ある昼下がり。
まどろみの中で。
少年の左肩に柔らかな亜麻色の髪の少女。
少女は。
無防備に、幸せそうに、穏やかに。
安らかなる深き眠りに。
少年は微動だにせず。
寄り添う少女に微笑を。
少女の時折の揺らぎ。
隣りの少年との擦れ合い。
自己への再認識。
何度か浅い眠りに落ちる少年。
その浅い眠りでさえ躊躇い。
その両の瞳は。
少女の安らかなる寝顔だけのために。
ふと。
少女の右手が空を握る。
大事な何かを掴むように。
一度、二度、三度。
少女の右手は少年の左手で優しく包み込まれる。
少女の探し物。
それは、少年との淡い絆。
少年の探し物。
それは、少女との淡い絆。
やがて。
少年にも深い眠りへの誘い。
戸惑う事なく、抗う事なく、ただ穏やかに。
少女へと向けられた柔らかな瞳は閉じられた。
ベランダと部屋と隔てるカーテンは優しい風に翻り。
そして。
部屋は、また静寂に包まれる。
これは、そんな二人の昼下がりの物語。
二人の保護者の女性が、この家を出てから2ヶ月経つ。
結局、二人の保護者は毎日のように口すっぱく言ってきていたものの。
自分が、反面教師だったせいかアッサリ結婚。
相手の男性は無精髭を綺麗に剃り、頭の後ろで結えていた尻尾と決別した。
何でも、それが自分なりのケジメ、だとか言う話だ。
結婚直前の一週間前は凄かった。
旦那になる男は、かなりモテテいたらしく。
あちらこちらで浮名を流した結果、様々な女性から様々なコメントを貰う。
命を落としそうにさえ、なった程であると言えば想像し易いだろう。
対して、妻、となる女性には浮名の一つも存在していなかった。
と言うのも。
呑む。兎に角、呑む。ひたすら呑む。呑みまくる。
この家で一緒に生活していた時も一日に何本えびちゅを呑むのか、と思った程で。
どれだけ少年が財政難に四苦八苦していたことか。
アレだけの酒の量に対抗出来る男は皆無であった。
尚且つ、頭のキレという点でも勝れない。
兎に角、勘が鋭い。切れ味抜群である。
・・・シックスセンスが働きすぎているようにも思えるが。
腕も滅法強い。
何処かで喧嘩が始まれば、一緒に混ざって敵味方関係なく殴り倒す始末。
そして常勝無敗。
そんな彼女の必殺技は踵落とし。
それを見て、真似してしまう少女に苦笑を禁じえない少年も居たが。
・・・お願いだから真似しないで、と。
そんな女性を妻に娶る男性に尊敬の念を抱かずには居られない少年。
男性は、少年の良き相談相手であり先生でもあった。
この男性、少年に対しては非常にオープンにしている節があり。
「いいかい?何事も自分から逃げちゃダメなんだ。判るかな?」
「・・・何となく、は」
「そうか・・・。いずれ君にも判る時が来るよ」
「そういうものですか?」
「うん。そういうものだと俺は思ってる。だけどな・・・」
「だけど・・・?」
「時には、逃げる勇気も必要なんだよ」
「???」
「で、無いと。自分の寿命を縮める事になる時もあるってことさ」
「はぁ・・・」
「所詮、男と女は相容れない生き物なのかも知れないな」
「はぁ・・・」
「でも、それだから一緒に居ようとする。二律背反だけどな。だからこそ、人生は面白いんだな」
「これから、そうなるんでしょうか?僕も」
男性は、男くさい笑みを浮かべ、それを解答としたが。
教えてくれた時は、いまいち理解出来なかったけど。
今なら判るような気がする。
僕に誓って、僕は彼女が好きだ。
好きで、好きで、好きで。
どうしようも無く好きだ。
彼女の髪が好きだ。
彼女の目が好きだ。
何より、彼女の心が好きだ。
僕を好いてくれる彼女の心が好きだ。
誰からも必要とされていない、愛されていない自分を必要だ、と言ってくれた。
自分も同じような境遇なのだ、と教えてくれた。
以前は、弱気を強気でカバーしてるようだったけど。
今では、相談に乗ってくれるし。
僕にも何かと相談してくれるようになった。
頼りにされてる、ってカンジがして、少しだけコソバユイ。
