本部内慰安施設、『ねるふの湯』。
その周囲には様々な付属設備が整い、本部職員の多くが愛好するリフレッシュ空間でもある。
アスレチッククラブやエステティックサロン、美容院にネイルサロンは言うに及ばず、各種マッサージに按摩や整体、カイロプラクティック、果てはタトゥーショップに至るまで、ありとあらゆる施設が存在していた。
そこでは多くの男女が自らを研鑽し、ある者は健康を、ある者は肉体強化の限界を、そしてある者は美しさを追求するために、そしてまたある者は、ただ純粋に、日夜寝る暇も無いネルフの激務で疲れた身体を癒す為、そのスケジュールを縫って、ここを訪れているのだ。
むろん、ネルフ職員たるもの、ただ漠然とここを利用しているわけも無く、全てにおいてデータを取り、効果の検証と費用効果分析が成されているのである。
そんな場所に、今、三人の女性がその成果を己の物とすべく、張り切っていた…?
「そんな、私お化粧なんて出来ません」
洞木ヒカリは、普段から化粧っ気の無い女性であった。
さすがに雀斑が気になるのか、ファンデーション程度はつけていたが、それ以上となるとせいぜい薄く紅を引く程度である。
それにしたところで、ごく稀なのだ。
「うふふ、嘘ばっかり。彼氏と会うときには薄くお化粧してるんでしょう?」
「だって、その時は初めてのちゃんとしたデートだったんです。ちょっと背伸びしようって考えるくらい…」
呟くように言い訳を口にするヒカリの顎に手をやり、上向かせる。
真正面から見つめてくるその女性、伊吹マヤから逃れようにも身体が動かないのか、視線を逸らせない。
「大丈夫、お姉さんが教えてあげるから」
見上げた頬に薄っすら浮かんだ紅潮は、一体何によるものか。
少なくとも、化粧をしてもらう為にスッピンを見られてしまう事の羞恥によるものではないだろう。
根が真面目な女性といえども、そのような趣味が皆無とはいえないのだから。
「作者、何言わせとんねん。しょーもないことさせよってからに。ちゅーかやな、……自分らも何やってんねん?」
「……お化粧よ?」
「……お化粧…ですよね?」
呆れたトウジの突っ込みに、二人して頬を紅潮させる。
「……ま、かまへんけどな?取りあえず、主役がドえらい怖い目ぇで見とるんやけど、まだ続けるんか?」
そう言って肩越しに指差したトウジの背後には、「アンタら何してんのよ」オーラを纏った、アスカ様が仁王立ちしていた。
「わ、わかってるわ、アスカ。ちょっとヒカリちゃんが可愛かったから…」
「…お化粧じゃなかったんです…か…」
危うくマヤの魔の手に掛かるところだったヒカリであった。
「お、お化粧よ、うん、お化粧」
リツコがゲンドウと結婚してしまい、行き場がなくなったマヤの思いは、今度はより年下の同性相手に発散されることとなってしまっていた。
しかしながら、そろそろあの頃のミサトやリツコと同じ年齢になってきて、お化粧が冗談抜きで必須となってきたマヤ。
激務でがさがさのお肌や、疲労困憊が顔に出た状態では、可愛い子猫ちゃん捕獲率が激減してしまうことを実感してきていた。
そうした過程から、リツコ恋しさで難関のネルフの職員採用試験を潜り抜け、あまつさえ技術部でリツコの片腕と認められるほどになったその努力の方向性が、肌年齢維持等のお化粧関係に向いたのだ。
その成果は、余す所なく自身に発揮されていた。
コレはと目をつけた新入り女性職員に、実に気安い先輩として近寄り、見た目とは裏腹な技術局内での自分の立場、そしてその外見からは判断し辛い実年齢を明かして更に驚愕させる。
その後、激務で疲れ果てた頃を見計らい、お肌の手入れやお化粧を施してあげる、と言っては信頼を得、遂には全身マッサージを……以下略。
このように誑し込むこと、数知れず。
現在ある意味ネルフのトップに君臨していた。
何がって。
エロさ加減が。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
第一種警戒態勢。
それは、サードインパクト後のネルフにおいては、発せられる事の無かった非常事態宣言であった。
ここ総司令執務室では、ただ単に警告灯が明滅するだけで、けたたましい音が鳴り響くことは無く、居並ぶ面々はロクに表情も変えずにそれを受け止めていた。
「始まったようだね。…碇、お前は降りんのか?」
警告灯を止めつつ、冬月がゲンドウの様子を伺う。
だがしかし、ゲンドウは身じろぎひとつせずにそれに答えた。
「私が出る幕はありませんよ、冬月先生。それに、下手に私が出れば…シンジを警戒させるやも知れません」
膝上に居る二人の娘のために、いつものポーズがとれないゲンドウは、いささか手持ち無沙汰なその両手を、娘たちの頭頂部を摩擦することに専念させることにした。
「……困った奴だ」
ユイ君が生きていたら、と言い出しそうになり、はたと口を噤む。
しかし、それを気にするであろう女性は、にこりと微笑み口を開いた。
「構いませんわよ、副司令…。すみません、ヤッパリこの呼び方が一番馴染みますわね」
そう言ってくすくすと笑い、口元を押さえる。
「この人の中ではユイ博士が不動の地位を築いてしまってますもの。先に逝ってしまったユイさんから、今この世に居る間だけお借りしているだけだ、と思ってますわ」
結構無茶な借り方でしたけど、と。
嘘偽りない透明な笑みで、リツコは子供と戯れるゲンドウを見つめる。
「だから、私はユイさんに多少なりとも恩を返す義務があると思っておりますの」
「恩…かね」
わからんな、と言う冬月に、リツコは、そうかもしれませんね、と答え、視線を逸らした。
「ゲンドウさんを連れて行かないでいてくださったんですもの。それに、素敵な息子に可愛い娘たちにも恵まれました。多少なりとも恩を感じてもおかしくはない、そう思われませんか?」
本心から言っているのであろう事は、冬月にも感じられた。
「…しかし。ロジックではないのだな、やはり」
論理的思考を感情で覆い、全てを赦したかに見えるリツコに嘆息し、再び視線を向けなおす。
一向に動こうとしない実の親に。
だがその視線にも動じない彼を見て、冬月は肩を竦めて、席を外す旨を伝えた。
今回の一件を成すために、かなりの無茶や無理を世界中に撒き散らしたようである。
冬月にしても、さすがに現役バリバリの幹部であるミサトに、その責を問うて更迭などという状況は避けたかった。
自分が責任を取るとなれば、誰もが納得し、それで居てネルフの不利益とはならないだろう、と苦笑しながら。
「…まったく、親子二代で世話を焼かせおって」
そう言ってその場を立ち去ろうとした冬月の背中に、声がかけられた。
「冬月先生……私はまだやり直せるのでしょうか。シンジの…親として」
「……それはお前次第だろうな。ユイ君の言葉を思い出せ。彼女はなんと言っていた?」
