葛城邸の主夫、碇シンジの苦悩は耐えない。
保護者である葛城ミサトの飲酒量。
同居人であるアスカの毎日の苛め。
ミサトの場合は、財政を圧迫させるだけで済むだけ、財布を痛める事に終始するが。
アスカの場合は、何かにつけシンジに対してイチャモンを付け、終いにはなじりまくる。
そんなアスカの所業が、シンジの精神的許容量を超えてしまおうとしていた。
風呂あがりに鏡に映る自分の顔を見て、何度も呟くのを日課にしてしまっているシンジ。
もしシンジが日記を毎日つけていたら、鏡に向かって呟く言葉でビッシリ埋め尽くされていた、なんて事になりかねない。
昨晩のこと。
いつものように、シンジはミサトのえびちゅビールとおつまみを用意。
三人分と一匹分の食事を作る事も忘れない。
「シンちゃん、いっつも悪いわねー。あ、もう一本えびちゅ取って〜」
申し訳なさそうに言っているだけに過ぎない事は把握しているシンジ。
しかし、この年上の姉のような母親のような女性の事は何故か憎めない。
やがて、しょうがないなぁ、と思いながらも冷蔵庫からビールを取り出す。
だが、それでも主夫の血が騒ぐのか。
ひとこと言わずには、いられない。
「ミサトさん。今日は、それでオシマイにして下さいよ?今月も厳しいんですから」
「わぁ〜ってますって。最後にしまーっす。だ・か・らぁ、早く早くぅ〜」
仕方なしに、シンジは冷蔵庫から一本だけビールを取り出してミサトに渡す。
「いよっ!大統領〜!まーってましたぁ!!」
盛大な拍手と、ハラショー!三唱が部屋中に鳴り響く。
シンジの手からミサトに手渡れると同時に。
缶のプルトップが軽やかな音を立て、ミサトの喉を再度潤し始める。
「んぐっ、んぐっ、んぐっ・・・。ぷっ、はぁ〜!くぅー・・・、生きてるって素晴らしいわよねぇ〜」
「はいはい。すぐにご飯にしますから、机の上の空き缶を片付けておいて下さいね」
「はーい」
酔ってきたミサトの扱い方を心得ているシンジにとっては、いつもの台詞を口にするだけ。
じゃあ、早速ご飯の準備を・・・と思い始めた矢先。
風呂場の方から、物凄い音を立てて歩いてくる人物が。
「あっ・・・・・・・・・・・・・・つぅ〜い!!コラ!バカシンジー!お風呂のお湯がアッツイじゃないのよ!」
「あっ、ゴメン。ちょっと調理してたから、お湯の温度を一時的に上げたんだ」
シンジの前には、大きなバスタオル一枚で現れたアスカ。
「あー・・・。あのね、アスカ?流石に、バスタオル一枚だと風邪引くわよ?」
「へ?・・・あ。きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!こーっのぉ、スケベシンジのバカシンジ!アンタのせいよ!」
「どうして、僕のせいになるんだよ!第一そんな格好で出てきたのは、アスカだろ!」
「うるさい、うるさい、うるさぁ〜っい!兎に角、全部アンタが悪いのよ!」
ぷ、ち。
シンジの中で、何かが切れた。
エプロンを緩慢な動作で外し、そのまま自分の部屋に戻るシンジ。
「まーた、自分の殻に閉じこもっちゃってさー。陰気くさいったら、ありゃしない」
「アスカ!言いすぎよ!」
「だってさぁ〜、アイツ見てると何かムカムカしてくんのよねぇ〜」
「・・・ふぅ。ともかく、その格好。何とかしてきなさい。風邪引くわよ」