実際。
三度の飯よりも、彼女、ってカンジだ。
勿論、彼女に作ったご飯を食べて貰うのは至極の幸せだ。
それに。
毎日一緒に顔を合わしても、一向に飽きが来ない。
良く友達が『美人は、3日顔を会わせれば飽きる』とか言うけど。
僕には、そんな理論当てはまらない。
やっと手に入れる事が出来た、僕だけの宝物、だもの。
凄い苦労と努力(?)の結果、自分の力で手に入れたんだ。
絶対、誰にも渡すもんか。
僕だけが彼女を理解してあげる事が出来るんだ。
思い上がり、なのは良く判ってる。
勘違い、と言われれば実際そうかも知れない。
けれど。
僕の、この心は本物なんだ。
そう思ってないと不安、なんだ。
誰かに取られてしまいそうで。
そうなったら、僕は・・・。
昔は嫌いだった。
ダイキライ、だった。
何時でも、人の顔色ばかり窺って生活してるアイツが。
それがワタシの癪に障った。
ワザとイチャモンをつけたりして困らせた。
謂れの無い罪で罵った。
それでも、アイツは自分の態度を改めようとはしなかった。
けど。
アイツの作ってくれる料理は美味しかった。
ドイツの家庭料理に挑戦してくれた事もあった。
誕生日には手作りのケーキ。
ワタシは料理が苦手。
だけど、どっかの誰かさんみたいに味オンチじゃない。
だから、素晴らしいモノには賞賛を送る。
素晴らしいモノ、と言えば。
アイツのチェロは良かった。
プロって訳じゃないけど、でも心が穏やかになれた。
その頃、ウチの保護者とワタシの憧れる男性が何となく寄りを戻したのは感づいていた。
と言うよりも、ほぼ確信に近い状態で知っていた。
ワタシの大事な人を取らないで!
ワタシを初めて理解してくれた数少ない人なの!
ダカラ、ワタシカラ、アノヒトヲトラナイデ!
思えば、随分と大胆な行動を取ったと思う。
ワタシ自身が一番驚いていたんだけど、それ以上にアイツは凄いビックリしてた。
そりゃ、女の子から「キス、しよっか」って「おはよ」位の挨拶程度に言われたら
誰だってビックリすると思う。
それに、アイツは他の男どもよりも、そういう言い回し苦手みたいだし。
結局。
アイツとキスをした。
してみたら、どうって事無かった。
時間的に長いか短いかは良く判んない。
だって、初めて、だった訳だし。
でも。
ホントは。
自分から提案したのに、その自分が汚された気がした。
其の日。
ワタシは、少女から大人の女性に、成れた。
そう思い込む事で、自分を正当化して。誤魔化して。
ワタシだって、もう大人なんだっ!
そう周りに思い込ませる事にしたんだ。
そうすれば、アノヒトだってワタシに気付いてくれる筈。
ワタシを必要としてくれる筈。
ダカラ、ワタシヲミテ。
あの日。
一緒に暮らす保護者の女性が外泊していた時。
僕は、ぎこちないムード満点の部屋の中に居た。
テレビを静かに眺めてる彼女は、どこかしら機嫌が悪いように見えた。
だから、なるべく刺激しないように居間で夜食を作るようにした。
油が跳ねる音だって極力小さくしたし。
野菜を切る時も細心の注意を払うように心がけたんだ。
何かあると、すぐに彼女はキレるから。
また罵られるのはイヤだしゴメンだし。
時には、僕も彼女に対抗するけど。
大概はアッサリ負ける。
そりゃあ、もう拍子抜けするくらいに。
あまりシツコイと往復ビンタ5回ほどヤラレタ経験があるし。
あれ、かなり痛いんだよ。
時々、彼女の爪が僕の頬に線をつけるんだ。
ミミズ腫れみたいに。
僕だって、馬鹿じゃない。
『人間は考える葦である』って、どこかの学者さんも言ってたし。
そう。
馬鹿な目を見ないようにするには、それが一番なんだ。
何と言われようと構わないさ。
僕は今までそうやって生きてきたんだから。
ガタン!
うわっ・・・。
ヤバイ・・・。
まな板落っことしちゃったよ・・・。
彼女は・・・。
?!
うわっ!こっち見てるよ!
ど、ど、ど、ど、どうしよう・・・。
うわっ!コッチ来た!
又、何か言われる!!