立ち止まり、肩越しにそう言い捨てて、再び歩み始めた冬月であった。
照明と、陽光を取り入れる天窓が点在する、明るく照らされた本部通路。
冬月は老いたりといえど、背筋をピンと伸ばしそこを闊歩する。
「いやはや、臨時とはいえ副司令の現役復帰、コレは尋常では無いと世間は考えるでしょうな」
付き従うようにし司令執務室をでた加持が、冬月の本部入りを評する。
「それはいい。牽制と受け取ってもらえれば、彼らの負担も減るだろう」
後ろ手に組んだ腕を軽く握り、贖罪だよと、加持へと肩越しに語りかけた。
「老い先短い上に、この身がどうなろうと誰に迷惑が掛かるわけでもない私だ。適材適所とは思えんかね?」
これといった未来への展望もなく、係累も無い。
言いながら、己の残した物の少なさに、軽い失望感を感じていた。
教授時代に残した形而上生物学の論文などは、今となっては児戯にも等しい。
MAGIで培われた技術のフィードバックによる、電脳の処理速度の向上。
それによりコンピュータシミュレートは、およそあの頃には考えられなかった速さで結果を得られるようになっている。
今の自分に出来るのは、若い者たちの盾となってやることぐらいだな、と自嘲しながら呟く。
「老兵は死なず、ただ消え去るのみ…か」
ポツリと。
「何かおっしゃいましたか?」
「何がかね?」
加持の問いに、声に出さぬよう留意していたのにと思いながら、切り返す。
それだけで、加持は聞かなかったことにしてくれと暗に言っているのだと了承した。
「…それでは副司令、私はこれで」
「野暮用かね?」
「ええ、まあ。色々とね」
含みのある笑みを浮かべた加持に、何か有るのかと、それとはなしに尋ねた冬月であったが、やんわりと受け流される。
「まあ、君のやることだ。それなりに考えがあるのだろう。だが、気をつけたまえよ」
「そこまでヤバい橋は渡りませんよ。眼と耳の健康診断といったところですから」
肩を竦めた加持に、冬月もそうかとうなずく。
「どうなるにせよ、やれることはやっときませんと」
そうだなと再び肯く副司令と分かれ、加持は足取りも軽くその場を後にした。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「良いわねシンジ君、いつも通り落ち着いて。敵は思ったよりも戦力を揃えてきていると見て間違いないわ。でなけりゃウチに戦争しかけようなんて思わないでしょうし」
そう口火を切って、ミサトはエントリープラグで待機していたシンジに状況を語り始めた。
まずは予測される敵の攻撃方法である。
恐らくは遠隔操作もしくはスタンドアロ-ンで敵地進入、ピンポイントでの要所破壊が可能な攻撃兵器によるもの、次いで航空機による対地攻撃と推定されていた。
通常の戦闘ならば、この後に空挺部隊による降下等があるだろうと目されるが、今回はそれは考慮されていない。
あくまでもネルフに痛手を被らせ、遠隔地に手を出す余裕をなくさせる事に主眼が置かれているようなのだ、と。
「それに、下手に捕虜を作る可能性が高くなる白兵戦を行う気は無いでしょうしね」
誰かサンのせいで、とミサトは笑う。
『リツコさん…ですか?』
ついシンジもつられてその名を口にする。
「そそ、リツコの存在がでかいのよ。それこそMAGIと脳味噌直結してんじゃないかしらって勢いで色々やるじゃない?私、訪問国で色々聞かれるのよねぇ。『貴方のところの魔女…や、失礼。技術局長殿は、コンピューターをどのように扱っておられるのだ?』って。人によっちゃあ『もしや首筋にプラグの差込口でも…』なんて真顔で聞いてくるのよ」
リツコなどが聞けば、「…どこの公安9課の少佐よ」と苦笑するだろうが。
事実、ネルフに捕らえられた侵入者は、様々な手段を用いて、否応無く全てを自白させられてしまう。
為に、その筋の者からは『脳髄に電極刺して記憶を吸い取られる』と、まことしやかに囁かれている。
「それはともかく。敵に容赦しちゃ駄目よ?いくら一般市民は避難させたとはいえ、ウチの職員はそこかしこにある兵装ビルに残ってるんだから。敵の弾も兵器も、ひとつ残らず粉々にして。良いわね」
『…ハイ』
敵とはいえ、人死にが出るのかもしれないのかと気落ちするシンジに、さらに日向からの報告が重なる。
「葛城さん、来ましたっ!巡航ミサイル多数!!こりゃまた…確認できるものだけで、トマホーク、AGM-129、グラナトにストームシャドー、天箭にブラモス…うはっ、玄武Ⅲまであるぞ」
「総員第一種戦闘配置へ移行っ!…って玄武Ⅲ?…ああ、自信たっぷりに発表したくせに、記事に【正確度が5kmと優秀】とか書かれてて失笑されまくったやつね」
軍人らしく、そのあたりの記事は眼にしていたのであろう、ミサトが当時の記憶を引っ張り出して苦笑する。
「ですねぇ、狙ったところから5kmもずれるなんて、初期の弾道ミサイルじゃあるまいし。まあ5mの誤植でしょうけど、それでも20年以上前に配備されたトマホークですら半数必中界が1mだっていうのに。よくまあ自信たっぷりに発表したもんです」
『…半数必中界?何です?』
「ああ、簡単に言えば、10発撃って、狙った所からその内の5発が収まる円を書いた半径さ。ま、MAGIに制御させれば半数どころか全弾10cm半径に収まると思うけどね」
なるほどと納得したシンジが乗る新初号機は、直後にミサトから出された発進準備の指示を受け、カタパルトへと移動していった。
初号機との通信をいったん途絶させた発令所では。
「駄目じゃない、日向君。もっと切羽詰った演技しないと。何のんきにシンジ君の質問に答えてんのよ」
「す、すいません葛城さん」
役者の力量不足が露呈していた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ちょうどその頃。
ここは、急遽新婦の控え室となった、慰安施設内のヘアーサロン。
マヤによるお肌のお手入れから始まり、髪型に化粧にネイルと、隅々まで余すところなくお手入れされたアスカが鎮座していた。
無論、ドレスの方も準備万端、アクセサリー等もその道のプロたちが他の仕事を放り出して―――放り出さざるを得なかったのだが―――仕上げた、最高の品々ばかりであった。
そんな中、自分の場所はここだと言い張り、司令室から動く気配を見せないゲンドウを捨て置いて、寝入ってしまった下の娘を抱き抱え、レイを伴ったリツコが、アスカの様子を見に来ていた。
「…馬子にも衣装」
「……アンタネェ、意味わかって言ってんの?」
後は出番が来るのを待つばかりと、その姿にミスマッチな安っぽいパイプ椅子に腰掛けていたアスカであったが、開口一番、綾波さんの放ったたった一言の皮肉が、楚々とした風情と妖艶さが絶妙に混じった神秘的なまでの雰囲気を、いきなりただの着飾った綺麗なお姉さんへと変貌させた。
