はぁ…。
もうじき6月6日かぁ…。
誕生日なんて別にどうだっていいんだけど…。
ミサトさんやアスカってば、そういう日があると無理にでも騒ごうとするんだよなぁ…僕にはわかんないよ。
ほんとにお祝いしてくれる気があるんならさ、一日僕を放っておいて欲しいって思うんだけど。
きっとあの人たちには、人との触れ合いが煩わしく感じる時があるって言う僕の気持ちがわからないんだね、きっと。
父さんと離れて暮らすようになってからこっち、ずっとそう言う生活だったから、そのほうが僕は楽なんだ。
だからさ。
「馬鹿シンジぃ?御飯まだぁ~?」
「しぃ~んちゃぁ~ん、ビールもう一本だけぇ…良いでしょ?」
本当に…たまには一人っきりって言うのをさ…。
2006年6月6日 碇シンジ君5歳の誕生日を(遅れたけど)祝って】
でーぶ
高く昇った太陽が照りつける中を、二人は駆ける。
総勢三人であるが、そのうち一人はと言うと…。
「馬鹿シンジぃ~?荷物ちゃんと見てんのよぉ~」
煌く髪をなびかせて、アスカが焼けた砂浜に足跡を穿ってゆく。
「しんちゃーん、ごめぇん、エビチュ投げてぇ」
既に下半身を波間に浸したミサトが、手を振りながら叫ぶ。(飲酒しての遊泳は大変危険です。やるなら人様に迷惑のかからないように)
以上のように、 荷物持ち兼荷物番であった。
常夏となった日本、当然のことながら年がら年中遊泳日和である。
今日は2016年6月6日の月曜日、碇シンジ15歳の誕生日であった。
何を思い立ったのか、突然「泳ぎに行くわよ!」と言うアスカの発案により、ミサトが車を出しての平日ぶっちぎりでの海水浴となったのだ。
そしてシンジは…。
「確かアンタ泳げなかったわよね?」
の一言で、荷物番の栄誉を賜ったのである。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
使徒戦において非常識なまでの損害を被った第三新東京市は、その再建費用の高額さと、使徒殲滅完了による必要性の喪失により、モニュメント的な地として扱われるようになっていた。
特に天井が吹き飛んだジオフロントなどは人類存続記念公園と銘打たれ、緑の豊富さと物珍しさにより一大観光名所となり果ててしまったのである。
その緑の濃い一角、関係者以外立ち入り禁止となっている区画に彼女は居た。
以前とは違い、染める事を止めた髪は烏の濡れ羽色の美しさを誇り、過去の彼女を知る者にとっては別人のように穏やかな印象を与えていた。
腰を下ろした柔らかな芝生の上を、新緑の葉の隙間から差し込む太陽光がチラチラと揺らめき、視界の端を刺激する。
若木にもたれて真新しいカバーのかかった本に視線を落としていたそんな折、ふと笑みを浮かべる。
そうしてその、ふっくらと盛り上がった下腹部に、優しく視線を落とす。
目元の黒子が、きつめの表情に艶めかしさを与えていると評した人物も居たほどの才媛であった彼女が、今は柔和な表情を浮かべ木蔭で緩やかな時間を過ごす。
「今、動いたみたいですわ」
「……そうか」
傍らにいる、人付き合いの苦手な夫と共に。
この幸せは、彼の息子…自分にとっては義理の息子となった一人の少年の努力によって得られたものであった。
彼女は思う。
夫にも、彼の息子にも、そして今、彼女のおなかの中で育まれている『いのち』にも。
人生を捧げた科学以上に、愛情を注ごうと。
傍らに本を置き、両手をお腹に添える。
「ほら、ゲンドウさん。動いてますわ」
お触れになりますか?と問おうとした時に、それは現れた。
「リツコリツコリツコリツコっ!ちょっと大変なのよッ!」
慌しく駆け込んできたのは、誰あろう葛城ミサトである。
三十路にも拘らず、まるで落ち着いたところが見えない彼女。
いい加減年貢を納めやがれと、一応生きてた無精ヒゲ男に周囲の意見が集まる昨今である。