「アンタ。その万歳三唱してる左手の薬指、見せなさい」
「・・・へ?」
「あぁーっ!たくもう!言いから見せれば良いのよっ!つべこべ言うなっ!」
すると、彼女は僕の左手を乱暴に掴み、薬指を口に含んだ。
僕は頭の中が真っ白になってしまった。
彼女が、僕の指を口に含んでる・・・。
あ、女の子の唇って柔らかいんだな・・・。
髪の毛が手に当たって気持ち良い。
柔らかいし、凄く綺麗、だ。
・・・撫でてみたい。
って。
そ、そうじゃないだろっ!
「え、え〜っと・・・」
ギロリ!
彼女の目が、ダ・マ・レ、と暗に言っていたのが判ってしまったので。
僕は黙る事にした。
いつも顔を合わせて生活していれば、大概の事は言われなくても判ってしまう。
・・・何だか夫婦みたいだな。
やがて、僕の左手の薬指が彼女の口から離れた。
「・・・バンソウコウ」
「へ?」
「だから、バンソウコウで指周り巻いておきなさい」
「う、うん・・・。でも、どうして?」
「・・・あっきれた。アンタ、自分の指見てみなさいよ」
「・・・切れてる。いつ切ったんだろう?」
彼女は、一つため息をつくとテレビを見に戻った。
どうやら、そんなに機嫌悪い訳じゃないみたいだ。
良かった。
その後は、いつものように食卓に料理を並べ、一緒に彼女と食事をとった。
もくもくと食べている所を見ると、マズイって訳じゃないようだ。良かった。
「それ、初めて作ってみたんだけど、どう?」
「・・・まぁまぁ、ね」
彼女のまぁまぁ、は満足してくれてる証拠。
僕は、思わず心の中でガッツポーズ。
はぁ・・・。
どうして、このニブチンはワタシがこうして食べてるのに判らないのかしら?
それにしても・・・遅いわね・・・。
やっぱり、二人はデートしてるんでしょ・・・ねぇ・・・。
それに比べて、ワタシはこうして、このニブチンで冴えない男と一緒・・・。
ワタシって一体何してんのかしら・・・。
まぁ、料理は美味しいし、料理に罪は無いわ。
とにかく食べちゃいましょ。
でも、何だかイライラしてきたなぁ・・・。
コイツでもカラカッテ暇つぶしでもしようかな。
そうしよう。
さて。
そうと決まったら、さっさと食べちゃおうっと。
「ごちそうさま」
「おそまつさまでした」
僕は彼女の表情を見て、本能的にヤバイ!と思った。
彼女が、あの「ちゃ〜んすっ」みたいな顔してる時はロクな事がないんだ。
そして、大概そんな彼女の餌食になるのは、この僕・・・。
ここは、先制攻撃しておかないと。
「あ、お茶入れるね」
「要らないわ。それよりも・・・」
「そ、それよりも・・・?」
「歯、磨いてきなさい」
「え・・・?歯?」
「そう。早くね。何かワタシも今日は早く磨きたいし」
「う、うん・・・。じゃあ、磨いてくるよ」
アイツ、たまには動物的本能を出す時もあんのね。
まぁ、でもソレを上回るワタシの完璧なまでの作戦の前では無意味ね。
何だか、そんなに危惧するような事でも無かったみたいだけど・・・。
でも、何だか引っかかるんだよなぁ・・・。
「磨き終わったよ。あと、どうぞ」
「ダンケ。あ、そうだ。やっぱ、お茶飲みたいから用意しておいて。あ、そうだ。あとアンタも一緒に飲むのよ」
「え?うん・・・。じゃあ、冷たい麦茶用意しておくよ」
暫くして、彼女が戻ってくる。
その顔は普通のように見えるが、少しは用心しておかないと危険だと思ってる。
危険じゃなかった事なんて数えるくらいしかないし。
一緒に、お茶を飲むって事は、何か話があるんだろうけど・・・。
なんだろう?
