け合っていた。
碇くんがあなたを何故求めなかったのか、あなたは未だにわかっていない。碇くんもまた同じだったわ。」

――シ、シンジが何だって言うのよ。あいつは結局あたしを置き去りにしたんじゃない。

――言葉にしなければ伝わらないこともある。行為であらわさなければ信じられない事もあるのに。

――あたしは、いつだって信じたかった。

――それは、碇君だって同じ事だった。だからわたしは、あの時彼に尋ねたの。

――何を、何を尋ねたって言うのよ!

レイの呟きがあたしの中に直接伝わってきた。全ての可能性をシンジに委ねたこと。
あらゆる可能性を、可能性の数だけ、彼の前に展開させた事を。
この、海を臨む崖の上に立って飛べば、両手を開いてどこまでも夕凪の茜の空を滑空(と)んでいける。
誰もが理解しあえ、拒絶に怯えずに住む世界もある。愛する人と2人だけの世界もあるのだと。
レイが、そんなありとあらゆる全ての可能性をシンジに委ねたこと。

――それでも彼はわたしを選ばなかったの。あの人はそれきりどこかへ飛んでいってしまった。

「何故、そんな風に思うの。あの人はアスカに全てを託したのよ。」

「それが何だって言うのよっ。」

あいつはあたしを捨てたんじゃないの!居て欲しいときにいなかったんじゃない!
今更何故あたしに全てを託したなんてこと、信じられるって言うのよ。
言葉にしてよ。形にしてよ。あたしを抱きしめてよ。そうでなくて、何が信じられるというのよっ!

「だって、あいつはあたしの傍にいないじゃないのよぉっ。置き去りにしたくせに、あたしを捨てたくせに!」」

やっと、悲鳴のように声がでた。レイが身体を起こした。

「あたしを理解しようとなんてしてくれなかったんじゃないのよっ!何一つ、与えなかったくせに!」

なんて幼い叫びだった事だろう。全てを要求し、それを当たり前と思い、自分に従えと叫んでいたあたし。
そうだった?本当にそうだった?あいつからあたしは何一つ貰っていなかった?

レイが持ち上げた身体は半透明になって、あたしと融合していた。眼も鼻も口もない、それはただのジェル。
思わず悲鳴を上げたとたん、口を押さえつけられた。自分が狂ったのかと思うほどの恐怖が身体をゆすぶる。
頭に爪を立て髪をかきむしった。叫び続ける声はもう自分の耳には届いていない。
あたしの下半身もまた、ねっとりと糸を引いて、レイの身体と、まるで飴細工のように繋がっているなんて。
レイは手を伸ばしてわたしの頬に触れた。その感触がフィードバックされてくる。

あたしとこいつは確かに一体化している。同時にあたしは初めて理解していた。
欲しくて欲しくて、必死にあがいていたものが今、レイによってあたしに与えられているって事を。
そして、あたしはレイと言う存在そのものを身体の中に受け入れているのだった。
いいえ、あたし自身があたしの形を放棄してレイの中に受け入れてもらっているのだ。
びくびくとレイの身体と自分のものが蠢いているのを感じ、その違和感、嫌悪感に感覚がついていけない。
それでも、時間が経つにつれかろうじて口がきけそうになった。

「あんた、そういうものだったの。」

「わたしはこういう存在なの。」

「何故、あたしも同じ物になっているの。何故あたしにそんなものが関わって来るのよ!」

レイは微笑んでいる、たぶん。 あたしは怖れと安堵の中に深く埋もれ、震えているしかない。

「あなたとわたしは、相似形の、同じ存在。だから碇くんの前に、わたしたち2人が必要だったの。」

「わからないわ!あたしにはわからないよ!何のことよ!」

――あなたはもう理解しているはず。そうレイは言った。理解?