「…何の用かしら。私は今現在休職中よ?」
「それどころじゃないのよ!大変なの!シンジ君が、シンジ君が!」
慌てふためいたミサトは、肝心の内容をなかなか言えずにいた。
その時、ゲンドウが動いた。
「葛城二佐、状況報告!」
さながら旧発令所の最上段から命令を受けた時のように、その言葉と共にミサトは一変した。
キリリと引き締まった表情の、指揮官のそれに。
「先ほど私とアスカ、シンジ君の三名で近郊の海岸へ遊興に赴きました」
何を思いたったのか、アスカがシンジとミサトを巻き込み、近場の砂浜まで遊びに出かけたというのである。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ネルフの広大な敷地に含まれるその砂浜は、一般に開放されているとは言えそこは平日、アスカの狙い通り閑散としていた。
一応営業していた海の家でビーチパラソルを借り、日陰を作って水と戯れる二人を目を細めてみつめるシンジ。
一人っきりじゃないけど、放っておいてくれるんならこういうのでもいいかなぁ、などと思っていたりする。
実際泳げないので別に一緒になって泳いだりはしなくて構わない彼であったが、やはり折角海に来たのであるから多少なりとも水遊びくらいはしたいなぁとも思ってはいた。
「つっかれたぁ。ああ、シンちゃん?ちっとばっかし私休むからさ、遊んできていいわヨン」
一頻り 暴れて 遊んで戻ってくるなりクーラーボックスからエビチュを取り出したミサトの言葉に、目を輝かせて立ち上がったのも、仕方の無いことであろう。
「あ、じゃあちょっと行って来ます」
ビーチパラソルの日陰をミサトに明け渡しながら、シンジは海へと歩いていった。
「…アンタ、楽しい?そんなことしてて」
膝ほどの深さの波打ち際に座り、寄せては返す波の感触を全身で感じて楽しんでいたシンジを、呆れ顔のアスカが太陽を背負って見下ろしていた。
「…うん、割と」
泳げないのは周知の事実とは言え、流石にこのシンジの行動はアスカにとって許容できる物ではなかった。
「アンタバカァ?折角海に来てんだから、騒がなきゃ損ってもんよ!」
そう言ってシンジの腕を引っつかみ、引き摺るようにして歩みを進めた。
「いい?アンタ泳げないってんなら、それなりの楽しみ方ってのがあるんだから。あ、すいませーん。ボート一つ貸して下さいな」
向かった先は、先だってビーチパラソルをレンタルした海の家である。
『浜茶屋“海が好き”』と巨大な看板が掲げられた店に足を踏み入れ、ボートを借りたいのだと告げる。
「へい!らっしゃい。ボートですね?時間レンタルと一日レンタルってのがあるけどどっちにします?」
ブラではなくサラシを巻いてハッピを羽織っている、ヤケに気風のいい男前な女性店員が、アスカにそう声をかける。
時間単位でのレンタルと、丸一日借りた場合での差額を瞬時に計算し終えたアスカは、ビーチパラソルの下、空き缶に囲まれて眠るミサトを指差して言う。
「そうね、一日レンタルにしといて。お代はあそこで寝てるのが持つから」
そうして再びシンジとボートとを引き摺り、青く煌めく水面へと飛び出していった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「目が覚めたら、アスカとシンちゃんがボートで沖のほうに出てたのよ。でもまあ泳ぎの達者なアスカもいるし、海も穏やかだったからそう心配してなかったんだけど…」
記憶を辿りながら訥々と語るミサトの言葉を細大漏らさず聞いている二人が、言いよどんだミサトを睨みつける。
「あ、あの、私が何かしたって訳じゃないんだってば。ほんとよ?ああ、二人して仲良いわねーって感じで生温かく見守ってたんだから」
実のところ茶化したかったのだが、少々アルコールが過ぎたため二人のいるところまで泳ぐというのが不可能であったのだ。