「はぁ〜い」
「後で、ちゃんとシンジ君に謝るのよ?」
ソレに対するアスカの回答は、後ろ手にヒラヒラ。
「どーして、こんなに合わないのかしらねぇ・・・。やっぱ、お年頃、ってヤツなのかしら」
アスカが風呂場に戻ると同時に、シンジが部屋から出てくる。
上着を羽織り、どこかへと出かけるような井出達。
いつものオーソドックスな格好とは違い、上から下までまるでパンク野郎の様相。
髪の毛は、怒髪天!とまで立てられている。
ミサトの口に引っ掛けていたビールの空き缶が、ポトリと落ちる。
「シ、シンちゃん?それは・・・?」
シンジは無言で玄関へと向かう。
時計の針は、既に午後10時を指している。
ハッキリ言って中学生が出歩く時間ではなかった。
「ど、どこへ行くの?もう、遅いわ・・・よ。それに明日は学校、でしょ?」
「学校・・・?」
「シ、シンジ君、よね?」
「そうですよ?変なミサトさん。それじゃ出かけてきます」
「え、えぇ・・・。行ってらっ、しゃい・・・」
玄関のドアが軽やかに開き、そして閉じられた。
ミサトの脳みそは、あまりのギャップの激しさに炸裂していた。
数分後。
「え、えぇ?!」
と、とりあえずアイツへ連絡しなくっちゃ。
「もしもし・・・。そう。シンジ君の保護、最優先で頼むわ」
何とか、平常に戻ってきたミサトの取った行動は正しい。
すでにアルコールなぞ、どこかへ飛んでしまい醒めていた。
「ミ〜サトー。まーだ、アイツへそ曲げてんの?」
風呂場から戻ってきたアスカを、ミサトはテーブルに呼び寄せる。
「なによー。夜更かしは、お肌の大敵なんだからねー」
ミサトは軽く嘆息した後、然るべき言葉を口にする。
「ねぇ?シンちゃんの事、アスカが凄く好きなのは充分に判ってんだけど。
少し、シンちゃんに優しくしても良いんじゃない?」
「だ、だ、だ、誰が、あんなヘボシンジの事を好きだ!なんて言ったのよっ!」
「言わずとも、かな。目は口ほどにモノを言う、って言葉知ってる?」
「知ってるわよっ、それくらいっ。馬鹿にしてんの!」
「それじゃあさ。瞬間湯沸かし器の存在も知ってるわよね?」
「知ってるわっ!」
「あのね。まさしく、今のアスカがソレそのもの、なんですけど?」
茹でタコのように、顔は真っ赤に染まり。
金魚が餌をくれっ、と程に口はパクパクしている。
「いくら、アスカのトレードマークが赤でも、そこまで自己主張しなくても良いわよ」
「!”#&!%%#’(&!)’#)!(#(!=#(=!」
最早、自分が何を口走っているのかさえ判らないアスカに対し、ミサトは余裕であった。
・・・このままアスカをからかっているのも一興だけど、シンちゃんの事もあるし。そろそろ潮時かなぁ?
「そうそう。シンちゃん、ね。さっき、家飛び出して行っちゃった」
ぜんまい仕掛けのおもちゃのネジが切れたみたいに、アスカの動きが止まる。
「やっぱさぁ、なんてーの?シンちゃんの我慢も限界オーバー?」
「・・・。知らないわよ、あんなヘッポコ」
「んー・・・。まぁアスカが、そー言うんなら良いかー」
「・・・何がよ。言いなさいよ。気になるじゃない」
「あれぇ?『あんなヘッポコ』呼ばわりする割には、気になるんだぁ〜?」
「くっ・・・。おさんどん、が居なくなっちゃったら、私達が大変になるでしょっ!」