ますます混沌の闇が覆い被さってくるばかり。
あたしの半身はますます熱く、灼熱に融け落ちそうだ。もう半身はその慄くような冷たさに凍りつきそう。
その中で、下腹部は赤く輝き、レイとあたしの身体がまるでそこから渦に巻き込まれそうだった。
そこに存在する銀河の赤と青の銀の逆巻きが脳裏に映る。
苦痛とも快感ともつかぬものがあたしを巻き込んでいく。
どこに一体引きずりこまれていくのだろう。見上げるとレイはもとの姿に戻り、また消え、明滅している。
あたしはまるでそういう形に生まれついたように、レイの身体から二股に生え、一体となっている。
もしかして、シンジともこういう結合をした?
不意に思いついたそのイメージ。あたしは見境も無くかっとなった。赦せないと言う思い。

これは嫉妬なの?
あたしは、シンジを奪われたと思って、怒りに燃えてるわけ?これが、嫉妬という感覚。
そこでやっとあたしは冷静になれた。恥ずかしさが、怒りと怯えを押さえつけたのだ。
わかってた。本当はわかってた。
シンジが。あたしに与えてくれていたもの。ミ
サトが。レイが。ネルフの皆が。あたしに与えてくれていたもの。ママが、養父が、養母が。
そして、この街での日常があたしに与えてくれたものを。

「碇くんから預かったものをあなたに渡すわ。それを受け取るかどうかはあなた次第。」

「そんなのってない!あたしはシンジに一緒にいて欲しかったのにあいつはどこにいるのよっ。」

「あなたに、この世界を残すために、この世界を守るために彼は旅立ったわ。」

「だからあいつは馬鹿だってのよ!あいつがいなかったらあたしがこの世界に残ってたって意味無いじゃない!」

レイがそのあたしの叫びを聞いて微笑んだ。少し悲しげな、その微笑。

「何故、それを直接碇くんに言ってあげなかったの。あたしは碇くんに拒絶されたのに。
でも、やっとあなたの本当の気持ち、言えたのね。」

レイの表情が悲しげに歪んだ。その哀しみは繋がった身体を通してあたしの中にも広がった。
目蓋の裏に甦るシンジの表情。その真剣な眼差しが、あたしとレイの心を諸共に貫き通す。
レイとあたしの目から涙が同時に流れた。
融合は既に胸まで達し、あたし達は一人にまとまろうとしていた。

「怖かったの。また取り残されるかもしれない事が。シンジにだけはそうされたくなかった。
自分ひとりだけ、後出しじゃんけんで負けたような、そんな惨めな思いはもうしたくないの。
もう、嫌なの。同情の裏の嘲笑はもう欲しくない。欲しくないのよ―― 」

生涯言うつもりの無かった言葉が、震えながらこぼれた。一度こぼれだした涙はもう止まらなかった。
この言葉をシンジの前で言えていたなら、あたしの運命はどれほど変わっていたことだろう。
あたしの背後から吹く風が、シンジの前でだけは激しく前方から吹きつける。
顔を背け、聞こえないほどの声は風に吹き飛ばされてしまう。こぼれる涙が吹き飛ばされるのと同様に。
シンジの耳に決して届くことは無い。もっと強くはっきりと伝えたなら。
しっかりと、あいつの目に見えるように涙を流せたなら。

「あたしが馬鹿だったのよ!馬鹿で小さくて愚かだったから、自分だけじゃなくシンジまで。」

顔をくしゃくしゃにして、口を醜くゆがめて、鼻水をたらしながら、大声で泣いた。
とめどなく涙が流れた。両手で、顔を覆い、涙を引っ切り無しに擦りあげながら、泣き喚いた。

「あたしが先に欺いたの、欺かれたくなかったから。怖かったから。先にシンジを置き去りにしたの。」

生まれて初めて、あたしは自分の心を解き放った。ずっとあいつに言いたかった事。
言えないでいた事。見せたくなかったこと。喉が痙攣して、泣き声がひくついている。もう、遅い。