「それで、どうしたの?…まさか」
シンジ君が溺れたって言うんじゃないでしょうねと続けたリツコであったが、予想はその更に斜め上を行っていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
沖に浮かぶアスカとシンジの乗るボートを眺めながら、にんまりと笑みを浮かべ、再びクーラーボックスからエビチュを取り出す。
二人の仲が進展してくれれば、こんなに嬉しい事は無いと、祝杯のようにプルトップを引き、缶を傾けた。
一息に飲み干し、涙目になりながらいつもの様に歓喜の声を上げる。
「くぅ~~~っ、旨いっ!やぁっぱ、夏の海とくればビールよねン」
肴も極上だしね、と沖に浮かんだ黄色いボートを見つめ、笑みを浮かべた。
が。
「な、な、な、なによあれぇ!」
ゴムボートの向こう、青い海と白い入道雲のコントラストが微妙にかすんで見えた。
「まさか…津波?」
そうこうしているうちに、彼方からせまる水の壁が今にも押し寄せて来るようであった。
「しっ、しんじく--ん、アスカァーーー!逃げてぇーーー!」
間に合うとは思えないが、そう声をかけたくなるのも仕方ないであろう。
だが、背後からの声に気がそがれる。
「くぉのクソおやじぃいいいい!客が居る時くらいそれをやめろって言ってるだろうがぁぁぁ!」
浜茶屋“海が好き”の店員の女性であった。 海に向かって何を言ってるだろう、と一瞬呆けたミサトであったが、今はそれどころではない。 シンジとアスカも気がかりではあるが、今更どうにも手が出せない。 まだ波は遥か沖とは言え、自分の身長から算出した水平線までの距離は約4.5km。 水深が浅くなるにつれ速度は落ちるはずと考え、せめてこの女性だけでもと思い、駆け出した。
「早くっ、高い所へ逃げてっ!」
そう叫びながら手を引こうとするが、振り払われてしまう。
その時、いまだ届かぬはずの波が。
大声でそう叫ぶ中年親父の声と共に、彼女を襲ったのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
確かに一人っきりになりたいなとは思ったけどさ。
これは無いんじゃないかなぁ…。
青い空、白い雲、どこまでどこまで続く…って感じです。
おまけに全周囲が青い海で占められてるって辺りがポイントだよね?
なにがどうしたんだって?
ただいま漂流中です。
たぶん伊豆七島沖を。
ゴムボートって、結構丈夫なんだね…。
アスカ、どうしたかなぁ…僕はたまたまボートの周囲を囲っているロープに足が絡まって、どうにか浮きあがれたけど。
アスカの事だからきっと大丈夫だと思うけど…あんな大きな波、初めてだもんなぁ…。
あの時、アスカに無理やりゴムボートに乗せられて、どんどんと沖に出たぼくら。
オールを僕が持ってるのが、理不尽な気がしないでも無いけど。
「なによアンタ、レディに力仕事させるつもり?」
…どうも視線が恨みがましかったようで、僕の心の呟きを的確に当ててくれる。
まあいつもの事だから別に良いんだけどさ。
太陽の光が空から、そして海からも照り返されて僕らを襲う。
まぶしそうに目を細めてるアスカを見ると、これはこれで良いかもしれないと思い始めた。
やっぱりアスカには太陽の下が似合うなぁって…。
ビキニの水着とあいまって、周りの照り返しなんかよりも、よっぽど目の毒だとおもう。
「な、なによ」
…変な目で見たつもりは無いんだけど、どうにもアスカの気にさわったようで…。
「ごめん、そんなつもりじゃ」
って、思わずうつむいてしまう。
だけど、前にも言われた事を思い出して失敗したと思いなおしたけど…遅かった。
「…別にいいわよ、海なんだから」
って、そっぽ向かれてしまった。
…微妙にいつもと違う反応だけど。
いつもならさ?