「外見ばっかりじゃないでしょ、アタシの場合はっ!容姿端麗、痩身優美、眉目秀麗なんてーのは、あくまでもおまけみたいなもんよ。それに加えて頭脳明晰、運動神経抜群、成績優秀、品行方正、花鳥風月 まさしく才色兼備、文武両道、完全無欠のこのアタシに向かって馬子にも衣装とはなによっ!」
よほど癪に障ったのか、アスカは小さいレイに向かって言葉のマシンガンを乱射し始める。
わけを知らぬ人が見れば子供相手に大人気ない、となるだろうが、アスカにとっては“あの”綾波レイに他ならない。
体力関係は兎も角、口喧嘩に関しては対等の相手と認識しているのである。
そして、やはりこの綾波さんもアスカの言葉程度で倒れたりはしない。
「 …悪口雑言、阿鼻叫喚、一罰百戒、器用貧乏、傍若無人、馬耳東風、夜郎自大、唯我独尊…他に何か知らない?」
荘厳なドレスをまとい、身動きのままならぬアスカを見て、綾波さんは鉄拳が飛んでくることは無いと認識して、さらに四文字熟語を羅列し始めた。
「さ、さあ。大学は理系だったから…」
いきなり振られたマヤなどは、とっさに返す言葉が見つからずにあたふたするのみであった。
「レイもアスカも、じゃれ合うのはそれぐらいにしておきなさい。ほら、アスカ。新婦が怖い顔しないのよ、ね?」
諌めようとしたリツコであったが、二人の険悪なムードは変わらぬまま、「運動神経抜群は四文字熟語じゃないわ」「別に四文字熟語縛りしてたわけじゃないでしょうがっ!」などと罵詈雑言の嵐は続いていた。
まったくしょうがない二人だと、リツコがマヤと視線を合わせて苦笑するに至って、この場で最強の人類が動き出した。
「…おねー?」
そう、リツコの娘、ユウカである。
リツコの胸に抱かれていたのであるが、二人の大音声での面罵に目が覚めてしまったのだ。
そして、母の肩越しに見たものはというと…。
「ふ、ふわーーーーん!」
怖い怖いお姉さま方が、顔をつき合わせた場面であった。
声を上げて泣き出した幼女に即応できたのは、やはり母であるリツコだけ。
「ハイハイ泣かないのよー。ユウカを驚かせるだなんて、駄目なお姉ちゃんたちでちゅねー」
ポンポンと背中を叩きあやす様子を、一転してしょんぼりとした表情で上目遣いに見上げた二人。
「…ごめんなさい」「…悪かったわ」
ほぼ同時にそう口にして、小さな義妹に頭を下げたのである。
「ほーら、もう怖くないわよ。ね、ユウカちゃん」
顎で促す母に、しゃくりあげながらも泣き止むユウカ。
涙で滲んだ瞳を小さな手で擦り、恐る恐る二人の義姉を見下ろし、蜂蜜色の髪を白いヴェールで包んだ片割れに目を止めた。
そうしてゆっくりと花のような笑顔を綻ばせ、口を開いた。
「…きえー」
その表情と言葉に、アスカは一撃で伸されてしまった。
ここまで心からの賛辞を受けたことなど、今まであっただろうかと彼女は自問自答し、その結果、美辞麗句などではない、飾り気のない一言が、アスカの頬を染めさせたのである。
「…あ、ありがと」
言葉少なに恐縮するアスカと、それをちょっと羨ましそうに見上げるレイ。
その表情に気づいたアスカは、ニッと微笑みレイの額を指で弾いた。
「アンタも頑張んなさい。元はいいんだから、気合入れて磨けばおんなじ事言ってもらえるわよ」
「…お、大きなお世話よ」
ぶすっとした表情ではあったが、ばあさん、と続けなかっただけマシだろう。
これから長い付き合いになるんだしと、アスカもこの表情の読み辛い義妹の取り扱い方マニュアルを脳内で作成することに着手した。
そんな二人をなんだかんだ言って馬が合うんだなぁ…と、生温かく見つめていたマヤちんであった。
骨の髄まで母となってしまったリツコを見て、残念な反面羨ましいという微妙な心の涙を流しながらであったが。
「それはそうとアスカ?ハイこれ」
「ん?ああ、アレね。どれどれ?」
リツコの差し出した、バインダーに留められた書類を、アスカはパラパラと捲りながら目を通す。
それは、アスカの提案をミサトの悪乗りで増幅した、今回の作戦要項であった。
本当に内容が頭に入っているのか怪しいほどの速度でページを進めるアスカであったが、とあるページでぴたりと止まる。
そしてその麗しい曲線で構成された眉間に深く皺を寄せ、リツコに向き直った。
「…あんの酔っ払い、なに考えてんのよ。リツッ…じゃないお義母様っ!ちょっと!」
長いトレーンを引きずるのも厭わずに、リツコの手をとって駆け出していった。
そのころヒカリとトウジはというと。
「お、これええんちゃうか?って、高っ!なんでレンタルやのに何十万もすんねんっ!」
「…ほんと。これじゃ地味婚が流行るのもわかる気がするわ」
主役をほったらかしにして、各種ウェディング関係のカタログに釘付けになっていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
新ネルフ本部を中心とした、幾多の橋梁の外縁部。
旧ネルフ本部を眼下に一望できる絶好のポイントとして、日頃は観光客でにぎわっている広場があった。
今現在無人となったそこに鳴り響くサイレンと、明滅する、危険を知らせる回転灯。
そして流れるアナウンス。
「毎度お騒がせして申し訳ございません。ただいまよりエヴァンゲリオン初号機、発進いたします。危険ですから黄色と黒の枠線の外までお下がりください」
そして程なく大地が口を開き、「紫の悪魔」が姿を現した。
「初号機、地上に出ます」
「カタパルトフリー。拘束具、ロック解除」
「カウント、3、2、1、リリース」
以前ならば地上に出た時点でカタパルトが停止、その後拘束具が除去され、一歩を踏み出す形であった。
しかし現行のエヴァは、緊急発進時においては、リフトでの加速そのままに空中に射出される。
まるで対第七使徒時のように空へと打ち出された新初号機は、その背中から翼を広げて滑空を始めた。
「がんばってね、シンジ君」
危うく語尾に音符が付きそうな口調になりそうなのをぐっとこらえて、ミサトは飛びゆく初号機を見送った。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
そうして場面は冒頭に戻る。
ネルフ本部へと殺到するミサイル兵器をATフィールドで阻み、次いで超低空を迫りくる対地攻撃機さえも容赦なく叩き落す初号機は、まさしく獅子奮迅の働きといえた。
高空から迫る戦略爆撃機すらも、その神の手の如く伸びるATフィールドにより寸断され、目的地のはるか彼方、大平洋上で爆散し、その破片を撒き散らすこととなった。
ミサトの言葉通り、シンジは何者であっても容赦なく、その悉くを撃ち滅ぼしてゆく。
そうして、エヴァの威力を再認識させるかのごとく、それを見る敵意持つ者全てに畏怖を、庇護の下にある者達には等しく畏敬の念を抱かせていった。