「まだ、遅くない。」

「え…」

「碇くんはきっといつか戻ってくる。待ち続けましょう。
それまでわたしたちが生きている事ができなければ、わたし達の生きた証が、彼を迎えられるように。」

「どういうこと。」

「あの初原の海で碇くんと溶け合ったとき、あたしは彼の精子を預かったわ。」

レイは下腹部にそっと、愛おしそうに両の手のひらを重ねて置いた。

「そ、それってどういうことよっ!」

真っ赤に顔が上気したのがわかった。
溶け合った、繋がったって、あたし達の今の状態を言ってるんじゃなくて?
男女として、求め合って抱きあったって事なの? そんなの許せない。

「誤解しないで。そのままの意味よ。あたしはこの世では卵母細胞を持たない。子宮しか持っていないの。
そういう風に作られているのよ。巨大な洞なんだと思ってくれればいい。
神性は、この洞(うつろ)に何かを宿らせ、育む事しかできないことになっている。
無から自分だけで何かを作り出すことは出来ないの。
第一、この身体のベースは碇くんの母親のもの。彼の生殖細胞を受け入れる事はできない。
でも保っている事はできたわ。」

こんなにもほっとしたのが笑えた。一度正直になってしまうと堪え性がなくなるものなんだ。

「そして、アスカの子宮は戦闘で傷ついている。とても臨月まで胎児を維持できない。だから。」

「ど、どうするって言うの?」

「碇くんの精子をあなたの中に入れる。そこであなたの卵を受精させ、あたしの子宮に取り込む。」

「え、えええっ。それって、レイにあたしが抱かれるって事になるじゃん。」

「現象的にはそういうことね。」

「そんなの、異常行為じゃないの!」

「ささいなことだわ。要はあなたは碇くんの子供が欲しいの? と聞いているの。」

「そ、そりゃ、――欲しいけど。その後、あんたが受精卵を吸い上げるってどういうことになるっての!」

「決まりね。大丈夫、痛くしないわ。入れたものを吸い出すだけだから。このまま眠っている間に終る。」

「ちょ、ちょっと待って、イタクしないって、そんな変態行為いやあっ!」

目の前に一つのイメージが限りなく広がった。
宇宙に、地球と、月と、太陽が存在していた。シンジがその空間を満たしていることが感じられる。

「シンジ?シンジなの?」

ゆっくりと振り向くシンジのヴィジョン。その寂しげな表情があたしに向かって微笑みを投げかける。

「シンジ!」

――アスカ、君に託すよ。いつの日にか人が受け取るべき想いを。

シンジの声が聞こえたように思った。人が受け取るべき想い。
それって何、あたしとシンジの子供がそれを世界にもたらすって言うの?

――僕らの子供もそれを受け取る人々の一人なんだ。だから、君に託したい。僕らの想いを受け継ぐ子を。

想いを。あんたの想いを、その子が受け継いで、あたしに伝えてくれるというの。

――アスカ、いつの日にか君とはまた会える。必ず君の元に帰るよ。人は人を愛するために生きる。
  僕が君を愛せずにいられなかったように。だからこそこの世界を維持するために、この世界に溶け込んだ。
  アスカ、迎えにいくからね。待っていてくれるよね。

あ、当たり前じゃない。千年でも2千年でも待っててやるわよっ!必ず戻ってくんのよ!

その瞬間、身体を貫いて気が遠くなるほどの激痛とかすかな快感のようなものがあたしを襲った。
あたしは、自分が高い叫び声を上げていることに暫くしてから気がついた。
レイと溶け合っている腹部がガクガクと震えて、引っ切り無しに痙攣している。
あたしとレイの内臓がぐるぐるとかき回され、そのたびに激しいビートで送り込まれてくる快楽。
レイにすがりつき、背中に爪を立てて、腿で圧し掛かっている身体に絡み付いて。
仰け反って、爆発を堪えて堪えて、ああ、もうだめ。レイの舌が身体を這い上がっていく。
胸を押し付けられ、喉から首筋へ、耳からうなじへと舌はあたしの身体を濡らしていく。融ける。
子宮が身体の奥から下の方へ降りてくのを感じる。だめ、こんなのだめっ!
レイの髪を、両手で掴み引き毟る程に引っ張った。

