蝉の声だけが響く、無人の町並み。
強い日差しに焼かれたアスファルトが、彼方の風景を歪ませるほどに熱を帯びていた。
使徒との戦いの記憶も未だ薄れぬ、箱根の山々に囲まれたこの街。
平穏な日々が人々の手に戻り、少々形を変えてしまった芦ノ湖の湖畔では、人生を謳歌する享楽の声が響き渡るのが常となっている。
だが、鳴り響く非常警報のサイレンが、この街を再び戦場と変えた。
「いいわね、シンジ君。飛んで来るものは全て叩き落して。下手すると通常弾頭に紛れて、核だのN2が混じってる、なんて事も考えられなくもないから」
『はいっ!』
発令所からのミサトの指示に、エントリープラグ内のシンジは寸暇無く応えた。
シンジの返事とほぼ同時に、無数の巡航ミサイルと思しき飛翔体が山影から一斉に姿を現し、ビルの谷間を縫うように、街の中心部を目掛けて突き進んでくる。
それを見やり、紫の鬼が、背中の装甲板の隙間から生やした、白い肉感溢れる翼を広げ、宙を舞う。
『フィールド全開っ!』
声と共に広がる、紅い煌き。
それは迫り来る数多の炎の矢を砕き、磨り潰し、掻き消していった。
「その調子よっ!撃ち洩らしは本部からの対空砲火で何とか出来るから、シンジ君は前からの敵に専念してっ!」
『わかりましたっ!日向さん!敵の進行が一番濃い区域はっ?』
「へ?あ、ああ。えーと、第4から第7…本部正面入り口前広場かな。大方の戦力はその方角から進行している。分かるかい?」
どこか挙動不審な日向の声に首を捻りながらも、新初号機の首を巡らせその場所を確認、機体を加速させる。
『うわぁぁああーーーーーーーーーーーーーー!』
叫びと共に突進し、迫り来る巨大な空中発射ミサイルを叩き落す。
日向に告げられた場所は、見通しのよい広場となっており、動き回るのにも迎え撃つのにも都合が良かった。
そして獅子奮迅の活躍を続ける初号機は、敵からの攻撃を、一発たりとも背後へと逸らさなかった。
「…良い感じね。青葉君、次、計画通り…よろしく」
「了解っす」
耳元で囁かれたミサトの指示に、気楽な声で答える青葉。
責任者たる彼女は、それを叱責もせずに腕を組みなおし、発令所内部を睥睨した。
切羽詰った戦闘中、緊張の面持ちで居る筈の発令所に詰める職員…であるはずが、真剣な表情の中に、何故か時折笑みを浮かべたり幾分のぼせた表情をしているものが居たりと、何故か様々であった。
昔ならば秋も深まり、冬の帳がそろそろ降りてこようかとする頃であるが。
未だに地軸の傾きが戻らぬこの星の、最も広大な海洋の西域に位置する弓状列島では、年中無休で真夏日なのであった。
その列島の、ほぼ中央付近にある都市、最近首都となって第三東京と名を変えた街の郊外――と言うか、中心部分はN2で吹き飛ばされたり色々あった後遺症で、どでかい穴が開いてたりするもんだから郊外しか無いといえば無いのだが。
まあ要するに、環状に形作られたその外周部の一区画に、照り付ける日差しの元、樹木が生い茂り、セミの鳴き声だけがこだまする閑静な住宅地があるのです。
そしてそこに、セミが一斉に逃げ出すようなけたたましい叫びが、大音量で響き渡ったのだ。
はた迷惑な声の主は、穏やかな佇まいの喫茶店で、緋色の液体を咽喉に滑り込ませようとしていたところであった。
高級感を漂わせる喫茶店の、洒落た装飾が施された出窓のガラスの向こう側、シックな装いの落ち着いた雰囲気の調度品を震わせて、その音源は店内の幾つもの視線を一身に集中させていた。
「だーかーらー、どんな風にしようかって聞いてンのよ!アタシわっ!!」
赤味がかった豪奢な金髪を振り乱しながら、怜悧な顎の線を崩して雄叫びを上げていたのは、その美貌と才能と我侭っぷりで、「彼女を知らぬ者は、この街じゃモグリ」と言われる、惣流・アスカ・ラングレーその人であった。
「だから、アスカの好きなようにしていいって言ってるじゃないか」
テーブルの反対側では、彼女とは対照的に漆黒の液体を啜り、感嘆の溜息を吐いているところであった。
テンションが上がりきっている相方に比べ、かなり平静を保っているこちらの男性は……。
恐らくどなた様も推測がついてるかとは思うが、彼女と長らくお付き合いを続けている幸せ者――― 一部の関係者からは、哀愁漂う視線と共に震える声で「お、お幸せに」と言われてしまうが―――第三東京のお婿さんにしたいランキングトップを独走中の、碇シンジである。
あいも変わらず女心に疎いことこの上ない唐変木振りは健在なのだが、そのあたりは長く付き合わねば判らぬ故に、アスカと言う超極上(性格除く)な彼女とお互いにべた惚れであるのは周知の事実にもかかわらず、狙う女性は数知れず、なのだ。
犬も食わないなんとやら、を実践している様子のこの2人、周囲の人間からはとっくの昔に付き合っていると認識されていたのだが、実の所、その大半の期間を良いお友達状態で過ごしてしまっていた。
紆余曲折の末、やっとのことで身体を重ねたのも記憶に新しい。
ところで中々関係が進展しなかった原因、と言うのが…まあ…あれだ…。
シンジ君の○○○(ピーーーがスパシン気味であったため、アスカ嬢が気後れしていたのである。
だがソレも過去の話、今や二人は名実共に恋人となり、そろそろゴールインと噂されているのだ。
まあ恋人になろうと婚約しようと、生来の鈍感さ加減故に、彼女の心の機微にまでは触れられないようで。
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一向に話が伝わらない相方を睨みつけ、アスカは頬を引き攣らせてゆっくりと話し出した。
「アンタねぇ…アタシの好きにして良いかどうかを聞いてるんじゃないでしょうが。日本語理解できてる???」
怒りと呆れの混じった声と共に、目の前のテーブルへ叩きつけるようにティーカップを置き、アスカは息も荒く立ち上がる。
ピシリと罅割れたソーサーにシンジの視線が向くが、彼女は意に介さずにさっさと店を後にした。
「ぶゎっかシンジっ!ちったぁ脳味噌使えっ!」
そう捨て台詞を残して。
呆然と見送るシンジに、マスターが気を利かせてか、コーヒーのおかわりを勧める。
「…あの、マスター」
「はい、いかがなさいました?」
いただきますと答え、そのまま問いかけるシンジに、初老のマスターはコーヒーを注ぎながら慇懃に応える。
さては先ほどの女性の捨て台詞の答えを知りたがっているのだろうとマスターは察し、それなりに長い人生から得た経験を元に、若い者をより良き方向に導くのも老いぼれの勤めか、と思ったのである。
が。
