未来をこの手に

タヌキさん

 使徒戦役が終わって2年をこえた。
 サードインパクトは誰もが経験し、そして誰もがおぼえていなかった。たった三人を除いて。
 一人はサードインパクトの張本人サードチルドレン碇シンジ、二人目はサードインパクトのエネルギー源第二使徒リリスことファーストチルドレン綾波レイ、そして最後の一人がサードインパクトの引き金となったセカンドチルドレン惣流・アスカ・ラングレーである。
 その瞬間、MAGIの生体部分さえLCLになったのだ。何一つサードインパクトの記録は残されていなかった。
 死んだはずの赤木リツコは、還ってきたときから躍起になって真相を探ろうとした。それこそ、三人の子供たちを尋問、いや、自白させる勢いで問いただしたが、彼らは何一つ答えようとはしなかった。
「赤木博士、人は創世の物語を知ってはいけない」
「リツコ。アタシに拷問をしようとしても無駄よ。生きながら喰われる恐怖と痛み。誰も助けてくれない孤独感。これに勝てるものを用意できるなら、やってみてもいいけど」
「リツコさん、僕が卑怯で臆病だったということです」
 三人は、無感動、侮蔑、悔恨の表情を浮かべて、リツコを敗退に追いやった。

 戦自の攻撃、エヴァ量産機の侵攻で完膚無きまでに破壊された第三新東京市は、その復興をあきらめ放棄されることになった。あまりに被害が大きすぎ、再建させるだけの費用が捻出できなかったのだ。
 ネルフは、生き残った。世界中が命を削って供出した物資と人員、その蓄積を無に返すことはせず、少しでも人類の未来に役立てようと国連はネルフの存続を認めた。ただし、大幅な人員削減と特務権限の廃止は命じられた。
 チルドレンたちは使徒戦役の功績を認められ、大学あるいは大学院卒業までの学費免除と一人あたり毎月18万円の生活費を25歳まで支給されることとなった。その代わり、国連が定めた住居に住み、第二新東京市からの外出には許可が必要とされた。さらに卒業後は国連への就職が義務づけられている。
「体の良い飼い殺しじゃない」
 存在することを許されなかったゲンドウに代わってネルフ総本部司令になった冬月コウゾウから、この話を聞かされたときにアスカが漏らした言葉が、真実を表している。

「ミサトも意外と根性無しだったわね」
 アスカが、生活の場として与えられたマンションで最初に口にしたのは、元チルドレン二人の保護者でネルフ総本部作戦部長であった葛城ミサトのことだった。
 ミサトは、ここにいない。どころか、日本にさえいない。
「ごめん。頭ではわかっているつもりなんだけど、心が耐えられそうにないの」
 こう言って、ミサトはネルフドイツに赴任していった。
 ミサトが最後まで顔を合わさなかったのは、綾波レイである。リリスの魂のかけらを持つ少女をミサトは許せなかったのだ。
 ようやく解り合えたかもしれない父の命を奪った使徒を憎むことで生きてきたミサトは、使徒の形質を持たされて生まれた少女を正視できなかった。そして、そのすべてを知りながら黙っていた親友赤木リツコとの仲を、ミサトは続けることができなかった。

 保護者を失ったアスカとシンジの二人を同居させることには、反対が根強かった。
 同僚、生死をのりこえた戦友、同級生、世界に三人しかいない適格者。どのように言いつくろったところで、二人は思春期の少女と少年なのだ。間違いを起こさないという保証はない。
 当初、国連はドイツ支部所属だったアスカをドイツに戻すか、その国籍であるアメリカに移住させるつもりだったが、本人の強硬な反対にあって潰えた。
「アタシの全てはここにあるわ。抜け殻になったセカンドチルドレンでも良いなら、ドイツでもアメリカでも行ってやる」
 使徒戦役の終盤、心を閉ざしたアスカを知っているリツコや冬月は、それがはったりでないことを知っていた。
 ならば別居させればいいと引き離してみたが、家事能力が皆無のアスカはシンジの部屋に朝から晩まで入り浸って同居となんら変わらない状態を作り出した。
 ハウスキーパーをつけてもおなじだった。
 アスカはシンジの作った料理以外はけっして口にしなかったし、シンジが洗ったものでなければ身につけなかった。そう、アスカは下着までシンジに洗わせていた。

 アスカとシンジを引き離すに、国連はモラルを盾にしたが、ネルフの大人たちは違っていた。アスカによるシンジへの暴力を懸念したのだ。
 それほど使徒戦役終盤からサードインパクト直後のアスカは、シンジに酷かった。入院が必要なほど衰弱していたアスカを見舞いに来るシンジに、彼女はあらん限りの罵詈雑言を浴びせた。
 監視モニターで様子を観ていた医療部の職員が、何度も二人を引き離したほどであった。それでも翌日になるとシンジはアスカの病室に現れ、アスカは人が思いつくかぎりの悪口を日本語、英語、ドイツ語を混ぜてたたみかける。
 それは、冬月コウゾウを始め、赤木ナオコ、伊吹マヤたちチルドレンをよく知る幹部たちに、アスカが動けるようになれば、必ずシンジを害するだろうと思わせるに十分であった。
「シンジ君、おなじ学校に行かなくても良いんだよ。住居を移すこともできるし、現住所を秘匿することもできる」
 アスカの退院前に、冬月がそうシンジに勧めたこともあった。
「いえ、僕はアスカと一緒にいます」
 シンジはきっぱりと断った。