『またアンタはすぐにそれっ!謝りゃ良いって思ってんじゃないでしょうねぇ?』
位のことは言われてるから、覚悟したんだけど。
「あ…あのさ、アンタ今日が…」
「あ、何?」
ちょっとネガティブな思いに耽ってたせいで、アスカの声に反応するのが遅れたけど…。
途中まで言って止まってしまったアスカが、固まったままあらぬ方角を見てるのに気が付いて。
同じ方を向こうとした次の瞬間、壁にぶち当たるような衝撃を受けて…気が付いたらボートと一緒に太平洋独りぼっち状態だったんだ…。
しかし、見渡す限りの青い海、自分のちっぽけさがよくわかるよね。
人類を一度溶かしちゃった罰なのかなぁ…、ねぇ綾波…カヲル君。
赤い海の事を思い出すと未だに吐き気がするけど、これで生きて帰れたら…今度は青い海も見るのが怖くなったりするのかなぁ…。
日が傾いてくるまで、僕はそんな風に結構のんきに色々考えてた。
太陽が赤に染まり始め、周囲が負けじと同じ色彩を放ち始めた頃、それは来たんだ。
初めは点のように見えたけど、だんだんと近づいてくるのが判る。
まるで、獲物を見つけた猛禽のような…ああ、海だから海獣?鯱辺りかな?って感じに一直線に向かってきたんだ。
まさか…まさか。
僕は慌てて、残ってた一本のオールを使って、少しでもそれに近付こうとした。
そして、僕の目は歪んだ世界しか映し出せなくなった。
舷側に付いたロープが引かれ、艶かしい流線で形作られた美麗な足が、ゴムボートの縁にかかる。
そして、転がり込むようにボートに乗り込んできたんだ。
息も絶え絶えの状態の、アスカが…。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ジオフロント内部に再建された新ネルフ本部のメイン通路に、大股で闊歩する三人の姿があった。
「貴方はどうしてそう大事な事を真っ先に言わないの?!」
胎教のためにと、日頃から感情の起伏を押さえてきたリツコであったが、今日ばかりは勝手が違った。
「だ、だってさぁ…気が付いたら周りには何にもなくて…有った筈の浜茶屋も、何の痕跡も無くなってて…呆然としてたらワカメだかコンブだかを纏わり付かせたアスカがすごい形相で迫ってきてさぁ…」
シンジを見なかったかと、今にも食いつきそうな勢いでミサトに食って掛かったのだという。
「で、辺りを見回したら、ずーっと沖のほうにゴマ粒みたく小さなゴムボートが見えたから…」
一縷の望みを込めて泳ぎだしていってしまったのだという。
「…その場でどうしてすぐに連絡くらい入れないの。伊豆半島のどこからでも、貴方の携帯なら届くでしょうに」
「…車ごと、流されちゃった…」
申し訳なさそうな顔で凹みまくるミサトであったが、そう言うわけならばこれ以上強くもいえぬと先を急ぐ。
既にあらましは発令所の当直職員に知らせてある。
自分たちが其処にたどり着く頃には、全て動き出しているだろう。
「…葛城二佐」
「ひゃ?ひゃいっ!」
それまで無言だったゲンドウが口を開きミサトの名を呼ぶ。
いきなり処分だろうかと冷や汗をかくミサト。
現在たった二人きりの適格者の両方を危険に晒した上に残った片割れすらも押し留める事が出来ずに行かせてしまったのだから…。
彼女の心中は穏やかならぬ物となっていた。
しかし、聞かされた言葉は彼女にとってむしろ願ったり叶ったりの物であった。
「現時刻を持ってネルフ本部は第一種警戒態勢を取る。二佐、指揮を取りたまえ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
荒い息が段々と落ち着いたものになってきた。
腕を額の上に乗せ、仰向けで呼吸を整えているのだ。