発令所では、大過なく兵器群を叩き落してゆく初号機に目を細め、順調順調とほくそえむミサトがあった。
「…時間です」
タイムスケジュールを進めるかと聞いてくる日向に、当然だといわんばかりに大仰に頷く。
「カメラはちゃあんと初号機の勇姿捉えてるかしら?」
「はい、今のところ問題なく。後はご指示だけです」
ヨッシャと腕を組みなおしたミサトは、盛大にやるわよと発令所全体に号令をかけた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
敵の攻撃の一切を防ぎきったシンジは、辺りに迫る気配が途切れたのを、次の段階に攻撃が移行する準備の為だろうと、気を抜かずに本部前広場上空で旋回し、索敵を続けていた。
と、急に周囲の兵装ビルが引き込まれ始め、変わりに通常の民生の建物が雨後の筍のように生え始めたのだ。
「そんな、まだ敵が来るかも知れないって言うのに!?」
もしや敵のハッキングかなにかによるものなのかと、シンジは焦った。
そして覗き込んだポップアップ画面では、地面から生えたビルの屋上に、人が大挙しているのが映っていた。
「…拙い。ミサトさんっ!ビルがっ!ビルの上に人がっ!」
発令所に向かって叫んだシンジであったが、それに対する返答は砂嵐のようなノイズが響くだけであった。
通信も妨害されているのかと臍を噛んだが、臆しても居られず、シンジは敵の攻撃の盾になるべく、機体をビル群の前に下ろした。
ビルの近くでは下手に動くことができないが、ただ守るということに専念するのであればこの位置が最適である。
フィールドを張りさえすれば、爆風や敵の破片などを考慮せずにすむからだ。
「さあ、どこから来る…っ!?」
呟いたシンジは、レーダー上に数多の光点が浮かび上がるのを見て目を見開いた。
反応はごくごく近く、第三東京の敷地内からなのである。
周囲に目をやれば、次々に舞い上がってくる、雑多な機種のヘリコプターがあった。
「テレビ局…?」
そう、シンジの目にしたヘリコプターには、報道番組等で見覚えのある、様々なカラーリングを施された報道ヘリであった。
大きなレンズが、まるで砲口のようにシンジの機体を舐めるように飛び回る。
「なにしてるんだよっ!戦争してるのが見えないの?!」
シンジの叫びもむなしく、周囲のヘリは退避するそぶりも見せない。
それもそのはず、これら報道関係者はネルフによって集められたのだから。
「ミサトさんっ!日向さんっ!青葉さんでもいいから、返事してよっ!このままじゃっ!?」
シンジの叫びが終わらぬうちに、エントリープラグの全周囲モニターがその機能を停止し、非常灯が点灯したのだ。
「そんな、こんなのって…」
何も聞かされていないシンジにとっては、エヴァの制御まで乗っ取られたとしか思えなかった。
なぜなら、それは彼が以前体験したこともある“アレ”が起動したときと酷似していたから。
「何でだよっ!何で今そんなのが動くんだよっ!」
甲高い音が、シート下から響いてくる。
そう、それは忌まわしいダミーシステムの起動音であった。
「やめてよ…。誰か止めてよ…」
涙目になりながら、それでもインダクションレバーを離さない。
「もうあんなのは嫌なんだよっ!」
そして、シンジはその思いを開放した。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
『皆さん、ご覧ください。ネルフの誇るエヴァンゲリオン、その初号機です。あれほどの大兵力をものともせずに、全て殲滅。それで居て周囲にはなんら被害を及ぼしておりません。まさしく人類の守護者といえましょう。あ、どうやら実弾による総合火力演習は終了した模様です。空を舞うエヴァンゲリオンがこちらに降りてまいりました。万一の被害を考えて待機していた報道ヘリも、次々にその雄姿をカメラに収めようと飛び立ちはじめております。あ、地上に降り立ったエヴァが、いまゆっくりとこちらに向かって来ます。ネルフの説明によると、今日の演習後にパイロットのお披露目が行われるということです。世界中の人々が待ちに待ったその瞬間が刻一刻と訪れようとしております。それではスタジオにお返ししまーす』
報道陣でごった返したビルの屋上では、各局が競うように大地に降り立ったエヴァをリアルタイムで全世界に中継していた。
ソレを見ていた者の中に、ゆっくりとビルに近づいて来るエヴァのその瞳が一瞬暗くなり、再び明るく輝き始めたのに気が付いた者が居たであろうか。
そしてその輝きが、先ほどとは比べ物にならないほどであったことにも。
あ、居た。
「……今のって、もしかしてヤバイんじゃないかぁ?」
屋上で、カメラマンの引き摺る配線が邪魔にならぬように、巧みに捌いていた眼鏡のテレビ局職員が、約一名。
呆然と立ちつくした彼であったが、次の瞬間には上司からの叱咤が飛び、慌てて仕事を再開した。
「こらー、相田ぁ!何してるっ、さっさとしろっ!」
「はっ、はいっ!!」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「初号機、ダミー起動完了しました。でも、よろしいんですか?」
発令所では、予定通りとはいえシンジの搭乗している機体の制御を、ダミーに切り替えて本当によいものかと幾分批判じみた視線をミサトに送る日向が居た。
「仕方ないじゃない。シンちゃんにサプラーイズするためなのに、今のタイミングで『実は演習でした』なんて、下手なドッキリでも言わないわよ」
あくまでも、シンジを驚かせるためというのを最後まで押し通す気のミサトによる、ダミー起動であった。
「…新型ダミーが昔とは違って言うことを聞いてくれるとはいえ、あんまりいい気持ちはしないんスけどね」
青葉も日向同様、ダミーの起動には批判的であった。
シンジの過去を思えば、自らの意思に反してコントロールを奪われるなど、トラウマとなって何かが吹き出てきてもおかしく無い。
「だーいじょぶダイジョブ。もうそんな昔のことなんて忘れてるわよぉ。アレから何年た…」
「っ!パルス逆流!神経接続断線!」
「信号拒絶っ!受信しません!!ダメです、完全にこちらの制御から外れましたっ!」
片手をパタパタ振りながら、気にしない気にしないとニヘラ笑いをしていたミサトであったが、日向と青葉からの続けざまの報告に顔面をヒキと強張らせた。
「そ…んな。暴走!?」
逃避しかかった精神を瞬時に現実に引き戻し、現状を把握する。
「し、シンクロカット!いえ、プラグ強制射出っ!ビル戻してっ!報道のヘリも退避、急がせてっ!大至急よっ!!」
焦るのも無理はなかった。
初号機の前には多くの報道陣が詰め掛けたビルが突き出し、その勇姿を写さんとカメラのレンズが幾重にも列を成している。