「私達、ねぇ・・・。アスカ、がの間違い、なーんじゃなーいのぉ?」
「良いから教えなさいよっ!」
ミサトはオーバーアクション気味に、両手を挙げてヤレヤレ、という風体で話し出す。
「しょーがないわねぇ・・・。可愛いアスカちゃんの為に、お・ね・え・さんが教えてあげるわ」
「オバ・・・!オ・ネ・エ・サン、オネガイシマス」
ミサトの顔が般若のようになり始めたのを、目ざとく察知したアスカは途中で口調を変える羽目になった。
殆ど、棒読みの台詞だったが。
「あのね・・・」
「・・・」
「シンちゃんがね『そうだ・・・。僕には綾波が居るんだ。優しい綾波。可愛い綾波。綾波だけが僕を理解してくれる。優しくしてくれる。
あやなみぃぃぃぃぃぃぃ!』って叫んで、出て行っちゃった」
「・・・」
「あ、あれ?アスカ・・・?」
地獄の底から聞こえてくるかのような恐ろしい笑いが、アスカの口から漏れる。
「ふ、ふ、ふ・・・。そう。優等生の所へ行ったの・・・」
「あ、アスカさん?」
「良い根性してんじゃないの、シンジ。傷つけられたプライドは10倍にして返さなくちゃ、ね」
顔は笑っていたが、にこやかな感じからは程遠い、というのが素直な感想だろう。
そう。
アスカの笑顔は、不気味な程に綺麗すぎて怖かった。
・・・私、ちょっとスイッチの入れ方間違えちゃったみたいね。
あは、あは、あははは・・・。
まぁ、喧嘩する程、仲が良いって昔からの有難い言葉もあることだしね。
負けるな、男の子。
頑張れ、男の子。
ダイジョブ、だよね・・・?
などと、ちょっとだけ逃げ腰になるミサトだった。
「ミサト。ワタシ、あの馬鹿を懲らしめ、基、連れ戻しに行ってくるわ」
「行ってらっさーい」
着の身着のままサイフだけ持って出て行こうとするアスカを止める事なく、自然に優しく見つめ送り出すミサト。
素直じゃないわねー、あのコ。
って、素直じゃないのは私も同じ、か・・・。
少しだけ感慨にふけた後、親指は携帯電話のリダイヤルを押していた。
「あー・・・。もしもし?あのね、今、ウチの妹も出ていっちゃったのよ。悪いけど、そっちの保護も宜しくー。
え?私?後で合流するわ。それまで、何とか頼むわ」
受話器の向こう側で、ゆっくりとため息が吐き出されるのが聞こえてくる。
「・・・葛城。どうでも良いが、オレ、今日非番」
「良いじゃなーい。私と加持との仲っしょー?」
「そういえば、な。最近、ちょっと良いバーを見つけたんだ」
「うっ・・・。今月ピンチなんだけど。まぁ、しゃーないかー」
「それと、まぁ・・・コレは後で良いか。じゃ、そういう事で契約成立だな」
「失敗したら、報酬はナシだかんね?」
「おいおい・・・。大丈夫だよ、任せとけ」
「信頼してるわよ」
「我が麗しの君のご随意の通りに・・・」
「ばぁ〜っか」
どちらからともなく、通話が終了する。
「そういえば、加持。最後に気になる事言ってたわよねぇ・・・。まぁ、会ってから聞けば良っかー」
「葛城・・・。やっぱ、お前は最高に可愛いくらいに鈍感だよ」
さて、と。
シンジ君は、と。
お、いたいた。
壁に隠れ、シンジの死角で見守る加持リョウジ。
現在は、浮気の素行調査等を依頼とされる探偵の仕事を営んで生計を立てる毎日。
元来、自分の性に合っていたのか。
この業界にスンナリ溶け込めていた。
お・・・?