「…このお皿、お幾らなんでしょうか」
彼女が叩き付けた際にひび割れたティーソーサーを指差しながら、的外れどころかカナーリの大暴投発言をしたのである。
喫茶店マスター生活25年、めったなことでは崩さない笑みを強張らせて、マスターは動きを止めた。
「あ、あの?」
何か拙いことを言ったかなとあせるシンジに、元の表情を取り戻したマスターが、お変わりを手にシンジのテーブルへと近づく。
「……どうぞ」
ゆっくりと置かれたカップを手に、シンジはマスターの顔を見上げる。
「あ、あの…」
先の問いかけが何か拙かったのかと尋ねようとするシンジであったが、冷めぬうちにどうぞ、と促され、カップに口をつける。
「先ほどの件ですが」
コーヒーの馥郁とした香りが口腔に広がるのと同時に、マスターが耳元に顔を寄せる。
「あ、はい」
「こちら、ヘレンドの逸品で、一客462,000円となっております」
ぷぴゅう。
予想外な値段を聞き、奇妙な擬音と共に漆黒の液体を飛ばしてしまったシンジであった。
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店を出たアスカは、苛立ちを隠さずに早足で並木道を闊歩していた。
「…まったく。ぶぁかシンジってばもう、何考えてんのよ」
口ではそういいつつ、実の所そう腹を立てているわけでは無い。
むしろ、どちらかと言えばがっかりしていると言った方が正確だろう。
自分はただ、二人の大事な日をどう演出するか、一緒に考えて欲しかっただけなのだ。
だがシンジはと言えば、思考を放棄したかのように丸投げしてくるのである。
他のことならばいざ知らず、こと今回に関してだけは二人で一緒に決めたかったアスカにとって、それは酷く寂しく感じられた。
「ほんと、バカ…」
ふと歩みを止め、並ぶ樹木の一本に手を触れる。
「…いいわ。どんな風でも良いってンなら、アタシの好きなようにやらせてもらおうじゃないの!」
ニヤリと浮んだ笑みと共に、ミチミチと、何かが引き千切られる音が静かに響く。
「後は野となれ山となれよッ!」
燦々と照りつける陽光に向かってアスカは抉り取った木を握り締め、決意を新たにしたのである。
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第三新東京市が第三東京と呼ばれるようになり、日本の首都として機能するようになってまだ日が浅い。
しかしながら、モデルケースとして旧第三新東京市を管理していたMAGIの運用を日本全国へと広げた結果、効率的な予算運用が行えるようになり、赤字国債の大量発行が続いていた日本政府の経営状況が、赤字削減へと方向転換し始めたのだ。
金の無いのは首が無いのと同じ、などと言われる政治業者の間でも、財政の黒字化を引き寄せる鍵を握るネルフ様々な気運が広がっていったのである。
また、国連の弱体化に伴い組織運営を独立化。
世界中の国家紛争を監視する新たな調停機関として、EVAによる実力行使も辞さぬ硬派な組織となっていたため、日本国内において反対勢力など存在しうる状況ではなくなっていたのだ。
そうした功績や時勢を背景に、日本におけるネルフの地位は磐石のものとなっていった。
名実共に国家運営を担う事となったネルフを擁する第三東京の中央区画に、旧ネルフ本部の残骸が見下ろせる、ジオフロントまで貫通した大穴がある。
過去にゼーレがエヴァ量産機をもって起こした最終決戦の、先触れとして投下されたN2爆弾による痕跡で、現在ではネルフの歴史を一望できる名勝として知られている。
以前はそのまま放置されていたが、首都機能の移転に伴う事業の一つとして、此処に蜘蛛の巣のように橋をかけ、その中心に新生ネルフ本部が新設されたのだ。
そこでは日本だけではなく、世界各国のトップクラスの能力を持つ者達が集い、世の中の安寧を目指して日夜活動していた。
だがしかし、その日。
ネルフ本部の職員達は、常ならぬ緊張を強いられていた。
サードインパクト後の世界を奔走し、今日の世界平和を築いた立役者たる人類の砦。
そこに詰める者達は、そんじょそこらの重圧ごとき、難なく受け流せてしかるべき人材である。
が、今日の彼らはそれをなしえなかった。
何故ならば、世界に点在するネルフ支部を束ねるここ、ネルフ本部の統合作戦本部長、通称“身勝手な自由の女神”葛城ミサト将補が、その緊張の原因であったから。
「…なあマコト、今日の葛城さん」
「ああ、お前もおかしいと思うか?」
発令所に詰める面々の中で唯一会話が成立していたのは、長年の経験ゆえにソレに慣れていた、日向マコトと青葉シゲルのみであった。
「どーもな…。これといって紛争の気配は無いし、旦那も最近は他の女に走ってないんだろ?」
世界紛争と家庭の事情とを同列に扱うあたり、この二人の精神構造もかなり逸脱しかかってはいたが、それはソレ。
何かと常軌を逸していることの多いネルフ古参メンバーにおいて、良心とも言うべき二人であった。
「ああ、子供が出来てからは、目に入れても痛くないって奴らしいぜ。っと、さて仕事仕事」
肩寄せ合って内緒話をしているところに、当のミサトが傍によってきた。
慌てて仕事を再開した二人であったが、背後からがっしりと肩をつかまれ、その握力と威圧感に、恐怖した。
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「…あったくもう。厄介ごとを押し付けるんだから、あの娘も」
休暇明けの今日、ミサトは巨大な悩みを抱えていた。
それも、自分だけでは到底解決できないであろう事柄であった。
様々な国家間の難題を、その手腕とノリと勢いで解決してきた彼女にとっても、である。
ソレは昨日の事。
久々の休暇を利用して家族でお出かけをし、はしゃぎ疲れた息子を寝かしつけ、ようやく本番とでも言うべき夜の営みを行うべく、年甲斐もなく夫婦でイチャイチャとしていた所に飛び込んできたと思ったら、言いたい事を言いまくり、尋常ではないお願いをして去っていった人物が居たのだ。
その人物とは、エヴァ量産機に蹂躙されズタボロになったのち、どうにか再生可能な程度の損壊で残っていたコアをエヴァ量産機に移植、再構成された新生弐号機のパイロットであり、尚且つ可愛い妹分である惣流・アスカ・ラングレーその人である。
無理難題とは言え、親愛の情と共に、彼女が過去に憧れていた男性を夫にしたり、病み上がりの状態のまま量産機迎撃を言い渡したりした手前、カナーーーーーーーーーリの引け目を感じているミサトにとって、そのお願いは嫌とは言えない類の物であった。