演習区域外に待機していた報道ヘリも、ゆっくりと初号機の姿を写せる機会が与えられることなどロクにないため。我先にと都市中心部へ殺到している。
今此処でエヴァが暴走などしたらどうなるか、火を見るよりも明らかであろう。
想定外の状況にミサトらが焦る中、初号機はその瞳をらんらんと輝かせ、顎部拘束具を引き千切り、鈍く響く咆哮を天高く上げ始めた。
そうしてそれまでとは打って変わった雰囲気の初号機に戸惑う報道陣らに視線を向け、狙いを定めるかのように眼を細める。
ちなみに量産機改の癖に眼があるのか、などという突っ込みは聞かない方向で。
ゆっくりと腰の位置を下げ、今にも飛び掛らんとしたその時、初号機が何かを感じたかのように飛び退った。
次の瞬間、初号機が居た空間をなぎ払うように、紅い巨体が姿を現したのだ。
空中に射出される通常発進を、以前のように地上で停止するように設定し、停止するやいなや拘束具をひん曲げるかの勢いで蹴り飛ばし、その勢いで一気に初号機との間合いを詰める。
瞬時にATフィールドを展開する暴走初号機であったが、わずかな残滓を残してそれは消え去り、弐号機は徒手空拳のまま初号機の手足を絡めとり、地面へと叩き付けた。
「に、弐号機?アスカなの?」
『アスカなの?じゃないわよ。ミサト?このバカ押さえとくからさっさと避難させなさい…っと!』
極めた関節を、力で外そうとしてくるのを逆手に取り、体を入れ替えて更に初号機の動きを封じ易い状態へと移行する。
暴走状態に陥っている初号機の力を、技で押さえ込んでいるのだ。
「日向君っ!ビルの収納状況はっ!」
「あと48秒で全て格納出来ます!」
状況を理解したミサトが、現状を確認する。
部下からの答えに舌打ちしつつ、モニターの弐号機へと視線を戻す。
「ゴメン、アスカっ!もうチョイ押さえててっ!」
『気楽に言ってくれちゃってぇ…』
仰向けの初号機に馬乗りになり、所謂マウントポジションにまで移行した弐号機であったが、中に居るのはシンジときている。
今のアスカに暴走エヴァなどどうと言うことはないが、シンジが乗っている以上倒しちゃ駄目な上に、下手に損傷を負わせてもあとで問題になるのは目に見えている。コレは演習なのだから。
よって、壊さないように手加減した上で、周囲へ損害が広がらないよう配慮までせねばならない。
高出力域での微妙なパワーコントロールという対応を強いられたが、そこは歴戦のアスカである。
上唇をひと舐めし、呼吸を整えて下から打ち上げて来る初号機の拳を両の腕で捌きはじめた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「どうしたの?アスカ。随分と慌てて、何かあったの?」
新本部内の廊下を、リツコが息を切らして声をかける。
猛烈にウエストを締め上げ、コレでもかというほどの装飾で彩られた重いドレスとその付属品たちが、アスカの移動力をスポイルしていたが、それにもめげずに、11cmの高いピンヒールを硬い床に打ち付けるようにして突っ走っていた。
リツコの問いかけに一瞬顔を顰めたが、足取りはそのままにもう一方の手に持ったままのバインダーを投げるように手渡す。
「ほらこれっ!ミサトの馬鹿よ。よりにもよって初号機にシンジが乗ってるってのに、ダミー起動しようとしてんのよ?今でこそまあまあまともな根性つーのを持ってるけど、あの馬鹿が昔の事を忘れてのほほんと生きてきたとでも思ってんのかしら。鈍いくせにそういうのだけは細かいのよ、アイツっ!」
トレーン(引き裾)を引きずりながら走るアスカに手を引かれ、細かなレースの装飾が入ったそれを踏まないように追従するリツコが、片手で器用にページを手繰る。
「…まったく、ミサトのやる事はいつもいつも」
言いつつ脳裏に別の人物を思い浮かべる。
あの人もこれに目を通していたはずだ、と。
そうして自分が娘二人の世話で、そこまで目が行き届かなかったことにも歯噛みする。
「急ぎましょうアスカ、下手をしたら…。いえ、むしろそういう事態になると想定した方がいいわね。弐号機、いつでもいけるから」
「オッケ-、話が早いわ。流石にアタシだけじゃ弐号機を勝手に出せないから。その辺はよろしくね」
二人は作戦に従事しているために職員の居ない閑散とした通路を、傍目も振らずに駆け抜けていった。
紅い機体が眠る、旧ネルフ本部格納庫へと。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
そんな感じで何とか初号機の暴走に間に合った弐号機のアスカであったが、この後の対応に頭を悩ませても居た。
「押さえ込んだは良いけどさ…。暴走しちゃった。テヘ♪なんて誤魔化せる訳ないんだろうなぁ。まったくもう、シンジもシンジよ。とっとと眼ぇ覚ましなさいっての」
外部に対してのアナウンスとしては、あくまでも実弾演習と、これまで秘匿していたパイロットのお披露目となっているのである。
そしてその後の一大サプライズ。
そういった一連の流れが、ミサトのやり過ぎとシンジの暴走のせいで台無しになりそうなのだ。
「こういう時だけは、昔みたいにバッテリー切れが無いってーのが辛いのよね…っていうか、ミサト?ビル降りたんでしょ?まだなの?」
発令所に問いかけつつ、馬乗り状態のまま、初号機の放つ拳をペシペシと両手で叩き落とす。
高度な技を混ぜてこられたならば苦戦したかもしれないが、生存本能だけの野生生物のような暴走エヴァ量産機など、同スペックのエヴァに搭乗したうえ体調万全のアスカの敵ではなかった。
これが本来のシンジの乗機、エヴァンゲリオン初号機であったなら、その限りでは無かったであろうが。
アスカから言われるまでもなく、発令所も躍起になって状況改善に奔走していた。
「ゴメンもうチョイ!ビルが降りきっても、中の人がシェルターに入んないと拙いっしょ?だから踏ん張ってっ!」
ミサトも色よい返事が出来ぬまま、現地からの報告を待つ身であった。
流石にビルが地下に潜ったからといっても、その上でエヴァの巨体が暴れまわっては、安全など保障できない。
事実、エヴァが歩くだけで、装甲が入っているはずのこの街の地面でも、かなりの衝撃が走るのだ。
第三使徒襲来時に、そういった面も考慮してあるはずの電話ボックスのガラスが、綺麗さっぱり割れてしまった実例すらある。
大立ち回りを演じた場合に、その直下がどんな状況になるのかなど、恐ろしくて想像したくも無い。
「何事かね。…葛城君、聞いていた予定とは随分と違うようだが、コレは一体?」
「…ふ、副司令」
そうこうしているところに、冬月元副司令が発令所最上段へと姿を現した。
騒然とした発令所の雰囲気に、冬月は昔を思い出したように声を荒げた。
「各員は現場周辺の状況把握に努めたまえ。広報課はシナリオを早急に作成。この暴走が当初の予定通りだというシナリオをでっち上げておけ。葛城君、初号機のエントリープラグの緊急排出はまたアレかね」