何だか、女の子を助けようとしてるみたいだな・・・。
ちょいと様子見るか・・・。
その頃の綾波邸玄関前。
「こらー!でてこーい!碇シンジ!!そこに居るのは判ってるぞー!」
思いっきり玄関の扉を手で叩き始めた人物が居た。
誰でもない、アスカその人である。
暫くした後、玄関のドアが思いっきり開く。
と、同時に鈍い音が響く。
「いったぁーい・・・」
「・・・何をしているの?」
陶磁器のように白い肌、紅い目、蒼銀の髪。
綾波レイが、そこに立っていた。
「ちょっと!いきなり開けないでよ!おでこ、ぶつけちゃったじゃないっ!」
「・・・大丈夫。死にはしないわ」
「っ。そういう問題じゃないでしょっ!」
「・・・ところで。こんな時間に何の用?」
「アンタはっ・・・、ってまぁ良いわ。シンジ出してよ」
レイは小首をかしげた。
まるで、覚えがないように。
「とぼけるつもり?ココにシンジが居んのは判ってんのよ」
「・・・碇くん?なぜ?」
「なぜ、って・・・。ミサトが言ったのよっ!シンジがアンタんとこに逃げ込んだって」
「碇君・・・。来ていないわ」
「へぇ・・・。優等生でも嘘つくんだ・・・。ちょっとだけ見直したわ」
「私は、嘘なんかついていない」
「・・・ホントに居ないの?」
「・・・居ないわ。碇くんが居る時は、お揃いのパジャマだもの」
「そうよね。アンタ、ってそーゆーカンジ・・・。って。ちょっと待てぇ!お揃いのパジャマ、って何よっ!?」
またもや、レイは首をかしげる。
今度は、不機嫌そうな顔と一緒に。
「何故・・・?貴女には関係ないこと」
「関係、大有りよっ!」
「どうして?」
「どうして、って・・・。そうよ!アイツは私のゴニョゴニョゴニョ・・・」
「何?聞こえないわ」
「あ、あ、アイツと私はキスしたんだからぁ!しかも、この頭脳優秀で容姿秀麗な私とよっ!初めて、をあげたのよっ!!」
既に、アスカの顔は先程ミサトとやり取りした時と同様に真っ赤に染まっている。
レイは、そこに簡単にメガトン級の魚雷を何発も発射した。
「・・・それが、どうかしたの?」
「へっ・・・?」
「・・・私は、碇君に全てを見られたわ(シャワー浴びてただけ、だけど)」
「え・・・?」
「それに・・・、そのまま押し倒されて胸を触られたもの(碇君の不注意による事故、だけど)」
「え、え・・・?」
「最後には、私にキス、してくれたわ(立ち上がろうとして足が滑ったから、だけど)」
「う・・・うそ」
「嘘じゃないわ。全て事実よ(真実じゃないけど)」
さっきまで真っ赤に染まっていたアスカの顔は、青く染まっていた。
・・・まるで、リトマス試験紙。
赤くなったり、青くなったり。
レイは少しばかり面白いかも、と思った。
「・・・ともかく、そういうこと」
「し、シンジは来ていないのよね?」
「・・・来ていないわ」
「そ、そう・・・。邪魔したわね、優等生・・・。遅い時間に悪かったわ・・・」
フラフラとした足取りで、綾波邸より引き上げるアスカ。
その頃、シンジは、というと。
「加持さん・・・。僕は・・・」
「・・・シンジ君。オレは、君を見直したよ」
「どうして、ですか?僕は、さっきの女の子を守ろうとしたけど、結局は殴られるだけでした・・・」
「それでも、さ。君は立派だったさ。相手を殴る、のでは無く盾に徹した君の行動は賞賛に値する事さ」
「でも・・・」
「おかげで、女の子は無事に逃げる事が出来た。傷一つ負うことなく、ね」