 懸念された事態は起こらなかった。
 退院の日、迎えに来たシンジにアスカは、黙ってついていった。
「ふうん、アタシたちを引き離すんだ」
 徒歩で数分とはいえ、シンジと別の部屋に案内されたアスカは、ちらりとシンジに目をやりながら言った。
「ミサトさんがいなくなったからね。監視する人間が同居していないと、僕たちがなにをするかわからないからだって」
 シンジが苦笑する。
「だったら、リツコでもマヤでも保護者にすればいいじゃない」
 アスカの疑問に、シンジが顔から感情を抜け落とさせた。
「怖いんだって。人類を一度絶滅させて、そして再生した僕たちがね」
 シンジが淡々と応える。
「悪魔と神の二役を果たした子供たちと一緒に住むことはできませんか。はん。根性無しが」
 アスカが、吐き捨てるように言った。 
「行くわよ」
「どこへ? 」
「アンタ馬鹿ぁ? アンタの部屋に決まってんでしょうが」
 間の抜けた返事をしたシンジにアスカが怒る。
「同じだよ。ここと」
 シンジはそう言いながらも、アスカの荷物を持って先にたった。
「ファーストはどこに住んでいるの? 」
 歩きながらアスカが問う。
「冬月司令代行と一緒に住んでいるよ」
「へえ。ファーストは怖く無いんだ。一番人間離れしているのにね。いや、人間でさえないのに」
 アスカが嘲るように笑った。
「そんなことを言っちゃ、綾波が可哀想だよ。綾波がいなければ、僕たちはあの紅い海に溶けこむことさえできずに死ぬしか無かったんだから」
 シンジがたしなめる。
「ふん。アンタはやっぱりファーストの肩を持つのね。無理無いか、なんせ、アタシの見ている前で一つに繋がっていたぐらいだもんねえ」
 アスカの口調に毒が含まれる。
「やめてよ、アスカ。誰かに聞かれたらどうするのさ」
 シンジがアスカを止める。
「アタシは聞かれてもかまわないわよ。アンタのおかげで心は傷だらけに成ったけど、身体は綺麗なままだからね」
 アスカの口調は益々毒が強くなっていく。
「だから、あれは違うんだって。それにアスカ、僕たちの着ているもの、持っているもの、住んでいるところには、盗聴マイクが仕掛けられているんだから、発言には気をつけて」
 シンジが開きなおったように告げた。
「そんなもの、昔からじゃない。いまさら、驚きもしないわ。聞きたければ、トイレの音でも、マスターベーションの声でも聞かせてやるわ。今更、体裁をつくろったところで、どうにもなんないじゃない。なんなら、今ここでアンタとつがっても良いわよ」
 アスカが道の真ん中で足をとめる。
「馬鹿言わないでよ。そんなことできっこないじゃいか」
 シンジがあたりを見回す。何気ない日常生活の風景がそこにはあるが、公園でベビーカーを押している若い母親も信号待ちしている車の中でくたびれているサラリーマンも、すべて国連職員の偽装である。
「根性無し。アタシがほしいんでしょ。今ならアンタのものになってやっても良いわよ。断ったら、二度とチャンスはないかも知れない」
「…………」
 シンジは、アスカの挑発にのらずに歩きだす。

「……シンジ。ファーストは、どうなの? 」
 ゆっくりとシンジにならんだアスカが訊く。
「僕もリツコさんの研究室で偶然二度ほど出会っただけだから、詳しくは知らないけど、元気は元気のようだね。もっとも外出は禁止されているらしい」
「リツコ? 」
「いや、冬月司令代行が離さないらしい」
「ふうん。幾ら面影が似ているからって、ファーストはシンジのお母さんじゃないのに」
 アスカの声に憐憫が混じる。
「無理無いよ。冬月司令代行はもう一度かあさんと語りたいが為に、父さんに与したんだ。それこそ、僕やアスカがどうなるか全て知ったうえでね」
「ミサトと同じね。無い物ねだりでしかないのに。結局、人は滅びたところで変わることのない愚かな生き物でしかないということか」
「そうだね。補完計画は失敗した」
 シンジが、辛そうにつぶやいた。

 シンジとアスカの同居は、アスカが三度目のハンガーストライキで入院することで成立した。
 国連はアスカの命をかけた要望に屈し、ネルフは、アスカが一度もシンジに暴力を振るわなかったことで認めた。
 いや、実は一度だけアスカがシンジに手を挙げたことがあった。それは、アスカがシンジの部屋に居着いて初日だった。シンジのベッドの下を覗きこんだアスカが、一冊の本を引っ張り出した。それは、一冊の写真集だった。合法的に中学生が買える程度のもので、世に言うグラビアアイドルが水着ながら扇情的なポーズを見せていた。コンフォートマンションにいた頃に手に入れたものだった。
「シンジィ、これはなによ」
 アスカの顔色が真っ赤に染まる。
「あっ、なに勝手に人の部屋を漁っているんだよ」
 シンジが、アスカの手にある本に手を伸ばす。
「こぉんの馬鹿」
 アスカの蹴りがシンジの腹に入った。シンジが吹き飛ぶ。
「ぐうう」
 シンジは、みぞおちに決まった一撃で息ができなくなっていた。
「アンタはねえ、アタシ以外の女で欲情することは厳禁なのよ。アタシが知らないとでも思ったの? ええ。意識のないアタシの胸をおかずにしたことを? アタシは、アンタに汚された。見捨てた女に欲情するような変態男の慰み者にされた。その責任をアンタは取らなきゃならないの。わかった? 今度他の女で興奮したりしたら、二度と女を抱けない身体にしてやるからね」
 アスカは、口をきわめてシンジを罵りながら、蹴り続けた。それは、国連職員が、部屋に飛びこんできてアスカを抑えるまで続いた。
「やめないか、セカンドチルドレン。サードを殺すつもりか」
 国連職員が、アスカを羽交い締めにした。
「離せ、離しなさいよ。アタシとシンジの問題に口出しするな」
 アスカは喚きながら、倒れているシンジと目を合わせる。シンジもうめきながらアスカの目を見た。 
 幸いそれほどたいした怪我を負わなかったシンジは、手当だけをうけると帰宅し、アスカは強制的に自室に送還されたが、翌朝にはなにもなかったかのようにシンジのつくった朝食を食べていた。
「なにを考えているのかしら? 」
 報告を受けたリツコが、頭を悩ませたが、シンジもアスカもそれ以降なにも変わらないのだ。シンジがクレームをつけなければ、大事にはできない。
 結局、この事件は無かったことにされた。