ために、勤務中の今もその影響を引き摺ったまま、苦虫を噛み潰しまくってる顔をしているのだ。
ちなみに夫婦別姓である。
とはいえ周囲の者達はそのことを知らず、彼女もそんな周囲の空気を読む気持ちの余裕など無い為、現在に至る、というわけである。
「どうしてやろうかしら…っと」
視線をさまよわせていた所、暇そうに雑談を交わしていた古参の職員約二名をその照準にすえた。
「二人とも~。お喋りだなんて、ヒマそうねぇ…。ちょーっちお願いがあるんだけど、いいかしら」
慌てて仕事を再開した二人を逃がすまいと、いまだ衰えぬその膂力を発揮して、ふん捕まえる事に成功したのであった。
「…葛城さん、ソレってマジですか?」
「相変わらず無茶言うなぁ…。で、目処の方は立ってるんですか?」
話しを聞かされて、日向と青葉の二人はミサトの不機嫌の理由を理解した。
そうして、多少なりともその助力をするために、前向きに会話に参加し始めたのである。
…どうせ押付けられる事ならば、進んで手伝った方が効率がよいという、後ろ向きな理由からであったが。
「それがサッパリ。って言うか、簡単に済むようなら、悩んだりしないわよ」
絡みまくった国家や民族紛争を(半ば強制ではあったが)治めていったのは伊達では無い。
それなりの着地点を見据えて事を成すのは、お手の物であるのだ。
「葛城さんでも、ですか」
そのミサトでさえも、今回の問題はかなり頭を抱えるのだという。
青葉とも目を合わせ、どうしたものかと日向は目を伏せた。
「んまあ、いざとなったら私が司令に頭下げて責任取るから、ごり押ししちゃっても良いんだけどね…。やっぱ、あの娘の頼みだから、何とかしてやりたいし。だからといって、あちこちに変なしこりを残したくないじゃない」
ソレもそうかとミサトの考えを肯定した二人は、早急に対応を、と頷きあい、連れ立ってその場を辞した。
駆け出すように発令所の扉をくぐった二人を見送ったミサトは、実務レベルはこれで何とかなるかと呟き、頭を掻いた。
「さってと…。こーいうのって、一応耳に入れとかないと後が怖いのよねぇ…」
そう言いながら、二人の後を追うように発令所を後にするミサトであった。
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ミサトが肩の荷を、ほんの一欠けらだけどうにか降ろしたその頃、先日アスカが飛び出していった店に、シンジは再び訪れていた。
「よかった、ちょっとずつでも貯金しておいて……」
先日アスカが割ったティーカップとソーサーの弁償に来たのである。
『結婚資金を貯めるのよっ!』と言われ、使徒戦時に振り込まれたまま手付かずの給与は定期預金に放り込まれ、毎月支払われる適格者としての手当ては、その殆どが彼の手の届かない口座に積み立てとして入金されていた。
彼が手に出来るためのは、給与の下5桁のみ。
下手をすればとても悲しい金額になる月もあるのだが、立場上バイトを禁止させられている身ではどうすることも出来ない。
とは言えそうお金を使うような事をしない彼は、毎月の余ったお金を、アスカに知られないようにこっそりと貯金しておいたのである。
……バレバレであったが。
それはともかく、二人で暮らすようになってこっち、家事その他は全てアスカが受け持つようになり、生活費その他は彼女の給与と取り上げられたお手当てから拠出されているようで必要ないため、弁償するのに困らない程度には蓄えられていた。
言われたとおりの金額が納められた銀行のマークが入った封筒を片手に、店の扉をくぐったシンジであったが、マスターはけんもほろろに受け取りを拒否したのである。
「ソレは頂く訳には参りません。使われてこその器。須らく割れる運命にあるのです。それが早かっただけの事」
そう言って、喫茶店のマスターはシンジの申し出を固辞した。
ただし、と付け加えたが。
「どうしてもと仰るならば、先日のお嬢さん…あの方とお2人で、またおいでくださればそれで結構でございます」
と。
強い日差しの中、人気の少ないビル街を力なく歩みながら、シンジは先ほどのマスターの言葉を反芻していた。
「…仲直りしろ、って言ってくれてるんだろうなぁ」
確かに振り返ってみれば、非は自分にある。
アスカの好きな様にすればいいと言う事と、2人で意見を出し合った上で彼女の意思を尊重するのとでは天と地程の違いだ。
彼女の性格からすれば、今更なにを言ってもあの時の状況から再スタートなどと言うことは不可能だろう。
ソレくらいにはアスカの事を判っていると自負しているのであった。
どう仲直りしようかと悩むシンジであったが、しかしながら事態はそれどころではなくなっていたのである。
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日常業務といえども並の人間では手に負えないと言われ、難関とされているネルフ職員への登用。
そのなかでも更に狭き門といわれ、将来の幹部候補、ノーベル賞をとるよりも難しいと言われるハイパースペシャリストの集団。
それが特務機関ネルフのA級職員である。
普段の行動からはとてもそうは見えないのだが、ミサトも青葉も日向も一応その一員…である。
ここ数日、そのA級職員らが日常業務を放り出し、全力を投じて一つの作業に没頭していた。
それは、現在のネルフ本部総力を挙げての一大作戦行動といえるかもしれない。
その名も。
惣流アスカラングレー
&
碇シンジ
らぶらぶ大結婚式
主催 特務機関ネルフ
題字 葛城ミサト
…スマン俺が悪かった。
謝っても仕方が無いので先に進める。
アスカに吹っかけられたのは、とにかく盛大な結婚式。
宗派とかそんなのはどうでも良いから、ド派手にやりたいのだというのだ。
その計画には、今まで秘匿にされてきたエヴァパイロットとしての自分たちのプロフィール公開まで含まれ、おまけにその様子を生中継するとまで言うのである。
とかく出鱈目な意向であったが、ミサトはその願いをかなえてやろうと心に決めたのである。
そうして、先ずはとミサトが相談にいったリツコから「そういった事ならば」とゲンドウに話が通され、そこからいつの間にやらネルフを挙げての一大イベントとなってしまったのだ。
その影響は、すでに引退し楽隠居を決め込んでいた冬月から、本来は表に出る事のない加持の居る部署にまで波及していった。
ネルフ本部は、アスカの希望する“超盛大な結婚式”を挙げるために、その全力を傾けた始めたのである。