加持は、シンジの頭をくしゃっ、と撫でる。
「シンジ君。君は、もっと胸を張って良い。君のした事は、誰にでも出来る事じゃないんだ」
「う、うぅ・・・。加持さん・・・」
「人間は必ず失敗し、辛酸を舐め、後悔する生き物なんだよ。それでも、前に進もうとあがく事で自分を形成して行くんだ」
加持は、シンジの傷口を治療しながら言葉をなぞる。
「シンジ君にとって、良いか悪いか判らないが・・・。そうやって生きてきた人間の話を少しだけしようか」
君のこれからの人生への先輩としてのアドバイス、さ。
そう加持は呟くと、少しずつゆっくりと話し始める。
昔、世の中に絶望してた男が居たんだよ。
男は、真実を探してた。
周りに映るモノ全てが嘘や欺瞞に満ち満ちていたように思ってたから。
だから。
表情にはいつも笑みを浮かべていたが、それも欺瞞に満ちていた笑顔でしかなかった。
つまり、本当はムカツイテいたんだな。
その男は、本当に色々と危ない橋をゆっくり歩いたし、時には全力疾走で走ったりもした。
悪運が強かったのか、命を落とすような事は無かったけどな。
男は、自分の精神安定剤として、色々な女を抱いた。
自分の性と違う存在を肌で感じる事で、自分の真実への疾走を正当化しようと誤魔化していたのさ。
けれど。
遂には、それを見破る女が現れた。
ことあるごとに、女の瞳は男の瞳の奥にあるものを掴もうとするように見つめていた。
男は焦った。
真実への扉への自由という名の翼が?ぎ取られてしまう。
この女には、オレの薄っぺらい笑顔の下に隠された真実が見えてしまっている。
そう思った男は、事あるごとに女から逃げた。
優しさという仮面を更に顔に張り付けて。
本当は、女には判っていなかった、というのに。
加持は、そこまで話すとタバコに火をつけ肺に深く入れ吐き出す。
シンジ君もどうだい?一本。スッキリするぞ?
未成年に勧めて良いものなのか?って?
ははは。シンジくん、今日から君も大人の仲間入りをするんだ。
これは、そうだな・・・。いわば通過儀式のようなものだよ。
本当はオレだって、イケナイことだって事くらい判ってるさ。
でもな。
何でもやってみる事が、自分にとってのアイデンティティを確立していく要素なんだ。
自分に合わなければ、ソコで止めれば良い。
何も行動しないで、それを駄目な事、と決め付けるのは非常に危険な事だと常々オレは思ってる。
それこそオレに言わせれば、欺瞞そのものだ。
出来ない、んじゃなくて。単に行動しないだけ、に過ぎない。
あぁ・・・。
スマン。話が横道に逸れたな。
シンジにタバコとジッポを渡して、加持は続きを口にする。
ある日、男と女に別れが唐突に訪れた。
男は安心した。
やっと、自分の仮面の下を暴かれずに済む、と。
油断が真実を曝す。
今まで頑張って、被ってきた仮面がアッサリと剥がされてしまったんだ。
・・・やっとアナタの本当の笑顔が見れたわ。
男は、しまった!と思うが、もう遅かった。
一度はがれた仮面は、すぐには修復出来ない。
・・・何をそんなに脅え、死に急ごうとしているの?
・・・知っていたのか。オレのやりたい、こと。
・・・何となく、だけど。平穏を捨ててまで、の価値があるの?
・・・価値、か。オレは、ただ真実を知りたいだけさ。
・・・ねぇ。真実、って何?
・・・オレにとっての真実さ。それ以上は言えない。
・・・そう。ねぇ、どこかでまた会えるかしら?