 二人は中学卒業を機に単身者用の狭い住居をでて同居することになった。大人たちももう強制しなかったし、アスカもシンジも離れようとはしなかった。
「いいこと、高校生らしい生活をしなさい。でなければ、今度はアスカが餓死しようが気にせずに引き離すわ」
 リツコが眉を逆立てて、宣言したが、アスカもシンジもどこ吹く風と受け流した。
「アタシたちの保護者になるだけの度胸もない癖に、言うことだけは一人前じゃない」
 アスカが、リツコを凌駕した膨らみを誇示するように胸を張る。
「悪魔か神か、人と違う生き物と同居する趣味はないわね」
 リツコが、切り返す。
「そうよねえ。アンタが飼えるのは猫だけだものねえ」
 アスカが笑う。
 リツコと伊吹マヤが同居していることをからかったのだ。
「マヤと私はそういう仲ではないわ」
「アタシはなにもマヤのことなんか言ってないわよ」
 アスカが、軽蔑するような目で、研究室の奥に繋がるドアを見る。
「…………」
 アスカと口げんかしても意味がないことをさとったのか、リツコが口を閉じる。
「そうそう。もう一つ。アタシとシンジの生活に口出しはしないこと。もう一度LCLに溶けたければ、別だけどね」
 アスカはそう言うと新居の鍵を振りながら、リツコの研究室を出ていった。シンジも続く。

「エヴァンゲリオン弐号機の代わりに男に縋っているだけの小娘が……」
 アスカの出ていったドアを睨みつけながらリツコが、吐き捨てた。
「先輩、どうしましょうか? 」
 奥の部屋から出てきたマヤが訊いた。
「14やそこらのわがまま娘の脅しに屈してたまるものですか。マヤ、加持くんが匿っていた戦略自衛隊の少年兵霧島マナの現住所はわかる? 」
「はい。ちょっと待ってください。出ました。この第二新東京です。やはり、国連の監視下にあります」
 マヤが答える。 
「霧島マナをサードとアスカの高校に行かせなさい。もう一度サードを誘惑させるのよ。はしかのような初恋だったとはいえ、霧島マナもかなりの美少女。アスカのように性格もきつくない。サードが墜ちれば、アスカも思い知るでしょうよ。世の中が思い通りにならないということと、自分が無力な子供でしかないことをね」
 リツコが、憎らしげに言った。
「そうですね。うまくいけば、シンジ君の口からサードインパクトの情報も聞きだせるかも知れません」
 マヤも作戦にのった。
「そうね。それならレイも行かせましょう。マナとレイ、強力なライバル二人の出現にアスカの心理は乱れるわ。そして、その乱れは必ずサードにむかう。エヴァ弐号機の代わりにすがりついているサードに見捨てられたら、アスカはどんな顔を見せてくれるかしら」
 リツコが嫌な笑いを浮かべた。

 最後までレイを表に出すことを渋っていた冬月だが、リツコは、MAGIを使ってレイの保護者たる正式な戸籍を作ると言うことで納得させた。
 冬月は、去年代行がとれて正式な司令に就任している。
「冬月司令ももう終わりね。レイを実の娘だと思いたいようね」
 リツコは冬月からだされた戸籍の要望を見て、嘲笑した。
 そこには、父冬月コウゾウ、母碇ユイと書かれていた。
「生涯をかけた妄想がかなったんですから、ご本人は満足でしょう」
 マヤも辛辣な言葉を口にする。
「さて、これからが面白くなるわよ。ちゃんと霧島マナには話を通してあるんでしょうね」
 リツコがマヤに尋ねる。
「もちろんです。シンジくんをいじめ抜いているアスカの手から解放してあげてと伝えてあります」
 マヤが報告した。
「それでいいわ。霧島マナはサードへの負い目がある。あれだけ甘い言葉を囁いてサードを誘惑しておきながら、最後の最後で昔の男を選んでこっぴどく振った。罪滅ぼしをしたがっているに違いないわ。そして、レイもサードから1年以上引き離されている。レイもサードインパクトの始まりの瞬間、ゲンドウからサードに依りしろをシフトさせたほど、執着している。飢餓感はアスカの比じゃないはず」
 リツコが満足そうにうなずいた。