通常業務をB、C級職員に押し付け、アスカの言う通りの式を行う為に必要な人員の手配やその他の許認可、スケジュール調整等々を行うために、国家代表とさえアポ無しで面会することが可能な職員特権を持つA級職員を当てる。
その強引さは、一般の常識など通用しない世界であった。
様々な場所、様々な人物へと指示が、書類が、叱責が飛び交う。
時にはネルフの看板を前に出し、力押しで。
またあるときは、縁故を頼りに願いを伝え。
そしてまたあるときは、ただただ拝み倒し、どうにか譲歩を引き出す。
婚姻届の提出等にはもう一方の当事者たる碇シンジには、何一つ知らせずに、という注釈がアスカによって設けられていたので多少の問題があったが、それらもネルフによる戸籍課への各方面に了承を得ていた。
最終的には、全ての協力を取り付けることに成功したのだ。
当初の、各方面にしこりを残さずに、という命題はどこに行ったかは誰にもわからない(笑)
「いや、中々手強かったっスよ。スケジュール的にも無理だ、の一点張りでしたから。SSTOでそのスケジュールをぶっちぎって来させる事に成功しました。奴さん昔っからアレに乗るのが夢だって言ってんですよ。いや、何とかなるもんっすねぇ」
現在就航しているSSTO機は世界中でも片手に満たず、その運行は国連の下部組織により行われている。
利用者の大半は各国首脳や国連関係者となっているが、わずかながらも一般乗客の枠も用意されていた。
しかし搭乗費用の高額さからそれは高嶺の花となっており、並みの収入では到底座れる席ではなかったのである。
「うちは大変だったぞ?金や圧力じゃ動かないからな。あ、葛城将補。それでラストっすか?」
青葉の声に頷きながら、受話器のコードを弄ぶミサト。
「おっひさしー。ええ、その節はどうもー。でぇ、こないだ言ってらしたっしょ?私の知り合いで誰か居れば、って。そうそう、その件。私の妹分なんだけどねぇ、アンタンとこのいっちゃん上の人って引きずり出せない?え、ムリ?そこをなんとかぁ…。え?一回話てみる?わぁ~るいわねぇ、ムリ言っちゃってぇ。うんうん、わかってますってば、じゃあねん♪」
そう言い終えてガチャリと受話器を置くや、ミサトはがっくりと椅子に倒れこんだ。
「…おわったー。もう暫く電話には出んわ」
「…つまんない駄洒落が出るうちは大丈夫でしょ。で、今の誰ですか?」
天井を仰ぎ見るミサトに、日向がコーヒー片手に近寄っていった。
「ああ、私と加持の時の神父さま…っと。大司教様だっけか。第三東京大司教区のお偉いさん」
あんがと、とコーヒーカップを受け取ってそう軽く言うミサトに、へぇ、と感嘆して目を丸くする。
「流石ですねぇ。日本のカトリックじゃかなり高位の方じゃないですか…って葛城さん。その人を呼ぶんじゃないんですか?」
「あーに言ってんのよ。さいっこーに派手な式にってアスカが言うのよ?それっ位じゃ最高とは言えないでしょうが。呼ぶからにはとことんよ」
そう言ってにへらと笑う。
「…おい、マコト。それってもしかして」
「ああ、もしかするぞ」
顔を見合わせた2人に、追い討ちをかける様に、ミサトは口を開く。
「ああ、誰が来たっていいのよ。実際宗派なんて気にしちゃいないし。他にも色々なとこに声かけたしねん。今更宗教間で揉め事もないでしょう?…まあ、もし別のトコがトップ出してきてんのに、他が適当なところで手ぇ打とうなんて考えてたりしたら…、どうしてやろうかしら…」
くっくっくと笑うミサトに、2人は大粒の汗を垂れ流すのだった。
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アレから何日たったのか。
シンジには、幾ら考えてもアスカとの仲直りの方策が浮かばなかった。
下手に友人知人に相談しようものならば、瞬く間に噂が駆け巡るのは目に見えている。
只でさえ、以前とある一件で相談したときの自分に対する冷たい視線が痛かったのだから。
おまけにこの所、アスカが家に戻った形跡がないうえに、連絡すら取れなくなってしまっている。
頼みの綱の委員長、洞木ヒカリさえも、だ。
トウジに聞けば、こちらも数日前から会っていないという。
「そっちもおらんねやったらアレちゃうか?二人してどこぞの温泉にでも行ったんやないか?」
若い女性が2人揃ってお泊りと言えば温泉だろうとは、短絡思考もいいところであるが、そういう可能性もないとは言えず、シンジは再び思考のスパイラルに落ち込んでいった。
ホントにどこに行っちゃたのかなと溜息をついて踵を返したその背後で、トウジが両手を合わせて頭を下げていたのに、シンジは気がつかなかった。
シンジが悩みに悩んでいたそんな時、玄関のチャイムが鳴り響いた。
もしやアスカではと、取るものも取りあえず玄関を開いたが、扉を開けたそこには、意に反して黒いスーツに身を包んだ巨漢が2人、背筋を伸ばして屹立していた。
「あ、宮崎さんに竹内さん。ご苦労様です」
「いえ。任務でありますから」
開いた扉の向こうにいたのは、シンジの期待からは大きく離れたところにいる人物であるといえた。
それは今や気の置けない隣人といっても良いほどに慣れ親しんだ、シンジ付きのガード役であった。
二人を見てあからさまに落胆した表情のシンジを尻目に、歴戦のガード二人は眉をピクリとも動かさずに用件に入った。
「碇シンジ特務一尉。葛城将補からの緊急要請であります。ご同行願いたい」
「は、はい。いつでも行けます」
そう言って一旦部屋に戻り、普段着のジーンズからネルフ指定の制服へと着替える。
一応シンジも以前と違い、正式にネルフに籍を置く立場となっている以上、正規の招聘ならば、ソレに応じた服装をしていくようになっていた。
「で、今日は一体?」
「私共は知らされておりません」
クリーニングに出されたまま、ビニールも外していなかった制服に袖を通しながら、シンジは首だけを玄関へ向けて尋ねたが、返答は芳しいものではなかった。
「そうですか…」
ネルフから回されたリムジンに乗り込みながら、一体なにが起こったのだろうかと考えつつ、シンジはアスカを思った。
彼女も自分と同じように呼び出されているのだろうか、と。
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「あ~極楽極楽ぅ♪」
濃い湯煙が辺りを覆う。
柔らかな感触の液体に満たされた、広い浴槽から彼女は体を起こした。
肌の上を転がる様に弾ける水滴は、いわゆる湯の花が大量に含まれる白濁したお湯。
端的にいって、天然温泉である。