・・・さぁ、な。縁が有ればまた会うさ。
・・・私、アナタの本当に出会えた最初の女、という事で胸を張って良いかしら。
・・・充分に君は魅力的さ。怖いくらいに、ね。
・・・お褒めの言葉をありがとう。
・・・そんじゃ、オレ行くわ。
・・・うん。それじゃあ、またね。
・・・またな。
加持は、最後に大きく肺に紫煙を吸い込み吐き出す。
そして、タバコをもみ消した。
「加持さん・・・」
「ん?なんだいシンジ君?」
「ソレって・・・」
「なーに古い話、引っ張りだしてきてんのよ」
加持は、自分の横に伸びるシルエットも見ずに普通の待ち合わせをしていたかのように振舞う。
「いよぉ、葛城。遅かったじゃないか」
「まぁ、ね。ちょっちだけ寄り道してきたのよ」
「そりゃあ、ご苦労なこって」
ミサトの後ろ側から、時々見える亜麻色とも赤毛とも言えない髪の毛がチラチラ見える。
「・・・アスカ?あ、痛っ」
「シ・・・ンジ?凄い顔っ」
出てくるのを躊躇っていたアスカだったが、シンジの顔のアチコチに青痣があるのを発見し
居ても立ってもいられずに飛び出してしまっていた。
自分の持っているハンカチを持っていたペットボトルの水に浸し、シンジの痣にそっと付ける。
「あらあら・・・。あんなに鬼のような形相していたのにねぇ・・・」
「あの頃の年頃な女の子は、みんな好きな男の子には得てして優しいもんさ」
「私にも、あんな頃があったのかしらねぇ・・・」
「俺にしろ、葛城にしろ。あの頃はそれどころじゃなかった、さ」
「・・・そうね。あの頃は、酷い世界だった」
「・・・まだ思い出すのか?あの時の事を」
「前よりは、これでもマシになったわよ。あのコ達が居てくれる、からかな・・・」
「そうか・・・」
加持は、優しくミサトに微笑む。
もう、仮面は必要なかった。
「さて、と。じゃあ、報酬はキチンと払って貰えそうかな?」
「そうねぇ・・・。及第点としては、一応合格ラインみたいだし。それにオマケもついてるしね」
「よっし。それじゃあ、行くか」
「あ、ちょっと待って。あのコ達に帰りのタクシー代、渡してこなくっちゃ」
「大丈夫さ。さぁ、行こう」
「な、なんでよ?」
「あぁ・・・。簡単な事だよ。さっき、シンジ君のポケットに入れておいたのさ」
「・・・オマケが二個付き?最近の探偵事務所は、かなりバブリーなのね」
「まさか。後できっちり請求させてもらうさ。ウチだって、そんなに経済的に潤っている訳じゃないしな」
「・・・抜け目無いわね」
「昔とった杵柄ってヤツさ。さぁ、もう良いだろ。行こうか、ミサト」
「うん。加持く、ん・・・?」
ミサトの顔は、からかいがいのある妹を怒らせた時の茹でタコのように真っ赤だった。
加持の方は、いたずらが成功した時の満ち足りた笑顔を浮かべていた。
してやったり。
・・・ヤラレタ。
あの頃よりも成長した男女は、まだ若い二人を残して夜の街に消えていった。
「それにしても・・・」
「ん・・・?何?」
「なんで、そんなに顔中が痣だらけなのよ」
「んー・・・。名誉の負傷、って事にしておいてよ」
「何よ、それ。まさか、チンピラとやりあった、とか?」
「まぁ、そんなもん」
「あっきれた・・・。この私が、彼方此方を探しまくって必死だったって言うのにさ。それで、アンタは喧嘩・・・。
自分が阿呆になった気分よ」
「何で、アスカがそんなに必死に僕を探してたの?」
「何で、って・・・。やっぱり、少し言い過ぎたかな、って・・・」
ふとした静寂が二人を包み込んだ。
お互いに何か言いたいのだが、なかなか言葉に出来ないで居ると
おもむろにシンジが腰を浮かし、アスカに手を差し伸べながら微笑む。
「腰冷えちゃうね。さぁ、帰ろうか。家へ」
「うん・・・」
いつもなら、デリカシーがないのよっ!だから、バカシンジなのよっ!等と口答えしていたアスカだったが
シンジのいつもとは違う、少しだけ男くさい笑みを浮かべた表情に見入ってしまっていた。
・・・ちょっと今のシンジ、カッコイイ。
はっ・・・!ち、違うのよ。何考えてるのっ、ワタシ!