 シンジとアスカの高校生活は、リツコの思い通りに始まった。
「会いたかった、シンジ」
 入学式で目の前に現れたマナをシンジとアスカは驚きの目で迎えるしかなかった。
「アンタ、今頃何しに来たの? 」
 アスカが冷たい声で聞いたが、マナはアスカに目もくれずシンジに抱きついた。
「あの時は、ごめんね。じぶんでもどうしたらいいのかわからなくて。でも、シンジと離れてみてようやくわかったの。あたしが本当に好きなのは誰かって」
 マナがシンジに告白する。
「なに勝手なことを言っているのよ。シンジ、アンタもなんか言いなさいよ」
 アスカがいらだちを隠さない。
「シンジ、アスカさんとつきあっているの? 」
 マナが、問う。
「いいや、つきあってなんかいないよ」
 シンジが否定する。
「よかった。じゃ、あたしがシンジの恋人になる」
 マナがシンジに言う。
「ごめん、いきなりそう言われても困るよ」
 シンジがとまどう。
「わかった。最初は、また友達からね」
 マナが、うれしそうに笑う。
「見て、わたくし霧島マナは、碇シンジ君のために、今朝6時に起きてこの制服を着てきました。似合う? 」
 マナが背筋を伸ばして、軽く両手拡げる。
「うん、似合っているよ」
 シンジが照れた。
「ふん、いい気なものね。無敵のシンジさまは。行くわよ」
 アスカは、シンジの腕を掴んで引きずった。

「久しぶりね、碇くん」
 レイが教室でシンジとアスカを待っていた。
「綾波、元気そうだね」
 シンジがうれしそうに笑う。
「ありがとう」
 レイもうれしそうにほほえむ。
「へえ、アンタも世間にだして貰えたんだ」
 アスカが、きびしい声で言う。
「弐号機パイロット、碇くんを虐げているなら許さない」
 レイが、鋭い目つきで迫った。
「アンタは、じいさんにイイコイイコされてなさいよ。シンジにちょっかいだすんじゃない」
 アスカが、怒鳴った。
 教室中の目が集まる。
「アスカ、みんなが見ているから。ねっ。綾波、これからは学校で会えるんだから、今日のところは、ね」
 シンジの取りなしで二人は、ようやく離れた。離れしなにアスカとレイの視線が一瞬交錯したが、誰一人として気づかなかった。

 高校生活は地獄になった。
 アスカの機嫌は朝から悪い。通学途中でマナが合流し、下校するまでシンジから離れないのだ。
「女なら誰でも良いのね、アンタは」
「あれだけ痛い目にあっておきながら、まだわからないの? アンタって本当の馬鹿ね」
「スパイ女に無表情。アンタの好みって変わっているわねえ。無理無いか、変態だものねえ、アンタは」
 アスカの辛らつな声は、学校自宅関係なくシンジに浴びせられる。
 当初は、いろいろと言い訳してアスカに気を遣っていたシンジも、やがて疲れたのか、学校ではアスカと喋るよりマナやレイと話す方が多くなった。

「いい気なものよねえ。アンタなに普通の高校生のように学生生活を楽しんでいるの? アンタに世間並みの青春なんて認められるはずないじゃない」
 アスカの言葉についにシンジが切れた。
「うるさいなあ。アスカには関係ないだろう」
「…………」
 アスカが黙った。
「そう、アタシには関係ないか」
 アスカが、力無くシンジの前から立ち去った。

 アスカとシンジの会話の内容は、制服や鞄、学校の机、柱、自宅の居室、台所、風呂、トイレ関係無しに仕掛けられた盗聴器ですべてリツコの元に送られていた。
「やったわ。ついにアスカとサードが仲違いをした」
 リツコが歓びの声をあげた。
「先輩、アスカちゃんから電話ですが」
 マヤが告げる。
「ハンズフリーでつないで良いわ」
「はい」
 マヤが電話をリツコの研究室に設置されたスピーカーにつなぐ。
「なにかしら? 」
「リツコ。頼みがあるわ。悪いけどドイツまでの飛行機のチケットを手配して。いえ、手配はアタシがしても良いけど、国連のくびきからアタシをフリーにして欲しいのよ」
 アスカが電話の向こうで言う。
「あら、どうしたの? ドイツにはなにもなかったんじゃないの? 」
 リツコがほくそ笑みながら訊く。
「日本にもなにも無くなっちゃったのよ」
「そう。残念ね。わかったわ。あなたをセカンドチルドレンから解放してあげる。その代わり、学費の援助や生活費の支給もなくなるけどいいわね」
「かまわないわ」
「じゃ、チケットもこっちで手配してあげる。お金はいいわ。私が出してあげるから。短いつきあいだったけど、アスカも元気でね」
 電話を切ったリツコは凱歌をあげた。
「アスカさえいなくなれば、サードなんか、思い通りにできるわ。これでサードインパクトの真相もエヴァもすべて私のもの」
「先輩、よかったですね」
 マヤが、リツコにすり寄った。