「は、はい。シグナルの受信は確認できておりません」
またか、とばかりに眉を顰めた冬月であったが、即座に真顔に戻りミサトに指示を出した。
「…フォースチルドレンは今どこかね」
「彼ならば、本部内に収容されているはずですが…っ!」
冬月に言われて、即座に懐から取り出した携帯をプッシュする。
「…ええ、私よ。……よくわかったわね。出せる?……ええ、お願い。じゃ」
ミサトが問うよりも先に、電話の向こうから期待した答えが返ってきたのか、ほんの数秒で通話が終えられる。
「リツコ君かね?」
「はい、既に参号機の出撃準備は整っているとのことです。フォースチルドレンも同じく」
「そうか、では作戦を遂行したまえ」
「はいっ!」
最上段を見上げ、敬礼し正面に向き直る。
最もネルフがネルフらしかった頃の、それはまるで既視感のような光景であった。
指揮を再開したミサトを見下ろし、冬月は溜息を吐く。
「いやはや、さすがは副司令。昔とった杵柄ってやつですな」
「……加持君、もう君の仕事は済んだのかね」
振り向いたそこには、いつの間にか加持が壁に背を預けて立っていた。
「ええ、まあ定期検診みたいなもんでしたからね。簡単なもんです」
で、どうにかなりそうですか?と問う加持に、どうやらシナリオに大幅な変更が必要なようだと伝えながら、自分のほうも予定が狂うなと一人ごちた。
「さて、私一人の首で事を収められるものかね?」
そう呟く冬月に、加持は笑みを浮かべて肯定した。
十分どころかつりが来る、とまで言って。
その返事に苦笑する冬月は大層楽しげだったと、後に加持は妻に語ったという。
『どうでもいいから早くしてぇ~~~!!』
活気付いた発令所に、アスカの声が大きくこだましていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
弐号機の発進を見送ったリツコは、先の事を睨み即座にマヤと連絡を取り合った。
早急にそこに居るフォースチルドレン、鈴原トウジを下に降ろすように、と。
そうして旧本部ケイジに、もう一つ明かりが灯ったのだ。
「急で済まないわね?しかも新参号機の初めての実機運用がこんな状況だなんて」
トウジの機体となる予定だった旧参号機は、過去に使徒に侵食された折に、ダミー起動による初号機が殲滅した経緯がある。
その後回収されたパーツ類―――肉片と呼んだ方が良いかもしれないが―――は、隔離され保管されていた。
使徒戦後に漸く徹底的に調査され、つい先ごろ完全に使徒の影響は残っていないと確認、破壊を免れていたコアを、鹵獲した量産機に移植し、新参号機がロールアウトしたのである。
「いえ、かまいまへん。シンジがえらいに事になっとる言うんでしたら、ワシなんぞどないにでもつこてください」
そう気楽そうにリツコに答えた。
とは言え、テストプラグでのシンクロテストと、シミュレーションしか経験のない自分に何が出来るんやろか、と内心の不安を隠せるものではなかった。
震える指先で、ぷしゅ…と、手首のスイッチを押しながら、プラグスーツを密着させる。
と同時に、マヤからの報告が届く。
「参号機、エントリー準備整いました。いつでもいけます」
「じゃあ、行きますわ。正直何が出来るっちゅう訳やアラへん思いますけど…」
準備完了の報を受けて、トウジはエントリープラグへと歩き始めた。
今頃上はどんな状況になっているのだろうか、大事がなければ良いがと、シンジよりも一回り広い背中を見送りながら、唇を撫でてふと思う。
子供が出来て以降やめて久しいが、こんな時はタバコが恋しいわね、と。
そう苦笑した所に携帯が着信を告げた。
「ミサトね?参号機が必要になったの?…ええ、いつでも。もちろんフォースも搭乗済み。出すの?」
電話越しで細かな状況は判らないが、切迫しているのは感じ取れる。
僅かな時間も惜しいと通話中にマヤへと視線を送り、頷きで発進を促した。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
『アスカぁ?今参号機を出したわ。そっちはだ…』
「おっそーいっ!まあいいわ、後はこっちでやるから後始末はよろしく」
続けようとするミサトの言葉を遮って通信を切り、シートサイドに浮かんだポップアップモニターに視線を向ける。
「……C38射出口、あっちね。っしゃぁ、いくわよっ!―――どりゃぁぁぁあああ!!!」
参号機の発進ルートを確認したアスカは、じたばたと抵抗を続ける初号機の両腕の上手をとり、肘間接を極めるや立ち上がりざま引っこ抜くように背後へと放り投げた。
そしてそれを追って一気に駆け出す。
落下地点は、そう、参号機の射出予定ポイントである。
「ジャージ、ちゃんと働きなさいよぉ…!」
落下してくる初号機を受け止めるべく、全力疾走から急制動をかける。
その直上を、舗装を抉りながら減速する弐号機目掛けて、初号機が放物線を描いて落下してきていた。
アスカは、ちょうどプロレスのボディスラムを裏返したような体制で受け止め、地面に押付けるつもりであった。
そうすれば、ろくに実機訓練をしていないトウジであっても、難なくエントリープラグを引き抜くことが出来るだろうと思ったからである。
「よっしゃあ、行くでぇぇーーー……えぇぇえぇえええええ???!!!」
発進したトウジの参号機であったが、現在通常の量産機改の発進シーケンスは前述の通り空中への射出である。
先のアスカの弐号機の様に、意図的にそれをキャンセルしない限り、地上に出る寸前に拘束具は解除され、空中へと放り出されるのだ。
この参号機の射出についても同様である。
が、しかしジャージこと男鈴原トウジ。
出撃に対する心の準備は出来ていたが、空中に放り出される覚悟までは完了していなかった。
「ちょ、ちょお落ち着けワシ。深呼吸深呼吸。スーーーーーーーーはぁああああああーーーーーーーーーー……ふう。さて、どないすんねやったかのう」
ゴス。
落ち着きすぎた彼の操る参号機は、射出された直立姿勢のまま、景気の良い轟音を立てて、弐号機が仰向けで受け止めた初号機に、ドロップキックを見舞う形で激突したのである。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
弐号機以外は沈黙してしまった状況をモニター越しに見やり、呆然としながらミサトが声を絞り出した。
「……ま、まあ結果オーライって事で」
「そういう訳にもいかんだろう、葛城君。関係者以外の目撃者が多すぎる」
無理矢理これでOK、後は何とか誤魔化そうという感じのミサトに、流石にそれは無理が在るだろうと冬月の苦言が飛ぶ。