「痛い、痛いっ。痛くしないって言ったじゃ無いッ。」

「本当はこんな痛みも快感も要らないものなの。でもこれは神が人間に与えた試練の一つ。
これなしで人は子を作る事ができない。喜びであり、呪いでもある。女としての誇りでもある。」

どこか遠くでレイの声が聞こえたような気がしたけども、次第に気が遠くなっていく。
痛みと快感の両方の攻撃に、正気に戻れないと思うほど朦朧となっていた。

――ああ、シンジが来る。あたしの卵と一緒になるために。

あんなに煮えたぎっていた灼熱感が嘘のように引いていく。身体は浮遊していき、いずこかを漂っているよう。
あたしの子宮が収縮するのを感じ、温かいものが下腹の奥に広がっていく。
長い時間をカかけ、あたしの身体は軟体動物みたいにぐにゃぐにゃになってしまう。夜の星空が回転する。
熱のある時みたいに、天井が近くなったり遠くなったりして、自分のいる場所が特定できない。
息が上がり、身体の感覚が鋭敏になり、無感覚になる。レイ、レイ。あんたあたしに何をしてるの。
あたしは折り曲げられ、身体を捻られ、わしずかみにされて、押し広げられた。恥ずかしい形で呻いた。

――全ての人々が自分の愛するものを探し当てる事ができる世界。誰かを、何かを愛する事ができる世界。

不意にやってきたシンジの気配があたしの事、包んでる。暖かくて、頬を擦り付けたくなるような想い。
ああ、そうなのか。あたしはシンジとこんなにも近いところにいたんだ。
脇の下に鼻を押し付けて、腕枕でおこたに潜っているような幸せな気持ち。
ほんの少し手を伸ばせていれば、そこにあったのよ。そこにあったものに手を伸ばさずに居たのは何故。

「アスカ、アスカ。」

誰かが呼んでいる。あたしもそれに応えて、しがみ付いて、キスをした。固く目を瞑ったままで。
シンジが目の前にいた。確かにシンジだった。言いたい事が山ほど会ったはずなのに。
何も言えないよ。どうしてなのよ。何故いえないままであたしは冷たく青白いままで氷の様に固まっているの。

怖かったからよ、臆病者だったからよ。万が一そこに無かった時の惨めさに耐えられないと思ったからよ。
でも言いたかった、いつだって言いたかった。手を伸ばして、ええ、手を伸ばして――

「アスカ、受け取ってくれるよね。」

シンジを抱きしめた。力いっぱいに抱きしめた。そのわたしの背中を誰かが抱きしめた。
優しい肌の感触。すり合わせた暖かさ、その匂い。泣きたいほどの安らぎ。満たされた心。
これがあたしの欲しかったもの。

「ええ、ええっ、シンジ!」

喉が約まって細い叫び声や、高い息の音だけが漏れた。

「シンジ、シンジシンジシンジ。」

声が詰まってしまって、あんたの名をひたすら呼ぶだけだった。

「〜シンジッ、あぁ〜シンジッ!」

夢中になって抱きついて柔らかな自分のお腹をシンジに押し付けた。
腰が、ぶるぶると震えている。シンジが入ってきてる。あんたの身体があたしと重なっているよ。
思い切り仰け反り、さらに下のお腹をシンジに押し付けた。
シンジをあたしの中に取り込んで、受け止めたのが判った。
思わず呻き声を上げて身体をねじり、両腿で腰を挟み込んでさらに深く受け止めた。