 それから三日後。
 シンジとアスカの仲は修復不能なまでに悪くなっていた。
 アスカは今まで食べていた夕食も食べなくなった。

 それでもシンジは夕食を作り続ける。
「アスカの好きなおかずばかりにしたから、今日ぐらいは食べてくれるかな? 」
 シンジはわずかな期待を胸に、アスカを呼ぼうと彼女の部屋へ行った。
 アスカは最近家に帰ってきたら真っ先に自分の部屋に行く。そしてファッション雑誌を読み漁ったり、ネットをしたり、なにもせずに寝転がったりしている。
 テレビを見なくなった。いや、居間にいることが無くなった。
 二人の間になんとか会話はあるが、アスカの言葉にはトゲがある。シンジの心を刺す罵声を続けるアスカのせいで、あまり長く一緒にいられない。
「機嫌なおしてくれてればいいけど」
 シンジは、いつもと変わらない風を装ってノックした。
「アスカ、ご飯できたよ? 」
 返事はない。
「アスカ?」
 シンジは、もう一度呼びかけた。
 返ってくる言葉どころか、物音一つしない。
「アスカいないの? 」
 シンジは意を決して、彼女の部屋の戸をそっと開けて中を覗いた。
「まだ帰ってなかったんだ」
 シンジは一歩アスカの部屋の中へと入った。
「制服がないということは、洞木さんの家にでも寄っているのかな? 」
 シンジはふと、アスカの机に見慣れないものを見つけた。
 航空会社のロゴ要りの封筒だった。
「なんだろう? 」
 シンジは手にとって見たが、表にはなにも書かれていない。
「…………」
 シンジは辺りを見回して誰もいないことを確認した。静かに封筒を開ける。
「えっ……」
 なかなから出てきたのは、数枚綴りになったエアチケットだった。行き先が英語らしきもので書かれている。
 シンジは、苦手な横文字を必死に追った。
「…ドイツ…ベルリン…かな?えっと…ブランデンブルグ…?? ブランデンブルグって、たしかアスカの故郷。里帰りでもするのかな? 」
 シンジは、勝手に見たことをアスカに知られないようにチケットを封筒に戻した。
「日付は、明後日になっていた。でも、アスカは僕になにも教えてくれていない」
 アスカの部屋を出ながら、シンジは不安げにつぶやいた。

 アスカの部屋を出たシンジは、じっと床を見た。
「そう、アスカは僕を捨てるというんだね」
 シンジのそのつぶやきは、盗聴器を通じてしっかりとリツコの耳に入った。
 帰ってきたアスカと話し合うことさえできなかったシンジは、その夜、一人でマンションを出た。

「ふん、結局、逃げだしたか。根性無しが」
 翌朝、シンジの姿がないことに気付いたアスカが、罵る。
 アスカはドイツ行きの切符をわざと机の上に置いておいたのだ。部屋の掃除はシンジの仕事である。必ず目にする。
 アスカは、身の周りの荷物だけを鞄に詰めるとマンションをあとにした。
「さよなら、二度と帰ってくることはないわ」
 アスカはその足で空港に向かうと、隣接しているホテルにチェックインした。
 携帯電話でリツコに連絡を入れる。
「アスカ、えっ、もう空港? チケットは明日のはずだけど? 」
 リツコの問いにアスカが、経過を話した。
「そう、それは残念ね。シンジ君なら、近くの公園で野宿したみたいよ。彼も泊めてくれる友人もないのね」
 リツコの声にあざけりが入る。
「そんなもんよ、あんなやつ。本当に心を許した人間なんていないのよ」
 アスカも吐き捨てる。
「で、なんの用? 私も忙しいんだけど」
 リツコがせかす。
「シンジにさ、伝えておいて。アタシの残したものは捨てていいって」
「わかったわ。それだけ? 」
「あと、弐号機のコアにさよならって言っておいてくれる? 」
 アスカが頼んだ。
「あら、知らなかった? 弐号機のコアはもう無いのよ。サードインパクトの前にぼろぼろにされていたみたいで、どうしようもなかったわ」
 リツコが、語る。
「そうなの。じゃ、もう、エヴァは無いのね。それなら、アタシももう戦いにかり出されることない」
「アスカはね。シンジ君は、駄目よ。初号機があるからね」
「へえ。初号機はあるんだ。まあ、アタシには関係ないけど」
「ジオフロントにね。封印されているけど。じゃ、アスカ、もう会うこと無いけど元気でね」
「アリガト。リツコもね」
 アスカが電話を切る。
「感謝するわよ、リツコ」
 アスカが、にやりと笑った。

 シンジは、野宿したそのままの格好で登校した。
「なにがあったの? シンジ」
 マナが近づいてくる。
「アスカさん、来てないし」
「……アスカは、もう来ないよ」
 シンジが小さくつぶやいた。
「アスカは、ドイツに帰るんだ」
「よかったじゃない。アスカさん、最近シンジに辛くあたっていたから」
 マナがシンジにほほえみかける。
「好かったのかなあ? 」
「そうよ。あのままじゃ、シンジがもたなかったわ」
 マナが、わがことのように喜ぶ。
「碇くん、弐号機パイロットがいなくなったのね」
 レイが、シンジに声をかける。
「綾波……」
 シンジとレイが、顔を見あわせてうなずいた。
「行くよ、綾波」
「わかったわ」
 二人は手をつないで走りだした。
「どうしたの? 」
 マナが附いてこようとしたのを、シンジが冷たい目で留めた。
「さよなら、霧島さん」

 校門を出たところで保安要員が追いついてきたが、レイが紅い瞳をきらめかせただけでふっとんだ。
「ATフィールド。使いすぎないでね。綾波が疲れるから」
 シンジが気づかう。
「ありがとう、碇くん」
 レイが頬を染める。
 シンジの携帯が鳴った。
「アタシ」
「アスカ、大丈夫? 」
 電話から聞こえたアスカの声に、シンジが歓びの声をあげる。
「アタシはね。見張りはまいたわ。犠牲は大きかったけど」
「怪我したの? 」
「ちがうわよ。ちょっと変装するために髪を切ったのよ。今のアタシは、ファーストよりショート。ついでに黒髪に染めちゃった」
「…………」
「がっくりするんじゃないわよ。髪の毛ぐらい、また伸びるわよ。それに美少女は、どんな髪型でも似合うわよ」
 アスカが、笑っている。
「そうだね」
「新しいアタシを楽しみにしてなさいよ。それより、初号機の場所がわかったわ」
 アスカが、告げる。
「ジオフロントよ」
「わかったわ。弐号機パイロット」
 応えたのはレイだった。
「ファースト、いつの間に電話を取ったの? 」
 アスカが、驚く。
「あなた達に任せておいたら、時間がいくらあっても足りないわ。猿になるのは、夜の生活だけにして欲しいの」
「うっ、そんなことまだしてないわよ」
 アスカが詰まる。
「それはどうでもいいわ。じゃ、弐号機パイロット、ジオフロントで会いましょう」
「ちょ、ちょっとシンジと……」
 アスカがまだ話していたが、レイは通話を終了した。