ここは、新ネルフ本部内の慰安施設のひとつ、通称『ねるふの湯』である。
本来の名は別にあったのだが、来る客のほとんどが当然の事だがネルフ関係者であるために、いつしかそう呼ばれるようになり、ついには正式名称とされてしまっていたのだという。
「ねぇアスカ。ほんとにいいの?私まで一緒で」
「ああ、良いの良いの。どうせぶわっかシンジにつけとくんだし。あ~、気持ち良いわね~」
費用の事ではないんだけれど、と眉を顰めるヒカリ。
彼女が気を揉むのも、ある意味致し方ないものであった。
何故なら今現在、広い浴槽にはアスカとヒカリ、只2人だけが利用客なのである。
ヒカリなどは、職員でもない自分がここに入ってていいのだろうか、しかもこんな貸切状態でと冷や汗ものなのだが、アスカはさも当然だという顔で温泉を満喫していた。
「ねぇ、トウジー?そっちも誰も居ないのー」
『ああん?こっちにも誰もオラへんで?そっちもかいな』
思わずヒカリが男湯に一人入っているトウジに尋ねるほどに、本当に誰一人居なかった。
トウジが何故ここに居るのかというと、アスカが行方を晦ましたとなれば、シンジが行き先を尋ねる先などたかが知れている。
先ずヒカリに尋ねようとするだろうことは明白である。
そして、彼女が不在となれば次にその矛先が向くのは、その彼氏であるトウジになるのは当然の帰結といえた。
故にアスカは、ヒカリのみならずトウジにも話を振っていたのであった。
シンジが自分の行き先を尋ねてきたら、軽くスルーするように、と。
そうして彼と彼女は作戦に成功し、その報酬を受け取ったのである。
ネルフ内の温泉施設他の1日利用ペアクーポン券であったが。
『しっかし温泉でゆっくりする言うんもたまにはエエもんやなあ。ヒカリー、そのうちどっかに泊りがけで行ってみよか』
男女を隔てる壁の向こうから響く声に、ヒカリが真っ赤になる。
「…トウジの馬鹿、何もアスカの居る今言わなくてもいいのにっ」
そう言ってくれたのは嬉しいが、横でニヤニヤと笑うアスカが居るのがとてつもなく恥かしかったヒカリなのだった。
「さあ、もういっちょ行きますか。ヒカリっ!次は岩盤浴よ、気合入れて汗かくわよっ!」
そしてシンジに目に物見せてくれるのよっ!と、大量の湯を押しのけながら右手を突き上げ立ち上がり、それが済んだらエステにマッサージよと、予定を語る。
その姿態を恥ずかしげもなく晒す親友に、それ以上どこを磨くのだろうかと嘆息するヒカリであった。
「…りょーかい」
ああ、温泉に目がくらんだ私が馬鹿だったわと、内心嘆きながら。
「あー、フルーツ牛乳は美味いっ!やっぱし風呂上りはコレかコーヒー牛乳や無いとアカン!」
嘆くヒカリをよそに、男子脱衣所では、トウジが腰に手を当てて小さなガラス瓶に口をつけていた。
作者的にはラムネでも良いかなーとも思います。
♥♥♥♥♥♥♥♥♥♥
暗い部屋で、机に肘を突き、口元を隠したゲンドウの背後で、昔を思い出したかのように冬月が口を開いた。
「予定通りいきそうかね」
「問題ありませんね。行程は2.3%の遅れしかありません。修正は可能です」
加持が気楽そうに、現状を報告する。
「副司令…っと、今はもう隠居なされてるんでしれたね。冬月…先生とお呼びした方が良いのでしょうか?」
「なんとでも好きに呼んでくれたまえ。今更敬称にこだわる気にはなれんよ」
「…さいで」
そう肩を竦めた加持のその背後から、不意を突くようにいくつもの弾丸が撃ち込まれた。
加持の背中に着弾するも、彼は微動だにしない。
ゲンドウも冬月も、それを目の当たりにしながら、まったく動揺することはなく、むしろ微笑ましげに目尻を下げるのみ。
そして撃たれた当の本人は。
「うっ!や、ら、れ、たぁ…」
弾が一通り銃から吐き出されたのを確認してから、苦悶の表情を浮かべて、崩れ落ちる。
そして、その背中に倒れこんできた小さなテロリストに、苦笑を浮かべるのだった。
「まいったー?まいったー?」
「たー?」
小さな玩具の銃を手にした男の子と、まだよちよち歩きの女の子が、加持の背にもたれかかる。
「ああ、パパやられちゃったなぁ。すごいなー、サトシもユウカちゃんも」
ミサトと加持との間に出来た息子、サトシと、リツコとゲンドウの間に出来た娘、ユウカ。
その小さな手の平にあわせて作られた、猫の足跡印の安全銃による射撃の的に、加持は成ったのである。
「…ユウカ、こっちに来い」
馬乗りになって楽しげな加持とその息子との様子を見て羨ましくなったのか、ゲンドウが我が娘に声をかける。
「おい碇」
だが、あまりにもあまりな呼び声に、冬月も呆れて苦言を呈そうとした。
が、聞く耳など持ちはしなかった。
「早く来い。でなければ…」
「でなければ…なんですか?ゲンドウさん?」
怯えた表情で中々我が懐に飛び込んでこない娘に業を煮やし、言わなくてもいい一言を言いかけたところに、怜悧な声が響き渡る。
「む…」
声の主は、言わずと知れた旧姓赤木、今現在、碇リツコとして旦那のケツをひっぱたく毎日の彼女であった。
「…ブザマ」
その様子をリツコの背後から覗き見、一言だけ端的に発言するのは、そんな二人の養女である旧姓綾波、現碇レイである。
キッツイツッコミが迸る、その桜色の小さな唇を持つ小学校低学年な風貌は、某三賢者の一角を投身自殺に追い込んだ当時そのままで(汗
「おお、リツコ君にレイちゃん。久しぶりだね?」
咽喉を詰まらせたかのような呻きをあげるゲンドウと、にこやかに出迎える冬月。
リツコはそんな対比のような二人の様子を気にもせず会釈でかえすと、ツカツカと我が子に歩み寄り抱き上げる。
「パパ怖いでちゅねー。ほらほら、泣かないのよ」
過去の彼女からは想像できないような言葉使いで娘をあやす。
重低音のゲンドウの声は、小さな娘には怖がられる元凶なのであった。
「…スマン」
「ソレはもう今更構わないんですけど、たまには自分から歩み寄る事も覚えてください、ゲンドウさん」
眼を潤ませた娘を抱き抱え、常に呼びつけることしかしない夫に辟易としつつ、そう言う人なのだとわかってはいたけれどと溜め息を吐く。
これじゃあシンジ君が微妙にひねくれた性格をしていたのもわかるわ、と肩を竦めユウカをそっとゲンドウの膝に乗せる。
「ぱー…ぱ?」
恐る恐る上目遣いに見上げてくる娘に、相好を崩すゲンドウ。
「…ウム」
「……まったく、子供の扱いと言うものを知らん奴だ」
一つ頷いて頭をなでるだけのゲンドウに、冬月が嘆息する。
それでも娘が嬉しそうにごつい手の平を甘受しているのを見て、羨ましそうに腰を屈める。