で、でも・・・。
や、やっぱカッコイイかも・・・。
何だか、いつものシンジと違うカンジする・・・。
アスカがボーとしている間に、いつの間にかシンジに手を取られマンションの部屋の中に居た。
「アスカ。悪いけど、先にシャワー貸してね。もしもーし?」
掌をアスカの眼前でヒラヒラさせるものの、一向にシンジの問いかけに対する返答は返ってきそうにもない。
疲れてるんだ、と解釈したシンジは答えを待たずに、その足で風呂場へと向かった。
「ほへ・・・?あ、あれ?いつの間に、家に戻ってきたの?」
やっと覚醒したものの、何故、自分がマンションの中に居るのか理解出来ていなかった。
夢遊病の気は無い筈、だと思いたい。
ワタシはミサトに言われて、シンジを向かえに出かけた。
うん、まだ記憶はワタシと共にある。
そして、優等生に会った。
・・・何か重要なことを忘れている気がする。
なんだっけ・・・。
うーん、と。えーと・・・。
うわぁぁぁぁぁぁあ!思い出せない!
・・・ふぅ。
落ち着け。落ち着くのよ、アスカ。
こういう時は・・・お風呂に限るわね。
そうそう、シャワーでも浴びてスッキリすれば何か思い出すかも知れないし。
そうと決まれば、膳は急げ、ね。
でもヘンねぇ?確か、最後にはシンジに会えたと思ってたんだけど・・・。
自分の部屋、かな・・・。
あぁっぁぁぁぁぁぁぁあああぁぁあ!
もう!
とりあえず、お風呂よっ!命の洗濯よっ!
おりゃっ、・・・と?
何で、目の前に裸のシンジ?
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
「・・・冷たい麦茶、飲む?」
「うん・・・。ちょうだい」
とりあえず。
ひと悶着あったものの、二人はそれぞれ着替えてリビングのダイニングテーブルに向かい合って座っていた。
いつもなら、そこに同席している筈の彼らの保護者である住人の姿はなかったが。
しかしながら、この時ばかりは二人は保護者が同席していなかった事に感謝した。
居たら絶対に際限なく、からかわれてしまうからだ。
そんなのは、二人ともゴメンこうむりたい所業でしかない。
ある程度、落ち着いてきたのか最初に口を開いたのはシンジだった。
「アスカ、どうして・・・?」
「どうしても糞もないわよっ!乙女の清らかなる体の全てを見たんだから、責任取りなさいよっ!」
「責任?どーやって?」
「どーやって、て・・・」
「そういえば、綾波にも同じこと言われたっけ。意味は、良く判らなかったけど」
「・・・優等生、が?・・・あああ!」
「な、どうしたの?いきなりアスカ・・・」
アスカは、仁王立ちになり腰に手を当て人差し指を力強くシンジに向けて指す。
「あ、アンタ!優等生の裸見ただけじゃなくて、その、む、胸まで揉んで。その上き、き、き、き、き、き、き、き、き」
「き?」
「キスまでしたそうじゃないのっ!」
「な、なんでアスカがそんな事知ってるんだよっ!」
「優等生が得意気に話してくれたのよっ!」
「あ、綾波が自分から・・・?」
「そうよっ!何か申し開きあるわけ?!」
アスカは、思いっきり身を乗り出してシンジの鼻面に人差し指を押し当てる。
「・・・例え、その話が本当だったとして。なんで、アスカがそんなに怒るのさ?」
「なっ、なんでって・・・」
途端にアスカの顔が真っ赤に染まる。
青い瞳は忙しなく、あちらこちらに動き定まる様子がない。
「アスカ。ベランダに出てみない?」
「ちょっと!逃げる気?!」
「逃げる、って・・・。まぁ、きっと夜風が気持ち良いから」
そう言って、シンジが手をアスカに差し伸べる。
アスカは、おずおずと手を重ねる。
そよ風が、二人の間を抜けていく。
蒸気して熱かった頬が外気に触れ、幾分か熱を下げてくれたようで。
「・・・風、が気持ち良いね」