 リツコの元にアスカ失踪、シンジ、レイの逃走が報されたのは事が起こってから数時間たってからだった。
 国連とネルフの組織の壁、さらに保安諜報関係と技術系のつながりの無さが致命傷となった。
「やられたわ」
 リツコはすぐに気付いた。
「アスカたちは、ジオフロントよ」
 だが、間に合わなかった。
 戦略自衛隊が押っ取り刀でジオフロントに押し入ったとき、エヴァンゲリオン初号機は、すでに稼働していた。

「アタシたち三人は、ジオフロントの独立を宣言するわ」
 初号機の肩ですっくと立ちあがったアスカが、大声で話した。
「馬鹿なことを言うな。今なら、罪には問わないから、降りなさい」
 戦自の司令官が怒鳴る。
「あははははは。子供だましは止めて。アンタ達の思惑なんて分かり切っているわ。武器を奪ったあとは、三人バラバラに拘禁して、洗脳するつもりでしょ」
 アスカに言い当てられて司令官が鼻白む。
 司令官の側に副官が近づく。
「催眠ガスの準備整いました」
「やれ」
 戦略自衛隊はジオフロントに繋がる外気取り入れ口から、吸入用全身麻酔メトキシフルレンを流した。
 いつまで経ってもアスカもレイも倒れ無いどころか、笑顔を浮かべている。
「通気口のコントロールは、MAGIの仕事だって知ってる? そして、ジオフロントの風も空気循環もMAGIがやっているのよね」
 アスカが、鼻先で笑う。
「えっ」
 司令官が振り向いたとき、後ろに控えていた歩兵部隊がばたばたと倒れだした。
「ガキどもがあ」
 ぶち切れた司令官が腰の拳銃を抜いて、アスカめがけて発砲した。
 アスカの前に紅い壁が出現し、弾を弾く。
「なんだと」
 司令官が驚愕する。
「よくも、アスカを」
 初号機が腕を伸ばして呆然としている司令官を掴んだ。
「わ、わああ、よせ。助けてくれ」
 持ちあげられた司令官が大声で喚く。
「いいや、許さない。貴様は、二度もアスカを狙った」
 シンジが重い声を出す。
「知っていたのか」
 司令官が、顔を引きつらせる。
「サードインパクトのあの日、ネルフに侵攻した部隊の指揮を執っていたのは、アンタよね」
 アスカが、指さす。
「アタシたちは、サードインパクトでLCLに溶けなかった、たった三つの存在。そして、人類が一つになった紅い海に浸かった者……」
「やはり、あなたたちは人類全ての記憶を知ったのね」
 アスカの声をさえぎって赤木リツコが現れた。
「遅かったじゃない」
 アスカが、リツコに顔を向ける。
「騙したのね」
 リツコの顔がゆがむ。
「お互い様よ。アタシ達は、LCLの海から大人たちの思っていたことを知ったわ。誰一人アタシたちのことを考えてくれていなかったわ」
 アスカから感情が消えた。

「碇司令は、妻に会うことしか考えていなかった。そのためには息子どころか人類全部を犠牲にしてもいとわなかった。いえ、レイを人にしようとしなかった」
 シンジの怒りを表すように初号機の眼が光る。
「ミサトは、復讐しか頭になかった。リツコ、アンタは男に捨てられたくなかった。マヤは盲目的にリツコに従っているだけだった。加持はミサトのことしか考えてなかった。冬月副司令は、初恋の女性碇ユイとやり直すチャンスがほしかった。誰もアタシ達のことを考え、護ってくれようとはしなかった」
 レイの紅い瞳が怪しく輝く。
「だから、アタシ達は人類が復活するまでの時間を遅らせて、今後に対処することにしたわ。全人類の叡智を知ったアタシ達にMAGIをコントロールすることは簡単だった」
 アスカはMAGIをサードインパクトから支配下に置いていたことを教えた。
「では、なぜ、すぐに行動を起こさなかったの? サードインパクトの混乱に乗ずれば、もっと簡単だったはずよ」
 リツコの問いにアスカが苦笑する。
「バカシンジがさ。人類を信じてみたいって言ったからよ。サードインパクトで人類は補完された。再び、単体から群体に別れてATフィールドが、人と人を分かつようになっても少しはやさしくなっているはずだって。本当にお人好しなんだから」
 あきれた口調でいながら、アスカの顔は優しかった。
「でも、結果は、この通りよ。アンタ達は、アタシ達をエヴァのパイロットから、サードインパクトのキーマンに換えただけだった。誰か一人でもアタシ達を普通の子供として扱ってくれていたら……って、もう繰り言でしかないけど」
 アスカが寂しそうに言う。
「ミサトは逃げた。冬月副司令は、レイにだけこだわった。そしてリツコ、アンタはアタシ達をばけものとして扱った」
 アスカの眼が鋭くリツコを突き刺す。
「シンジとアタシが仲違いしているのを知っていたなら、間に入ってくれればよかった。それをわざと助長するように、マナをよこした。あの時にアタシ達は人類を見限った。アンタ達の手にのったように見せかけたのは、レイを解放させるため。もっとも、レイは一人でも逃げ出せたけどね。それと、初号機の場所を知るため。MAGIはジオフロントに据え付けられているから動かせないけど、初号機は国連が管理しているからどこに隠されたかさすがにわからない。リツコなら知っている。そう思ったから、アタシはドイツへ帰る振りをした」