「うっ、ううっ!」

あぁ! 言葉に出せない、あの感触。パチンと弾けたようなあの特別な確信。

あぁ、あたし、今受精した。 シンジの想いを受け取った。それがはっきりわかった。

あたしはシンジを抱きしめた。時間の感覚が、どこか遠くへと消えていくほど深く、水底へと沈んでいった。
脳の芯まで、蕩けていたんだと思う。抱きしめてくれた身体にすがりついた、何の恐れもなかった。
あたしは優しく愛されている。くるくると身体の中をゆっくりとかき回されているよう。
身体がメイプルシロップになって、ゆっくり湯灌されているみたいだった。
溶けて、再構成され、また何回も融けて、また再生したよう。そんな記憶を今でも抱いている。

「ありがとうアスカ。僕はいつでも君と一緒にいる。君への想いと一緒にいるから。
そして、アスカが与えてくれた僕への想いの上に、もう一度芽吹こうと思う。」

「あたしの上に?」

「うん、アスカの上に。君の身体の上に。」

「どこにいても。」

「どんなところにあっても。どんな形の上にも。」

「あたしを、探し当ててくれるの。」

「アスカを見失ったりしない。どんなに時が流れても、地球という存在が消えても。」

意識は低く畳の面に沿ってどこまでも限りなく水平に広がっていった。
それは局限まで薄くなり、皮膜のように畳から溢れて庭を街を市街を山と海を覆っていった。
視界が限りなく広がっていく。あたしは地球に幾重にも重なっている生命の一枚になっている。
あたしは一枚の薄い粘液状の生き物になっている。幾億にも重なった生命の層。
その広がり、拡大していく世界の中のどこにでもシンジがいた。
あるときは雄株、あるときは雌株になっていろいろな皮膜と混ざり合った存在に重なったように思えた。
それは決して爛れたものではなく、生命の樹を何回も上ったり降りたりしたような神聖な経験だった。

「ここは…」

気がつくと、あたしとレイは重なり合ったままタオルケットの上に倒れていた。
ほんの少し身体を起こした途端、自分が何も身につけていないことに気づく。
横に倒れているレイもまた身に何もまとってはいなかった。
あたしたちは下等な生き物のように粘液を身体に滴らせながら睦みあった。
あれは夢ではなかったんだ。あれから一体何日過ぎたと言うのだろう。
身体が震えた。天窓から月が見えた。外は幸い夜のようだ。
蚊帳を持ち上げた途端、鮮烈な冷たい外気が流れ込んできた。

あたしは庭に飛び出すとホースを掴んで身体中に水を浴びせかけた。
愛し合ったあとの匂いにむせ返りそうだった。
縁側に置かれた石鹸を全身に塗り、ガシガシと洗いたてた。
髪なんかもごわごわだった。そこに真っ白な人影がふらつきながら寄って来た。
あたしは恥ずかしくて自分の傍らに佇むレイと目を合わせないでいた。
だけど人の心を失ったような様子に、思わず傍らに引き寄せ、頭から水を浴びせかけた。
指を立て髪を洗い、石鹸で全身を洗い流し始めた。

これは、夢でもなんでもなかったんだ。
あたし達は、まるで人間じゃない物みたいに、シンジとあたし達の子供を受け取り、孕んだんだ。
それが、シンジの望みだったから。

確かにカレンダーは何日かずれていて、近所の人たちに何日かどこかへ行っていたのかと尋ねられた。
窓から何から開けっ放しで物騒とは思ったけれど、まぁお互い取られる物も無いからねぇと笑いあったりして。
一体あの数日間、あたし達はどこに存在していたというのだろう。
でも、それが夢でもなんでもないことを、2ヶ月ほどしてレイが教えてくれた。

「アスカ、うまく行ったみたい。今日、お医者さんに言われたの。」

「そう。あたし達と、シンジの子供が生まれてくるのね。」

「わたしが、ちゃんと産んであげるから。わたしたち二人の子よ。」

「忘れないでよ、卵はあたしんだからね。」

あたし達は共犯者の顔になって笑った。

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Author: こめどころさん
初出: 2005/11/23