この前、間違えて彼女の下着を捨てちゃった事、まだ根に持ってるのかなぁ・・・。
シメシメ。アイツ、やっぱりこの後起こる事に気付いてないわね。
やっぱ、このワタシって天才だわ。
さーて・・・。
やっぱ、この単純なコイツを上手にノセルには怒らせるのが一番ね。
「・・・ねぇ?遅いわね、帰り」
「あ、そうだね。でも帰りが遅いって事は、いつものような事のような気もするし」
「今ごろ、楽しんでるんでしょうねぇ・・・。んで、ワタシは目の前の冴えないのと一緒、と」
「・・・悪かったね。冴えない僕と一緒、で」
「あらぁ・・・。怒った〜?だーってホントの事じゃん。こーんなにカワイイ女の子と夜に二人っきりなのに、なーんにもしてこないなんて」
「何かすれば、すぐ怒るくせに・・・」
「んー?何か言った〜?」
「・・・なんにも」
さて。
ココからが勝負よ。
勝利の方程式は、既に大詰めなんだけどね。
「・・・ねぇ。キス、しよっか」
「・・・へ?」
「だからぁ、キス、しよう、って言ったの」
「な、なんで!いきなり?!」
「んー、どんなもんか知りたくなったから」
「だ、だからって・・・!」
「ははぁ・・・ん。おこちゃまな僕はキスが怖いですかー?仕方ないでちゅね〜」
「なっ!キス、くらい全然怖くないさっ!」
「じゃあ、出来るわよね?」
「勿論さっ!」
・・・ここまで単純だなんて。
ちょっとだけ想定範囲外だけど、まぁ良いか。
「・・・じゃあ、行くわよ」
「・・・なんで、こーなっちゃたんだろ」
気付けば、ワタシとコイツ。
何故か二人して同じ天井見てる。
しかも、ワタシには見覚えのない天井。
隣で、先程の冴えないクンは幸せそうな顔して寝ちゃってるし。
・・・まだ、朝の3時か。
保護者であるアイツは、帰ってきてない・・・、となると。まだ呑み歩いてるのかしら。
ふぅ・・・。
いつもバカにしてたけど、結構、コイツも男なんだ・・・。
それに、こうして寝顔見てると嫌な感覚が無くなってる。
基本的に、その、男と女、って関係になると、こーなっちゃうのかな。
こうなる直前までは、あんなにムカツイテたのに。
寧ろ、憎んでいた?
・・・違うか。
ムカツイテいたのは。
憎んでいたのは。
自分自身に対して、だ。
今なら、頭、心が異様にスッキリしてる。
・・・体、は痛いけど。
だから、今なら判る。
コイツとワタシは似たもの同士だったんだ、って事が。
人の顔色を窺ってイヤな顔をされるのが絶えられないから、わざとらしい笑顔をするコイツと。
人の顔色を窺ってイヤな顔をされるのを見たくないから、わざと明るく振い誤魔化すワタシと。
何が違う、というのだろう。
ワタシとコイツの違いは、今まで目に見えなかった防御という名のプライド。
本当の意味でのプライドと、ただ自分の心を守ろうとしていただけのプライド。
違うんだ。本当は・・・。
それが、今ではこんなにクリアーに素直に見えてくる。
すごく自分の心が落ち着いているのが判る。
コイツにも、色々と教えてあげられる。
そう。
今のワタシは、こんなにも落ち着いていられるのだから。
・・・少しは感謝してやろうかな。
「えぃ。少しは、感謝してるわよ」
そういうと、本当の意味で少女から女性になった彼女が、隣で寝ている少年の頬を指でつつく。
「うぅ・・・ん。アスカー、好きだー」
「ば、バッカじゃないのっ!」
「バカ、だけど・・・。やっぱアスカが好きだよー。誰よりも。んー・・・」
「・・・わ、ワタシも好き、ってやつかも」
かたや寝ていながらも告白する少年。
かたや起きてて寝言に返事する少女。
はぁ・・・。しゃーないか。
確か、男と女はロジックじゃない、って誰かが言ってたような気がするし。
そ、そう。それに、ワタシとコイツはゴニョゴニョゴニョ・・・。
ま、まぁ!兎に角、もう決めたのよっ!
「シンジ、責任取って貰うわよっ。良いわね?」
この時。
彼女の頭を支配していた無責任な心のベクトルは、目の前で寝ている少年へと正しく(?)方向修正されたのである。
「・・・アスカ。アスカ、風邪引いちゃうよ」
「ぅん・・・。もう少し寝てたい・・・」
少年の顔は、凄く穏やかな顔をしていた。
少女の顔は、凄く穏やかな顔をしていた。
少年の名は、碇シンジ。
少女の名は、惣流・アスカ・ラングレー。
これは、そんな二人の昼下がりの物語。