実際問題として、本来ならば地上に上げたビルの屋上に集った報道陣に対し、エヴァのパイロット同士の結婚を発表するはずであった。
それも、実弾演習を終えた初号機から姿を現したシンジを紹介し、その余勢をかって、気合を入れて婚礼衣装で着飾ったアスカを初号機の元へと送り出す。
そしてミサトらの手により取り揃えられた各種宗教団体が、盛大な婚儀が執り行なうという計画だったのである。
……あくまでもシンジを驚かせることに拘って、ダミーなんぞを使わなければ良かったのだが、後の祭り。
ミサトは、どう辻褄を合わせようかと悩んだ末に、取り敢えず対症療法的な対応をとることに決めた。
「もうこうなったら一か八かね…。日向君、今の戦闘時の画像、データの改ざんなんて可能かしら?」
「葛城さん……流石にそれは無理がありますよ。ウチの画像だけならまだしも、報道のヘリが居ますから。退避してるといっても、望遠でばっちり撮られてるはずです」
どうにもならない……か、と落胆したミサトらの間に、消沈した雰囲気が漂い始めた。
「……仕方ないわ、シェルターの方につないで頂戴。状況説明を私がするわ。あと、司令に……」
全ての責任は自分が負うと、そう報告するつもりのミサトが、そこまで言ったところで、正面のモニターが切り替わった。
「何?」
「……どうも、シェルター内部の画像みたいっスね。操作は……また別のところからですね、ってアレ司令じゃないっすか!?」
眉を顰めるミサトに、青葉が同調するように視線を向け、そのメインモニターの片隅に映る人物を発見した。
「な、なんで碇司令があんなところに?」
困惑するミサトは、司令室に鎮座しているはずのゲンドウがどうして?と呆然とするのみであった。
その背後で一人、冬月のみが、我が意を得たりと笑みを浮かべていた。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
一人司令室に取り残されたゲンドウは、執務室に備え付けられたモニターを見るとは無しに眺めていた。
冬月が加持を伴い部屋を去った後、リツコも子供らを抱き、「新婦の様子を見てきますわ」と言い残して退出し、広い室内には発令所での会話と、初号機のシンジからの通信、そして激しい外部からの震動が響き渡っているのみであった。
そんな中、ゲンドウの耳朶を打ったのは、シンジの叫びであった。
『何でだよっ!何で今そんなのが動くんだよっ!』
『やめてよ…。誰か止めてよ…』
『もうあんなのは嫌なんだよっ!』
「ッ!………………シンジ」
思わず呟いたゲンドウはゆっくりと立ち上がり、足早に自室を抜け出した。
以前の本部通路に比べ、自然の光が差し込む明るい新本部の通路を進む。
その足取りは確固としており、その秘められた意志の強さを物語るようであった。
不安気な雰囲気で充たされた、シェルター内部。
予め知らされていた予定とは異なる進行によるものであるが、一部の者は何らかの不備を隠すための変更では無いかとの声も上がっていた。
その意見はまさしく正鵠を突いていたのだが、彼らの不満が頂点に達する前に姿を見せた人物により、霧散することとなった。
ざわめいていた報道陣は一様に口を閉じ、無言で自分たちを睥睨する男の視線に、思わず咽喉を鳴らしていた。
その視線を一身に集めたのは、誰あろう碇ゲンドウその人であった。
シェルターの内部には、現状を説明する等の広報の為の設備もある程度整えられている。
ゲンドウはマイクを片手に、一同を睥睨して語り始めた。
「……皆さん、ようこそネルフへ。総司令を勤めさせていただいております、碇ゲンドウです」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
メインモニターを見上げたまま、発令所の面々はまるで信じがたいものでも見たかのように固まってしまった。
「…何?何がどうしたって言うの??」
メインモニターに映るシェルター内部の様子は、ミサトの懸念していたような喧騒はなく、むしろ和気藹々とした雰囲気に包まれていたからだ。
音声こそ入っていないが、そこには報道陣からの質問に、にこやかに応対するゲンドウの姿があった。
「……司令が、ちゃんと喋ってる」
普段、「ああ」「問題ない」「話は以上だ」などと、紋切り型の挨拶すらせずに、一方的に通告、もしくは指示を出すのみの姿しか部下に見せていない彼が、言葉の少ないのはいつも通りながらも、報道各社のキャスターらの話を一々聞き、きちんと答えを返しているのだ。
「碇め、やっと親としての覚悟が出来たと見える」
「副司令?それはどういう?」
壇上から降りたった冬月が、ミサトの横に立ち、苦笑交じりに呟くように続ける。
「息子の力になりたいと、奴が自分から動いたのだよ、葛城君。……これは君かね?」
そう言って冬月が視線を向けた先には、発令所の壁に寄りかかった加持が、片目を瞑って我関せずと傍観者を気取っていた。
が、若干怒気を孕んだミサトの視線が注がれ、その本体がじりじりと迫るに従い、微妙な汗がにじみ出始め、遂には口を割ることとなった。
「そ、そう興奮するな。俺がやったのは、精々眼とこことを繋いだ位だ」
事実を端的に語る加持。
過去の経歴から、自分の言動が嫁に対して非常に信憑性にかけることこの上ないために、下手に隠し立てするのは得策ではないのを承知の上でのことであるが……。
「信用できないわね」
一刀両断される。
「……勘弁してくれ」
時と場合を弁えずに、ぎゃあぎゃあと叫びだしたミサトに、加持は顰めっ面を手で覆った。
「加持君の事はまあいいとして、だ。青葉君、予定の進行はどうなっておる」
「は?あ、はいっ。第参ステージで状況停止、現在ステージ移行は保留中です」
ごたごたを捨て置いて、冬月が状況の把握に努める。
いきなり声をかけられ、青葉は慌てて情報を整理する。
「そうか……。ふむ、責任は私が取る。上の状況に合わせて作戦を再開したまえ」
正面のモニターを横目に、冬月は予定を再び進行させるように指示して、苦笑した。
「さて、丸く収まればよいのだが」
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ケイジの天井に設置された、港湾にあるガントリークレーンもかくやという巨大なクレーンが、その重厚な駆動音を響かせて初号機を運んでゆく。
「まぁったく、だらしないったら……はぁ」
その光景をバックに、LCLで重く濡れたウェディングドレスを引きずったアスカが、しょぼくれた2人を前に嘆息していた。
「……ごめん」
「……すまんのう」
ケイジに格納されて早々にアスカのお小言が始まっていたのだが、あまりの不甲斐無さに怒りを通り越して最早出るのは溜息のみといった体なのであった。
「手厳しいわね、アスカ。その辺にしておいてあげなさい、悪気があってのことじゃないんだし」