一呼吸ごとに落ち着いてゆく胸の動きが、たわわな揺れとなってシンジの網膜に焼き付いてゆく。
現在置かれている状況すら忘れるほどに、それはシンジにとって凶器以外の何物でもなかった。
そして。
その胸の持ち主は、まさしく凶器その物であったりするのだ(笑)
「あ、あの、アス…カ?」
比較的落ち着いたアスカを見て取って、シンジが意を決して声をかける。
若干の喜びと、多大な驚きを交えた声で。
しかし、その言葉と共に伸ばされた手が払いのけられ、神速の右がシンジの頬を打つ。
季節外れの赤く咲いた紅葉が、シンジの頬に咲き乱れる。
右に左に、幾重にも。
「ちょ、アス、痛いって、ば…」
突然の暴虐に抵抗を試みようとするシンジであったが、アスカの俯き加減の顔を垣間見て、それを止めた。
食いしばった口元と、あふれ出る涙とが、その両の手が単に危害を加えたいがために動いているのではないと告げていたから。
一頻りシンジの頬が鳴った後、徐々に勢いを失して、ついにはぺちぺちと音が鳴るのがやっとという状態に陥っていた。
シンジの乗るボート目掛け、数時間に及ぶ遠泳を行ったのであるから、その膂力がいかほどのものであっても限界は遠からず来たであろう。
「…アスカ、ごめんね。ありがとう」
そう言って、ぺちりと頬に当たった手をその上から押さえて受け止める。
そして、力なく引かれる手を、離すまいとして頬に押し付け、感触を楽しむように目を閉じた。
「…良かった、アスカが無事で。よかった、本当に」
そうして、やっと、アスカが声を上げて、泣いた。
「…好きよ、馬鹿シンジ」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
適格者捜索のために、第一種警戒態勢を敷かれた発令所で、リツコがコンソールを操作しながら背後のミサトに語りかけた。
「…おかしいわね、ミサト?24時間前まで遡っても、津波が起こるような事象の発生は確認されていないわ?」
MAGIの監視網から、津波が起きるような海底隆起や陥没、地震等が観測されていないというのである。
「な…じゃあなんでアソコであんな波が来るわけ?」
まったく持って不可解である。
「それと先輩。葛城二佐の報告にある浜茶屋なんですが、そんなところに出店の申請なんて出てないんです」
リツコの横でモニターを凝視していたマヤもまた、理解不能な事態に困惑していた。
ネルフのお膝元ともいえるこの伊豆半島で、一般の店舗を勝手に建築する事などは事実上出来無い為である。
例え秘密裏に行うとしても、資材搬入の時点で間違いなく阻止されるのだから。
「…それじゃ、あの店は何だったのよ…」
「さっぱり判らないわ。あら、見つかったみたいね」
分割されたメインモニターに表示されている、静止衛星による地表走査の詳細に『Discovered』の文字。
手元のキーを叩き、確認された映像を補正し拡大した次の瞬間。
リツコは己の軽率さに思わず額に手を当てた。
今までの悲壮な表情を、歓喜と下卑た笑みとを混在させた物に上書きした腐れ縁の親友を横目に見ながら。
「…二人の回収、急いで。あと…保安部員を呼んでくれる?」
後半はごく小声で伝え、モニターを見やる。
そこには、初々しい口づけを交わす、若い二人が映し出されていた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ごめんねシンジ、こんな事になっちゃって。
まさかあんな大波が来て流されちゃうだなんて、思ってもみなかったのよ。
アンタの誕生日が今日だってのを知って、どうにかして二人っきりになれるシチュエーションってのを考えた結果がこれだったんだけどさ。
平日だから、学校行くわけでしょ?