「シンジ君、いや、サードがマナを受けいれたように見せかけていたのも、アスカがサードをずっと嫌っていたのも全部演技だったというわけ」
 リツコが、憎々しげに睨みつける。
「そう。マナなんて、とっくの昔にシンジとアタシにとってはどうでもよくなっていた。というより、関係ない。でも、マナの登場は、リツコの悪意だとすぐにわかったわ。他にそんなことをする人はいなかったから。それが最後の引き金になった。あのまま、放置しておいてくれたら、アタシ達は同居している間に和解し、お互いに恋心を抱き、そして結婚して普通の人間として世間に埋もれていくつもりだったのに」
「私が、安全ピンを引き抜いた……」
 リツコが、小さな声を漏らす。
「それをどう言うか知っている? 策士策に溺れるって言うのよ」
 アスカが嘲った。
「同じ言葉をアスカ、あなたに返すわ」
 リツコが、にやりとした。
「初号機がいかに無敵でも、パイロットには限界があるわ。ずっと乗り続けていることはできないのよ。食事もしなければならないし、眠らなければならない。三日ももたないわ。やっぱり子供の考えることは底が知れている」
 リツコが勝ち誇る。
 アスカが、口の端をゆがめて笑う。
「シンジ」
「なんだい」
 アスカの呼びかけにシンジが初号機の首の後ろから顔をだす。
「えっ、エントリーしていない。初号機は起動しているはず……」
 リツコが、驚愕する。
「あはははははは。馬鹿ね、リツコ。本当に。忘れたの。初号機はダミープラグで動くと言うことを」
 アスカが、軽蔑のまなざしをむける。
「ダミーは疲れることはない。そして、ダミーはオリジナルの支配下にあるわ」
 アスカがレイを見る。
 レイがうなずく。
 初号機の腕が動いて、手にしていた戦自の司令官を下に落とした。高度が低かったおかげで、命に別状はない。骨を折ったのか、足を押さえてうめいている。
「初号機はダミーを受け付けなかったはず……」
「説明しなきゃ駄目なのかしら。意外だったわねえ。リツコがこの程度だったなんて」
 アスカがため息をつく。
「科学的な興味だけのために子供を捨てて、サードインパクトでは、シンジを残して永遠の命をむさぼろうとした。そんな親を子供は欲しないわ。悪いけど、父親と一緒に消えて貰った。おかげでアタシは気楽になったわ。舅、姑がいないんだからね」
「じゃ、初号機は……」
「そっ、純粋にダミーを受けいれて起動しているの」
 アスカが、胸を張った。

「でも、あなた達の負けは変わらない。食料や生活物資はどうするの? MAGIで食料は調達できない。日本政府はあなた達に何一つ売らないわ」
「シンジ、お願い」
「うん」
 アスカに言われてシンジが、手にしていたMAGIの端末を操作する。
 ジオフロントに設置されていたモニターに灯が入る。
「台湾政府は、ジオフロントの独立を承認し、国交をかわす」
「中国人民は、少年達の行動に賛意し、必要な友好通商条約を結ぶ用意がある」
「ロシア政府は、ジオフロントを国家と承認し、国交を結ぶ」
 画面に次々と各国政府所脳が映っていく。
「ば、馬鹿な。なぜ? 」
 リツコが頭を抱える。

「やれやれ、それさえわからなくなっていたのかね」
 背後からリツコの態度を嘆く声がした。
「冬月司令」
 リツコが、目をむく。
「お父さん」
 レイが、ほほえんだ。
「彼らの手には、唯一稼働するS2機関があるのだ。人類の永遠の問題であるエネルギー危機を無公害で解決できる手段がな。エヴァ初号機搭載の形でなければ稼働しないからこそ、列強はジオフロントを承認するのだ。共同開発の形を取らないと、完成したときにいくら特許料を払わねばならなくなるかわからないからな。それこそ国が傾く」
 冬月が言った。
「先ほど、日本政府もジオフロントを国家として認めたよ。ジオフロントを独立国家に無償で譲渡、旧第三新東京市をS2機関開発のための研究都市として、各国と共同で整備していくことになった」
「そんな……」
 リツコが肩を落とす。