三人の帰還をケイジで待っていたリツコがアスカをなだめるが、どうにも気が治まらないらしい。
「あったらなお悪いわよ。せっかくの計画だったってのに、あーあ、もうやってらんない」
文句も言いつかれたのか、プラグスーツの二人を前に、LCLに塗れたウェディングドレスの裾を絞りながら、アスカは「折角のドレスが台無し」などと呟気が漏れる。
くそ長いトレーンをまとめて絞るアスカの姿を見ながら、トウジは感心するように口を開いた。
「せやけど自分、そんなカッコでようまああんだけ動き回れたのう」
「うっさいわね、別に自分で動くわけじゃないんだから、どんな格好でも同じよ」
「……そない言うたらそうかもしれんケドモ」
せめてプラグスーツに着替えるくらいの余裕はなかったんやろか、とトウジは内心首を傾げた。
「あと数秒遅れてたら、たぶん報道陣全滅してたわよ。仕方ないじゃない……あ」
「…ごめん」
トウジの言葉に即反論したアスカであったが、その言葉が隣にいるシンジを直撃するのだという事に、言ってから気が付いていた。
「……べ、別にあんただけが悪いわけじゃないわよ。だいたい、下手な事考えたミサトがそもそもの原因じゃない。アンタはちゃんと仕事をしたんだから、問題ないわよ」
「仕事……っ!?そうだ、敵は?どうなったの?っていうかアスカ、何でそんな格好してるの?」
「最初っから最後までキッチリ説明してあげるから、落ち着きなさい。とりあえず、ここには敵は攻めて来やしないわよ。いーい?今日の件はそもそもねぇ……」
あーだこーだとシンジに告げるアスカを横目に、一息つこうとケイジを出たリツコは、通路の彼方から響いてくる足音の群れとざわめきに、踵を返した。
「やれやれ…ゲンドウさんも思い切ったことをするもんだわ」
火種を見えなくするためには、より大きな炎を燃やせば良い。
そういった彼なりの対処法なのだろうと認識し、未だにアスカの説明を神妙に聞くシンジらの元へと足早に戻っていった。
アスカがプラグスーツに着替える時間ぐらいは、今度はあるだろうと苦笑しながら。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
その後、エヴァによる格闘演習は、エヴァはエヴァに依ってしか排除できないことを知らしめるために急遽行われた、という発表がなされた。
ありとあらゆる兵器を無力化した後だけに、エヴァに対抗しうるものはエヴァのみという、以前から喧伝されていた事柄に大きな説得力を伴って全世界が再認識することとなったのは、成果といえるかもしれない。
一旦は地上に出された報道陣の地下への避難に関しては、予定変更に伴う「連絡ミス」による「手違い」で押し切ることとなり、仔細を知る関係者からは失笑が漏れる事となったが。
その際の混乱を、総司令である碇ゲンドウが直々に収めるためにシェルターへ出向き、説明、陳謝を行った為、深く追求されることもなく、公開演習は表向きにはどうにか無事に終了したのであった。
演習自体は一応成功、そしてその後の適格者の公開までは、辛うじて滞りなく行われた。
が、サプライズで予定していたシンジとアスカの結婚式は、初号機の暴走に伴う時間の浪費と、先の適格者公開時における、報道陣の熱気溢れる活動とにより、中止に追い込まれたのである。
シンジやトウジはともかく、流石に見目麗しいうら若き女性が適格者の一人だったとは想定外だったらしく、過熱にも程がある報道姿勢であったのだ。
「……プラグスーツ、アスカに着せない方が良かったかしら?」
と、リツコが自身の失策を憂いた程に。
……カメラが向けられていた割合は、アスカ:シンジ:トウジの順に、8:1.5:0.5。
もともと高視聴率だった公開演習の中継は、どこぞの年末歌合戦などが羨むほどの数字を示したという。
「んでもさー。結局呼び集めといた連中、使えなかったってーのが痛いわよねー」
綺麗に晴れ渡った空の下、ミサトが先の計画が達成半ばで放棄されてしまった事を悔やんでいた。
「仕方ないでしょう?さすがにあの後、適格者の素性公開まで反故にするわけにはいかなかったんだし」
そう言ってリツコは、幼い娘を胸に抱きながら、目の前を進む、白無垢の衣装に身を包んだアスカと、そのフラワーガールを務めるもう一人の娘をみやる。
「無理言って呼んだは良いけど、結局時間がなくて…か。もう一回集まれって言うのは流石にむりだったわ」
「そりゃそうでしょ。あの方々も、暇なわけじゃないんだし。むしろ、文句言ってこなかっただけマシと思わないと」
散々無理を言って呼び寄せて待機してもらっていた宗教家たちは、自身のスケジュールが押してしまうこととなり、後ろ髪を惹かれるように去っていった。
彼らとしても、世界を救った適格者の式を挙げるということに、関心を持っていたのであろう。
「まあ、いいか。これはこれで盛大この上ないし。あの子らも幸せそうだしね」
アスカの歩む先に居る、凛々しいシンジの姿を滲む眼で見つめながら、ミサトは照れ隠しなのか鼻を啜った。
小さいながらも格式の高い教会周辺を埋め尽くす、二人を祝う人々が、盛大な拍手を送る。
開いた扉から、シンジとアスカの二人が姿を現したのだ。
その光景に面食らった二人であったが、優しく眼と眼を通じ合わせ頷きあうと、アスカが一歩前に足を踏み出し、雲ひとつない青空目掛け、手にしたブーケを放り投げた。
この日、一組の夫婦が第三東京に産声を上げたのである。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
それから暫くし、生活が落ち着いた二人は、とある並木道を腕を組んで歩いていた。
「で?せっかくの休日にこんな所に新妻を連れてきてどうする気?」
適格者の素性を公開してこっち、以前にも増して好奇の目に晒されることとなった二人であったが、慣れと周囲の人々の厚意と某並外れた政治的手腕を持つ血縁者たちにより、恙無い生活を送れるようになっていた。
今日は久々に休暇が取れたため、どこかに行こうとせがむアスカの意見に珍しく首を横に振り、近所の散策に赴いているのである。
「 まず、紅茶を飲みに行こう。きっと、喜んでくれると思うんだ」
そう言って晴れ晴れとした笑みを浮かべるシンジの横顔に、一瞬息を呑むアスカであったが、わざわざこんなところで紅茶を、というシンジに疑問符を浮かべた。
「へ?なんで?……ま、いっか。ほら、さっさと行くわよ馬鹿シンジ」
「うん、行こう。大好きだよアスカ」
前触れなくそう言い放ったシンジにあっけにとられるアスカであったが、湧き上がる気持ちにくつくつと笑いだす。
そんなにおかしなことを言ったかな、と首を傾げる彼の手を引き、満面の笑みを浮かべて彼女は思いを伝えた。
「……馬鹿ねっ!」
彼女らしく、精一杯の思いを込めて。
終わり