だとすると、アンタはあの2馬鹿と遊び呆けるだろうし。
学校が終わっても、ミサトが最近ヒマしてて定時で帰ってくるし。
そうなると二人っきりってのはかなり難しくなるわけで。
だから、アタシは一計を案じて海水浴に出ることに決めたわけよ。
アンタを荷物番にしてりゃ、ミサトも変に勘ぐらないだろうし、ミサトも酒飲ませとけばそのうちひっくり返って寝るのが目に見えてたし。
だから、アンタを海の上まで連れ出す所まではアタシの計画通りって感じだったのに。
まさま、アンタだけがあの大波に流されてっちゃうだなんて、アタシを置いて消えちゃうだなんて、そんなのアタシがじっとしてられるわけないじゃないのよ。
だから今こうして必死になって馬鹿シンジが居るだろう、乗っているはず、乗って無いと困るゴムボート目掛けて泳ぎ続けてるわけなんだけど。
中々距離が縮まらない。
変なカレント(岸から沖へと向かう流れ)にでも乗っちゃったのかしら、アレ。
それでも必死に泳ぎ続け、やっと手が届いた。
ゴムボートに乗り込む時は…っと。
片手片足を縁にかけて、一気に横向きになだれ込む、っと。
ごろり、と粘つくような感触のボートの床に転がる。
…居た。
居てくれた。
シンジだ。
馬鹿シンジだ。
アタシは乗り込んだ姿勢のまま、滲んだ視界を掻き消すように、目元に腕を押し当てた。
ほっとしたのと同時に、このアタシをここまで心配させたお礼をして差し上げたくなって…。
伸ばしてきた手を打ち払い、そのままの勢いでシンジの頬を打つ。
打つ。
打つ。
…途中で、原因アタシなのを思い出して力を抜いてあげたけど。
ア、アタシの体力があの程度の遠泳で損なわれるわけ無いでしょうが。
ちょっと腕の筋肉と……涙腺が、アタシの言うこときかなくなってるだけよ。
だから、馬鹿シンジ。
ちょっとだけ、アンタの肩、貸してくれる?
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
狭いボートの上で、肩を寄せ合う二人が、小さな声で、囁くように語り始めた。
今日のこの日、何故海につれてきたのかを。
今日のこの日が来るのをどれだけ待ち望んでいたのかを。
そして、その言葉に。
今日のこの日、海に連れて来られるなんて思ってもみなかったと。
今日のこの日にこんな目に遭うだなんて、やはり自分の業なのかと。
震える声で搾り出した。
夜の帳が下り、肩に触れるお互いの温もりだけが拠り所であったから。
そこに居るのだと、触れた肌と、そして声とで確認し続けて居たかったのだ。
だから。
神ならぬ彼等が、遥か天空から迫る?危機に気がつかなかったとしても、仕方のないことであった。
「ねぇ、アスカ」
「なによ馬鹿シンジ」
「…ねえ、アスカ」
「なによ、馬鹿シンジ…」
「…ね、アスカ…」
「…ん、なによ」
「……アスカ」
「……ん」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「…いかがなさいます?司令」
溜息をつきながら、リツコが最上段に陣取るゲンドウの横に立ち、意見を求める。
「…よくやったな、シンジ」
「…ゲンドウさん?」
呟いたゲンドウの横で、リツコの額に青筋が生まれる。
「…目標の周辺区域を徹底的に走査。危険が無いことを徹底的に確認せよ。ああ、それと」
グビリと咽喉を鳴らし、己に迫る危機を感じ取ったのか、再度口を開き多少は真っ当な指示を出す。
そして、気になった事柄を一つ、二人目の妻に向けた。
「ナンデすの?」
「葛城君はどうした」
「…大人しく営倉で寝てますわ」
そう言った彼女の懐で、銀色の針を持つ円筒形の物体が、鈍く輝いた。
「…ミサトに引っ掻き回されちゃ、たまらないものね、あの二人も」
司令席のモニターだけに限定された映像を、優しく見つめながら、救出のタイミングをいつにするかにちょっとだけ悩むことになるリツコであった。
了