「ひさしぶりだねぇ、ユウカちゃん。覚えてるかな?冬月のじいちゃんだ」
「じー……じ?」
きょとんと小首を傾げる幼女に、年甲斐もなく笑みを浮かべ皺を深くする。
年長の男共二人が小さな娘に構っている光景に目を細めつつ、リツコは自分の裾を掴む、もう一人の娘に目を落とした。
「レイ、どうかしたの?」
「…別に」
なんでもないといいつつ、もじもじと白衣の裾を弄ぶレイに、リツコはしゃがみこんで頭を撫でてやる。
「ほら、レイ。あなたの妹でもあるんだから、仲良く遊んであげてね?」
そう言ってぽん、と背中を押してやる。
「…あ」
トテトテテとたたらを踏んでしまうが、それでも真っ直ぐにゲンドウの膝元までやってくる。
「…どうした、レイ」
膝に据わらせた娘に顎鬚を引っ張られながら、ではあったが、優しげな視線でレイを見つめる。
「…何でも、あっ?」
言って、ぷいと横を向こうとしたとたん、皺だらけの手に抱き上げられる。
「ほれ、碇。姉妹仲良く乗せてやらんか」
冬月がレイの身体を抱きかかえ、ゲンドウの膝の上に持ち上げたのだ。
「…あ」
右ひざにはレイ、そして左ひざにはユウカ。
ちょうど向かい合うように、二人はゲンドウの膝に座ることになった。
「レイ、お前の妹だ。お前とはあまり接する機会がなかったが…仲良くしてやれ」
ゲンドウの言葉に、レイは目の前の幼子を目を見開いて見つめる。
この綾波さん………二次創作上、婚姻等で苗字が碇やその他になっても何故か綾波さんと呼んでしまうのは作者だけだろうか。
もとい。
レイは、シンジの事をあきらめた代わりに、シンジとアスカの息子に狙いを定め、現在廃墟と化した旧ネルフ本部の最深部にて、日々成長抑制に勤しんでいる。
ために、めったに地上に上がってくることがなく、義妹とろくに接点がなかったのであった。
「……妹」
そう呟いて、恐る恐る手を伸ばそうとするが、ゲンドウのヒゲを一心に毟っていたユウカが不意にレイの方を向いたため、そのまま固まってしまう。
「ほら、ユウカ。レイお姉ちゃんよ」
「おねー?」
リツコの声を反芻するかのように応え、レイの顔を覗き込む。
そうして手を伸ばしたまま固まったレイの指を、ぷにぷにとした手の平で掴んだ。
「おねー、おーねーねー」
指を握り締め、全身を揺さぶりながら、レイの事を呼ぶ。
「……何」
「おーおー、ね?」
呼ばれたので返事をしたレイに、幼子は更に声をかけてくる。
そうして何が面白いのか、きゃあきゃあと笑いだすに至って、レイは眉間に皺を寄せた。
「………わからない」
指を握られたまま、無下にも出来ず応対するレイであったが、どうすればいいのやら途方にくれた顔で、リツコに助けを求めた。
その光景の一部始終を優しく見つめていたリツコは、レイの肩に手を乗せ、耳元に呟いた。
「お姉ちゃん好き好き、ですって。良かったわね、レイ」
「………」
どうしてあんな言葉ともいえぬ様な声を、そのように解読できるのか。
レイは眉間にしわを寄せ、義母と未だ自分の指を握って離さぬ義妹とを、かわるがわる、まじまじと見つめるのだった。
「で、だ。リツコ君。大方の段取りは済んだそうだ。これ以後の予定のほうも、ほぼな」
姉妹の掛け合いをちらちらと横目で見ながら、あとは本人の確保だけだと告げる冬月に、リツコは謝辞を述べて頭を下げる。
「本当ならば、もっと早くに段取りを踏んでいけば良かったのでしょうけど。なまじ放任主義を装っている分、手を出しかねたみたいですわ」
そう言って、頬を引きつらせた旦那にちらりと視線を送った。
アスカとシンジの現状と、アスカの願いとをミサトから知りえた直後のリツコの動きは素早かった。
支援しないのは『自分の事は自分でやれ』と、息子の自立を促しているのだという風に見せかけているゲンドウの尻を蹴飛ばし、ネルフの公式行事として後押しさせるようにお願いしたのだ。
『シンジくんにほんとの事をばらしますわよ?』
と耳打ちして。
見た目とは裏腹なその臆病さはいまだに健在なのか、心の内面を知られることがとても苦手なゲンドウなのであった。
ただ単に、いまさら前妻の面影を強く残す息子が大好きで仕方がないが、これ以上嫌われたらどうしようと悩み、自分をさらけ出す気力が搾り出せないなどとは、口が裂けても言い出せないのだ。
…ちなみに、リツコによる叱責以外にゲンドウの重い腰を上げさせるための有効な手段として、ユウカのおねだり、レイの無言の圧力が上位で肩を並べ、かなり下がって冬月からの苦言、そして大きく開いてようやく国連からの要請といった具合である。
本来ならばシンジからのものも、かなり高位置につくはずであるが、彼自身が既にゲンドウに対してそのような期待を抱けなくなっている為、頼み事をするなど皆無、意識の端にも上らないのだ。
なお、もう暫くすると、嫁からのお願いと孫からのおねだりが同じく上位に位置することとなる。
「親子仲は相変わらず厄介なままか。碇、いい加減に息子に頭を下げてみてはどうだ。娘はいずれ家を出る。将来寂しくなるぞ?」
独り身を貫いた自分自身を省みているであろうか、説得力が当社比で400パーセントはありそうな冬月の意見であった。
しかしながら、そのような言葉に素直に耳を傾けるようなゲンドウではない。
故に、彼はこう呟くのだ。
「問題ない」
と。
ただ、今現在はそのようなことを口にすると、漏れなく奥様からの 温 か い お 言 葉 “等” が彼を襲うのであるが。
んなわけでゲンドウがリツコからのお言葉 等 を感受しているとき、彼の卓上に置かれた電話が鳴った。
二人の娘を膝の上に乗せ、その上奥方の相手に忙しいゲンドウを苦笑いしながら見つつ、冬月が受話器をとり、応対した。
「何かあったのかね。―――ああ、私だ。久しぶりだね。……ほう、そうかね。では予定通りに」
受話器が置かれ、冬月がゆっくりと振り返る。
電話の内容を予測していたのか、周囲の面子の表情には薄い笑みが浮かんでいた。
「着きましたか?彼が」
我が子の相手をしながら、加持が冬月を促す。
息子を背中に跨らせたままの四つん這い、という格好が少々情けないが。
「ああ、君の細君からだよ。シンジ君が着いた。これより計画を発動するそうだ。」
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新ネルフ本部内、発令所。
旧本部のその形状をそのまま移植したかのようなここは、シンジにとってはあまり心地よい場所ではなかった。
「待ってたわ、シンジ君。急に呼び出したりしてごめんなさい」