 冬月が、部下に介抱されている戦自の司令官に向いた。
「貴官には、無断で部隊を動かしたことと惣流・アスカ・ラングレー氏への殺人未遂の容疑がかかっている。大人しくしたまえ」
 冬月が断じた。
「赤木君、君にはネルフをやめて貰う」
 冬月が告げる。
「承知しました」
 リツコがうなだれた。
「赤木君、君はゲンドウに捨てられて殺された恨みを、チルドレン達にぶつけた。それは間違いだぞ」
 冬月の言葉にリツコが震える。
「私は、あの人に身体も心も人としての良心さえも捧げたのよ」
 リツコが大声でわめいた。
「それなのに、あの人はわたしではなく、あんな小娘、生理さえきていない人形を選んだ。私のそのときの気持ちがわかるとでも? 」
「わからないな。当然だ。人は他人のことを完全に理解することができない。人は不完全な使徒なのだ。使徒と人の遺伝子の差、0.011%は、人が劣っている証拠なのだよ。だからこそ人は他人を思いやって、その想いに少しでも近づこうとする。それは、人が単体である使徒よりも優れているところだ。君は、そのことに気づくに一番近い場所にいたはずだが……」
「黙って、黙ってよ」
 リツコが髪を振り乱して、これ以上の話を拒否する。
「いや、黙るわけにはいかない。これは同時に私の罪でもあるのだからな。使徒戦役のころ、私が少年達を思いやっていたら、サードインパクトは防げた。それが、大人の仕事だったのに、私は自分の醜い想いを優先させてしまった」
「副司令……」
 アスカが、小さな声を出す。
「赤木君にも済まないと思う。私は君と碇の関係を知っていた。手助けのしようは幾らでもあったのに、何一つしなかったことを謝罪する」
 冬月が深く頭をさげる。
「…………」
 リツコは黙って首を左右に振った。やっと落ち着いたようだった。
「再就職の口はあるのかね? 」
「さあ。どうでしょうか。悪名だけは高くなりましたから」
 リツコが小さく笑う。
「一つあるのだがね」
 冬月の言葉にリツコが顔をあげた。
「今度日本政府が作るS2機関研究所の所長の席が、空いているのだが」
「えっ……」
 唖然とするリツコの肩を、冬月がたたいた。
「君ほどS2機関のことをわかっている人物は、日本にいや、世界にいない。子供達の明るい未来のために、頼んだぞ」
 冬月が、リツコの手を握った。

 戦自とリツコたちが撤退した。
 三人のチルドレン達は、旧ネルフの食堂でシンジの作った料理を食べている。
「でもさ、冬月副司令が味方だったなんて、知らなかったわよ」
 アスカが不満げに、口を尖らせた。
「言う暇無かった」
 レイの答えは短い。
「確かに、そんな話をできる状態じゃなかったよね。僕たちは始終見張られていたからね」
 シンジがレイの肩を持つ。
「ふうん」
 アスカがじとっとした眼でシンジを睨む。
「お父さんは、わたしにこだわる振りをすることで、赤木博士から匿ってくれた」
 レイが、アスカの様子を気にしないかのように語る。
「リツコを抑えられたのは、冬月副司令だけか、そりゃあそうだわ」
 アスカが納得した。
「でも、これで僕たちは自由になったんだね」
 シンジがうれしそうに笑う。
「そうよ。長かったわね」
「ええ」
「だね」
 三人が顔を見あわせた。
「アタシはシンジを嫌い」
「わたしは全てに無関心」
「僕はかつてと同じように嫌われないように、おびえてすごす」
 それぞれが決めた役割を口にする。
「シンジを罵るのが辛かったわ」
「わかっていても心が痛かったよ。本当にアスカに嫌われたんじゃないかって」
 シンジが、辛そうな顔を見せる。
「アタシの首を絞めたものねえ」
 アスカが、またシンジを睨む。
「あれは、紅い海に触れて大勢の人の感情を一気に受け止めたから、一時的に錯乱しただけって、ちゃんと説明もしたし、納得もしてくれたじゃないかあ」
 シンジが、情けない顔をする。
「でも、死にかけたわ。ああ。アタシは綺麗な身体のまま死んでいくのねって絶望したのよ」
「綺麗な身体って、僕も綾波も一緒だよ」
「なに言ってんの。アタシは見たのよ、アンタとレイが裸で繋がっているのを」
「あれは違うって。あの時の綾波は母さんだったんだよ。母さんが綾波の身体を使って、僕の望んだ世界にもう一度産みなおしてくれたんだって。綾波なんとか言ってよ」
 シンジがレイに助けを求める。
「母と息子。禁断の愛……ぽっ」
 レイが頬を染める。
「この馬鹿。アンタは人類の母かも知れないけど、今は、シンジの母さんじゃないでしょうがあ」
 アスカがレイの頭をはたいた。
「痛いわ。碇くん、やっぱりこんな乱暴な女はやめて、わたしと一つにならない? それは、とてもとてもとてもとてもとても、気持ちの良いことなの」
 レイがシンジに迫る。
「シンジと一つになるのは、アタシ。さあ、シンジ、行くわよ」
 アスカがシンジの手を掴んで立ちあがった。
「えええええ。いまから? 」
「いいこと? ジオフロントは独立国家なのよ。国家の基本は国民。富国強兵の元は、国民の数を増やすことから。そのためには、アタシが産むしかないじゃない。さあ、シンジ、頑張るのよ。休む暇なんて無いからね」
 アスカがにやりと笑う。
「誰か僕に優しくしてよ」
 シンジの叫びがジオフロントにこだました。

終わり

後書き
azusayumiさまの設定に便乗させて頂きました。
10万ヒット記念と言うことで、せっかくの設定の雰囲気を壊したことは、勘弁してください。
Author: タヌキさん
初出: 2005/08/03
当サイトの企画モノの序章、
"アスカが片道のドイツ行きチケットを手に入たことを知ったシンジ、後はどうなる?"
の、タヌキさんがオチをつけた場合バージョン(笑)
を、頂きました。

……私が書くのと全然違いますね。(当たり前ですが。)
というか、あの序章でこの話を書かれたタヌキさん…
私の予測を見事に裏切りました。
というよりも、自分の書いたのを無かった事にして引っ込めたくなりました(涙)

そんなわけで、このお話を書かれたタヌキさんに是非ご感想をお願いいたします。
WebMaster: AzusaYumi