「うん・・・」
聞こえてくるのは、木々が葉を重ね鳴らす音だけ。
そよ風との相乗効果を齎したのか、アスカの心は次第に落ち着いていく。
「ねぇ、シンジ」
「なに?アスカ」
「その・・・。いつも、ごめんなさい。そして、ありがとう・・・」
「・・・どういたしまして」
二人は、夜空を見上げ月を見つめていた。
「ねぇ、アスカ」
「なに?シンジ」
「色々と回り道をしてきた気がするんだ。僕は、自分が傷つく事を恐れていたのかも知れない」
「うん・・・」
「全てから目を背け、逃げ続けてたんだ。だから」
「だから?」
「・・・ちょっと待ってて」
一度、部屋に戻り冷蔵庫から、ミサトの好物のえびちゅビールを2本取り出してきたシンジ。
「大人になろうと思うんだ。簡単で単純な方法かも知れないけど」
「何となく、それってシンジっぽいよね」
「・・・そっかな?」
「そうよ。ねぇ、ワタシにも1本ちょうだい」
1本を自分に。もう1本をアスカに。
プシュッ。
プルタブを同時に開け、お互いの目の高さで掲げる。
「・・・何に乾杯する?」
「そうだなぁ・・・。じゃあ、二人の未来に、ってのはどうかな?」
「・・・シンジにしては、気利いてるじゃん」
「シンジにしては、は余計だよ」
「あはははは」
ビールの缶を軽く打ち鳴らす。
「「乾杯」」
アスカは、もともとアルコールに対する耐性があるのか少しずつ呑んでいく。
シンジは、アルコールなんて呑んだ事はない。料理に使う程度でしかない。
しかし、少し躊躇した後に一気に半分ほどを飲み干す。
どう呑めば良いのか判らなかった為、ミサトの呑み方を真似してみたのだ。
「んぐっ、んぐっ、んぐっ・・・。ぷはぁ〜!くぅ〜・・・。ミサトさん、良くこんな苦いの美味しそうに呑んでるなぁ・・・」
「・・・ミサト見てるみたい」
更に、シンジはポケットから、加持から貰ったジッポとタバコを取り出す。
「それ、どうしたの?」
「加持さんに貰ったんだ」
「・・・吸うの?」
「うん。吸ってみようと思う」
「じゃあ、つけてあげる」
カチン
シュボッ!
シンジは、加持のタバコを吸う時の仕草を真似してみる。
特にむせる事なく、無難に紫煙を吐き出すシンジ。
「・・・どう?」
「んー・・・。特にコレと言って感想はないけど、なんで加持さん、こんなの吸ってるのかな?」
「味は?」
「んー・・・。美味しいか?と問われたら、マズイ、って答えると思う。そんな味。むしろ、煙が目に沁みて痛いかも」
「でもさ。ちょっとだけシンジ、様になってるかも」
「そう?」
「うん。そう」
ミサトからは苦さを。
加持からは痛みを。
大人の真似事をする事で、大人には結局なれやしない。
それでも、何かのきっかけとする事は出来る。
シンジは、今なら加持の言いたかった事を理解する事が出来た。
そう。
何事も経験しないと判らないんだ。
それが良いか悪いか、だなんて。
明日から、少しずつ前向きに頑張ろう。
そうすれば見えてこなかった新しい世界が見えてくるかも知れないじゃないか。
もう、ウジウジグジグジと悩んでいる自分を捨てよう。
「あーっ!そうだ!」
「な、何?アスカ」
「もうちょっとで、はぐらかされるとこだったわっ!」
「・・・綾波のこと?」
「そうよっ!キリキリ吐いて貰うからねっ!」
「・・・明日にしない?」
「だーっめ!」
・・・加持さん。
今度、また違うアドバイスを聞かせて下さい。
僕には、まだアドバイスが必要なんです・・・。
こうして、シンジの長いようで短い一日が終わろうとしていた。
P.S.
「ねぇーん・・・。加持ぃ・・・」
「いや、その、葛城。俺、明日早いんだけど・・・」
「知らないわよぉ。そんなの」
は、ははは。
シンジ君。やはり、君は尊敬に値するよ。
今度は、君の毎日の活躍のアドバイスを聞かせて貰いたいよ。
Fin