吹き抜け構造のその最上段、過去にはゲンドウらが陣取っていたそこに、ミサトは居た。
謝辞を述べはするが、他への指示の為か、そこから降りてくる気配はない。
「いえ、ソレは別に…」
構わないと告げたのも届いているかどうか。
しかしシンジは委細構わず、周囲にちらちらと視線を送る。
彼の周囲には、ここまで案内してくれたガードの黒服二人と旧発令所でも顔なじみだった日向・青葉両オペレーターが居るだけで、シンジの目当てであるアスカの姿は何処にもなかったのだ。
「どうかしたの?シンジ君」
心ここに在らずといった感のシンジの傍に、雛壇の最上部に居たミサトがいつの間に降りたのか、すぐ傍から顔を覗き込んでいた。
「い、いえ何にも」
突然現れたかのようなミサトに、シンジは焦りながらも表面的には平静を保つ事に成功した。
成功したと思ったのは本人だけだったが。
「今日来てもらったのは他でもないわ。あるルートからの通報で、本部に大規模な攻勢が仕掛けられる可能性があるとわかったの」
苦々しげに語るミサトの話はこうであった。
あるルート…恐らくは加持あたりからであろうとシンジは推測したが――それによると、ネルフの対世界戦略に対し不満を持つ国家が結託し、本部に対して正面から行動に出るというのである。
だがその量、質ともに、現在のネルフにとっては脅威となるものではない。
精々殲滅にかかる時間が多少ずれ込む程度のもので、稼働時間に制限の無くなった現本部が擁するエヴァ量産機改を用いれば、所詮は通常兵器、なんら痛痒を被ることなく撃退できることは、火を見るよりも明らかであった。
国家間の紛争等に介入する場合などは、戦闘行為を押さえ込むために各陣営にエヴァを向かわせ、交渉のテーブルに着かせる等の手荒な方策をとることもあったが、今回のケースでは本部を守る事が先決である。
どこの陣営かをハッキリさせて白黒つけるのは、先ず防ぎきってからだ、と。
シンジの操るエヴァ量産機改は、S2機関の余剰出力を利用して、それこそ第三東京全域をすっぽりと覆って余りあるATフィールドを発生させることが出来るのだ。
これは現在ネルフに所属する適格者によるものでは、最大級となる。
それで呼ばれたのが自分だけだったのかと、シンジは一人納得していた。
「まあ、シンジ君が出るって判れば相手も怖気づくってもんでしょ。んじゃよろしくねん♪」
気楽に言ってくれる、と思いつつ、そういった方面での自身の評価が如何なるものなのか、シンジとて知ってはいた。
実情はどうあれ、碇シンジという名前に付帯する価値は計り知れないものがあるのだ。
対外的な発表においては、使徒戦役と呼称される事もある、あの異形の者達との戦闘を生き抜いたトップエースとして。
その後の紛争介入時においても、通常兵器が効かないのは無論のこと、どこから調達したのか、N2兵器や旧世紀の遺物たる局地核すら持ち出してきた相手に対し、その爆発をATフィールドで押さえ込むのみならず、そのまま放射性物質にATフィールドを纏わせたまま、大深度地下にまで埋設してしまうという離れ業を以って継戦意思を失わせたりもしたのである。
故に、エヴァを以って無理矢理交渉のテーブルへ着くことになった者たちからは“紫の悪魔”と呼ばれ、いらぬちょっかいを出すと電光石火の速さで躊躇いなく凄まじい切れ味のATフィールドを乱舞させる“真紅の稲妻”こと弐号機と共に、その名と性別以外、パイロットのプロフィールが一切公表されないことも含めて、畏敬と畏怖の両面で知れ渡っているのである。
ちなみに“黒い関西人”などと呼ばれる機体がその後現れるようになったとか。
さて、どんな戦いになるのだろうかと、シンジが心の中で溜息をついている間に、ミサトは方針を固めたようであった。
「じゃあシンジ君は別命あるまで待機、いつでも出れるようにしておいて。時間的にはまだ余裕があるから、そう焦らなくてもいいわ」
そう言って、ミサトはシンジをケイジへと送り出そうとした。
一旦はケイジに向かうため歩き出したシンジであったが、ふと立ち止まりミサトに向き直った。
「あの…アスカは今どこに居るんでしょうか」
流石にこの状況下において、適格者の所在を発令所が知らないという訳は無いだろうと考えたシンジである。
当然の如く知っているミサトであったが、それに対する返答は用意していなかった為に若干口ごもり、幾分考え込んだ末に、実はと前置きして話し始めた。
「…本当は言っちゃ駄目って言われてるんだけれど。いい?落ち着いて聞いてね?アスカは今…」
ミサトの言葉を聞いて、シンジは耳を疑った。
なんとネルフ保安部においてもその動向が掴めていないと言うのだ。
「今全力で足取りを掴む為に動いてるけれど、最悪の事を想定しておいた方が良いかもしれないわ…」
それは敵対組織に身柄を拘束されたということを意味しているのだろうと、鈍いシンジにも理解できた。
そうですか、と言葉少なに言い、シンジは肩を落として再び歩き始めた。
そうして発令所の扉がシンジの後姿を隠したのを見計らって、ミサトはちょっぴり額に汗を滲ませながら、にんまりと笑みを浮かべた。
「さ、細工は流々仕上げを御覧じろ、ってね」
「…葛城さん、今のはちょっと…」
「ええ、拙いんじゃないですか?」
青葉と日向にも、アスカが今どこで何をしているか程度は耳にしている。
だからといってシンジに伝える気は、自らの身の安全のためにも言う気は無かったが、何もアソコまで言うことは無いんじゃないかと思わず口を突いてでた。
しかしながらミサトは一向に悪びれた様子も無く、むしろ嬉々としてその灰色だかピンク色だかワカラン脳髄を全力運転し始めていた。
その時のミサトの表情は、コレから起こる事を知っている日向と青葉ですら、薄ら寒くなるほどの、イヤラシイ微笑だったという。
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そしてシンジは独り、ヒトの気配のないケイジに居た。
流石にこの巨大な施設は、移設にせよ新設にせよ莫大な費用が掛かるために、旧本部内の物が現在も使用されていた。
「久しぶり、かな」
世界が仮初めとはいえ安定を取り戻してからは、彼がここに訪れることは稀であった。
本部に用事があるといっても、せいぜいテストプラグによるシンクロ実験が行われる程度で、実機を運用する事は、数えるほどだったからだ。
何故ならば、現在各地の紛争は、ネルフがエヴァを投入するかどうかの検討に入るや沈静化するほどに、消極的かつ散発的なものとなっていたためである。
水面下での動きはどうあれ、実際に人的被害が出るほどの事態には陥ることはなく、エヴァでヒトを攻撃することに批判的であったシンジとしては願ったり叶ったりといえた。
それら、強攻策を唱える者が極端に減っている事については、以前推測されたように、世界中の人々が元の姿を取り戻す際、リリス&アダム融合体により、悪意ある人が間引かれたためであろうと言われていたが、未だ推測の域を出ない。
最有力の証言を得られると思われた人物からは、「……知らない」と言う端的な意見のみしか得られなかった故に。
アンビリカルブリッジに立つシンジは、外見だけは宇宙空間を漂ったままの初号機に似せた量産機改を、感慨深げに眺めていた。
サードインパクト後、使用出来る機体を失ったネルフは、従来型エヴァの代替品として、伊豆半島近海に全身硬直した状態で落下していた量産機を回収し、戦力として用いたのである。
弐号機のコアを移植した新生弐号機や、密かに回収されていたコアを流用した新生参号機とは違い、シンジの乗る量産機改初号機モデルのコアには、何かしらの魂がインストールされているわけではない。
サードインパクト直後の混乱期を乗り越えるために、宇宙の彼方を漂う初号機を回収する当ても無く、即稼動しうるエヴァのないネルフは、比較的機体の損傷の少ない量産機をそのまま使用する暴挙に出たのである。
当初はロンギヌスの槍のコピーを突き刺したことにより暴走したS2機関が再起動しうるのかといった点や、魂のインストールを行っていないコアであるといった問題もあり、適格者による運用が可能かどうか疑問視されていたが、当時エントリーが可能だった唯一の適格者、シンジがエントリーするや、問題なく起動したのである。
下手をすれば母と同じく取り込まれてしまっていたかもしれない起動実験に成功したシンジは、Re:E計画と呼称されたこの実験の担当者による直後の問診に、一言だけ答えたという。
「…カヲル君、そこに居たんだね」
そういって、一筋涙を流したのだと、後に義母となった担当者は語っている。
「…また宜しくね」
様々な思いを胸に、重い決意を固めポツリと呟いたシンジに、目の前のエヴァは、静かに佇むだけであった。
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その内情はどうあれ、シンジが到着したことにより、作戦も準備段階から実行段階へと移行されることとなり、発令所は活気に満ち溢れていた。
「さあっ!忙しくなるわよっ!日向君?タイムテーブルの作成は終わってる?」
「は、はいっ!此方に」
「こっちもいつでもいけます」
ミサトの声に応えた日向に続き、青葉も各種人員の配置が完了したと告げてくる。
「それじゃ、作戦開始といきますか。一発勝負だかんね、気合入れんのよ」
「了解です。使徒戦以来の、後が無いって奴ですね」
「ま、俺らは慣れっこっスけど。あれ以降に入ってきた連中は、大丈夫っすかね」
しくじったからと言って、人類滅亡等と言う事がないのだから、自分たちが経験してきた使徒戦に比べれば楽な物だろう。
だがしかし、今回の場合、しくじった人物には、恐らく漏れなく途轍もなく酷いお仕置きが特定個人から齎されることは必定である。
故に新参職員らは戦々恐々としているのである。
何故にそこまで、とお思いだろうが、実の所シンジを招聘するに当たって、ミサトが口を滑らせた一言が原因であった。
「しかし、コレだけ手配してとちったりしたら、目も当てられませんねぇ」
秒単位で行われるであろう作戦行動に、もし途中で何らかの人為的ミスがあったらと心配した日向の言葉に、ミサトが答えた。
「まあ、何かあっても将来的には笑い話よ、この手の事はさ。私達の時もそうだったし」
それに、自分の行う手配はもう終わってるから、と。
「あ、葛城さん、ずるい」
要するに、これ以後の実務には自身が携わらないため、ミスを犯すことがないという気安さから出た言葉であった。
無論ミサトとて、何らかの事故等の不手際があった場合には、責任者として腹を切ることに躊躇いはない。
しかし、今回の主役である真紅の稲妻さんは、ミスを犯した当人に責を問うであろう、と。
「…あのコ、最近強くってさぁ。勢いづいてる時は私でも止めらんない位なのよねぇ」
ふぅと溜息を吐き、発令所の高みから下層の職員達を睥睨した。
その言葉に、オペレーターたちの表情が一変し、作戦前の準備が数%遅延したと言う。
何故ならばミサトの近接戦闘能力の高さは、本部内どころか世界的にも有名であるからだ。
それはかつて、紛争当事者幹部達を無理やり交渉の席につかせ、停戦条約に調印させる為に同席した際に、双方が結託してミサトを人質にとり、ネルフへ今後の不干渉を要求しようとしたことが発端であった。
TV中継されていた交渉の様子は、その場でスクープ映像となるやに見えたが、ミサトの指示により映像は途絶、そのおよそ3分後に突然講和条約が締結された旨の放送がおこなわれたのだ。
その後、世界中のニュース番組でその話題でもちきりになったが、壇上で握手する組織幹部らの顔がボコボコになっていた原因については、緘口令でも敷かれたのかどこからも確証を得られず、ただ、両代表に近寄れた人物など他にはいなかったことから、アレをやったのはネルフの統合作戦本部長に違いない、と喧伝されたのだ。
両者共に武闘派で知られ、頭脳人望のみならず、自身もあらゆる戦闘技術において突出していたが故に幹部の地位に居た者達を、ミサトがたった一人でぶちのめしたのは無論事実であり、誰が言いふらそうが何をしようが、どう見ても確実に正当防衛の範疇故に文句がでてくるはずも無い。
この件に関しての発表が伏せられたのは、ただ単に「あっらぁ、私をそんなに化け物扱いしたいわけぇ?」などと臆面も無く言ったがためと、ある消息筋は伝えている。
だがしかし、どうころんでも、ミサト以外にそれを成せる人物が居ないのだから、他に該当者が浮かび上がるわけも無く。
一時は鉄腕ミサト、ミサト・ザ・マイティなどと呼ばれたりもしたとか。
「大丈夫じゃなくっても、今更人員を選抜しなおす時間なんて有りはしないわ。…何事にも犠牲は付き物よ」
「葛城さーん、あんまり脅かさないでくださいよ。タダでさえ緊張してるってのに」
「あら、ごみん。そんなつもりは無かったんだけど。私に被害が来ないなら…じゃ無くて、どっちにしても失敗は許されないわ。……時間よ、始めましょう。総員奮闘努力せよっ!」
その言葉と共に、発令所内部に赤い光が瞬いた。
ネルフ本部、数年ぶりの第一種警戒態勢の発令であった。
[後編]へ続く